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はじまりは裏切りから  作者: 真麻一花


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10/12

 普通は異性の「友人」とホテルの一室を取ったりはしないけどね。

 バーを出てホテルの一室に連れ込まれた美夜は、部屋の入り口のドアにもたれかかり腕を組んで亮司を見た。

「君は目を離すとこれだから」

 亮司が振り返るなりため息をつく。

「目を離す方が悪いのよ」

ネクタイを緩めながらつめよってくる男を胡乱な目で見た。

「婚約者のいる男がやることじゃないわね」

 男は美夜の手を取り軽く口づけると、ふてぶてしくにやりと笑う。

「残念だが婚約者は、今のところいない」

「お見合い相手とは別れたの?」

「見合いの後は、結婚をするかどうか決めるまで付き合うだろう? だからまだ婚約はしていない」

「……憎たらしい男ね」

 美夜は一歩踏み出し、男のそのきれいな革靴をとがったヒールで踏みつけた。

「……っ、痛いじゃないか」

「痛くしたんだもの。痛くなかったら、マゾね。それとも気持ちよくなるまで試してみる?」

 顔を顰めた男の目の前でふんと鼻で笑ってみせる。

「残念ながら、痛みに対して気持ちいいという趣味はないな」

「そ。良かったわ。私も頻繁にするのは趣味じゃなかったから」

 グリグリとかかとに力を入れていると、顔を顰めた亮司がさっと美夜を抱き上げる。

「こいつ。……どうお仕置きしてやろうか?」

 すごむ表情で、けれどそのいたずらめいた目が美夜を誘う。横抱きにして寝室まで進むと、亮司は彼女をベッドの上に落とした。

「乱暴ね」

「俺を踏み付けた君にだけは言われたくないね」

 男はベッドの縁に腰をかけ、美夜の髪をなでる。

 目を閉じればその手つきはどうしようもなく心地よい。けれどそれに浸ることなく目を開けると、ゆっくりと視線を室内に走らせた。二人きりの閉ざされたこの場所は、とても寒々しく見えた。

 なのに目の前の男は穏やかに微笑んでいる。

「ねえ、浮気って、どこからが浮気だと思う? 想い合ってたら? それとも……」

 手を繋いだら、密室に二人きりでいたら、抱きしめたら、キスをしたら、素肌で触れ合ったら、セックスを最後までしたら……?

「バレたら」

 男がふてぶてしく笑う。

「バレなければ、浮気なんて存在しない」

 と。

「最低の男ね」

 美夜は上半身を起こし男のネクタイを引っ張ると、目の前にある男に口づけ黙らせる。

 吐息の後、男が誘うように笑った。

「君は最高の女だ」

「愛人にするにはうってつけの? 冗談じゃないわ」

 唇が触れ合う距離で言葉を交わすと、美夜は体を起こし、自身の隣に男を突き飛ばした。

 男はなされるがまま仰向けに倒れる。薄く浮かべられた余裕の笑みはそのままに。

「乱暴だな」

「浮気男には十分よ」

 男を見下ろして美夜が笑う。

 男に手を伸ばしシュルリとネクタイを抜き取るが、男はおもしろそうに美夜の態度を見つめるだけで、何の抵抗もしない。

「ひっかいてやろうかしら」

「背中になら、いくらでも」

「じゃあ、首を絞めてやろうかしら?」

 ネクタイをもてあそびながら、パンと目の前ではってみせる。

「……君が? あり得ないな」

 くくっと楽しげな笑いが漏れる。美夜も笑みをにじませると少しだけ顔を傾け、男の首にネクタイを軽く巻き付けると、真っ赤な唇に弧を描き、うっそりと笑う。

「殺人はする気ないけど、苦しませるのなら悪くないでしょう? ゆがんだあなたの顔が、たまには見てみたいものね?」

「こわいな」

 そうつぶやく男は楽しげに目を細め、指を美夜の頬に滑らせた。

 ゆっくりと頬をなぞる指先も、見つめてくる瞳も美夜への愛情が見て取れる。

「美夜、愛してる」

 かすれた声に、ぞくぞくと快感が走った。

「……私、二股かける男、嫌いなのよ」

「あっちはビジネスだ」

「そう。じゃあ、私がビジネスで体をどっかの男に差し出してもあなたは納得するのね。……うれしすぎて涙が出るわ」

 吐き捨てると、男が困ったようにため息をつく。

「……美夜、そんなことを言わないでくれ」

 男は口をつぐむと美夜を抱き寄せる。

 互いに望むことは相容れないのに、こうして触れていれば全てが解決したかのような心地よさがある。頬に当たる胸元の暖かさも、頭をなでる大きな手も。

 この男は自分の物だと実感する。

 しばらくそうしていたが、美夜はゆるゆると体を起こし男を見据えた。

 自分の物なのに、現実は美夜の感覚を打ち壊す物だ。けれどそれを受け入れるつもりは毛頭ない。

「二股をかけられるのは嫌いだけど……奪い取るのは、嫌いじゃないわ」

 そうつぶやいた美夜の様子は突然がらりと変わり、物憂げな様子は消え失せ、今は楽しげに目が細められている。

 嘆いても何も変わらない。だから。

 奪われたのなら奪い返す。気に入らない状況なら気に入る状況にすれば良い。

「あなたには付き合ってるお嬢さんがいるんだから、あなたから私に触れてはダメ。浮気相手にされるなんていう屈辱を受けるつもりはないの。触れて良いのはその子からあなたを奪う私だけ」

 男は美夜の意図を受けて苦笑すると、体の力を抜いた。

 美夜は満足げに笑う。

 さあ、楽しみましょう。

 クスクスと笑いながら亮司に口づける。そしてネクタイを手に取ると、後ろ手に男の手首を縛り上げた。

「ふふ、良い格好ね」

 特に抵抗することなくなされるがままだった男は、呆れたようにため息をついて肩をすくめた。

「……何をするつもりだ?」

「さぁ?」

 美夜は男の頬に触れる。指先に少し伸びかけたひげがざらりと刺激を与えてくる。シャツの上から体の線を確かめるように指を滑らせれば、男の体がぴくりと震えた。

「いつから君はこんな趣味になった?」

「さぁ? 誰かさんに愛人役を求められてから、かしら。……刺激的よね」

「まったくだ」

 肩をすくめた男のシャツのボタンが美夜によってひとつずつ外されてゆく。

「こういうのは、嫌い?」

 挑発めいた美夜の笑みに、男がにやりと笑う。

「いや。悪くないな。君が女王様をやるというのなら、俺は謹んで下僕役を果たしてみせるさ」

 この男はこういう場においてリードをされるのを好まない。けれど今は主導権をあっけなく美夜に明け渡し、あまつさえ楽しんでいる。

 ただの言葉遊びだ。けれど、そこには一種の信頼関係があるが故に成り立つ遊びであることも、確かだ。

「やっぱり、ひっかいてやろうかしら」

 美夜が片目を顰めながら頬に爪を立てると、くくっと低く漏れる楽しげな男の笑い声がする。

「こんなにかわいい子猫に引っかかれるなら本望だが、せっかくだから背中にしないか。俺にかじりつかせて、みゃーみゃーなかせてやるから」

「……ほんと、にくたらしい」

 男のシャツを半分ほどはだけると肩から少し落として、鎖骨と肩をむき出しにさせる。

 そこに爪を立てて、美夜は少し強く、ゆっくりと爪でひっかいてゆく。

 男の胸元に、赤い筋が三本刻まれた。

「こいつ」

 男は片目を顰めると美夜が口元をゆがめるように笑う。

「子猫に引っかかれて、本望でしょ」

 美夜は男の両頬を包むと深く口づける。舌を絡ませながら、頬から頭へと指を滑らせてゆき、男の整えられた髪を崩してゆく。

 二人だけの室内に、荒い吐息と合間に水音を響かせる。

「……美夜」

 男のかすれた声がする。欲望を含むそれは美夜を疼かせたが、笑みでそれを隠した。

 美夜は男から体を離すと、ベッドに転がされた男を見下ろした。

 ボタンを中途半端に外された状態で、シャツを肩まではだけられ、美夜とのキスで真っ赤に口周りを染め、髪をぐちゃぐちゃに崩され、両腕を縛られて寝転がるしかない男。

 いつもこぎれいに決めているいい男が台無しだ。

 ふふっと笑いがこみ上げる。

「いいざまね」

「……美夜」

 男の低いうなり声がする。

 美夜がついに楽しげな笑い声を上げた。

「ほどいてくれないか?」

「いやよ」

 上半身を起こした男の目の前で、美夜は手早く化粧を整えるとにこりと笑ってみせる。

「じゃあ、帰るわね」

 そう部屋を出る旨を伝えれば、男が盛大に顔を顰めた。

「……おい」

「私、浮気は嫌いなのよ」

 わざとらしく投げキッスをして、追いかけることも出来ない男に笑いかけた。

 シャツで肩を拘束された状態で、極めつけに手も使えない。足は動くが両手が使えない状態で美夜を追いかけて外へ出よう物なら、とんだ恥をさらすことになる。

「かっこつかないわね」

「まったくだ」

 亮司は、不機嫌そうに顔をゆがめた。それが更におかしいとばかりに美夜が笑う。

「ちょっと時間はかかるかもしれないけど、そうきつくは縛ってないわ。頑張ってね」

 ひらひらと手を振って背を向ける。

「この……いたずら猫が!」

「みゃー」

 たった今ベッドで交わした男との会話を揶揄って美夜はかわいらしく鳴いてみせた。

「亮司。愛してるわ」

 軽やかな笑い声の後、パタンと扉が閉まる。

「お仕置きを楽しみにしてろよ!」

 完全に閉まる間際に漏れ聞こえた捨て台詞を土産に、美夜は上機嫌でエレベーターに向かい足を進ませた。







「……父親を許すの? あなた、お人好しを通り越して、馬鹿じゃないの?」

「……でも、父からは何かをされたわけでもないので……」

「あなたの父親の場合は、何もしなかったから問題なのよ。ネグレクトって知ってる? 育児放棄っていうの。あなたが父親を恨んだとしても、何の不思議もないぐらいのことをされてるのよ」

「……でも、お父さん、気持ちを表すの、下手な人だって、お母さんが言ってて。……父は、母のことが、大好きだったから……」

「何の言い訳にもならないけど……あなたは、お父様のこと、許したいのね」

 美夜が大きく息を吐いて苦笑する。

 許したい、そうなのだろうか。でも、また、父と笑い合いたいとは、思う。

 母がいた頃から、特に父が何かをしてくれたことはなかった。でも、愛されていることを疑ったこともなかった。時々微笑んで、頭をなでてくれるのが好きだった。幼い頃抱き上げてくれた記憶は、楽しくてうれしくて、今でも温かい物だ。

「私が口を出すことじゃないわ。好きにしなさい。悔いが残らないように自ら動くことは大事よ。あなたがひるめばきっとそれで途切れるわよ。絆を取り戻したいのなら、思いっきり行きなさい」

「はい」

 良かった。最初はどきっとしたけれど。美夜さんに否定されたら、少しひるんでいたかもしれない。けれど、やっぱりお父さんを好きっていいたい。……好きって、思われたい……。



     *     *     *     *



「社長、これを……」

 雨に降られ社内で着替えをしていた社長にシャツを渡しながら、冴島はその胸元に赤いひっかき傷を見つける。

 冴島のその視線に気づいたのか、社長は自らの傷に目をやり、にやりと笑う。

「いたずらな猫にやられたんだ」

 くくっと楽しそうに社長が笑う。

 あの夜、ずいぶんと楽しまれたようだ、そう思った冴島の耳に「引っかかれた挙げ句に逃げられたがな」と思わぬ言葉が続き、補佐の男は思わず目をむいた。



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