3
城壁の上『白』が旗を背にして我々を見下ろす。
誰の目にも明らかに。『白』は笑った。一瞬、『白』自身が煌めいたような錯覚。透き通るような声がまるで歌うかのように言葉を紡ぐ。
「勝機を逃した、おろかな兵どもよ。いつまでそこで待つつもりなのか。」
腕を広げて、まるで星空にその身を捧げるように。『白』はすこし高い透きとおる声で、誇り高く告げていく。
兵士たちは馬上でふら付いた。意味が分からない。勝機を逃した?逃しているのは『白』の方だ。指揮官も同じように、どこか青ざめた表情で。なんだ、これは。なんだ、あれは。なんなんだ。
風が吹いたその拍子にすこしフードがずれ、勝気に微笑む可愛らしい顔つきが覗いた。『白』は動けない我々に向かって言い放つ。
「勝てると思うなら、来ればいい。我が部隊の渾身の一振りが思わぬ痛手になるだろう。待とうと思うなら、待てばいい。 風が冷たくなって来た。……夏が終わるぞ!!」
「……あ!」
はっとして息を飲み、兵士は目を見開いた。どうして今まで気付かなかったんだ!!
吹き抜ける風は、確かに冷たくなっている。多くの兵に動揺が走る。
『白』の存在に魅入られていたことや、恐れ戦いていた事実など吹き飛んでしまった。いつの間にか、あれほど体力をがりがりと削り取っていた夏の暑さを感じなくなっている。
いつの間に。血の気が引いていく。
それってつまり。つまり、と誰かが震える唇を開く。
「あ……秋。秋になっちまう……!」
「豊穣の神アケスの恩恵を忘れ、実りを放棄し、この城に攻め込むのであればいつでも受けよう!
我々はここに立て篭もる。 この場所から動かず、この城から動かず、この地で戦いを受けよう!!」
この言葉は収穫の大切さを、知っているからこその言葉だ。農村出身の兵士たちは馬上で手を握り締めた。まさか、まさかこんな風に来るだなんて。言葉だけで我々に攻めて来るなんて。まるでこんな、こんなのじゃもう戦えない。
え、小麦とかまさか、と一部の兵士たちの血の気の引いた声が響く。他の兵士たちにも動揺が広がって行った。長引けば不利になるのは、どちらも同じ。しかしこの現状で、自国から見捨てられたであろう敵兵たちと、帰る家がある自軍の兵士。どちらがより打撃を受けるかは、もう明白だった。
ここにいる多くの兵士は徴兵制度で集められた兵士たちだ。
彼らは家族を国に残して戦いに来ている。女子供でも収穫は出来るが、男手が少ないと収穫はぐっと難しくなる。
秋が終われば、すぐに長い冬が訪れる。
冬を乗り切る蓄えが必要なのだ。戦争から帰ってきた男たちを食わす食料がなければ、国は必然的に疲弊する。夏で終わらせてしまうべきだった。
『白』は笑って、笑って、そして自信に満ち溢れた声で城内に向かって言い放った。
「さあ、勝ち鬨の声をあげろっ! 私たちの勝利だっ!」
ごう、とまるで地獄の業火をその耳で聞いているかのような錯覚。
大地が揺れる。立ってられない。足が震えている。
あれ程まじかに見えていた勝利が、今はもう暗闇の中へと混ざってしまった。
城が揺れている。追い詰められた兵士たちの歓声で揺れている。大地を揺らしてしまうほどの歓喜。
ああ、だめだ、と兵士は思う。これではもう、勝てない。負けないにしても、勝てない。夕方までなら簡単だったかもしれないが、今、こんなにも戦意が高揚してしまった彼らを、迎え撃つには我々も疲れている。
我々は今確かに勝機を逃したのだ。深く、ゆっくりと息を吐いて、兵士は城壁を仰ぐように見つめた。
『白』はまだそこにおり、こちらの様子を見ているようだった。まるで城を守るかのように、まだその存在を我々に見せつけているように。
城を守るためだけに現れた守護者のように…
指揮官から退却の命令が聞こえた、みな馬を翻し走りさる。一刻も早くあの『白』から逃れるように。
多くの仲間が退却して往くなか、兵士はまだそこにいた。馬が心配そうに足をふみならす。今はそんなことに構ってられなかった。一目、一目だけでも『白』の本当の姿、その素顔を見たかった。
あらかた敵兵が減って『白』は目的は果たしたのだろう、控えていた兵士が『白』に手を差し出す。『白』もその手を取って離れる所だった。
その時、視線に気がついたらしい『白』が振り返る。目が合った。フードに手をかける。見える!
けれど、その顔があらわになるより早く馬が前足を高く上げ嘶いた。驚いて、手綱を操る。
目を離した一瞬の隙に、すでに『白』の姿はなかった。そして落胆の息を吐き出しながら、じわじわと心をほどいていく。戦いで、そういえば疲れていた、と。ようやく、兵士は自覚した。口からはもう、溜息しか出ない。
兵士はもう一度だけ城壁を振り返り、そして馬を翻した。帰ろう、自分達の国へ。
***
ロア歴1576年
ルーデンベルク城を守りきった功績にロノアール・ヴァンベルク隊長はその年の王国騎士団栄誉賞を授与された。
しかし、彼はこれを辞退しこう言った
「この功績はもっとふさわしい人物が授与されるべきであり、私はこの賞を頂ける人間ではない。ルーデンベルク城は私だけではなく、あの時あの場所にいた全員で勝ち得たものだ。ですから私はこの賞を受け取る事ができません。」
この言葉を聞いた国王はいたく感動し栄誉賞の勲章はルーデンベルク城の一室に置くよう指示した。
また、この話を聞いた多くの兵士は称賛と尊敬の念を持ち、その話が王国内へと広がるとロノアール・ヴァンベルクの名は多くの国民から「城壁の守護者」と慕われ憧れの的となった。
その後、ルーデンベルク城篭城戦で敵兵と戦わずして守り切った戦歴は、のちにルーデンベルクの奇跡と讃えられ「城壁の守護者」ロノアール・ヴァンベルクの名と共に多くの歴史書にも名を残した。
しかし、どの様に戦ったのか、その時城で何が起こっていたのか、詳細はどの歴史書にも記されていない。
当時の貴族や騎士団の関係者が、どんなにロノアール本人や関わった人に話を聞こうとしても、みな口を貝のように閉ざし語る事はなかったという。
また、当時敵兵だった者たちも家族や上司に残した言葉は「魔物を見た。」や「『白』に魅入られ帰れないかと思った。」「城壁の守護者だ。」といった言葉ばかりで詳細を追う事は出来なかった。
この篭城戦に対してロノアール・ヴァンベルグは死の間際、家族に一言だけ言葉を残している「あの者はまさに城壁の守護者だった」と。
******