第九話『街』
なんだこれ……なんだこれ……矛盾点とか……どーすりゃいいの……
──……ザァァァ──
「──春ッ!春ッ!!」
雨が地面を穿つたびに跳ね、細く華奢な足に飛びつく。
既に水溜まりはあちこちを覆い尽くし、跳ねる水の量も多くなる。
雨樋は降り落ちる雨の質量に耐えかね、遠く雨の中でもギシギシと音を立てているのがわかる。
春が帰ってこない。
雨が降っているとしても、そろそろ着いて良い頃合いだ。
なんだか嫌な予感がして、待ち切れず、紀里谷萬ノ店を飛び出した。
傘も差さずに。
春だって傘を持って行っていなかった……!
そこで傘を二つ持って迎えに行くという発想に至らないのが、冬の冬たる所以である。
「──春ッ!?」
少ししたところで、倒れる人影を一つ発見した。
雨が跳ね、輪郭が白んでいる。
「春!しっかり、春!」
大きい春の身体を肩に担ごうとするも、冬の小さな身体ではそれもままならない。
「誰か……誰かぁ……」
自分一人じゃ春一人も助けられない。
同じだ。昔と。
正義ぶって、武器として正論を振りかざし、悪から守っていたと思っていた。
だがそれは冬自身の主観に過ぎず、周りからすれば、正論を振りかざす、という間違った行為を堂々と行う暴君にしか見えていなかった。
それは、冬が守っていた者も同様で。
たった一人じゃ正義のためには何もできなくて、守れなくて、変えられなくて。
一人じゃ、逃げることしかできなくて。
濡れる地面に膝をつき、雨以外の理由で顔が濡れる。
一人じゃ、ダメなんだ──
「──一人でダメなら、二人、三人ってね」
雨の中に響く、落ち着いた声。
いつもなら即拳を飛ばすその声に、冬は救いを感じた。
ああ、そうだ。
冬も、逃げて、この街に辿り着いて、そして、何人もの人間に助けられた。
──この人も、その一人だ。
「……文……さん」
「はいはーい♪ みんなのお姉さん、志摩文でぇーす♡」
そういえば、初めて出会った時も、こんな感じだった。
「とりあえず、春くんを運びましょうか」
「あ、うん……」
普段はおちゃらけた態度で真面目さのカケラもない人だけど。
本当は、わたしの、一番信頼している人なんだ。
「ほら、流石に私も一人じゃキツいからそっち持って?はい行くよー!」
「……うん……!」
どうやらわたしはまだ、誰かに頼らずにはいられないダメダメ店主らしい。
「ふっ……ふっ……──ふぅぅ……」
「着い……た……」
「うわぁぁ!? ちょ、冬ちゃん!倒れないで!タオルタオル!身体拭いて!」
二人掛かりでようやく春を運んで、店に着いた。
「その前に……春、を……うぅ」
バタリ。
「冬ちゃぁぁぁん!?!?」
…………。
「あらあら、どうしましょ(汗)」
雨ではない、冷たい何かが文の背中を不快に這いずり回る。
「……とりあえず二人ともお風呂にぶっ込んじゃいましょ♡ この店、お風呂もあったわよね。……なんでわざわざ隣に家あるのかしら」
「……ん?」
足や手が軽い……まるで、水の中を漂っているような──って、風呂じゃねーか!
「んぁー……わたし確か気絶して?その後──あれ、その後……もしかして、文さんがわたしの服脱がして風呂に入れた……と?」
風呂で寝ると危ないだとかよく聞くのだが、大丈夫だろうかわたし。
というかあの人、わたしの身体に何か変なことしてねーだろうな!?
急いであちこち確かめてみる。
と、決して広くはない湯船で、足先にちょこんと当たるモノが。
視線をそちらに移して行くと……────
「────」
怯える子鹿の如く身を震わせ、その大きな身体を極限まで小さく体育座りで冬と面向かっている──春がいた。
「いや、ちょ。冬?その、僕だって決してわざとじゃちょま、あ、やめ……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!?!?!?」
「バカ春ぅぅッ!!」
この狭い湯船に若い男女が二人。
何が起こったのか、描写するまでもないだろう。
「ちょ、げふぅ!」
「ばかぁ、ばかぁぁぁぁッ!」
この二人に限って甘い展開などあり得ない。
片や、10、11歳程度の外見を持つ18歳強気の店主。
片や、年相応の外見を持つ年齢不詳ヘタレのほほん店員。
……何かが起こるとしても、それはまた先のお話。
「おほほほほほ」
「フシュゥー……フシュゥー……ッ」
「ふ、冬、落ち着いブベラッ!?」
文、冬、春は、隣に移って紀里谷家にて、同じテーブルを囲んでいた──と言えば聞こえは良いだろうが、その実かなり険悪ムードである。
原因は全て志摩文にある。
「異議あり!」
「認めん」
一蹴する冬に代わり春が文に尋ねる。
「え、えーと……異議って?」
「私はあなたたち二人を助けるため──そう、救助活動の一環として、二人をお風呂に入れました!」
「……二人同時に入れたのは?」
「面白そうだったから──うそうそ!一刻も早く二人を温めねばと思ったからです!」
拳を振り上げる冬は既に話を聞いていない。
「二人とも良い具合にあったまったでしょ?」
「「別の意味でだけどな!!」」
訂正、冬は話を聞いていた。
春も珍しく語気を荒め、それを見た文は心底楽しそうに微笑む。
「……まあいいや。いやよくないけど。……今はそれより」
冬はイライラしながらも冷静さを欠かず、現状を把握しにかかる。
「春、お前なんであそこで倒れてたか憶えてるか?」