第四話『日記』
とある日。
紀里谷萬ノ店の隣、商店街には不釣り合いな一階建ての一軒家。表札には『紀里谷』の文字。
紀里谷冬の自宅である。
庭やガレージなど存在せず、あるのはただの一戸の家。
玄関から真っ直ぐ廊下が伸び、その脇脇に部屋がある。その内の一つ、可愛らしいルームプレートにデフォルメされた字で『冬』と書かれている部屋に冬はいた。
物置と化していたふすまの奥の空間のお掃除である。
長らくサボっていたため、中々汚く埃っぽい。
最後に掃除したのいつだっけなー……春が来てからは一度もしてないことは確か。
春との同棲生か「ちがうっ!」居候生活の記憶の中に、押し入れを掃除した、という記憶はない。
つまり、一ヶ月は放置していると。
それだけ放ったらかしにしておけば、埃の溜まること溜まること。
「……やりたくねーなぁ……さっさと終わらせて、春と茶菓子でも食べてー」
春と二人で茶菓子。
その光景を想像して、にへらにへらとだらしなく口を開けニヤニヤする。が、しかしすぐに、自分が恥ずかしい妄想をしていることに気付き顔をブンブンと千切れるほどに振る。
ああああさっさと掃除ッ!!
気を取り直して押し入れの中のモノをガサゴソと取り出し、埃を掃除機で吸い込む。ある程度埃がなくなったら、次は雑巾で軽く水拭き。
要らないモノは家の裏の倉庫へポイ。
と、倉庫へ要らないモノを運んでいた時。
「あいでっ……っとと、と……!?」
どんがらがっしゃーん。
という擬音がぴったりな感じですっ転んだ。
「いっでぇ……何につまづいた……?」
見ると、わずかに地面が、ボコっとなっている。
こんなとこに引っかかって転んだとか、春に笑われるなぁ……。
散らかった荷物をまとめ、倉庫へ投げ込む。
「これ、何なんだろうなぁ……?」
まあ、石が土被ったとかだろ。気にすることねーか。
「……うし、じゃあ後は押入れの中に荷物を整理して突っ込めばおしまいっと」
……にしてもまあ……ガラクタばっかだなぁ……なんでこんなの仕舞ってんだ?
ここに来たばかりの頃、本通の住民たちが親切でくれた玩具。
プリキ○アのグッズだの、今の自分からすればちょっとあり得ない。
だがそれは冬の主観であり、住民たちは今でも充分似合うと思っている。
否定する冬には悪いが……外見がまさしく10、11歳のそれであるから……。
本人には、口が裂けても言えないが。
志摩文だけは例外で、おもっくそ冬の外見を弄っている。
そんな住民たちの気苦労は知る由もなく、冬は懐かしみながら荷物を整理する。
「……んぉ?」
その最中、とある一冊のノートを発見。
日記?
誰のだろうか。冬は日記などつける性格ではないので自分ではない。
まあ日記に関わらず帳簿なんかも面倒で面倒で仕方ないのだが、そこは仕事なので割り切る。
「んぁ~……前の店長のか?」
もしそうであれば、他人のモノになり……。
気になるし、見てみよーっと。
ちょいと中身を拝見っと。
ペラッ。
「……んんん?」
そこに書かれていたのは、日本語でなければ、英語やロシア語、ハングルでもない。
見たことのない、言うなれば古代語とでも言うべき──
「うん、わかんね」
今度、文にでも聞いてみよう。
なんだかんだ知識だけはあるやつだからな。
なんだかんだ知識だけはあるおばさんの文は、その頃どこかでくしゃみを連発していた。
「ぶぇぇっくしゅ!ぶぇぇぇっくしゅ!」
およそお姉さんらしくない豪快な。
そこでふと、冬はあることを思いついた。
春に日記を書かせてみたらどうだろうか?
どういうわけかは知らないが、春の過去の記憶はほとんどない。
その原因もわからないのであれば、またいつ消えてもおかしくないのだ。
そのために、日記を書く。書かせてみる。
まあそんなのは後付けの建前で、本心は見てみたいだけなのだが。
春が、この街をどんな風に見ているのかを。
よーし善は急げ。
この場合善なのか、邪な思惑であるから悪なのか。
その判断は世界に委ねることにしようではないか。
「……おぉう、そこから書くのか」
「え?」
試しに春に書かせてみた。
4月25日
冬と出会った。
一番最初にその日を選んだ理由は見当もつかないが、今日は5月30日。ばっちり一ヶ月前だ。
春は記憶を失っていると言っても、文字の読み書き、計算など勉強はまったく問題がない。それどころか、冬より成績が良い可能性もある。
だがまあ、応用というモノがまったくできないのが、春らしい。
そんな春はかなり記憶力が良いことがここ最近でわかってきた。
それなのに記憶喪失とは、なんという皮肉か。
実際、冬自身が忘れていた、春との……遭遇記念日?の日付を正確に覚えているとは、中々どうして。
その後も、次々と一ヶ月分の日記を埋めて行き、あっという間に今日の欄まで。
5月30日
冬が、僕のために日記をくれた。
それを見て、少しむず痒い気持ちになる。
だって……『春のため』なんかじゃなくて、単なる好奇心からの、つまり『自分のため』なんだから。
いやホント、純粋すぎてコワイ。
「……ごめんなさい」
「え?冬?どうしたの急に」
「あぁぁあごめんなさいごめんなさいッ!!」
「冬っ?冬!? 顔、顔上げてぇー!」
その日紀里谷宅に響く謝罪の声により、仲良し男女の浮気という疑惑がかかった。