第三話『志摩 文』
紀里谷萬ノ店。
彼艸商店街本通に居を構える、所謂何でも屋。
文房具、食材、軽家電、文庫本、その他諸々、欲しいと思ったモノが大抵揃っている店。
その間取りはかなり広く、軽くスーパーに匹敵する。
だがこの本通には、それぞれ専門店があったので、それほど賑わうこともなく、ほど良い客足にとどまっている。
他の店の入荷が遅れている時、紀里谷萬ノ店を訪れ、必要なモノを買ってくる。
そんな使われ方をしているため、基本の仕事は商品の即入荷と整理くらいであった。
常に在庫には余裕を持ち、店頭に並ぶモノがなくなればすぐ補充。
それだけ。
たったこれだけで収入は大丈夫なのか、との声が挙がる場合もあるのだが、それに関してはまったく問題がない。
元々一人分の生活費を稼げれば充分やって行けたし、とある事情からこの街の専門店は品薄になることが多い。
必然的に萬ノ店を訪れる客もそれなりに存在する。
のらりくらりと、のんびりとした経営。
18歳にしてすでに老後のようなゆったりとした生活を送っていた理由がこれだ。
だが最近、紀里谷萬ノ店は謎の賑わいを見せていた。
その原因は、これまた謎の少年──春。
およそ一ヶ月前、突如彼艸商店街本通に姿を現し、現在、紀里谷萬ノ店にて紀里谷冬のお世話になっている。
その少年の容姿が、まるでアイドルのようで──
もうわかっただろう?
「春くん、若いわよねぇ」
「え、えと、はい……」
「あぁぁもう、お姉さん食べちゃいたい!」
「アンタもうおばさんだろが」
「やぁねぇ冬ちゃん。私はまだ23よ?お姉さんで充分通じますぅー。ふーん、ちょっとばかし若いからって、すぐに老けちゃうんだから。……あ、でも冬ちゃんはずっと小さそうね。羨ましぃぃ〜」
「誰がチビだ殺すぞ」
この商店街ではそれなりに有名な紀里谷萬ノ店の店主、紀里谷冬が同棲を始めた。
などという、語弊を生みまくる噂が彼艸商店街本通に流れるまで、そう時間はかからなかった。
あながち間違いではないため否定できず、噂に尾ひれがついてついてつきまくって、連日客足が止まない。
まあ?その噂を流したのも、あることないこと吹いて回ったのも、目の前にいる自称お姉さんの志摩文なのだが。
こいついつか殺す。いや、今殺す。
噂を流した奴が目の前にいると考えると、とどまる理由がなかった。
咄嗟に、手近にあったボールペンを3本、文に向かって投げつける。
かなりのスピードで放り投げられたボールペンは、文に余所見をしながら避けられた。
────プチンッ
「当たれよババァぁぁぁ!!」
「お姉さんよー。おほほほほ」
何本も何本も投げられるボールペン。しかしそのどれも文に届くことはなく地に落ちる。
相変わらずどうなっているのだこいつ。
余所見しながら避けるとか。
今までにも何度かこういったやりとりはあったが、その一度として文に致命傷を与えることができた試しはない。
容赦無く顔に向けられたボールペンも、口に手を当ておほほほ言いながら顔を傾けサッと避ける。
この当たりそうで当たらない感覚が余計ムカつく。
「この感覚が、Xpe○ia」
「しね」
最後の一本を投げつけるが、それも結局は避けられ、通りにボールペンが散らかるだけとなった。
「あらあら、無駄にしちゃダメでしょ〜?ねー、春くん」
「え?あ、はい?」
「アンタが避けなきゃ無駄になんねーよ?だから当たってくんない?」
「だ〜が〜、断る♡」
じゃあね〜、と右目でウインクしながらパタパタと走り去って行く文。
からかいに来ただけかよ。何か買ってけ。
最早冬と文の戯れは本通では名物となっている。
それを見るために訪れる客。
春を見るために訪れる客。
それらがこの謎の賑わいの正体だ。
「冬姉また負けてるー!」
「負けてねーから!」
子供たちからの野次に、外見相応の負けず嫌いを見せる冬。
それを見て春は──こっそりと、笑った。
「よーしじゃあ冬姉、しょーぶしよーぜ!」
「おーよ望むところだっての。何で勝負する!?」
「なになに?今度は冬姉とアキラ?」
──暖かい。
この暖かさはクセになる。
ずっと、ここにいたいなぁ……。
周りが冬とアキラの勝負に熱中して行く中、一人、志摩 文だけは。
「春くん、本当可愛いわねぇ……まるで、赤ん坊みたい」
この街に誰かが産み落とした子ども。
それを拾った紀里谷 冬。
「そして私たちは、母と子の成長を見守る父親、ってところ?」
そして、赤ん坊が成長したら今度は。
「妻と夫を見守る姑──は、まだまだ気が早いか♪」
春の笑顔を微笑ましいと思いながら、この街を、通りを、愛する住民たちを。
すべてを暖かい目で眺める。
だが文は知っている。
何を、とまではまだ、言わないけれど。