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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第一章 「序章 -ryo-」
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1-8 宣告

「亮とじっくり話し合って決めたわ……私もまだ抵抗があるけれど、まだ四歳なら、あなたのこともすぐに忘れるでしょうし、私も子供は好きなの。子供には罪はないしね……最高指揮官の家で、我々の息子として、大事に育てると約束します」

「……」

 マリアは言葉を失った。願ってもない話ではあるが、自分と引き離されることに変わりはない。

「亮があなたに養育費を払うとか面会するとか、そんなことは私のプライドが許さないの。亮はなんだかんだで放っておけない人だから、そのままずるずると会い続けるのは目に見えてるしね。そうしたら、世間の目も冷やかになる。だからいっそのこと、子供を引き取ることにしたのよ」

 続けていった真紀に、マリアは目を泳がせる。

 その時、昇が帰ってきた。

「ただいまー!」

「昇。お客様がいるの。静かにして」

「はーい……」

 マリアにそう言われ、昇は首を傾げて真紀を見つめている。この家に客人など、そうは来ないのだ。

「昇君ね? よく顔を見せて」

 穏やかな顔で真紀が言ったので、昇は抵抗感もなく真紀に近付いた。

「……おばさん、誰?」

「昇君の、ママになる人よ」

「ママ?」

「昇。奥の部屋で遊んでなさい」

 すかさずマリアがそう言った。昇はマリアの言葉に、素直に隣の部屋へと入っていく。

「驚いたわ。亮にそっくりね……」

「……はい」

「言っておくけど、この先、逃げてもすぐに捜し出すわ。今まで亮は、私に隠れて一人で捜していたの。でも私も公認となれば、すぐに捜し出せるはずよ。私は犯罪者を取り仕切るプロですから」

「逃げるだなんて考えていません。でも、急にあの子と離れろだなんて……」

 どうしようもない不安がマリアを襲う。しかし真紀は、冷たい目でマリアを見つめているだけだ。

「でも、あなたは自分の罪を認めているんでしょう?」

「……はい」

「こんなに良い条件はないと思わない? 実の父親に引き取られるのよ。しかも日本人のね。食事や学業の面で、苦労はさせないわ」

 真紀の言葉に、マリアは静かに頷く。願ってもない話というのはわかっているのだが、母親として子供と離れなければならないのは耐え難い。

「わかっています。亮の……いえ、旦那様の元にいれば、あの子はきっと幸せになれる……勉強だってさせてもらえる。ひもじい思いもしなくて済む。でも私は……」

「そう、あとはあなたの気持ちだけね。でも、あなたのエゴで、みすみす子供の未来を奪うつもり? こんな隠れた狭い部屋で、貧しい暮らしを強要するなんて、あの子のためにはならないわよね。それに、拒否出来ると思っているの? なんならこの場で逮捕だって出来るのよ」

「……わかっています」

「わかっているならいいのよ。明日、あの子を迎えに来ます。あなたはそのまま刑務所へ入れるわ」

「……はい」

 マリアに反論や拒否することなど出来なかった。放心状態のマリアを尻目に、真紀はそのまま去っていった。

「ママ……お客さん、誰だったの? この間から、うちにお客さんなんて珍しいね」

 真紀が去っていくと、昇が顔を出した。

「そうね……」

 涙目を隠すように、マリアは昇をしっかりと抱きしめる。

「どうかしたの? ママ」

「ううん。なんでもない……今日のごはんは奮発して、昇の好きなものにしようね」

「本当? やった!」

 その夜、マリアは昇に別れを告げることは出来なかった。眠ってしまった昇の寝顔を見て、一人涙を流す。明日になれば、昇と離れなければならない。もしかすると、このまま一生会えないかもしれない。死にたくなるほどの絶望が、マリアを襲っていた。


 次の日。マリアの部屋に亮がやってきた。後ろには、小さい男の子と女の子もいる。

「おじちゃん」

 亮に気付いた昇が、笑顔でそう呼ぶ。人見知りしない昇は、すでに亮を慕っていた。

「やあ、昇。ママはいるかい?」

「うん、いるよ。ママ!」

 昇がそう呼ぶと、奥の部屋で支度をしていたマリアが顔を出す。

「旦那様……」

「旦那様? いいんだよ、君はそんな他人行儀なこと言わないで……子供たちを連れてきたんだ。りき真世まよ。昇よりひとつ年下の双子だよ」

「可愛らしい……奥様によく似ていますね」

 子供たちを見て、マリアが笑って言う。二人の子供は、本当に可愛かった。

「昨日、真紀が来たね?」

「ええ……」

 二人の間に沈黙が走る。亮は静かに口を開いた。

「君が承知してくれるとは思わなかった……君に援助するのも駄目、会っても駄目、それならいっそ昇を引き取ろうという話になったけれど、君は嫌だと思って駄目もとで行かせたんだよ……ありがとう、マリア。昇をこの子たちと一緒に育てたい。真紀と……」

 残酷な言葉だったが、亮の心情からしてみれば当たり前のことで、マリアは素直に頷いた。

「ええ……」

 自分の気持ちはともかく、昇はマリアといるよりも、何不自由ない亮と暮らしたほうがいいに決まっている。またこの機を逃してしまえば、話自体がなくなってしまうかもしれない。そうすれば、昇の未来などないだろう。

 そう自分に言い聞かせて、マリアは昇を見つめた。昇はやってきた双子に挨拶をしている。

「……突然こんなことになって、すまないと思ってる。だけど真紀もああ言ってくれているし、僕は昇を幸せにしてやりたい。もちろん君に出来ることがあればするよ」

 誠意ある亮の言葉も、マリアにとって冷たく吹き抜けるだけだった。

「どういうこと? ママ、僕を捨てたりしないよね?」

 沈黙の中で、話を聞きつけた昇が言った。ただならぬ雰囲気に、怯えた目をしている。

「ああ、昇。捨てるだなんて……でもね、私はあなたの幸せを願う……」

 マリアは昇をきつく抱きしめた。幼いながらも別れを悟り、昇の目から涙が溢れ出す。

「ママ……?」

「この子を……お願いします。どうか幸せにしてください」

 そう言いながら昇を見つめると、マリアは気持ちを振り切るように、昇を亮へと差し出す。そして深々と頭を下げたマリアの目から、涙が溢れ出た。

「ああ……必ず幸せにする。命をかけても守り通してみせるよ。この子たちと分け隔てなく育てる。約束するよ」

 亮も険しい顔でそう言った。二人を引き離したくはなかったが、昇の将来を考えれば、自分が育てるのが一番だと思った。また真紀が賛成してくれた今、昇を引き取らない手はない。

「ママ、嫌だよ!」

 涙を流しながら、昇はマリアを見つめる。マリアは固く口を閉じ、溢れる涙を拭くと、じっと昇を見つめ返した。

「昇、よく聞いて。この人はね、この人は……昇のお父さんなのよ……これからはパパと一緒に暮らすのよ」

 マリアは懸命に微笑みながら昇に言った。それを聞いて、昇は亮を見つめる。昇と目が合った亮も、静かに口を開いた。

「そうだよ、昇。今まで一緒にいられなかったけど、これからは僕と一緒だ。弟と妹もいる。新しいお母さんも……」

「……ママは?」

 そう言う昇の頭を、マリアは優しく撫でた。

「昇。今までパパとは会えなくて、ママと一緒だったでしょう? でも……これからは、その反対よ。ママとは会えないけど、これからはずっとパパと一緒……昇、ずっとパパを欲しがっていたでしょう?」

「嫌だよ! パパも欲しいけど、ママも一緒じゃなきゃ嫌だ。嫌だよ!」

 事態を察して、昇が泣き叫ぶ。

 そこに、数人の警察役人が入ってきた。

「おまえがマリアか」

「はい……」

 名指しで呼ばれ、マリアは返事をする。どうやら時が来たようだ。

「連行命令が出ている。来なさい」

「待ってくれ。何を言ってるんだ?」

 状況を把握出来ない亮が、マリアの前に立った。

「最高指揮官。この女には、連行命令が出ています」

 役人の一人が、令状を見せて言った。亮はそれを見て、マリアを見つめる。

 マリアも驚いていた。昇が引き取られた後、マリアが刑務所送りになることは、亮も承知のことだと思っていたからだ。だからショックも大きかったのだが、亮はまるで知らない素振りをしている。

 亮もマリアも、何が起こったのかわからなくなりそうだった。だがひとつだけ確かなことは、マリアと昇が引き離されることだけだ。

「ママの馬鹿! そんなママ嫌いだよ! 嫌だよ、行かないで!」

 昇はマリアに抱きつき、泣き叫ぶ。マリアは最後と思って、昇をきつく抱きしめた。

「ごめんね……でもわかって、昇。私はあなたのことが大好き。いつまでもあなたのことを思ってるわ。私はあなたに嫌われて当然の母親だけど……いい? パパや新しいママの言うことをよく聞いて、いい子で立派な人になるのよ。もう会えないけど……いつでも私は、昇のことを考えているから……」

 もう一度抱きしめ、マリアは昇から離れると、そのまま役人たちに連行されていった。

「ママ――!」

 昇の悲痛な叫びが響く中、亮はマリアが連行されることを知らず、驚いて立ちつくしていた。


 最高指揮官邸――。

「真紀、真紀!」

 取り乱した様子で、亮が真紀の部屋を訪れる。

「どうしたの? 昇は?」

「部屋で泣いてるよ。当分はあのままだろう……あとでもう一度、様子を見に行ってくる」

「そう」

「それより、どういうことだ? マリアを連行だなんて。そんなことは聞いてない!」

 その話題に、真紀はうんざりした表情を浮かべる。

「あの子は罪人よ。脱獄の罪を忘れたとは言わせないわ。私は警察役人として、あの子を捕らえただけのこと。子供を引き取っておいて、母親はそのままのさばらせておくつもりだったの?」

「……もともと彼女に罪はないはずだろ。釈放してくれ。今すぐに!」

「罪があろうとなかろうと、罪人リストには載ってるの。例えば昇の経緯を調べられれば、すぐに母親が割り出されるでしょう。前回拘束した時の名前と素性の調書は残ってるから、すぐに噂が広まるわ。脱獄犯をのさばらせてるってね。捕えなければ役人に示しがつかないわ」

「それが君の仕事だろうが、僕にはわからない。他に手立てがあるはずだろ。昇を犯罪者の子供にするつもりか?」

 それを聞いて、今度は真紀が亮に詰め寄った。

「あの子はすでに立派な犯罪者の息子よ。いい? あのままあの女が逃げていることになったとしても、罪の年数が増えるだけなのよ。一番簡単なのは、一度捕まって罪を償えばいいのよ。すぐに釈放してあげるつもりだから安心して。それより、あなたが動くほうが面倒なことになるわ」

 説得するような真紀の口調に、亮は目を伏せる。真紀は言葉を続けた。

「わかって、亮。あなたの言う通りにしたら、私のメンツが立たないし、あなたが不信に思われてもおかしくないのよ。私はこれでも、大きな心で昇を受け止めたつもり。あなたも少しはわかってよ」

 亮は目を瞑った。確かに、プライドの高い真紀が昇を一緒に育ててくれると言ってくれたことは、大きく評価されるべきところであるし、マリアを捕らえた理由も納得させられる。これ以上言い争っては、真紀も引けないだろう。

「……わかった。でも本当に、すぐに釈放してあげてくれ。そっち方面は、最高指揮官の僕でも手を出せないんだからね」

 そう言うと、亮は真紀の部屋を後にした。

 亮はすべてことをまとめる最高指揮官だが、各方面の指揮官のまとめ役であり、日本政府からの指令や要望の取りまとめをする役職であり、その決定権は一人で持つものではない。

 真紀は収容所や刑務所方面の指揮官であり、総合的な力は亮のほうがあるのだが、専門分野で実績を持ち、部下にも慕われている真紀には、亮でも口出し出来ないことが多いのであった。


 冷たい刑務所の独房に、マリアはいた。広い刑務所の隣には、亮の家がある。そこには愛する息子、昇もいるはずだ。

 独房の天井近くには、鉄格子で括られた小さな窓があり、月明かりが零れている。ただ小さな穴でしかないその窓の外は、マリアの位置からは空しか見えない。

 マリアは一人、昨日の出来事を思い出していた。


 この五年間、マリアはレストランの皿洗いを仕事にしていた。厨房奥にある薄暗い場所での作業だが、やりがいのある仕事である。

 昨日のうちに、マリアはそのレストランに、刑務所へ入ることを告げに行った。

「なんだって? 昇はどうするんだよ」

 店主は気の良い中年男性で、何かとマリアと昇の面倒を見てくれていた。そんな店主を前に、マリアはすまなそうにお辞儀をする。

「突然でごめんなさい……昇は父親に引き取られるから大丈夫。きっと幸せにしてくれると思うわ」

「逃げないのか? 今までかくまってきたんだ。こんなところで……」

 店主は心配そうに、マリアを見つめる。マリアの働きぶりは申し分なかったし、店主にとってマリアは実の娘のように思っていた。

 そんな店主に、マリアはもう一度お辞儀をする。

「ごめんなさい。マスターたちの優しさを、踏みにじることになるのかもしれないけど……でも、もういいの。逃げたらまた罪になるし、あちらの言ってくれることもよくわかるの。それに奥様が、昇を大事にしてくれるって約束してくれた。今離れれば、昇も私を忘れるって……」

「それで諦められるのか? 昇は大丈夫かもしれないが、おまえは刑務所でなぶり殺されるかもしれない。収容所に移されたとしても、死ぬまでこき使われるんだぞ?」

 それを聞いて、マリアは静かに頷いた。

「わかってる。でも私のわがままで、昇にこのままの生活をさせられない……せっかくああ言ってくださるんだもの。またとないチャンスだわ。私は、昇が幸せでいてくれるなら大丈夫」

 そう言うマリアの顔は晴れなかったが、昇の将来を思えば、日本人として育てられるほうが幸せだと、店主も思った。

「……昇にとっての幸せは、なんだろうな。でも裕福だから幸せってこともないんだぞ? 今までずっと母子二人きりだったのに、急に離れるんだ。逃げるなら今だぞ。なんなら俺が手配して……」

 答えは見つからなかったが、店主は二人に幸せなってほしいと考えていた。今までかくまってきた分も、マリアには逃げて生き延びてほしいと思う。

 けれどマリアは、首を横に振るばかりだ。

「もういいの。たとえ別れが辛くても、昇ならきっと乗り越えてくれる。幸せになれるわ。だから私は、逃げるのをやめるの……」


 牢の中で、マリアは店主とのそんな会話を思い出していた。店主以外にも、家を提供してくれた富豪など、マリアと昇を支えてくれた人は多くいる。そんな人たちには申し訳なく思った。

「昇……」

 マリアの脳裏には、昇のことしかなかった。

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