1-7 再会
「待っていてくださったんですか……」
「ごめん。でも、どうしても……」
「どうぞ。こちらです」
そう言うと、マリアはそのまま近くの敷地へと入っていく。そこは街外れにある住宅街の、ひとつの一軒家だ。亮もそれに続いた。
一軒家はネスパ人の家にしては大きく、庭の隅には小さな倉庫がある。マリアはその倉庫へと向かっていく。
「倉庫?」
「ここが入り口なんです……」
マリアはそう言って、倉庫へと入っていく。倉庫の端には、地下への小さな階段があった。それを進むと、地下から隣のアパートへと続いている。部屋には他にドアはなく、アパートからは壁にしか見えないようだ。
「こんな仕掛けが……?」
部屋に出ると亮が言った。部屋は小さな部屋が二間あるが、あまり物もない。
マリアは男の子を奥の布団に寝かしつけると、小さな台所でお茶を入れ、亮に差し出した。
「……ここはネスパ人の富豪のお家で、弱っていた私をかくまってくださったんです。もともとは遊び心のあるご主人が、日本の忍者に憧れて作ったそうです。客間や倉庫にと考えられた部屋だそうですが、私に貸してくださって……」
「これは、見つかるわけないな」
「すみません。五年間もご心配かけて……」
二人は対面して座ったまま、見つめ合った。だが男の子が寝返りを打ったので、二人は男の子を見つめる。
「……あの子の名前、ショウっていうの?」
亮が尋ねる。マリアが何度か呼んでいたのを聞いただけで、名前すら知らない。
「ええ……昇るっていう字なの。私は漢字がよくわからないけれど、知り合いの人に教えてもらって」
「そう……」
様々な思いを巡らせ、亮は口をつぐむ。
「……お幸せにしていますか?」
その時、静かにマリアが尋ねた。
「ああ、敬語なんてよしてくれよ」
「だって、あなたは国家だもの。日本とネスパを代表して選ばれた人……」
「……君は、幸せかい?」
「もちろん。昇がいるから……」
そう言ったマリアの顔は本当に優しく、まさに母親の顔である。
「そうか。昇は四歳?」
「ええ。早産で難産だったけれど、無事に生まれてくれて……」
「可愛い子だ……雰囲気が君によく似ているね」
「ううん。何もかもあなたに……」
マリアは昇の布団をかけ直してやると、そのまま静かに口を開く。
「ごめんなさい……この子に父親はいないと言ってあるの……」
「……でも、大きくなったら知る時期が来るんじゃないのか?」
「言うつもりはないです……」
「でも、よくわかった。この子は僕の息子なんだって。だってこんなにも愛おしい……」
振り向いたマリアの目に、亮の優しい顔が映る。五年も会っていなくとも、変わらぬ優しい顔に、抑えきれないほどの感情が込み上げてくる気がした。
マリアはそれを抑えて、静かに微笑む。
「昇の親は私一人です。きっとこれからも、父親の存在を明かすことはありません。だから、あなたは責任なんて感じないでください」
「感じるよ」
亮はそのまま、昇の頭を撫でる。それは撫でる度に、愛しさが増していくようだった。
「亮……」
そう呼ばれ、亮はマリアに微笑む。
「久々に聞いた。君が僕を呼ぶ声」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
亮はマリアに近付くと、昇を見つめ、マリアの手を取る。
「一緒に暮らせたらいいのにな……」
亮がボソッとそう言った。その言葉に、マリアは堪えきれずに涙を流す。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
五年間、押し殺してきた感情だった。亮は思わずマリアを抱きしめる。
「苦労をかけたね……ずっと捜してたんだよ。無事でいてくれてよかった……昇を産んでくれてありがとう」
「亮……亮、会いたかった。もう一生、会えないと思っていたから……」
二人は静かにキスをした。離れていた五年の年月を埋めるような、長く優しいキスだった。
やがて、マリアが顔を背ける。亮はマリアの顔を覗くと、マリアはとても悲しい顔をしている。
「マリア?」
「……すみません」
謝るマリアの肩を、亮が抱いた。
「どうして謝るんだい? 僕は君に会えて、素直に嬉しいと思ってる」
「私もです。でも、いけないことをしていて、どんどん自分が弱くなる気がして……」
「マリア」
「……お子さんが、いるんですってね」
突然切り出したマリアの言葉に、亮は小さく頷くと、俯き加減で静かに口を開く。
「ああ、二人いる。双子の男の子と女の子だ。昇よりひとつ年下だな……ごめんな。この五年で、僕は変わってしまったのかもしれない」
「そんなことないわ。あなたはいつまでも、優しいまま……」
「でも僕と真紀の間にも子供がいる。それは君に対しての裏切りだ」
亮のその言葉に、マリアは大きく首を振った。
「そんなことない。あなたは事実上の国家だもの。もうネスパ人もみんな、このまま織田家の人がトップにいるものと思ってるわ。それほど、あなたの功績は称えられてる。だから次の最高指揮官も、あなたの子供じゃないかって」
「……僕は独裁者じゃない。たまたま前指揮官の父から僕が引き継いだだけで、僕の後継者が息子とは限らないよ。まだ小さいしね」
そう言うものの、世間ではすでに亮の一家が、この街を仕切る最高指揮官であり国家だという印象が強いということを知っていた。
この五年で、最高指揮官の選挙は二度あったが、どちらも亮が圧勝で選ばれたため、今の任期は不信任案が出るまで無期限とまでされている。それほど亮の地位は確立されており、ネスパ人からも支持を受けている部分が多い。
「……もう、行ってください。これ以上一緒にいたら、本当に離れられなくなってしまう……」
マリアがそう言った。
「でも、また会えるだろうか……」
二人の目が合う。
「……罪です」
「怖くないよ」
「亮。お願いだから、もう行って……」
そう言うマリアの手を、亮はしっかりと握りしめる。
「わかった……でも、また会える。そうだろう?」
怖いもの知らずにも思える亮と、罪を背負ったマリアとでは、立場も思想ももはや違った。しかし本音の部分で、お互いを愛していることだけは変わらない。
「……きっと……」
「じゃあ、また……」
しっかりと抱き合うと、亮は部屋を後にした。
亮が去った部屋で、マリアは涙を流する。亮と出会えた嬉しさ、会ってはいけない悲しさ、複雑な思いでいっぱいになり、苦悩していた。
織田家。亮が帰ると、真紀が出迎えた。
「亮。今日は遅かったのね。どこへ行っていたの?」
「うん……ちょっと役場へ……」
「相変わらず嘘をつくのが下手ね。役人所へ連絡したら、とっくに帰ったって言っていたわ」
「卓と久々に会ったんだ」
「あら、そうなの」
そこで亮は真紀の顔を見て、思い直す。
「……真紀。マリアに会った」
「え……」
亮の言葉に、真紀は驚いた顔をしている。だが、すぐにいつもと同じ、毅然とした態度に戻った。
「そう……」
「僕らは結婚した。もう彼女に恨みはないだろう? 君に隠し事はしたくない。だから君にも話したほうがいいと思ったんだ」
「恨んでなんかいないわ。でも、そう。生きていたの……」
真紀は静かにそう言った。真紀の中で、静かな憎悪の炎が蘇る。
亮と結婚した頃、亮はマリアのことばかりで、真紀はノイローゼ状態になったことがあった。仕事となればこなせるが、家では不安定で亮ともうまくいかない。そこに二人の子供が生まれ、真紀の心も穏やかになった。それでもマリアの名を聞けば、その頃の辛い記憶が蘇る。
「真紀……」
亮はこの五年間で、少なからず真紀を愛していた。信頼関係もある。隠し事などしたくはなかった。
「あなたまさか、何かしてないでしょうね?」
そんな亮に、真紀がそう言った。亮はすかさず口を開く。
「してないよ」
「……子供は?」
「いたよ……男の子だ」
「ああ、なんてこと! スキャンダルだわ」
真紀は椅子へと座り込む。絶望が真紀を襲った。
「日本側から見ればそうかもしれないけど、ネスパ人から見たらそうは思わないさ。きっと喜んでくれるよ」
「そうでしょうね。最高指揮官の日本人と、ネスパ人の間に子供が生まれただなんて。でもネスパ人ばかり喜ばせてどうなるの? あなたは日本での立場を大事にするべきよ」
「僕の仕事はネスパ人との共存のために、どうするかを考えることだ。今までは幸いなことに、僕への不信任案は出ていない。それは僕が日本とネスパのハーフだからというなら、僕はこの特異な立場を利用していく覚悟だし、ネスパ人とももっと近付きたいと思ってる」
話が逸れながら、二人の睨み合いが続いた。やがて真紀が口を開く。
「私は認めないわ。マリアの存在も、その子供も」
「真紀……」
「絶対に認めない!」
留めの一言に、亮は俯いた。
「言わないほうがよかったのか……」
落胆する亮を、真紀は悲しげな表情を浮かべて見つめる。
「亮……私はあなたを愛していて、あなたもそうだと思っていたわ」
「愛してるよ。だから正直に言ったんだ。真紀、マリアのことは……忘れるべきだと僕も思ってるし、今後も努力する。それに僕たちは、もう結婚してるんだ。マリアと結ばれることは、この先どうやってもないだろう。だから、マリアを傷つけることは……」
「思ってるじゃない! 何とも思っていない人がどうなろうと構わないんじゃないの?」
ヒステリックで亮の言葉に聞く耳を持たず、真紀は怒りに任せてそう叫ぶ。
「真紀……」
「まだまだ子供ね、亮。頼れる男性になったと思ったのに……」
「……僕も男だよ。頼りないかもしれないけど、いつまでも君の幼馴染みじゃない。年下の男の子じゃない」
亮は真紀を強引に抱き寄せると、その唇にキスをした。その目は怒りと悲しみで満ちている。妻に理解されないことが、悲しかった。
「亮……嫌よ」
「真紀。マリアのこと……何とも思ってないわけじゃない。でも、もう五年も経っているんだ。僕も変わってしまった。前のように愛しているわけじゃない」
「じゃあ、どうして隠しているの? あの子からの手紙」
その言葉に、亮は目を見開く。マリアからの最初で最後の手紙は、誰も知ることのない秘密だと思っていたのである。
「知っていたのか……」
「ええ、ずっと前から知ってたわ。でもあなたは、いつも大事そうにしまっていて……」
「違うよ。君が見たら、また傷つくと思ったから……僕は君のあんな辛い姿を、もう見たくないんだ」
それを聞いて、真紀は冷静になろうと深呼吸をし、静かに亮の頬を撫でた。
「あなたは……どうしたいの? 正直に話して」
「……わからない。ただ今までは、心配で捜してただけだった。でも、無事だとわかって……」
「……子供が気になるのね」
亮の脳裏に、昇の顔が浮かぶ。マリアはもとより、自分の子供が生まれていたことが嬉しくてたまらなかった。同時に、どうしようも出来ないもどかしさでいっぱいになる。
「気になるさ。このまま放ってはおけない……わかってくれるか? 真紀……」
正直ということは、真紀にとって卑劣極まりない言葉になる。それを口にするならば、マリアに援助するということになり、それは今後一切関わらないという約束に反する。しかし亮の性格上、自分の子供を放ってはおけないだろう。そんな中で、互いの妥協点など見い出せない。
だが真紀は、思いのほか落ち着いた様子で、口を開いた。
「私も……子供は好きだから。子供に罪はないから……あなたの子供だし、なんとかしてあげたいとは思ってる。でも……」
言ってはみたものの、真紀も苦悩した。亮の気持ちがわからないわけではない。ただ援助ともなると、自分のプライドにしても、高い壁が立ちはだかる。
「うん……子供に罪はない。幸せになってもらいたい……」
「あなたはどうしたいの? お金だけじゃ済まないんでしょう。あなたの性格からいって……私はお金の援助も嫌だわ。どうしてあんな人に……」
「そりゃあ、出来れば一緒に暮らしたいさ。力や真世たちと一緒に育てたい。だけど、マリアをどうしていいのか……」
「引き取るなんて出来ないわ。無理よ」
気が滅入って倒れそうなまでの真紀を、亮は抱き止めた。
「……ごめん。無理を言っているのはわかってる。言ってみただけだよ」
「亮。私はあなたを責める気はないわ。あなたもまだ若かったし、いろいろあった時期だもの。だけど、どうしてもマリアを……あの子を許すことは出来ないの……」
静かにそう言った真紀に、亮はしっかりと真紀を抱きしめる。どうしたらいいのか、完全に行き詰っていた。
「真紀……」
「そうよ、許せない……仮にもあの時、あなたと私は婚約していたのよ? 罪は二重だわ」
「……彼女は知らなかったんだ」
「それでも許せないの。だけどあなたを愛してる。あなたを恨むことなんて出来ないわ。だから、あの子を恨むしかないのよ! そうしないと、私の何もかもが崩れそうで……」
真紀が静かに涙を流す。マリアの存在は、キャリアウーマンでプライドの高い真紀が味わった、人生でたった一度の大きな屈辱だったのである。
「……わかった。それでもいい」
「亮……」
「でも子供のことは……昇のことは、一緒に考えてほしい」
「わかったわ……あなたの子供は、私の子供だもの。真剣に考えましょう」
「ありがとう。真紀……」
夫婦の一番脆い部分を修復するように、二人は何度も抱き合った。
数日後。マリアのアパートに、真紀が訪ねてきた。
「真紀、様……」
マリアは驚きながらも、真紀を部屋の中へと招き入れる。
「久しぶりね」
「はい……あの、どうぞ……」
マリアはお茶を差し出すと、身を縮めて真紀の前へと座った。
真紀がここへ来たということは、亮がこの場所を教えたことになる。それはマリアにとって、虚しくも悲しくもある。また逃げ出して以来だったので、この先何があるのか見当もつかなかった。
「坊やは?」
辺りを見回しながら、真紀は尋ねる。マリアは戸惑いながらも口を開く。
「近所の子供たちと、遊びに……」
「そう。でも、こんなところにいたとはね。見つからないわけだわ。みんなそうなの? ネスパ人って」
「え?」
「犯罪者であろうと、同じ人種をかくまうの?」
そんな真紀の言葉に、マリアは俯いた。
「そうですよね。私は立派な犯罪者ですよね……」
「よくわかってるじゃない。あなたは当時禁じられていた、日本人とネスパ人の交流をしたのよ。しかも相手は婚約者もいる、将来を嘱望されている人……当時すでに亮が最高指揮官に任命されていたなら、大スキャンダルだわ。しかもあなたは脱獄犯。それはわかっているわね?」
「……私を捕まえるんですか?」
「そうね……」
マリアは真紀を見つめる。脱獄した罪はわかっていた。いつか昇が大人になった時、名乗り出て償おうと思っている。だが今の真紀の態度では、それすら難しいようだ。
「彼は……彼も賛成しているんですか? だからこの場所を……」
「亮を彼だなんて言わないで。亮はもう立派な最高指揮官なのよ?」
「すみません……」
「ネスパ人の使用人はみんな、亮のことは旦那様って呼ぶわ。私のことは奥様ってね。そうでなければ指揮官かしらね」
「わかりました、奥様……でも、お願いします。今だけは見逃してください! 私には、頼れる親戚など一人もいません。これ以上、知人にも迷惑をかけられません。私が捕まったら、あの子は一人ぼっちになってしまう……いつか必ず、罪は償います。今後は居場所も報告します。お約束しますから、せめて昇が独り立ちできるまで……今は見逃してください。お願いします!」
身体を震わせながら、マリアは手をついて懇願した。犯罪者の親を持った孤児など、行く末は決まっているようなものだ。長くは生き永らえず、他人に罵られながら死んでいくだろう。それだけは避けたかった。
「……哀れな人ね」
目の前のマリアを前にして、真紀がそう言った。マリアは静かに顔を上げる。
「心配しないで。私も鬼じゃないわ。あなたの息子さんは、私が預かります」
「え……」
思わぬ真紀の言葉に、マリアは目を見開いた。