Oda's end -past-
※暴力描写がございます。苦手な方はご注意ください。
【織田氏エンド】
マリアの処刑を見届けるため、織田氏が処刑場となる広場にやってきたのは、マリアがやってくる直前のことだった。
自分が愛した女性が処刑された時と同じ光景に、思わず息を呑む。
「織田先生。いよいよですね」
展望室で隣に座った卓が、楽しげに言った。
「ああ。諸悪の根源がいなくなってせいせいする。よく長い間生かしていたものだな、真紀」
その言葉に、逆隣に座っていた真紀は苦笑した。
「お義父様のご指示でもありますよ。生かさず殺さずってね」
「そうだったか。まあ、おまえもよく耐えたな。今日でおまえの苦しみが終わる」
「ええ」
やがて刑が執行された。織田氏の中に、何度も亮の母親がフラッシュバックする。
亮の母親を処刑しなければならなくなったのは、当時の最高指揮官である織田氏自身の決断によるものである。
織田氏が亮の母親と恋に落ちたのは、ネスパ人排除の戦争が終わった直後、日本が受け入れ先に決まった頃であった。
人の寄りつかない高い山頂付近に、ネスパ人は住んでいた。
登山器具も発達していない頃は、そこは死の山として恐れられ、登り切ろうと思った人間もいなければ、獣や木の実を目当てに入った人間が無事に帰ってくることもそうそうない。
そんな中で平和に暮らしていたネスパ人が発見された時は、ただそれだけで奇妙な存在として世界から疎まれていた。
「どうして俺がこんな嫌な役を……」
世界各国で話し合いの結果、ネスパ人受け入れ先が日本に決まり、当時、日本政府の外務大臣を務めていた織田氏は、その第一次視察隊として、ネスパ人の村へ向かった。
その頃にはすでに山は中腹まで切り拓かれ、登山器具も発達していたため、警察役人上がりのスポーツマンタイプの織田氏にとって、ネスパ人の村へ行くのはそう困難な道のりではなかったし、それから数年後には飛行機でも行けるくらい切り拓かれていた。
「ようこそおいでくださいました。日本の方」
先に視察に来ていた他国の視察組に習ったらしく、出迎えのネスパ人は片言の英語で言う。どのネスパ人も物腰が柔らかで、世界で噂される奇妙な人間にはとても見えない。
もてなしのネスパ人の一人にいたのが、亮の母親であった。
あまりの美しさに息を呑み、織田氏は一目で恋に落ちる。
「まだ日本政府も受け入れ態勢が整っていない。候補地すら微妙だ。目標としては十年……十年で街を建設しながら、あなた方を何回かに分けて移住させる計画を練っています。あなたには、第一陣として来ていただきたい」
亮の母親も、最初は織田氏や他の人種の人間との付き合いなど考えられなかったであろう。だが織田氏の力強い態度は頼りになると思ったし、亮の母親自身も、織田氏に惹かれていくのを感じていた。
やがてネスパ人の日本移住が始まった。だがその間にも、各国から勃発した戦争という名のもとに、ネスパ人たちは苦しめられることになる。
亮の母親は、第一陣の移住者としてハピネスタウンと命名された日本での移住先で、移住後に間もなくして亮を産んだ。
その頃すでに、織田氏と正妻である竜の母親の間には亀裂が入っており、やがて妻の蒸発の末、離婚に至ることになる。
「最高指揮官!」
ネスパ人移住受け入れが始まってから、織田氏はピネスタウンの最高指揮官という称号を与えられ、新しい街づくりの一切を任されることとなった。しかしその取り決めは、日本政府や世界各国からの重圧などで、非常に困難を強いられることとなる。
「ネスパ人との交流禁止が正式に決まった……」
ある日、織田氏はネスパ人に対する新しい法令を持って家に帰った。今まで大した取り決めもなかったが、穏やかな性格のネスパ人により、暴動などはほとんどない。それでも今回決められた法令は、非常に厳しいものであった。
「交流禁止……ですか?」
亮の母親が、まだ赤ん坊の亮を抱きながら、織田氏を見つめる。
「そうだ」
「でも……ここにはネスパ人だけが住んでいるわけじゃないでしょう? あなただっています」
「……世界で話し合われた結果なんだ。君たちはそれほど異端で恐れられている。亮は法令前に生まれたから罪の子ではないが、私もそうそうここへは来られなくなるだろう」
非情な宣告だが、最高指揮官の地位だけでどうにか出来る問題でもない。
だが法令が執行されてからも、織田氏は亮の母親に会い続けた。やがては母親を失くした幼い竜をも呼び寄せ、人目を忍んで会う日が続く。
だがそれも長くは続かなかった。
法令前からネスパ人と結ばれていた役人は、織田氏だけではない。みんなが人目を忍んで会い続けた結果、法令を守ろうとする人間もいなくなりつつあり、示しがつかなくなってきたのである。
「公開処刑……?」
政府から新しく提案されたことは、恐ろしいものであった。
法令を守らない人間に罰則でも構わないが、今は刑務所も少ないし、まさか皆殺しにするわけにもいかない。
「一人殺されれば収まるというのか!」
「政府の見解です」
「冗談じゃない! 誰が殺されるか選べというのか? 何を基準に……」
ハピネスタウンの重役会議の席で、織田氏は重役たちの冷たい視線を浴びた。皆、織田氏が亮の母親であるネスパ人との交際を黙認していたし、重役たちも移住前から交際している人間がほとんどである。
「指揮官。うちの家内だけはやめてください。おなかに子供がいるんです!」
「うちだって同じです。うちのを殺しても何もならないでしょう?」
「もし相手が指揮官の女性ならば、見せしめにはぴったりですし、日本人たちも一目も置きますよ」
「ええ。言いにくいですが、見せしめというならば、我々より指揮官のほうが……」
重役たちの必死な願いが続く。織田氏は重い心でそれを受け止めた。
「……言いたいことはわかった。今回の件は、政府からの提案だ。従う必要はない。だがどちらにしても、ネスパ人と交際しているものは即刻別れること。子供の件があっても、即刻だ。例外はない。以上」
早めに会議を終え、織田氏は亮の母親に会いにいった。
「今回ばかりはもう駄目だ。もう君には会えない。亮はこっちで育てる」
きっぱりと言い切った織田氏に、亮の母親は亮を強く抱きしめる。
「嫌です! この子を奪わないで……」
「よく考えればわかるはずだ。この先、この街はどうなるかわからない。亮がネスパ人として育てられる限り、危険もあるんだぞ。俺は……二人は救えない」
織田氏の目はいつになく絶望に沈み、輝きすら見出せない。
そんな織田氏の顔に、亮の母親の手が触れる。
「……他に何かあるのですか? いつものあなたらしくない……あなたは強くて輝いた人です。何か悩みがあるのなら話してください」
「おまえに話すことなど……」
「私は外国人がネスパに来た時の、交渉人の一人ですよ? 私ではそんなに力不足ですか?」
聡明な亮の母親は、時に強くまっすぐな女性でもある。
織田氏は重い口を開いた。
「政府が、公開処刑を提案してきた」
あまりに恐ろしい言葉に、母親の顔が凍りつく。
「そんな恐ろしいことを……」
「ここは無法地帯も同然だ。生まれたばかりの法令に従うものもいない。もっと取締りを強化せねばならないが、これはネスパ人だけの問題ではない。日本人を従わせるほうが大変だが、並の罰では効果がないし、違反者全員を取り締まるには時間がない」
「だから一人、生贄が必要と言うのですか? 馬鹿げています!」
「では、他に良い方法があったら言ってくれ」
お手上げ状態の織田氏に、母親は悲しげな顔を見せる。
「……なぜ役人と話すことも罪なのですか? 同じ場所に生きている限り、会話などあるのは当然のことです」
「すべて禁じているわけではない」
「役人のほうから声をかけられる場合と、緊急の時だけです……世界はひどい。どうして私たちが危険だと言うのですか? 我々はただ普通に暮らしていただけなのに、国を侵略し攻撃され略奪され、私たちが何をしたというのです!」
悲痛な訴えに、織田氏も顔を背けた。何も言えない。
やがて母親は腕の中で眠った亮を、織田氏に差し出した。
「……私はこの子の幸せを願います。どうか立派な日本人にしてください」
「……ああ」
「それから、あなたが思う最善策が、私が死ぬということならば、私はこの身を捧げます」
静かな笑顔で言った母親は、覚悟を決めた様子だった。純粋に自分の命で、織田氏やネスパ人たちが救われるならいいと思ったのだ。
それを聞いて、織田氏は母親を抱きしめる。
「それを俺に決断しろと言うのか! 俺には、亮を奪っておまえと二度と会わないようにするのが精一杯の非情な行為だ……」
「……でも、それでは私と同じ境遇のネスパ人を救うことは出来ないのでしょう? 誰かが殺されなければ示しがつかないというのならば、最高指揮官であるあなたの相手を殺すのが得策でしょう」
事務的に言った母親に、織田氏は目を揺らがせる。そして同じように事務的に口を開いた。
「確かに……傍から分析すれば、それが一番の効果的なやり方なのかもしれない。俺も他の方法を散々考えたさ。だが無法地帯の今、並のやり方ではどうすることも出来ない。もう少し考えが必要だ」
「早く決断しなければ手遅れになります。皆殺しにしろと言いかねない……あなたは部下に命じるだけでしょう? 私は覚悟を決めました。大丈夫です。亮に幸せをくれるなら、私が死んであなたを助けられるなら、私は喜んで命を差し出します」
織田氏の心は黒い影を落とした。彼女を殺せば、自分の地位は確立される。誰にも出来ない鬼となることを、誰もが知って一目置くだろう。
「あなたが迷ってくれることを感謝します。でも私は、あなたや亮の幸せ、そしてネスパ人の幸せを願います。私一人の命で救われる命があるのなら、それは本望なのですよ?」
自分の死への決断を織田氏に催促するように、亮の母親は電話を取り、続けて口を開く。
「さあ、役人所に電話して命じてください。出来ないのなら私が密告します。今、日本人とネスパ人がここにいるということを」
「待て! そんなことは出来ない。もう少し考えて……」
その時、織田氏の耳に、受話器から声が聞こえた。
亮の母親は、すでに役人所へ電話を掛けていたのだ。この会話は、役人が聞いていたことになる。
織田氏は敗北を覚え、母親から受話器を受け取った。
「……最高指揮官の織田だ。今から言う場所に至急来てくれ。ネスパ人を捕えている」
それだけ言って電話を切り、織田氏は母親を抱きしめる。
「なんて人だ、おまえは!」
そうは言いながらも、他に改善策など見つからない。このままでは、いつか無意味なネスパ人殺しまで発展するのは目に見えている。
「お父さん……?」
その時、奥で寝ていた竜が目を覚ました。
「竜……」
やって来た竜の目に、しかめ面の織田氏が映る。
「竜君。亮のこと、お願いね……」
亮の母親が、そう言って竜を抱きしめる。
「うん。僕の弟だもん」
「ありがとう。竜君がいてくれるから安心だわ。どうかお願いね……」
その時、数人の役人がやって来た。
「織田最高指揮官! 連絡を受けて参りました」
「ご苦労。例の……公開処刑の罪人だ」
「はい」
「……処刑しろ」
織田氏の暗い言葉が、幼い竜にも衝撃を与えた。
そのまま亮の母親は、役人たちに連れて行かれる。
それから処刑までは、スムーズに流れた。
「竜。おまえも将来、俺の仕事を継ぐ人間になってほしい。まだ赤ん坊の亮に、母親の最期を見届けることは出来ない。代わりにおまえが見てやってくれ。公開処刑など、これで終わらせなければならない」
父親の言葉は、まだ幼い竜には理解出来なかった。
だが父親の横に座らされた竜は、異様な空気に押し潰されそうになりながらも、傍から見ればそれは次期最高指揮官にも見えた。
「処刑執行」
織田氏自らの言葉で、亮の母親の刑が執行された。マリアに用意された死刑台と違って、底が落ちるように設計されているのは、自殺が認められないネスパ人への織田氏の配慮である。
あまりに一瞬のことで、幼い竜には一瞬、何が起こったのかわからなかったが、やがてそれを理解した。
最愛の女性を殺すことは、織田氏の半身を失くすものと同じであった。
亮の母親を殺して以来、文字通り鬼指揮官として世界から恐れられ、ネスパ人への規律も守らせられるようにはなったものの、織田氏自身を歪ませることとなる。
元から非情な性格と言われていたこともあったが、ネスパ人さえいなければ悩む必要もなかったと、ネスパ嫌いにさせたもの事実であったし、事件以来懐かなくなった竜への不満も去ることながら、自分を鬼として振舞わなければやっていけないほど、織田氏の心は沈みきっていた。
だがそれと裏腹に織田氏はどんどん出世し、非情とは言われながらも、ハピネスタウン復興に全力を注いでいたため、ネスパ人からの人望もあった。やがて日本の総理大臣をやりながら、最高指揮官を続けた時期もある。それほどまでに、亮の母親の死が織田氏に与えた影響は大きかった。
当時のことがフラッシュバックされるように、マリアの処刑台を見て、織田氏は血の気を引かせた。
「真紀……」
織田氏が言いかけた時、マリアが処刑台下のステージに連れて来られた。真紀が用意した演出は、ただの絞首刑だけではない。
「被告人マリアは、日本人接触禁止令当時に法を破って、婚約者のいる日本人と恋仲になり、子供まで産んだ。その他、刑務所の脱走、潜伏、養育費や家賃などの借金の踏み倒し、日本人被害者の家庭を崩壊寸前まで追いやり、その妻への負担、子供の育児放棄、収容所内での秩序を乱した罪により、鞭刑百回及び銃刑一発の末、絞首刑と処す」
罪状が読み上げられ、歓声が沸き上がる。
その時、織田氏が真紀の肩を掴んだ。
「真紀。処刑を中止しろ!」
織田氏はそう言って、側にいた役人に命令する。
その言葉に、真紀は驚いて目を見開く。
「何を言っているのです! 今さら中止なんて出来ません」
「中止するんだ。あの女の死は何もならん」
「お義父様だって勧めてきたことじゃありませんか!」
織田氏と真紀の言い争いの中で、突然、観衆たちが広場から出て行くのがわかった。
「何が起こったんだ?」
隣で事を見つめていた卓も、首を傾げる。
「処刑は中止です。話したいことがあります」
その時、後ろからそんな声が聞こえた。
一同が一斉に振り向くと、そこには息を切らした亮が立っている。
「噂を聞いて、日本から引き返して来ました……お父さん、真紀、卓。あなたたちを軽蔑します」
亮と同時期に、竜も噂を聞いて広場へやって来ていた。入口で偶然出会った二人は、事態を呑み込む。
「亮。話は後だ! おまえしか止められない。行け!」
「うん。兄貴、こっちは頼む!」
「処刑は中止だ! 表へ出ろ!」
「通してくれ。これは最高指揮官命令だ!」
大声で竜が叫び、亮は群衆の波をかき分けながら進んでいく。二人のその気迫に、やがて群衆も除けるように二人を通した。
下にいた役人たちへ指示したことで、群衆は瞬く間に外へと追いやられることとなる。
亮は竜にマリアを託し、自ら織田氏のもとへ向かっていた。
真紀と父親のもとへ向かった亮を見届けて、竜は急いでステージに上がった。
マリアは何が起こったのかわからず、ただ竜の顔を見て、自分を助けに来たのだと悟る。
「竜様……」
「もう大丈夫だ。恐ろしい目に遭わせてすまない。だが、なんとか間に合ってよかった……」
「……でも」
「亮が説得してくれる。あいつだって名ばかりの最高指揮官じゃない。腹を括れば、親父にも真紀にも口出しさせない権限がある」
マリアは悲しそうに竜を見つめる。自分がいかに罪深き存在なのかと思った。
「マリア……そんな顔をしないで。亮は今まで、君に関わらないことで君を守ろうとした。でもこんな事態になった。もう亮だって黙ってはいない。すべて亮に委ねるんだ。俺は君の安全が確保されるまで、誰にも渡さない」
そう言うと、竜はマリアを連れて、自分の宿舎へと向かっていった。
「今日中に家を見つけてくる。君もここじゃ居づらいだろうが、とにかく休んでくれ。部屋には誰も入れないようにするから」
竜はそう言ったものの、マリアは納得出来ない様子でただ俯いている。
「自分が生きることが、そんなに受け入れられないかい?」
マリアは顔を上げる。竜は悲しげな顔でマリアを見つめていた。
「……同じことの繰り返しです。私は死を覚悟して助けられ、また死を覚悟する時が来るでしょう」
「もうそんなことはさせない。亮が立ち上がったんだぞ。あいつが君を迎えに来る。そうでなくても、明るい未来が見られるはずだ」
「私は……怖いです。希望を見出すのが」
絶望しきったマリアを、竜が抱きしめる。
「俺じゃ駄目か……? 俺は君を幸せにしたい。君が亮を忘れられなくてもいい。亮と結ばれたいのなら、諦めて協力する。でも俺を選んでくれるなら、結婚しよう」
即答で答えなど出せなかったが、竜の腕の中で、マリアは忘れかけていた希望を見出していた。
展望室で、亮は織田氏と真紀、そして卓に詰め寄っていた。
「これはどういうことです? 最高指揮官である僕を欺いて、あなた方は何をするつもりだったのですか。そんなに彼女の存在は悪ですか? 人一人の命をなんだと思っているのですか。僕はあなた方の望むように生きてきました。彼女のことも忘れたつもりです。それが寄ってたかって、どういうことですか!」
静かな口調ながらも、いつになく亮は怒りに震えていた。そのまっすぐな目に、誰もが飲み込まれそうなほどの迫力がある。
「……もちろん欺くつもりはなかったし、かといってあなたが許すはずもないと思った。だからあなたの目を盗んで書類に判を押したのは私よ。でもあなたが知らないところで、私はあの子に悩まされてきたのも事実なの。それだけはわかって!」
そう言った真紀に、亮は首を振る。
「もう、何が事実で何が嘘かなんて関係ない。公開処刑なんて非人道的なことを行おうとした時点で、僕との信頼関係は皆無だ。でも家族を陥れることは僕も気が引けます。最後の選択を迫りましょう」
亮はそう言って、まず卓を見つめる。
「卓。君は傍観者で、政府から頼まれた人間だ。だが僕の親友でもある。きっと君は、僕のためを思って言わなかったと言うだろうね。君には即刻日本へ帰ってもらい、公開処刑禁止を政府にも働きかけてもらいたい。そして今回の件をうまく処理してくれ。それが出来なければ、君の職を奪う。そして今後一切、君を友人とは認めない」
「……わかった。すぐに帰るよ」
それだけを言い残して、卓は足早にその場から去っていく。亮を敵に回したくはないと思った。
卓がいなくなり、亮は真紀と織田氏を見つめる。
「お父さんには、ハピネスタウンへの入国を今後一切禁止し、助言も禁じます。そして真紀には離婚し、日本へ帰ってもらう。子供たちは全員僕が育てる。それが嫌ならば、僕は二人を告発します」
揺るぎない絶対命令のような言葉は、まさに父親譲りの言い回しである。
織田氏はもはや何も言わず、真紀は泣き狂った。
「離婚はいいわ。あなたが言うなら日本には帰ります。でも子供たちは返して! もともとあなたの子ではないのよ!」
「駄目だ。君もマリアの苦しみを味わえ。あの子たちは僕の子だ。もちろん永遠に会わせないわけではない。君も職を失って帰るんだ。子供たちを巻き添えにするわけにはいかない。落ち着くまで、しばらく様子を見る。それまで僕が育てる」
そう言い残して、亮は役人所へと帰っていった。
その後、公開処刑を進めた重役たちはそれなりの処分が与えられたが、一番の確信犯である織田氏と真紀に矛先が向かうことは確実だった。
亮はもう容赦しなかった。次の日には真紀との離婚が成立し、誓約書を書かせ、子供たちとも引き離すことに決める。
子供たちを失うということで、真紀は亮に懇願し続けたが、もう聞く耳は持たなかった。
織田氏は帰りの荷物をまとめた後、自分が作ったハピネスタウンを見つめた。先日、マリアの処刑場となった広場は、すっかり元の市場に戻り、活気を取り戻している。
「なにやってんだよ」
それを見つけたのは、市場で買い物をしていた竜だった。
竜はすぐにマリアのために家を借り、一緒にマリアと暮らし始めた。恋人などではないものの、マリアの生活が落ち着くまでは、出来るだけ一緒にいてやることを決めている。近くにクリスも住んでいるため、また心配してアルも頻繁に顔を出してくれるため、マリアが寂しい思いをすることはまだない。
「……ここはかつて野原だった。思い出を焼きつけていたんだ。もうここには来られないからな」
いつになくしんみりした父親に、竜は不気味さまで覚える。
「……立ち入り禁止を言い渡されたそうだな。亮も甘い。俺だったらおまえなんか死刑だ」
それを聞いて、織田氏は微笑んだ。
「すまなかったな。おまえにも今までひどいことをしてきたと思う」
「だったらまずマリアに謝れ! 亮に謝れ! おまえは亮から母親を奪い、マリアからすべてを奪った。真紀だって可哀想だ。あんたに操られ続けてきたんだからな」
「……今更、反論するつもりはないよ。おまえの言う通りだ」
「やけに素直だな。だったらもっと早くそうしていれば、こんなことにはならなかった!」
竜の責めに、織田氏は苦笑する。
「竜。私は鬼だったかな」
「え?」
「人は私を鬼と呼んだ。恐れられることでネスパ人を守れると思ったし、ネスパ人を憎むことによって、自分もまた救われていると思い込んでいた」
織田氏の意図することが理解出来ず、竜はただ聞き入った。
「私も無力だ。おまえから本当の母親を奪ったにも関わらず、愛する女性を幸福にはしてやれなかった。それどころか私が死へ追いやった。それはおまえの知るところに嘘偽りない。でもな、竜。私はよく夢を見る。この広場で、亮の母親が処刑された時の現実を……」
それを聞いて、竜は目を見開いた。自分もまた、それがトラウマとなって見続けている夢である。同じ苦しみを、父親も味わっているというのか。
だが竜は静かに笑って、織田氏を見つめた。
「……真紀に聞いたのか? 俺がその夢を見ていることを……」
織田氏は竜の言葉に、無言で笑みを零した。真紀から聞いてなどいなかった。だが竜のその言葉で、竜もまた同じ悪夢を見ていたことを初めて知る。
「すまなかった、竜……おまえの気が済むなら、あの女にも謝ろう」
「……いいや。彼女はそんなこと望まない。マリアに少しでも悪いと思うなら、さっさと消えてくれ。そして俺の前からも」
その言葉に、織田氏は反論することなく背を向ける。
すると目の前にはマリアがいた。どうやら竜と一緒に来ていたらしい。
「織田様……」
マリアが言った。だが、すかさず間に竜が入る。
処刑されそうになった嫌な思い出の残るこの場所だが、市場に戻った所を見せ、なかったことに思わせようと二人で来たのだ。なによりマリアも、怖いながらも外へ出ることを望んでいた。
しかし、まさかここで織田氏に会うとは思いもよらなかったことである。
「マリア、行こう」
そう言う竜を遮って、マリアは織田氏を見つめる。いつ見ても怖い相手だが、マリアは意を決したように近付き、そしてお辞儀をする。
「ありがとうございました」
マリアの一言目に、織田氏も竜も拍子抜けした。
「……何がだ」
素直にマリアを見ることが出来ず、目を伏せて織田氏が尋ねる。
マリアは穏やかな表情で、織田氏を見つめた。
「……あの時、私のそばのお役人様から聞こえたのです。織田様が処刑中止を促しているから、待機せよと……」
「馬鹿な。なぜ私がおまえを助けるなどと……」
思わず反射的に、織田氏はそう逃れる。それは竜も初めて聞くことで驚いた。
「そうだ。こいつがそんなこと言うわけないだろ。もういいから行こう、マリア」
竜にそう言われ、マリアは織田氏にお辞儀をして背を向けた。
「待て」
そんな二人を、すかさず織田氏が止めた。だが、なぜそれを止めたのか、自分でもわからない。
やがて息を整えたかのように、織田氏は静かに口を開く。
「……今まですまなかったな」
それを聞いて、マリアは何度も首を振り、そして微笑む。
「何をおっしゃいますか。あなた様がしてきたことは、息子である竜様や旦那様を思ってのことです。私も……卑しくも子を持つ母親です。あなた様の気持ちがわからないわけではありません」
「……おまえは亮の母親に似ている。外見がではない。ネスパ人が皆そうだとは思わないが、亮の母親もおまえも、芯がしっかりした女性だ。立場上、おまえと亮の交際を認めるわけにはいかなかったが、何もかも諦めたように生きていた竜を救ってくれたことには、親として感謝している」
思ってもいない感謝の言葉に、マリアは恐縮した。
織田氏は言葉を続ける。
「私も……おまえに救われたのかもしれない。あのままおまえを死なせていたら、私は悪夢に食い殺されていたかもしれない。そして昇に亮と同じ苦しみを味あわせてしまうところだった……誰の子でも、孫は可愛いものだ」
それを聞いて、マリアはお辞儀を返す。
「ありがとうございます……」
それだけを言い残し、マリアは竜に連れられて去っていった。
残された織田氏は、静かな笑みを浮かべる。その表情はとても穏やかなものである。
「ありがとう、か……」
織田氏は空を見上げた。人知れず後悔を抱いてきた織田氏だが、その空を見つめると、亮の母親の笑顔が思い出される。あんな死に方をした彼女だが、織田氏を咎めているはずがない……そう思った。
「この街は、亮がいる限り大丈夫だろう。亮が功績を残せば、やがて昇が後を継ぐかもしれない……おまえの残した亮が、おまえの人種を救うことだろう……」
織田氏は一人、そう呟いた。すぐそばで亮の母親が見守っていてくれる、そんな気がした。
その後、織田氏は日本へ戻り、二度とハピネスタウンに足を踏み入れることはなかった。
帰国直後に政治の世界からも退き、田舎に移って穏やかな余生を送ったという。
真紀がハピネスタウンから追放された後、亮とマリアは何度かの話し合いを持ちながらも、二人が恋人に戻ることはなかった。しかし竜と結ばれることもなかった。
マリアの生活も穏やかさを取り戻し、やがて竜からも自立することになる。それでも毎日のように尋ねてくれる竜やクリス、アルたちによって笑顔が絶えることはない。
亮はマリアとの息子・昇とともに、竜と真紀の子供である力と真世をも一人で育てる決心をする。もちろん竜も責任を感じていたが、亮は竜に父親として名乗り出るより、叔父として今まで通り接してほしいと頼み、竜もそれを承諾した。
マリアと亮は、取り立てて会う関係でもなかったが、もちろん昇とは好きに会うことを許されたので、顔を見ることは何度もあったし、一緒に食事をしたりする関係にも戻っている。
竜は変わらぬ生活に戻ったが、マリアを見守ることに決め、なんの見返りも求めなかった。ただマリアと昇が自由に会えるようになったので、その時だけは一番の幸せのようなそんな気がしている。
それぞれ家族はバラバラになりながらも、その心はやっと平穏が訪れたのかもしれない。




