表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
最終章 「終焉 -end-」
78/81

Chris&Al's end -friend-

【クリス&アルエンド】


 公開処刑の噂は、日本人役人の耳には届かなかったが、ネスパ人の間を瞬く間に駆け巡った。

「久々の公開処刑だ。見ない手はないよ」

「女らしいね。どんな悪女か見てやるんだ」

「まったく、そういう極悪人がいるから、うちらが肩身の狭い思いをしなきゃならないんだよ」

「ああ。まったく迷惑なことだ」

 クリスがそれを聞いたのは、処刑前日であった。夜中だったため、もう前日と呼べるものでもないが、仕事で遅くなり、普段は寄らない酒場にたまたま入ったことで知り得た情報である。

「まさか……」

 直感で、クリスは処刑されるのがマリアではないかと思った。どうしようもない胸騒ぎが襲う。

「どうすればいい? どうすれば……」

 酒場で出来るだけの情報を聞き出したが、マリアという名前はおろか、どんな人物かを民衆が知る由もない。

 かつてマリアとは親同士が決めた婚約者であったクリスは、未だにマリアを愛していた。

 なんとか処刑されるのが誰なのか突き止めたいと思ったが、近くには忙しい医者仲間しか住んでおらず、仲の良いアルは街の反対側である遠い場所にいる。かといって一人で織田家に乗り込むには危険すぎる。

 クリスは考えると、処刑されるのがマリアだという仮定を前提とし、どう助けるかを考えることを優先させた。

「クリス!」

 直後に連絡をしたアルがクリスのもとへやって来たのは、それから一時間ほど後のことだ。

「アル。ごめん、こんな夜中に」

「なに言ってるんだ。病院勤めで良かったと思ったよ。あそこには電話があるからね」

 アルがそう言ったのは、まだこの街では通信手段が発達していないことだ。小さな街というのもあるが、病院などの公共機関以外に電話はなく、急ぎの連絡でも馬を走らせるほうが主流だからである。

「噂は聞いた?」

「いや、まだ西側には届いていない。だけど……俺もマリアだと思う。直感が痛いくらい反応してる」

「そうか。精神療法のアルが言うなら間違いないんじゃないかな。離れていても、心で繋がることが出来るから」

「うん」

「僕も酒場に寄ってよかった。このまま知らないままかと思った」

「途中で織田家に寄ろうとも思ったんだ。織田竜氏がいれば、きっと力になってくれる」

 それを聞いて、クリスは顔を顰める。

「日本人なんか信用するな。力になってくれるというのなら、どうしてマリアがそんな目に?」

「それは……」

「とにかく、ネスパ人ですら公開処刑を楽しみにしているくらいだ。我々の民族も、ずいぶん荒んでしまったものだ。もはや敵か味方かもわからないんだ」

「わかった。でも俺たちだけで何が出来る?」

 アルの言葉に、クリスは立ち上がった。

「処刑を中止させればいいんだ。民衆を動かそう」

 決心したように言ったクリスだが、アルは口を曲げる。

「なに言ってんだ。今言っていたばかりだろう。同じ民族でも、敵か味方かわからないって」

「でも話は出来るし説得も出来る。我々は医者だし、近くには僕の患者もたくさんいる。役人の強硬手段はみんなが知ってるし、マリアが冤罪だって話せば協力してくれる人は必ずいるよ」

「……そう言う意味では、西側ではすでに親父さんやドクターが、有志を集めてこちらに向かっているはずだ」

「よし。じゃあ街へ繰り出そう。街中の人間を叩き起こすんだ!」

 まずクリスは、さっきの酒場で事情を説明した。この付近にはクリスの患者もたくさんいるため、話は早い。

 もちろん初めは理解されなかったが、虐げられた民衆には、割とすぐに火がついた。

「なんてひどい話だ。もともと役人ってのは気に入らないんだ。うちの女房も、収容所にぶち込まれたしな」

「俺なんか一発で刑務所行きだぞ。たった一度の窃盗でよ」

「最高指揮官はいろいろやってくれてるけど、まだまだ改善されてないことでうっぷん溜まってたんだ」

「我々の民族は争いを好まないはずなのに、今の荒んだ状況はどうだ」

「よし、やろう!」

 人から人へと伝わり、立ち上がった民衆は予想以上に膨れ上がり、朝を迎えようとしている。

「よし、広場へ向かえ! 抗議デモだ」

 誰からともなくそんな声が上がり、民衆たちは処刑場となる広場へと向かう。

 それを見て、クリスとアルは顔を見合わせた。

「とりあえずやったな。もしマリアじゃなくても、公開処刑なんておかしすぎる。止めるべきなんだ」

 そう言ったクリスに、アルも頷く。

「広場にはコブの親父さんたちも先頭で向かってくれてる。俺たちはもうひとつやることがある。行こう」

「ああ」

 二人は民衆たちの群れから離れ、丘の上にある織田家へと向かっていった。

「最高指揮官に繋いでください。でなければ織田竜氏を。我々はごく親しい知人なのです」

 嘘も交えつつ、アルがインターフォンに向かって言う。

『約束がなければお取次ぎ出来ません』

 機械的な返答に、クリスも口を開く。

「一刻を争うんです! 人一人の命がかかっている。どうか繋いでください!」

『ですから何があろうと、ネスパ人の面会には約束が……』

「ではここで騒ぎでも起こしましょうか。我々は危険物を所持している。最高指揮官もしくは織田竜氏に会わせない場合は、即刻その屋敷を攻撃する」

 もちろん危険物など持ってはいなかったが、もう後に引けないようにアルが言った。

 幸いにもコンピューターによるセキュリティで、近くにはまだ警備員などもいないので、人影があれば逃げられもする。一か八かの賭けだった。

『待ちなさい……最高指揮官は、昨日から日本へいらしていておりません』

 やっと本当のことを話した相手に、二人は顔面蒼白になった。最高指揮官さえ説得出来れば、一声で中止させられるはずだと思ったが、それも叶わないようである。

「何だって? じゃあ誰がいるんだ。織田竜氏を出せ! そうでなければ最高指揮官の妻でも誰でもいい。すぐに……」

 その時、門の向こうに人影が見え、二人は身構えた。

 だが、そこには馬に跨った竜がいる。竜も事態が飲み込めず、驚いた顔をしてこちらに向かってくる。

「どうした!」

 二人の表情を見て、竜も嫌な予感を感じてそう言った。

「竜様! マリアが……マリアが処刑されます!」

「何だって!」

 竜は門を開けると、二人の前に降り立つ。

「詳しく話している暇はない。最高指揮官がいないというのは本当ですか?」

「ああ、本当だ。昨日から日本に行っている。それより本当なのか!」

 クリスの言葉に、竜の顔色も変わった。

「時間がないのです。確信はなくとも、たぶんマリアしか考えられないでしょう。公開処刑なんて酷すぎる!」

「公開処刑……?」

 まだ事態は飲み込めないものの、竜はマリアの危険を認識して考える。

「……君たちの策は?」

 ほどなくして竜が尋ねた。

「ネスパ人のデモ隊が出来ました。広場を占拠します」

「危険だ! 殺されるぞ」

「怪我人は出るかもしれない。でも、もう他に方法はないのです。あとは日本人の助けが必要です」

 竜は顔を顰めて屋敷を見つめた。まだ真紀がいるはずである。

「わかった。こっちは張本人を詰めてみる。君たちも広場に向かえ」

「わかりました。どうかよろしくお願いします!」

「そっちもな。西地区へ出張のはずだったんだが、会えてよかった。マリアであってもそうでなくても、必ず助けよう」

「はい!」

 頼もしい竜の言葉を受けて、クリスとアルは広場へと戻っていった。


 竜はそのまま家へ戻ると、真紀の部屋へ向かった。真紀はまだ家におり、自分の部屋で支度を済ませたところのようだ。

「なんなの? こんな早朝に。あなたは今日から出張でしょう?」

「そっちこそ、こんな時間から出勤か?」

「いつもそうよ。なんなのよ……朝からあなたの顔なんか見たくないわ。早く出張に行きなさい」

 そう言っている真紀は、顔色ひとつ変えないながらも、苛立ちを露わにしている。

「そんなに俺を出張に行かせたいのか?」

「べつに。私はもう出勤するわよ。今日は遅れられない事情があるから」

「それはマリアの公開処刑のことか?」

 一瞬、真紀が目を逸らしたことで、竜はそれを確信した。

「本当なのか!」

「何を言っているのかわからないわね。あの子は富糸ヶ崎氏のところにいるはずでしょう」

「俺もそう思っていたさ」

「変な情報に振り回されないことね。こんなご時世に公開処刑だなんて」

「じゃあ違うと弁明してみろよ。ここでゆっくり聞いてやる」

 真剣な面持ちの竜に、真紀は深い溜息をつく。

「どこまでも私の邪魔をする気なのね。認めれば満足?」

 いつでも強気な姿勢の真紀を、竜は思いきり引っ叩いた。

「おまえはそれでも人間か! 昔のおまえはどこへ行った? 正義の女性役人が聞いて呆れる」

「あなただって昔は鬼刑事って言われていたけど、今ではただの腑抜けじゃない」

 竜は真紀の手を掴み、壁に体を押しつける。

「行かせない!」

 射抜くような目をして竜に、真紀は悲しく微笑む。

 これほどまでに真剣に、竜が自分へ愛を向けていてくれたならば、過去は変わっていたかもしれない。そう思うと、今そうさせているマリアがやはり憎らしくも思えた。

「馬鹿ね。私を足止めしても、処刑は執行されることになっている。朝の六時きっかりよ。その後はいつもの市場に戻るし、時間通りに始められるわ。それに私がいなくても、お義父様や日本からの視察もいる」

「……卓か!」

「そういうこと。私がいなくても、事は進められるのよ」

 それを聞いて、竜は部屋の時計を探した。処刑執行まであと三十分しかない。

 竜は真紀を捨てるように、全速力で去っていった。


 竜に会えたことで少しほっとしながらも、クリスとアルは大急ぎで広場へ向かう。

「処刑開始は六時と聞いた。急ごう」

 走りながら言ったクリスに、アルは突然立ち止まった。

「アル!」

 アルは集中するように、一点を見つめている。

「……クリス。マリアはどこに収容されていると思う?」

「え?」

「答えはここだ……」

 そう言ったアルが、どこまでも続いている壁を叩く。

 クリスは高い壁を見上げる。

「そうか、ここは……」

 広い最高指揮官邸の隣には、収容所と刑務所が連なっている。どちらも巨大な敷地にある施設のため、この辺り一帯は果てしなく壁が続く。反対側が川でなければ、相当な圧迫感であろう。

「今、マリアの意識とシンクロした。マリアはここにいる」

 精神分野の能力を持つアルだからこそ、集中すればそのくらいはわかる。しかし触れて人の心を治すのが専門のため、ネスパ人特有のその能力を、医療以外で使ったことなどない。

「本当か。マリアに話しかけたりは出来ないのか? 容体とか……」

「無茶言うなよ。俺だって、触れずに他人の意識を探すなんて初めてなんだから」

「そうだよな……でもここで待てば、マリアはここを通るってことだ」

「どうやらそのようだね。でも相手は馬車だろう。俺たちだけで止められるかな……」

「止めるさ。どんなことがあっても……とにかく門まで急ごう」

 二人はそう言って、収容所と刑務所が合わさる門へと向かった。

「門はひとつだけだろうか……」

「わからない……でもたくさん門があれば、それだけ収容者に逃げられる可能性もあるってわけだ。普通なら、あの広い正門を通るしかないと思う」

「まあいい。このまま集中出来れば、マリアがここにいるかいないかくらいわかる」

 そう言いながらも、アルは軽く汗をかいて、必死に集中しようとしている。

「無茶するなよ、アル。我々の力は未知数なんだ。力を使い過ぎて死んだ人間がたくさんいるからこそ、今は医者以外使っちゃいけない能力なんだぞ」

 アルを気遣ってクリスが言った。しかしアルは苦笑する。

「医者でよかったよ。堂々と力を使えるからな。それに無茶はしないよ。医者として訓練を受けてるんだ。自分の力くらいコントロール出来る」

「ああ……でもすでに医者の域を超える能力を使ってるはずだ。おまえだって初めてなんだろ。こんなことに力を使うのは」

「もちろん。でも今こんな力使わなきゃ、俺は後悔するよ。マリアのことを助けたいんだ」

 それを聞いて、クリスは顔を顰める。外傷を治す医者であるクリスには、今は何も出来ない。

 そんな気持ちを察して、アルはクリスを見つめて微笑む。

「クリスは外傷分野専門だ。きっとマリアは弱ってる。助かったら真っ先に手を握ってやってくれよ。それまで体力温存させるんだ」

「アル……」

「俺はマリアと出会って、自分が精神科医でどれだけ悔しい思いをしたか知れないよ。そりゃあ僕の治療で彼女の心が楽になったのは事実だろうけど、見た目にまで傷ついた彼女を治せないのは辛かったもの」

「……じゃあ、僕たち二人がいれば最強だな」

「ああ。そういうことだよ」

 その時、後ろから馬のひづめの音が聞こえた。

「クリス、アル! 何してる!」

 やって来たのは竜である。

「マリアが中にいるようなのです。出てきたところを襲撃し、取り戻したい」

 長い壁が続き、まだ刑務所の正門まで着かないが、さすがに息を切らせた二人は、立ち止まって竜に説明をする。

「武器もなしにか? 刑務所の馬車は特殊なんだ。襲撃されても生半可なものではビクともしないぞ。しかしそうか、刑務所に……」

 近くにマリアがいたという事実に、竜は無念にうなだれながらも刑務所の壁を見つめる。馬に乗っていても、その高い壁の向こうに行けるものではない。

「そちらはどうでしたか?」

「……相手も強者でね。足止めしても、時間通りに始まる手筈らしい。しかも確信犯は一人じゃない」

「そんな……」

 その時、アルがピクリと動いた。

「来る!」

 その言葉に、三人はそれぞれ覚悟を決めた。何も持たずとも、ここで一戦交えることになりそうだ。

「クソッ。亮に連絡してる暇もない……仕方がない。正門はもうすぐだ。走れ! 俺が前で足止めする。君たちは、飛び移れるのならやってくれ。だが無茶はするな」

 指揮官の顔になり、竜は的確にそう指示をして、馬で先に出る。

 やがて数十メートル先にある門が開き、三台の護送用馬車が出てきた。

「アル、どれだ!」

「真ん中だよ!」

 クリスの問いに答えると同時に、アルは全速力で走る。

「止まれ! 処刑は中止だ!」

 馬で先に門へと向かった竜は、馬車の前に出ると、両手を広げて足止めをする。

「織田指揮官、お通し下さい! 我々は、何があろうと任務を遂行すると決められています。我々を止められるのは、最高指揮官か、犯罪・更生課の織田真紀指揮官、または日本政府の用人しかおりません!」

「なるほど。俺の家族がみんな属しているものを、俺だけがどれにも当てはまらないということか……」

 冷や汗をかきながら、竜は笑った。

「織田指揮官。これは警告です! 退いてください。最高指揮官のご家族であり、他の指揮官であるあなたを傷つけたくはないのです!」

 その時、アルが真ん中の馬車に手を掛けた。

 途端、馬車が勢い良く走り出す。

「危ない!」

 走り出す馬車に、アルより後になったクリスは、慌てて三台目の馬車に飛び乗る。

 そして次の瞬間、馬車の前にいた竜は、思いきり馬車に突っ込まれ、空高く舞った。

「竜様!」

 クリスとアルの目にすでに後方で倒れた竜が映るが、今は何が出来るはずもなく、自分たちの身すら危ない。

 三台目の馬車後部にしがみついていたクリスは、頭の中で今後の計画を練る。早く馬車を止めなければ、自分たちも危ない。

 その時、クリスのいた馬車の中から、両側にある窓に二人の男が顔を出した。

 男たちは前の馬車にいるアル目掛けて、銃を構える。

「アル! 危ない!」

 片方の男の銃を掴み、殴り合いになりながらも、クリスが言う。

 だがその間にも、反対側の男がアルを狙って発砲した。

 アルはなんとか避けるものの、状況は同じ馬車に乗るクリスのほうが危険である。逆にアルのいる馬車の扉は頑なに閉じられ、開く気配すらない。

 クリスとアルは、同時にそれぞれの馬車の前へと回った。

 馬車の前には、馬を操る御者が二人いる。馬車を乗っ取ったほうが早いと踏んだのだ。

「どけ!」

 そう言って、クリスは御者に目もくれず馬に飛び乗り、馬車と固定した金具を外した。

 身軽になった馬は、そのまま前へと走り出す。置き去りにされた荷車からは、もはや銃弾は届かない。

「馬の扱いはネスパ人のが上なんだ。アル、大丈夫か!」

 クリスが前の馬車に追いつくと、アルは御者の一人を倒し、もう一人と格闘中だった。

「アル。もうすぐ街だ。このままだと突っ込むぞ!」

「わかってるよ!」

 最後の手段として、アルは気を集中させ、御者の額を手で掴んだ。

 アルも今までやったことはなかったが、理論上可能な力を発揮する。それは普段心を癒すためだけに発揮するのと逆に、人の不安や恐怖を心から煽ることだ。

 御者は心を揺さぶられ、恐怖に顔を歪ませた。

「すまない!」

 アルはそう言って、一瞬の隙に御者を馬車から落とした。それは医者としてあるまじき行為であったし、ネスパ人が日本人に暴行を働いたと知られれば死刑にも価する。それでも今は一刻の猶予もない。

「アル! 手綱を取れ」

「ああ!」

 クリスはアルのいる馬車へと飛び移り、頑なに閉じられた馬車のドアをこじ開けようとするが、びくともしない。

「クリス、ヤバイぞ。止まらない!」

 すでに馬車は街の郊外に入っており、馬は興奮状態で、このままでは繁華街へ突っ込んでしまう。

「でもこっちが先だ!」

 クリスは馬車の扉を叩く。しかし護送中の馬車は、余程のことがない限り開くことがないということは、市民の誰もが知っていた。

「緊急事態だ! 開けてくれ!」

 そう声をかけても、中から音沙汰はない。

「アル。本当にこの馬車なんだろうな」

「大丈夫、間違いないよ。特殊加工してあるから、声は漏れないし中には聞こえづらいっていうのはあるかもしれないけどね。さすが訓練された役人だよ。何したって開きはしない」

 しかし、もはや一刻の猶予もない。街へ入ってしまえば、暴走する馬車で大惨事が起きてしまうかもしれない。そろそろ役人の追っ手も来るだろう。そうなれば逃げ道はなくなってしまう。

 クリスは覚悟を決めたように、ドアノブに手を掛ける。

 銃撃されてもビクともしない馬車は、特殊な鍵が掛かっているようだ。

「開け……開け!」

 念じるようにクリスが言うと、ドアノブが外れた。

 これはクリスにとって初めてのことだったが、ネスパの能力でうまくすれば破壊出来ると思ったのだ。

 クリスの思惑通り、破壊されたドアノブは勢い良く外れた。

 そのままクリスは、警戒しながらもドアに手を掛ける。

「マリア!」

 ドアを開けると中には二人の役人がおり、こちらに銃を向けている。その二人の間には、マリアの姿があった。

 マリアは後ろ手に縛られ、目と口に布を巻かれている。こちらの状況は聞くことだけで、見ることも話すことも出来ない状況である。

 次の瞬間、手前にいた役人がクリス目掛けて発砲した。

「うわ!」

 間一髪、クリスが銃弾から逃れたのも束の間、馬車は大きく右へ逸れ、横転した。

 役人がひるんだ隙に、クリスは反射的に表側の役人の腕を掴む。そして横転する前に、役人の一人を引きずり下ろした。

 それと同時に、横転から逃れるように飛び降りていたアルが、役人を押さえつけて銃を奪う。

「クリス。縛るものを」

「こいつが提げてる」

 銃を構えたアルの横で、クリスは役人の肩に掛かったロープを取り、その体を縛りつけた。

「マリアは?」

「中にいる。横転のショックで怪我でもしていないといいが……」

 二人が馬車に振り向くと、中に残っていた役人が外へと這い出していた。

「動くな!」

 役人の言葉に、クリスとアルは動きを止める。

 馬車の上に立った役人は、天井部分がドアとなった横転した馬車の中を目掛け、銃を構えている。中にはまだマリアがいるはずだ。

 その時、街から数頭の騎馬隊がやって来て、二人は完全に囲まれた。

「ちくしょう! ここまで来て……」

「銃を捨てろ。ここで囚人を殺すぞ」

 その言葉に、アルは静かに銃を捨てた。そして二人は今後の展開に頭を捻る。

「アル……僕は君を守るぞ」

 その時、アルの隣で静かにクリスが言った。

「俺だって……でもクリス。俺は精神分野の専門なんだ。人を傷つけたり守ったりの力はないに等しい。僕を守るより、マリアを守ることに力を発揮してくれ」

 ネスパ人の不思議な力は、主に人を癒すことだが、逆に人を傷つけることも可能である。だがどちらに関しても、自分自身に向けることは出来ない。

 この場合、クリスはアルを、アルはクリスを守ることで、能力で互いを守ることは出来るが、精神分野が専門のアルにとって、そういう類の力を出したことがない。

「それよりも、君はまっすぐ馬車に向かえ」

「それじゃあクリスが!」

「考えている余裕はない。馬車の中に入れば、とりあえずは銃弾からは防げる。それから先は……」

 じりじりと近付く役人に、二人は身構えた。

 アルも気を集中し、なんとかクリスを守ろうと、未知の力を引き出すために力を込める。

「そのままじっとしていろよ」

 役人の言葉を機に、一気にクリスが力を放出させた。

 一瞬のうちに、アルの体が光に包まれる。またクリスもまた同じ状態にいた。

「馬車へ!」

 クリスがバリアに包まれたのは計算外だったが、二人はとりあえずの安全を確保し、馬車に飛び乗り、一人の役人を蹴落として馬車の中へと下りた。

 馬車の扉を閉め、クリスはアルからバリアを解くと、今度はドアを閉めることに力を使う。これでしばらくは破られないだろう。

 アルはすぐにマリアを抱き止めて絶句した。マリアから目隠しや手枷を取ってやると、衰弱しきっているのがわかる。

「クリスを守ったのは君か……!」

 二人は息を呑んだ。

 力をコントロール出来るように訓練した医者のネスパ人以外、その未知なる力を使うのは危険極まりない行為である。特に女性のほうが力は大きいと言われ、医者のようにセーブする術も知らないまま限界以上まで使ってしまえば、死に至る危険な力なのである。

「アル……?」

 目を開け、息を切らしたマリアが言う。

「大丈夫か? クソッ。クリスの手が空いていたら、少しは君の体力を戻せるのに……」

「あなたの声が聞こえたの……だから私……」

「しゃべるな。俺も力を使い過ぎて、今は専門の精神治療ですらも君を癒してやれない」

 その時、三人は息苦しさを覚えた。

「火だ! 連中、馬車ごと僕らを燃やす気だぞ!」

 クリスの言葉に、アルはマリアを抱きしめて覚悟を決める。

「せっかくマリアを見つけたのに、ここで終わりだって言うのかよ……!」

 アルが無念にそう叫んだ時、クリスが振り向いた。

「静かに。なんだか様子が変だ……」

 それを聞いて、アルも耳を澄ませる。

 倒れた馬車の壁に耳を当てると、僅かながら外の様子が窺えた。

「火を消せ! 役人たちを押さえるんだ!」

 聞いた声であった。

「親父さん……コブの親父さんだ!」

 アルが叫ぶ。

 広場にやって来ないアルたちを心配して、コブと仲間が様子を見に来たらしい。また知らせを聞いて、続々と人が集まっているようにも感じる。

「助かったぞ!」

 クリスも助けが来たことを確信し、静かに天井となったドアを開ける。

 外では数えきれないほどのネスパ人たちが役人を制し、馬車に放たれた火もほとんど沈下されていることがわかる。

「無事か!」

 民衆たちの声に、クリスは馬車の上に立ち上がる。

「この通り大丈夫だ! みんなありがとう!」

 馬車の中から引き出されたマリアは、アルとクリスの手によって、アルが働く西側にあるドクターの病院へ移された。西側のほうがまだ事が大きくなっていないことと、クリスが働く病院は大病院のため、付きっきりでいられないこともある。

 もちろん役人たちも黙ってはいなかったが、立ち上がった大勢のネスパ人を前に、最高指揮官からの命令を待つことになった。

 そして結局この事件は、沈静化の際に暴力沙汰があったものの、一人の重傷者も出すことなく収まっていた。


「マリアは……」

 事件後すぐに病院へ向かったのは、竜であった。

 竜は落馬して傷を負っていたものの、ネスパ療法ですぐに治療が施され、痛みは最小限に抑えることが出来ている。そして無理をしてでもマリアの様子を見に来た。

「眠っています。僕たちを助けることで衰弱しきっていましたが、命に別状はありません」

「そうか、よかった……」

 ほっとするように、竜は側にあった椅子に座り込む。

「あなたにもお礼を言います。本当にありがとうございました」

「俺は何もしていないよ……」

「そんなことはありません。傷まで負って、ネスパ人である俺たちに力を貸してくれた……痛みますか?」

「大丈夫だよ。ここへ来る前に、ネスパ療法の医者に診てもらったしね」

 竜の言葉を聞きながら、アルは竜の体に触れる。

「僕も力を使い過ぎて、まだあまり発揮出来ないのですが、傷口の痛みを和らげることくらいは出来ます」

「ありがとう……もうすでに楽になってきているよ。君たちの力には本当に驚かされる」

「そのせいで、世界中から忌み嫌われていますけどね……」

 悲しく笑って、アルは俯いた。

「……危険な賭けだったが、君たちはそれに勝ったんだ。世の中は、良かれ悪かれ変わるだろう。マリアもこれで幸せになれるかもしれない……」

 今度は、竜の顔が悲しみに曇った。

 今回の事件は一種の革命である。本来ならば反乱を起こした罰として殺されてもおかしくないが、今回は人数が多いためそれも敵わないだろう。

 どちらにしてもこの問題は明るみに出る。そうなれば今回の公開処刑のこと、今までの刑罰体制からすべてが見直され、身近な国の問題だけでは済まされなくなるはずだ。

 竜はすでに先の未来を見越していた。


 それから時間はかかったが、竜の読み通り、国際決議に掛けられた公開処刑の問題は、満場一致で反対され、日本はネスパ人管理国から外された。それと同時にネスパ人も独立を宣言。日本人の役人は、ハピネスタウンから撤退することになる。


「調子はどうだい? マリア」

 すっかり良くなったものの、未だに病院で治療を受けているマリアに、竜が尋ねた。

「大丈夫です……それよりも、今日発つとは本当ですか?」

「ああ。今日、日本に帰る。ここも立派な国になった。行き来も簡単には出来ないから、しばらく会うこともないだろう。でも俺は少し安心してる。もう君を苦しめるやつはいなくなるんだからね」

「苦しめるだなんて……」

 竜は今日、一斉撤退する日本人たちとともに、日本に帰ることになっている。もうマリアとは会えないかもしれないため、目に焼きつけるようにマリアを見つめた。

 それを知って、マリアも優しく微笑む。

「あなた様には、本当に感謝しきれません。何度助けて頂いたか……」

「そんなことはない。今回だって、君を助けたのはクリスとアルだ。やっぱり同じ人種同士のほうが、君も幸せになれるのかもしれない。今まですまなかったね」

「いいえ。もうやめてください」

「俺もネスパ人になれればいいんだが……叶うはずもない。だから俺は遠くから、君の幸せを願うことにした」

 竜の手が優しくマリアの頬を撫でる。そんな竜の手に、マリアも手を触れた。

「私も、あなた様の幸せを願っています」

 それを聞いて竜は頷くと、マリアを振り切るように立ち上がり背を向ける。

「じゃあな、マリア。元気で……」

 そう言って、竜は去っていった。

 自分のために危険を顧みず何度も助けてくれた竜に、マリアは心からの感謝をし、その後ろ姿を静かに見送るのだった。


 それから数時間後、マリアの病室に一人の男の子が顔を覗かせた。

「昇!」

 そこにいたのは、紛れもなく昇であった。思わず叫んだマリアに、男の子の顔が輝く。

「ママ!」

「昇。本当に昇なの? どうしてここに……」

「パパが馬車で送ってくれたの」

「えっ?」

 マリアは驚いて立ち上がると、窓の外を見つめる。しかしすでに近くに馬車はいないようだ。

「もう行っちゃったよ。これ、パパから」

 昇はそう言って、握りしめていた手紙をマリアに差し出す。

 マリアは昇の頭を撫でながら、逸る気持ちを抑えて手紙に目を通した。




   マリアへ


 僕が今まで君にしてきたことを、どうか許してください。

 今回のことも、最高指揮官であるくせに知らず、帰ってきてすべてを聞き愕然としました。でも、君が生きていてくれたと聞いて安心しています。

 僕に出来ることは、ネスパ人がより良い独立をするために、日本人として引き継ぎをすることくらいでしょう。僕は僕自身と、妻や父を含めた役人や官僚などを一掃し、国としてネスパ人に謝り、出来るだけ支援することが出来るよう働きかけていきたいと思います。


 そしてもうひとつ、昇を君に返します。これは昇の願いでもあり、親子でよく話し合って決めました。

 それでも君が僕に育ててほしいというのであれば、手紙をもらえれば昇をもう一度迎えに行きます。でも子供から母親を奪ってはいけないということを、今更ながら思い知りました。今まで寂しい思いをさせていた昇にも申し訳なく思っています。


 マリア。これが僕に出来る、最良の手段です。異議があるなら話し合おう。そしてこれからも、君たち親子のために出来る限りのことをすると約束します。

 今まですみませんでした。これからは仲間とともに、どうか元気で暮らしてください。

 なにより僕は、いつまでも君と昇の幸せを願っています。


   織田亮




 手紙と一緒に、マリアには考えられないくらいの金額の小切手が入っていた。

「ママ。これからは一緒に暮らせるんだよね?」

 考え込んでいたマリアに、明るい声で昇がそう言った。その声でマリアは我に返り、しっかりと昇を抱きしめる。

「そうね。もう離さないわ、昇。一緒に幸せになりましょう。彼がそう望んでくれるように……」


 その後、マリアは亮からのお金に手をつけることなく、昇とともに生きていくことを決意した。

マリアが再婚することはなかったが、引き続き見守っていてくれるクリスやアルとともに、新しく生まれ変わった国の中心で、昇と幸せに暮らすのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ