3-31 さよなら
※暴力描写がございます。苦手な方はご注意ください。
処刑執行時間の六時前に、マリアを乗せた馬車は中央市場の入口の前に停車した。
処刑場となる中央市場は、C字型となった建物に囲まれた屋外で、普段は朝から活気にあふれた市場である。以前は処刑場そのもので、建物は未だに刑務関係の建物となっているほか、最上階には展望出来るスペースもあるようだ。
唯一の広場への出入口も、すでに人で溢れ返っていた。先を歩く役人が、マリアのために道を作る。馬車から降り立ったマリアは、前を歩く役人に手錠のロープを引っ張られたまま歩き出す。
「おい、来たぞ!」
「ずいぶん綺麗な顔してるじゃないか。人は見かけに寄らないねえ」
「この人でなし!」
罵声を浴びせられながら、マリア目がけて卵やトマトが飛んでくる。
「人でなしが! ネスパ人として恥ずかしいと思わないのか?」
「あんたのせいで今朝の儲けがまったくない。どうしてくれんだよ!」
なおも止まない暴動に、役人たちが止めに入った。
「やめろ。これから裁きがあるんだ。長引けばもっと仕事に差し支えるぞ」
再び歩かされたマリアの目には、冷たく向けられる多くの目があった。同じ民族からの冷たい言葉に、悲しいと同時に惨めになる。トマトがついて赤くなった金色の髪を軽く直すと、役人に引っ張られながら広場へと入っていった。
広場に入ると、マリアは想像を絶する数の観客に言葉を失っていた。そして普段はないはずの大きなステージの他、空高く聳える処刑台が自分の行く末を示している。
広場を入って左手に作られたステージに上げられ、マリアは後ろ手に腕を組む形で手を縛られた。すぐ目の前に観客がおり、広場全体を埋め尽くしている。
「これより公開処刑を行う」
どこからかマイクに通った声が聞こえ、マリアは顔を上げた。対面する形で、建物の最上階に悠然と構えた人影が見える。真紀と、亮の父親である織田氏だった。
真紀と織田氏は、高い所からマリアを見下ろしていた。
「いよいよ、か」
ぼそっと、織田氏が言った。
織田氏の脳裏にも、竜と同じ記憶が蘇る。かつて一度でも愛した女性が、自分の指示によって処刑される。結果、それから今まで公開処刑は一度も行われていない。当時の織田氏には苦渋の決断だったはずだが、それを竜に理解してもらえる日はきっと来ないだろう。そして息子の亮が自分と同じ運命を辿っていることに、皮肉を感じずにはいられない。
「いいのか? 真紀。これでおもちゃがなくなるんだぞ」
「おもちゃにしては、嫌な思いばかりをしましたわ……」
不気味な笑みの織田氏に、真紀も苦笑して答える。
「僕も見届けさせてもらいますよ」
突然そう言ったのは、織田氏の隣に座った男性だ。森山卓というその男性は、かつてこの街にいたこともある亮の親友であり、今では日本でハピネスタウンを管理する機関のトップにいる男だ。卓は日本側の監査人として、織田氏とともにこの処刑を見届けにきた。
マリアと亮がつき合い始めた当時、亮を一番心配し、マリアを引き離そうとしていた張本人である卓は、目の前で遂に命を絶たれるマリアを見て、マリアの人生を考える。
「これより公開処刑を行う」
高い処刑台の上で、マイクを持ってそう話し始めたのは、役人であり裁判官でもある男だった。大きな紙を読み上げながら、時に遥か下のステージにいるマリアを見つめる。
「まずは裁判の判決を読み上げる。被告人マリアは、日本人接触禁止令当時に法を破って、婚約者のいる日本人と恋仲になり、子供まで産んだ。その他、刑務所の脱走、潜伏、養育費や家賃などの借金の踏み倒し、日本人被害者の家庭を崩壊寸前まで追いやり、その妻への負担、子供の育児放棄、収容所内での秩序を乱した罪により、鞭刑百回及び銃刑一発の末、絞首刑と処す」
もっとも重いであろうその判決内容に、集まった人たちもざわめいた。しかし数え上げれば切りがないほどの罪を聞き、同情の念は見当たらない。
マリア自身も否定出来るものは何もなく、その罪状内容はすべて事実であった。
刑はすぐに執行された。
マリアの縛られた腕は解き放たれたものの、代わりにステージ脇に立てられた棒に向かって、ロープで手を横へ張られる。そして膝立ちのまま一発目の鞭が背中に走った。
まるで金属バッドでなぐられたかのような重みが背中に走る。
鞭は特殊な加工がされており、重みに加えて食い込むような鋭さを兼ね備えていた。
(なんだ、この鞭は……)
マリアの全身から一気に脂汗が吹き出した。服で身体を覆われているとはいえ、薄く白い生地には、たった一発の鞭ですでに赤色がついている。
間髪入れずに二発目の鞭が走った。その狙い目は腕や顔にも及ぶ。マリアの白い服は、あっという間に赤く染まっていた。
百発の特殊な鞭を食らい、遠のく意識のマリアに、バケツの水がかけられた。ぐったりしながらも、意識を失くすことは許されない。だが、もう刑も終わりに近付いている。
鞭刑の次は銃刑だった。その後に絞首刑が待っているということは、急所を外してのまさに苦しみしかない重刑である。
マリアはその場で立たされると、今度は両手を吊り上げた状態で固定された。着々と準備が進むステージ上は、マリアの後ろを囲うように防弾盾が立てられる。観客もステージから少し下がるように言われ、一人の役人が銃の最終確認を行っていた。
ふとマリアは顔を上げた。建物に囲まれ、穴が空いたような先に青空が見える。そこから少し視線を下ろすと、織田氏と真紀、また久々に見た卓の姿がマリアに映る。三人とも、出会った時からマリアの存在ごと否定する人間である。不思議と恨む気持ちは出てこないが、自分の惨めな人生を呪った。
「構え」
その声で、マリアは我に返った。目の前には、すでに自分へ向けて銃を構えた男がいる。
何もかも諦め、マリアは目を伏せた。
「中へ入れてくれ! 俺は織田家の指揮官だぞ」
広場の入口も未だ人でごった返している。そんな中で叫んでいるのは竜だった。門を封鎖している役人に向けて、身分証を提示する。
「織田家の方でも指揮官でも、許可のない者は入れません。本日は極秘任務なのです」
その答えに、竜は拳を振り上げる。
「だったら力づくでも入るまでだ。今の俺は気が立ってる。容赦しないぞ」
そう言った竜の前に、役人に飛びかかった男がいた。アルだった。
「アル!」
「ここは任せて早く中へ! マリアを頼みます!」
アルの厚意に頷き、竜は人を押し退けて広場の中へと入っていった。
乾いた銃声が円形の広場に反響して、空へと抜けていった。一瞬、人々は言葉を失う。
マリアは息を荒くしたまま、括りつけられた棒に寄り掛かり、必死に痛みに耐えていた。すでに真っ赤に染まったシャツの中心には、開いたばかりの穴があり、銃弾の焦げ跡がこびりついている。銃弾は至近距離から、狙い通りにマリアの腹を貫通していた。
「早く解け」
役人はそう言いながら、縛られたマリアの手の縄を解いた。途端にマリアは支えを失い、前へと倒れ込む。だがそれすら許さず、役人はマリアの手を後ろ手に縛り上げ、無理に立たせた。そして腰にも縄を括って引っ張り始める。
「さあ、これで最後だ。自分で上がるんだ」
前後を役人に囲まれ、マリアは自らが処刑される処刑台の長い階段を上り始める。しかし痛みと熱で朦朧とし、足が思うように動かない。吐き気とともに繰り返される吐血に、観客からも同情の念が芽生えるほどだった。
何度も倒れながら、マリアは引きずられるようにして階段を上らされる。
「うああ!」
声にならない悲鳴が、無意識にマリアの口から漏れた。
いつの間に気を失っていたのだろう、気が付けば水を浴びせられていた。しかも先ほどまでの水とは違い、濃度の高い塩水へと変わっている。
傷口をえぐるような痛みに、マリアは震えに似た痙攣を起こしながら、休む間もなく階段を上がっていった。
処刑台が見えてくると、地上の観客は相当小さく見えた。代わりに真正面に構えている織田氏や真紀の姿が、遠いながらも同じ目線で見える。
「どこを見てるんだ。おまえみたいなクズが面と向かえる方々ではないぞ」
そう言われている間に、マリアは処刑台の天辺に着いていた。
そこでマリアは座らされると、すぐに首へ太い縄を括りつけられた。何も考えている暇などないくらい、それは手早く進められる。
絞首刑は刑罰といっても、最終的には自分で飛び降りるものだ。自殺の許されぬネスパ文化にとっては、それは最悪の結末である。そのため観客にとっては、それほどまでにマリアが極悪人に映っているはずだ。
「準備が整った。絞首刑執行します。被告人・マリア、何か言い残すことがあればここで言っておきなさい」
機械的に役人がそう言った。
マリアは一瞬、織田氏と真紀を見ようとした。だが思いとどまり首を振る。
「何も……」
そのマリアの声は、マイクを通して広場に響き渡った。観衆の声も高まる。
「早くしろ! ネスパ人の恥だ」
「そうだ、早くしろ!」
観衆の声に押される形で、マリアは飛び降りるための長い板を、真っ直ぐに歩き始めた。
※第三章終了です。
第四章(最終章)は、この前後を分岐にマルチエンディングとなります。




