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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
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3-30 最後の夜

 真紀は自宅に戻ると、亮の部屋へと向かっていった。

 最近は互いに仕事が忙しく、同じ家にいながらにして会わない日すらある。

「真紀」

 そう呼んだ亮は、すでに疲れきった様子でベッドに寝そべっていた。

「今日は会えたわね。寝るところだったかしら?」

「ああ、別にいいよ。たまには話そうか」

 亮はそう言って身体を起こすが、真紀は首を振る。

「相当疲れてるみたいだから、そのままでいいわ。あいにくだけど仕事の件なの」

「仕事? こんな時間まで君も大変だね。出来れば今日はもう仕事のことは忘れたいよ」

「すぐ済むわ。あなたが了承して判を押してくれればいいだけ」

 真紀の言葉を聞きながら、亮はベッドに寝そべり、目を閉じたまま尋ねる。

「何の件?」

「まずは中央刑務所役人棟の耐震工事の件。こちらの会議では承認を得てるけど、予算組みはこれからなの。とりあえず建て直し了承で、最高指揮官の承認を得たいのだけれど」

「前から言ってた壊れかけの古い棟だね。わかった、承認するよ。判子は僕の鞄のポケットにあるから、君が押してくれるかい? さすがに疲れていて辛いんだ……」

「いいわ」

 不敵に微笑み、真紀は亮の判子を手にした。実際、亮はすぐにでも眠ってしまいそうなほど疲れ果てている。それは仕事のことだけでなく心労もあるようだ。

「あとは一日だけ、早朝でいいから、中央市場の全面開放の許可が欲しいのだけれど」

「どうして?」

 いよいよ本題に入った真紀に、亮が尋ねる。

「刑務関係で新しい試みをしようと思ってるの。まあ、いつになるかはわからないけど」

「新しい試み? それは難しいなあ。日本政府との兼ね合いもある」

「そこは私が慎重に進めるわ。お義父様にも助言を仰ぐし」

 この街で新しい試みをするには、日本にあるネスパ監査機関を通さねばならない。そこには卓がおり、織田氏も名前だけは在籍しているため、織田氏と真紀が相談して決めるならば、いちいち最高指揮官である亮を通さなくても進められてしまう。

「……わかった。刑務関係の責任者は君だし、父などに相談してのことなら僕も文句は言えない。ただしいつもの如く報告はきちんとしてくれよ。それが出来るなら、中央市場全面開放も許可するよ」

「ありがとう、亮」

 かくして亮は、新しい試みというものがマリアの公開処刑ということなど知る由もなく、自ら許可をしてしまうこととなってしまったのである。


 マリアは刑務所内の病院で、焼けただれた写真の切れ端を見つめていた。もうそれは何の写真だったかもわからない。だが焼ける前には、命より大事な息子・昇の笑顔があったはずだ。それを思い出しながら、マリアは静かに笑みを零した。

(私が死ねば、すべて終わるわ。亮があの子を大事にしないはずがない。奥様だって……私は最初から、いなければよかったんだ。私があの子を見守りたいなんて思って生きていなければ、誰も傷付かずにすんでいたのに……)

 その時、部屋のドアが開けられた。そこには真紀がいる。

 マリアは座り直してお辞儀をした。

「どう? 自分の罪は悔い改めた?」

「……はい」

「そう。では通告します。あなたの死刑執行の日が決まりました。一週間後の早朝、中央市場にて公開処刑を行います」

 狭い部屋に反響して、真紀の言葉が冷たく響いた。それは亮がマリアの処刑を許可したことを意味する。

 噛みしめるようにそれを聞いて、マリアは大きく瞬きをした。

「……はい」


 その日から一週間、マリアにとってどう時が過ぎていったのかわからない。不思議と死ぬのは怖くなかった。しかし昇や亮と離れなければならないと思うと、途端に恐怖が襲う。その恐怖に耐えながら、マリアは心を無くそうと努力し、その日を待っていた。


 マリアの処刑予定日の前日、亮は出入国管理局で束の間の休憩時間を過ごしていた。今日から数日間、日本へ出張だ。もちろんマリアのことは何ひとつ知らされていない。

 富糸ヶ崎の屋敷に行って以来、自分を呼ぶ声は聞こえなくなっていた。結局その正体を知らぬまま時が過ぎ、得体の知れぬ胸騒ぎを抱えて、亮は日本へと向かっていった。


 一方の竜は、ただ手を拱いていることしか出来なかった。亮と富糸ヶ崎の屋敷に行った後も、マリアの安否を気遣って何度か訪ねたが、門前払いを食らうだけだ。

 富糸ヶ崎はマリアの処刑が無事に終わるまで、マリアがまだ屋敷にいるように振る舞うことを真紀と約束していたため、竜はまだマリアが富糸ヶ崎の屋敷にいるものだと信じて疑わなかった。


 マリアにとって最後の夜は、いつも通りに過ぎようとしていた。

 重い鉄扉が開くと同時に、看守が一日二回の食事を運んでくる。それはいつも通りの質素なもので、特に代わり映えもない。

「最後の食事だ」

「ありがとうございます……」

 そう言って、マリアは静かに食事を始めた。ここ最近はあまり喉を通っていないが、最後の食事ということで口にしてみる。味はあまりしなかった。

「あら、食事中だったの。失礼するわね」

 そんな声とともに現れたのは、一週間ぶりにやってきた真紀である。

 マリアは深々とお辞儀をした。

「いよいよ明日ね。どう? 最後の晩餐は」

「……いえ」

 返事に詰まり、マリアは困ったように俯く。

「明日、予定通り死刑を執行します。公開処刑です」

「……はい」

「時間は、朝六時開始予定。場所は中央市場広場。死刑執行後はすぐに撤収して、いつも通りの市場に戻ります。また死刑は決まっているけれど、執行前に公開裁判も行います。そこで罪状が読み上げられ、刑の内容がその場で言い渡されるわ。最終的には縛り首が主流ね。何かご質問は?」

「いえ……」

「じゃあ、良い夜を……ああ、そうだわ」

 思い出したように、帰りかけた真紀は振り向いた。

「あなたにはかすかな希望もないわ。昇はすでにあなたは死んだと思ってるし、亮は今日から日本へ出張。竜も明日は西側へ出張なの。誰もあなたを助けになんて来ないから」

「わかっています……なんの望みもありません。ただ、ただひとつだけ……どうか昇をよろしくお願いします……」

 土下座するマリアは、精一杯の懇願をした。昇が巻き込まれては意味がない。

「わかってるわ……じゃあ、もう本当にさようなら」

「はい……さようなら。お世話になりました。ありがとうございました。どうかくれぐれも、昇をよろしくお願いします」

 深々とお辞儀をして見送るマリアを尻目に、真紀は去っていった。

 残されたマリアは重い身体を床に落とし、壁際にもたれる。石造りの壁の冷たさが好きだった。

 食事を終えると、あとは眠ることしかやることがない。もはや孤独を感じることもなく、今では穏やかな気持ちでいるマリアは、小さな窓から空を見上げた。

 やがて俯くと、焼けた写真を見つめる。もう覚悟を決めていた。




 次の日の早朝。マリアは結局眠れずに、その日を迎えていた。

 手錠をはめられ、引きずられるように部屋から出されると、別室で身体を拭いて綺麗にし、白い服を着せられた。それは七分丈のシャツとズボンで、死刑囚の服である。

 そしてそのまま間髪入れずに馬車に乗せられた。マリアにとっては久々の外の空気を味わう余裕さえないほど、機械的な朝だった。


 その頃、マリアとは反対側の地区に住むアルは、突然の噂に青褪めていた。

「嘘だろ! もう一回言ってくれよ!」

 急患に付き添って帰りが早朝になってしまったアルは、街角ですれ違った娼婦の言葉に、思わず怒鳴っていた。

 アルの勢いに押されながら、娼婦は口を開く。

「だ、だから、あくまで噂だよ? 今日、久しぶりの公開処刑があるって……」

「誰の!」

「知らないよ。さっきお客さんが言ってたんだ。凶悪犯が出たから、見せしめに公開処刑をするって……極秘に進められていたから、今頃はもう執行してるって言ってたよ」

 勘や不思議な能力のせいではなく、アルは異常なまでの胸騒ぎに、その被告人がマリアであることを瞬時に確信する。そして次の瞬間には、もう足を走らせていた。


 竜が目を覚ますと、身体は汗で濡れていた。また悪夢を見ていたらしく、亮の母親が処刑されるシーンを思い返す。

「クソッ! いつになったら見なくなるんだ、こいつは……」

 頭を抱えて目を瞑り、竜は汗まみれの上着を脱いだ。

 ふと時計を見ると、朝の六時になろうとするところである。

 今日から西地区へ出張なので、本当は昨日の夜には出張先に行ってゆっくりしたかったのだが、昨日は酒を煽っていたせいで、今日の早朝に出ることにしていた。

 竜はベッドから起き上がると、簡単な支度をして足早に部屋を出ていく。

(七時には出張先の役人所へ向かうと言ったが、間に合うだろうか……)

 時計を気にしたまま、竜は屋敷の外へ出た。

 いつもなら玄関先に待機している馬車で行くが、思いのほか遅くなってしまったので急がねばならないらしい。馬車は諦めて馬に跨り、竜は屋敷を出ていった。


 いつも朝は憂鬱だ。悪夢が抜けずに心が沈む。

 亮の母親が殺されるという、今もなお鮮明に記憶された真実は、竜を苦しめ続けていた。

(そういえば、あの処刑場はどこだったのだろう……)

 ふと竜はそう思った。その場所までは幼すぎて、記憶だけでは頼りにならない。しかし公開処刑ということだけは覚えていた。人でひしめくコロシアムのような場所で、亮の母親は首を吊るされて死んだ。幼い竜は父親とともに、高いところからその光景を見つめていたことを覚えている。

 亮の母親が処刑されてから公開処刑はなくなったと聞いたので、その場所自体もなくなったのかもしれない。

「公開処刑は?」

 そう思った矢先、ぼうっと馬を走らせていた竜の耳に、その単語だけが飛び込んできた。

 竜は思わず馬を止めて振り返る。

「公開処刑は行ったのかい? 始まったのかなあ」

「行ってみたけどもう入れない。中央市場は溢れ返ってるよ。あまりの観客の多さに、処刑時刻は少し遅れているみたいだけど」

「まったく、いくら極秘とはいえ、せめて昨日にでも教えてくれれば場所取り出来たのにね」

「そうだね。市場利用者じゃないと、この変化はわからなかったよ。死刑囚は女らしいが、どんな凶悪犯か面を見てみたかったのに」

 竜にとって、もはやその噂を改めて聞き込む余裕も、出張に出掛けることさえも消え去り、馬を走らせていた。

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