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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
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3-27 闇の世界

「離してください! どこへ……」

「おまえの部屋だよ」

 ダンはそう言うと、地下へとマリアを連れていった。

 長い階段の下にはひとつだけ部屋があり、まるで一年前にマリアが入れられていた独房を感じさせる。

「ほら、入れ」

 押し込められるように、マリアは部屋の中へと入れられた。そこには窓も何もない、真の闇が存在している。

 途端、むせ返るような不気味な悪臭に、マリアは鼻を塞いだ。

「懐かしい匂いだろう。血と汗と体液の匂いだ。ここで何人も死んだよ。骨のひとつも転がってるかもしれないな」

 ダンの声が響いた。

「どうしてこんなことを……」

「言っただろう、ここがおまえの部屋だ。ご主人様はおまえに何も望まない。よかったじゃないか、煩わしい妻の務めも家事もいらない。おまえはただ一生ここで暮らして、弱っていくだけだ」

「……ここで、一生?」

「命が惜しけりゃ、ご主人様には逆らわないことだ。逆らえば、牢獄と同じ目に遭うぜ。それにここは牢獄のように親切な場所じゃない。食事も定期的に出るわけじゃないし、布団も何もない。見張りっていう話し相手もいねえ。ご主人様の気が変われば、外へ散歩くらいはさせてもらえるだろうが、出られるまでせいぜい頭を冷やして考えるんだな、ここで生きていく術を」

「そんな……仮にも私は、富糸ヶ崎様の妻として……」

「名ばかりのな。今までのネスパ人妻のほとんどは、この部屋から出られずにそのまま死んでいった。この闇の中で、狂ってな」

 ダンはそう言い残し、去っていこうとする。

 マリアは思わず呼び止めた。

「待ってください! どうしてこんな……こんなことをして、どうしようっていうんですか?」

 悲痛な問いかけに、ダンは静かに笑う。

「どうして、か……俺もご主人様も同類だ。この闇が好きなんだよ。女が弱りきって死んでいくのを見るのもな。一年前の牢獄を思い出してみな。おまえはただ死ぬために生きていた。それと同じ人生が、このままずっと続くだけだ」

「……」

「まあ、気が変われば出してもらえる。そうすれば作法なども覚えて、上流階級に上がれる可能性もあるが……果たしてこの部屋から出られる日が来るのか、俺にもわからないね」

 ドアに鍵が閉められ、ダンの声は次第に小さくなっていった。ここにはもうマリアしかいない。残されたマリアは、一気に絶望感に浸っていた。

 ここの空気は気分が悪くなる。独房よりも蒸し暑く狭い。窓もなければ布団もない。ただ端に便器があるだけで、他には何もなかった。

「怖い……」

 闇の中で、マリアは得体の知れぬ恐怖と絶望から、必死に戦おうとしていた。こうも何もなければ、考えることしか出来ない。だがそうすればマイナスのことばかりが出て来てしまい、思考を停止させるようである。

 しばらくして、少し闇に目が慣れてきたマリアは、ポケットから焼けてしまった写真を取り出して見つめた。ここが明るい場所だったとしても、焼けてしまったそこに昇の顔はない。

「昇……昇……」

 壁際に背中をつけ、マリアは床に転がった。涙が溢れ出す。

 この場所で、富糸ヶ崎の指示によって、ダンの手で女性が殺されたのだろうか。だからダンは捕まっていたのだろうか。自分もそうなるのだろうか。一年前と同じような地獄が、これから先も繰り返されるのだろうか。いや、まだ一年前の牢獄のほうが、明かりも人の気配もあっただけましなのかもしれない。

 必死でここへ行くなと止めてくれた竜やアルの顔を思い出し、マリアは後悔していた。しかしたとえここから出られても、待ち構えるのは今より最悪な状況に違いない。

「亮……」

 これですべてが丸く収まるはずだった。自分が富糸ヶ崎の元へ来ることで、真紀もマリアから解放され、昇も織田家の息子として生きていけるはずだ。

 だが初日からこんなにも辛いものだとは、マリア自身思っていなかった。なにより忘れたい過去からの精神的苦痛や、狂いそうなほどの闇の中で、マリアは希望を失っていった。


 最高指揮官邸では、竜はベッドに寝そべり難しい顔をしていた。

 昼間、富糸ヶ崎の屋敷へ足を運んだものの、富糸ヶ崎はいないという一点張りの使用人に、打つ手なく追い返されていた。

 亮は今朝から仕事でこの街にはいない。従って、マリアが結婚させられることも知らされていないはずである。

 その時、ドアがノックされた。

「はい、どうぞ……」

 そこへ入ってきたのは、昇である。

「昇……どうした?」

「遅くにごめんなさい。あの……パパがいないから、おじさんに相談しようと思って……」

「そうか。そこへ座るといい」

 竜はソファへ座るよう言い、自らもその前に座る。

「それで、どうした? 怖い夢でも見たか?」

「……ずっと声が聞こえるの」

「え?」

「前の……ママみたいな……」

 それを聞いて、竜は顔色を変えた。

「どんな声だ?」

「悲しそうな、苦しそうな感じで、ずっと僕の名前を呼んでるんだ。前にも何度か聞こえたんだ。でも、今日はずっと……」

 そう言う昇も、どこか辛そうに見えた。

 竜は昇の肩を抱いた。

「大丈夫か?」

「うん、でも気になるの。誰かが苦しんでるなら、僕も苦しい……おじさん。僕を産んでくれたママは、もう死んだんだよね?」

 昇が尋ねた。その目はマリアにそっくりで、竜を困らせる。マリアは死んだと、昇は聞かされていた。

 竜は静かに頷く。それが今の昇にとって、一番いいのだろうと思う。

「ああ、そうだよ。だけどおまえの本当の母親は、いつでもおまえのことを思っていたよ。その気持ちが、おまえをずっと包んでいるのかもしれないな……」

「そっか……じゃあ辛そうに聞こえるけど、気にならないや。まるで僕を守ってくれてるみたいだね」

「……そうだな」

「おじさん、ありがとう」

 立ち上がりながら、昇が言う。

「ああ。もう大丈夫か? また何かあったら何でも言うんだぞ」

「うん、ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみ……」

 去っていく昇を見送り、竜は頭を抱えた。

 ネスパ人にテレパシー能力があることは聞いたことがないが、あっても不思議ではないと思う。以前にもマリアは亮と街で偶然に会っていたが、それも一種のテレパシーなのかと思った。

 その時、またドアがノックされた。

「どうぞ」

 また昇かと思ったが、入ってきたのは真紀である。

「真紀……」

「昇があなたに何の用かと思って」

 その言葉に、竜は顔を顰めて溜息をつく。

「張り込みでもしてたのか?」

「まさか。子供たちの様子を見て回ってたら、昇がいないから。今そこですれ違ったわ」

「そう……」

「いつになく元気がないようね。昇もあなたも」

「……昇も薄々感づいてるのかもな。マリアの異変を……」

「何を馬鹿なことを……」

 真紀の苦笑を背中に受けて、竜はベッドに寝そべった。

「馬鹿なことか……ネスパ人は不思議な人種だ。彼女の声が昇に届いてもおかしくない。亮にも……」

「何が言いたいの?」

 竜は身体を起こすと、まっすぐに真紀を見つめる。

「おまえはこれで本当に終わったのか? マリアを富糸ヶ崎氏の元へ行かせて、それで満足か?」

「……とりあえずはね。数日前、刑務所から一人の男が釈放されたわ。名前はダン。富糸ヶ崎氏の元使用人で、富糸ヶ崎氏の妻という人物を殺して刑務所に入れられた男」

 それを聞いて、竜の目が大きく見開く。そんな竜を尻目に、真紀は椅子に座って言葉を続けた。

「ダンという男以外にも、富糸ヶ崎氏の元使用人は何人か刑務所に服役しているの。富糸ヶ崎氏の力を持っても、一人を釈放するのが精一杯。だけど、これが何の意味かわかる? ちなみにダンは、マリアと顔見知りよ。同じ刑務所に服役していたのだから……」

 竜はすべてを理解して、真紀へ飛びかかった。

「あの独房でマリアを暴行した一人だな? なんでそんなやつを出したんだ!」

「保釈金を積まれれば、出さないわけにはいかないわ」

「じゃあマリアは……またあんな目に……?」

 やり切れない思いで、竜は拳を握り締めた。脳裏には、一年前の独房で死の間際だったマリアの姿がある。

 言葉を失った竜に、真紀が口を開いた。

「竜、あの子のことは忘れなさい。それより私たちの今後をどうするか決めて。力と真世は、間違いなくあなたの子供なんだから」

 そう言った真紀に、竜は目を伏せる。

「いいよ……どうすれば満足だ? 養育費か。それともおまえ、離婚するか?」

「あなたと結婚してもいいことはないわよ。そうね、養育費……あの子のことも考えていられないくらい働いたらどう?」

「おまえはそうやって、いつまでもマリアに縛られたままなんだな」

 静かに言った竜の言葉は、真紀の胸を突き刺した。

「じゃあどうすればいいの? 亮もあなたも、誰も私のことなんて見てくれない……!」

 突然出た真紀の本音に、竜は静かに真紀の頬に触れた。

「見てるよ」

「嘘つかないで! 二言目にはマリア、マリア……私だって不幸だわ。亮と政略結婚させられて、子供の父親であるあなたもふらふらしてて……」

「おまえのことを見てないわけじゃない。だけど俺にとってはどうしようもないだろ。おまえは結婚してるんだし、俺は他に目を向けることしか出来ないんだよ」

 静かながらも熱い口調で、竜が言う。

「わかってるわよ。でも……あの子のことを見るのは許せない!」

 理不尽だとわかりながらも、真紀は子供のようにそう言った。

 竜はいつになく穏やかな瞳で、じっと一点を見つめている。

「……マリアと出会った時、亮の母親のことを思い出した。俺は今でも、亮の母親が死ぬ時のことを夢に見る。あの子を救えば、俺も救われると思った。それは俺のエゴだ。でも、いつしかあの子を愛してた。たとえ振り向いてもらえなくても、俺はあの子の支えになりたいんだ」

 悪びれることもなく正直な気持ちを口にして、竜自身もマリアへの愛情を改めて確認していた。

 真紀は大きな嫉妬を覚えた。今までと変わらぬ憎しみが湧き上がる。それはマリアに対してだけでなく、竜にまで及んでいる。

「悪夢を見続ければいいわ、竜。私はどうしてもあの子が許せない。あなたも亮も、何もかも……」

「亮はちゃんとおまえを愛してるよ」

「どうだっていいわ。私の心の隙間は、そんなものじゃ埋まらない……あなたはいっそ私が死ねばいいと思ってるんでしょ。」

「馬鹿なこと言うな!」

「だって本当のことじゃない! 私がいなくなれば、あの子が苦しめられることもない。亮もあなたも、みんなあの子を……」

 真紀がそう言ったところで、竜は真紀を思い切り抱きしめた。

 竜にとって真紀は、憎しみの対象ではない。マリアを苦しめ、同じだけ自分も苦しんでいる真紀を、どうにか解放してやりたいと思う。

「馬鹿なこと言うな。誰もそんなこと思っちゃいない。俺も亮も、マリアだって……」

 久々に竜の腕に抱かれ、真紀は涙を流した。

「ネスパ人は嫌いだわ……何をしても憎んではくれない。張り合いなくすわ……」

「真紀……」

「あなたが何をしても、私はあの子を許すことは出来ない。それだけは変えられないわ。みんなあの子を憎んでる。私の父も、お義父様も」

「あんなやつらの言うことを真に受けるな!」

「私自身も……」

 真紀はそう言い残して、竜の部屋を去っていった。

 竜は椅子に座ると、真紀を想った。真紀の心情はよくわかっている。しかしマリアのことを忘れるなど出来ない。自分が動くことで真紀の嫉妬心を煽ることはわかっていたが、このままではいけないと思った。

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