3-23 見合の席
数日後。マリアは伝言により、一人でとあるレストランを訪れた。そこには写真で見せられた中年男性がいる。
「君がマリアか。待ちかねたよ」
「すみません。遅くなりまして……」
緊張したままお辞儀をし、マリアは勧められるがままに男性の前に座った。
決して待ち合わせの時間に遅れたわけではなかったが、男性のほうは待ち切れなかったらしく、ずいぶん早くに着いたようだ。マリアを見るなり、舐め回すように見つめている。
「今日は二人だけの見合いといったところだ。私はそう頭が固いわけじゃないから、楽にしたまえ」
「……はい」
マリアの顔は引き攣ったまま、必死に会話に乗ろうとしていた。
「私は富糸ヶ崎だ。さすが真紀さんの紹介だけあって、美しい娘だ」
「あ、ありがとうございます……」
「私には今まで妻が六人いてね。こう見えて寂しがり屋の性格なんだ。二か月前に最後の妻が死んだ後も、耐えられずに君を迎えようとしている。君さえよければ、すぐに私の屋敷に来なさい。迎える準備は整っているよ。可哀想に、過労で痩せ細っているね。私のところに来れば、贅沢な食事も毎食与える。欲しい物も何もかもね」
紳士的に振舞う富糸ヶ崎だが、断れないような威圧感がある。たとえここで断ったとしても、後ろには真紀がいる。マリアはテーブルの下で拳を握り締めた。
「私には愛する人がいます。命に代えても守りたい息子が……それに、私には織田家の奥様に借金もございます。また私は、かつて罪人として捕えられていました。私が持つ物は何もありません。それでも私を迎えてくださるとおっしゃるのなら、私はあなた様のところに参ります……」
つらつらと出てくる言葉が、自分でも信じられなかった。マリアの言葉に、富糸ヶ崎は薄ら笑みを浮かべる。
「君の話は聞いているよ。最高指揮官を愛して子供を産み、その罪で捕えられていたことも。もちろんそれを踏まえて、私は結婚してもいいと思っている。そちらも私の話は聞いているかな?」
「……少しだけ」
「戦争時には自白させるエキスパートとして君臨していた。人の闇を見るのは好きだが、ネスパ人は強くて加減がわからなくてね……今も研究を重ねているところだ。しかしさすがに六人も殺していると、ここにいても日本からの目が光っている。だから無茶はしないつもりだよ」
それを聞いて、マリアは目を伏せた。どんなに今優しくても、この男が殺人鬼ということには変わりない。庶民の間で噂になるほどの人物なのだ。
「……はい」
「まあ君が私の神経を逆撫でしなければいいのだが、もしそんなことがあった場合は、覚悟しておいてほしいね。まあ君自身、独房で同じ目に遭ってきたようだから、免疫はあるわけだ。私の相手には相応しいと思うがね」
逃げ場などない。マリアは富糸ヶ崎を見つめると、静かに微笑んだ。
「よろしくお願いします……」
「そうか。すぐに返事をもらえてこちらも嬉しいよ。じゃあ帰って支度をしなさい。すぐに引っ越しだ」
「今からですか?」
驚いてマリアが言う。
「そうだよ。何か問題でもあるかね?」
「いえ……でも急すぎます。同居している人もいますし、いくらなんでも今日は……」
「では明日だな。しかし、こういうのは思い切りが大事だよ」
「……はい」
それからしばらく小言を言われながら、マリアはやっと解放されると、重い足取りでコブの店へと帰っていく。実感が湧かないまま、マリアは結婚への道のりを進んでいるのだった。
「マリア」
黙々と部屋の片付けを始めるマリアに、アルが声をかける。
「アル」
「何があったんだ? もう結婚の準備か。俺や親父さんには、聞く権利があるはずだ」
「ごめんなさい。結婚が決まりそうだから、すぐにでも出て行くつもり……」
そう言ったマリアの手を、無理にアルが掴んだ。途端、マリアは心を見透かされているような不思議な感覚に陥る。
「やめて!」
マリアはアルの手を振り払った。アルの脳裏にマリアのすべてが流れ込む。
「プライバシーの侵害だな。無理に心を読むのは禁じられてる。でもこうでもしなきゃ、君の真意はわからない!」
「知らないほうがいいこともあるわ」
「そうだね……でも一人で背負うのはなしにしないか。君はもう一人じゃない。君にとっても大事なものは、息子だけじゃないはずだ」
そう言われて、マリアは目を伏せる。そんな目からは涙が滲み出ていた。
「……私は疫病神だわ。これ以上あなたたちと一緒にいないほうがいいの。せっかく体を治しても、またすぐに怪我をしたりして、あなたに迷惑をかけてしまう……あなたたちまで逆らったら、殺されるだけだわ。それに、私に拒否権はないの。死んだように生きるか、このまま死ぬか……」
「マリア……」
「どちらか選ばなければならないのなら、私は生きたい……淡い夢でも、いつか昇と会えることを信じたいの」
「……」
アルは押し黙ると、マリアの部屋を飛び出していった。
アルはそのまま馬車に飛び乗ると、織田家へと向かっていった。何をしたらいいのかはわからなかったが、直談判がしたかった。
最高指揮官邸の前に着くと、アルは門柱に付けられた呼び鈴を鳴らす。
『お名前と身分証の提示をお願いします』
呼び鈴の近くのスピーカーから、女性のそんな声が聞こえる。セキュリティの整った屋敷の外には、生身の人間の気配はない。
アルはごくりと息を呑むと、口を開く。
「……ネスパ人医師のアルフレッドと申します。面会をしたいのですが」
『どなたかとお約束はございますか? ネスパ人の方とは、事前に約束がないとお取次ぎ出来ません』
「約束……あります! 織田竜氏と……約束しています。どうかお取次ぎを」
とっさにアルはそう嘘を言った。
『……調べます』
機械的にそう話す女性の声が、一旦途切れる。
どのくらい待っただろうか。凍える寒さの中で、門が開いた。
『お待たせしました。確認が取れました。そのままお進みください』
不気味に自動の門だけが開き、アルはその歩みを進めていく。ずいぶん奥に見える大きな建物に、入ったが最後のような感覚まで覚える。しかしここまで来て後戻りなど出来ない。アルは意を決すると、屋敷へと向かっていった。
近くで見るとまたとてつもなく大きな屋敷が、アルの前に聳え立っていた。屋敷の正面に向かうと、扉の前にはやっと生身の人間である二人の警備員が立っている。
「ボディチェックを」
言われるがままにアルは手を上げると、警備員がくまなく身体を調べる。やがてそれが終わると屋敷の扉が開かれ、メイドがお辞儀をした。
「アルフレッド様ですね? こちらへどうぞ」
メイドはそう言うと、背を向けて歩き出す。アルは初めて入る日本人の屋敷……しかも最高指揮官邸を見回しながら、メイドの後をついていった。
やがてアルはひとつの部屋に通された。するとそこには竜が立っている。
「竜さん……」
アルは竜を見るなりホッとしたかと思うと、頭を下げてお辞儀をした。
だが竜は挨拶もなしに、焦った様子でアルの前に近付く。
「マリアのことだろう。何があったんだ?」
竜も胸騒ぎを感じていた。アルが自分を訪ねて来るなどとは、余程のことだと思ったのだ。
「何からお話しすればいいか……俺も考えなしにここまで来てしまいました。でも、あなたに会えて良かった。俺にはどうすることも出来ません」
それを聞いて竜は頷くと、アルに椅子へ座るよう勧め、自分もアルの前に座った。
「マリアが結婚させられます。日本人と……」
そんなアルの言葉に、竜の目が一瞬にして大きく見開いた。
「なんだって? 誰と」
「名前はわかりません。彼女の心を読んだ時に、一瞬顔は見えましたが……小太りの中年男性です。役人ではないような……」
「……富糸ヶ崎氏」
ピンときて、竜が言った。
真紀や織田氏と親交が深く、マリアの相手ともなれば一筋縄にはいかない男性であろう。富糸ヶ崎の悪趣味は役人の間でも知れ渡っていたし、役人でなくこの街にいるのは富糸ヶ崎しかいない。
「わかりません。俺が心を読んでも、マリアとは結婚などさせたくないほど悪趣味を持った男のようですが……」
「じゃあやっぱり富糸ヶ崎氏だろう。彼は人殺しだと噂がある。しかし、なぜ結婚だなんて……」
「……夫人からの最後の要求だそうです。断れば死刑台行きだと……マリアは言いました。死んだように生きるか、このまま死ぬか。どちらか選ばなければならないのなら、私は生きたい。淡い夢でも、いつか昇と会えることを信じたいと……」
そんなアルの言葉を聞きながら、竜は黙ったまま拳を握り締める。
「俺の言うことなんて、マリアは聞こうとしません。日本人の力が必要なんです!」
アルの必死な訴えに、竜は目を伏せた。竜は辛そうな顔をしたまま口を開く。
「……日本人である俺の言うことだって、マリアは聞きやしない……あの子の絶対は、かつて亮であり今は真紀なんだ。それより真紀を説き伏せなければ……」
静かに竜が言った。しかしそれが可能かどうかはわからない。
「事態は一刻を争います。マリアはすでに出て行く準備をしていて、明日には出て行くようです。生きていればそれでいい……俺はそうは思わない。きっと他の道があるはずだ!」
切実なまでのアルの言葉に、竜は溜息をついた。とっさのことで頭が回らないこともある。
「……わかった。遠いところをすまない。夜勤でもなく、ここに帰ってきている時でよかったよ。一刻の猶予もないなら、俺もいろいろと考えなければならないことがある。悪いがこのまま帰ってもらえるか?」
「わかりました。どうかお願いします。俺はあなたをよく思わなかったけれど……今は日本人であるあなたにすがるしかありません。彼女の心を覗いてしまった時から、彼女に幸せを知ってもらいたいと思っていました。どうか……」
「わかった。やれるだけのことはする。俺も彼女には幸せになってもらいたいから」
アルは頷くと、最高指揮官邸を出ていった。
一人になった竜は頭を抱えた。良い解決策など見つからない。真紀を説き伏せるといっても、裏に織田氏がいるのは確実で、一筋縄にはいかないだろう。かといって、かつてマリアを傷つけた亮も、すでに信用出来なかった。
「誰も信じられないな……」
竜がぼそっとそう言うと、ドアがノックされた。
「……はい」
そう返事をすると、ドアが開いて真紀が入ってきた。
「真紀……」
「ネスパ人があなたを訪ねてきたと聞いたから、様子を見に来たわ。あの子の使者?」
「そんなんじゃない」
「あなた、本当に変わったわね。ネスパ人なんて大嫌いだと言っていたのに」
真紀の言葉に、竜は苛立った。今は一人になりたいという気持ちもある。
「いつの話だ。用がないなら出てってくれないか」
「お言葉ね。聞いたんでしょう? あの子の結婚の話」
自ら切り出してきた真紀を、竜が睨むように見つめた。
「それで? 私を説き伏せるつもり?」
相変わらず自信たっぷりな様子の真紀に、竜が立ち上がる。
「ああ」
受けて立つように、竜もそう言った。
「楽しみね。どうやって私を説き伏せるつもりなのかしら」
「そうだな……この場でおまえを黙らせることだって出来るんだぜ」
そう言って、竜は真紀の腰に手を回す。真紀は不敵な笑みを浮かべたまま、思い切り竜の頬を叩いた。
「相変わらずね。それで落ちる女は、尻軽なあの子くらいよ」
「彼女が尻軽なら、とっくに落とせてるさ……」
そう言う竜の顔はどこか悲しげで、真紀の心を鷲掴みにするように切なくさせる。
「それは残念ね……」
「真紀……どんなことでもする。もう会うなって言うなら、本当に金輪際マリアには会わない。だから、彼女の結婚を取りやめて……」
「無理よ」
竜が言い終わる前に、真紀が強く遮った。
「真紀」
「それは無理な相談だわ。相手は父の代から親しくしている富糸ヶ崎氏。お義父様とも親交が厚い人よ。あちらもずいぶん乗り気だし、断ったりしたら私の信用問題だもの」
「じゃあ、無理にでも俺があの子を奪ってもいいんだぞ。俺は……マリアと結婚する!」
真紀は信じられないといった様子で口を開ける。
「……本気で言ってるの? そこまで惚れ込んだってわけ?」
「ああ、好きだよ。おまえや親父が何と言おうと、亮が昔愛した女だろうと、俺はマリアをかっさらう。そして結婚する……いくらおまえが相手でも、親父でも誰でも、夫婦を切り離すのは容易じゃないはずだ」
それを聞いて真紀は目を伏せた。そして深い溜息をつくと、いつもの不敵な顔に戻り、諭すように竜を見つめる。
「竜……結婚なんて無理だわ。あなたは私から逃げられない」
「なに言ってるんだ。俺と縁を切りたがってたのはおまえのほうだろ。どうして今更、俺たちの関係を……」
「力と真世は、あなたの子供なのよ!」




