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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
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3-14 交渉成立

「そうですか……彼女なら申し分ない女性でしょう」

 真紀は静かにそう言った。真紀の中で、寂しさなどの感情が渦巻く。しかしこれでマリアに対してうるさくは言ってこないだろうと、いい時期だとも思った。

 そんな真紀の返事に、織田氏も顔を綻ばせる。

「おまえもそう思うか、真紀」

「ええ。ドアの外まで怒鳴り声が聞こえたので何事かと思いましたけど、そういうことだったんですね。彼女なら竜も気に入るはずです。あんなに完璧な女性はいませんから。竜も落ち着いたら、ネスパ人のことなんか忘れるでしょう。縁談がまとまるように、私も頑張って接待します」

「頼むよ」

 二人の会話に、竜は拳を握りしめた。だが、その目は静かに一点を見据えている。

「俺の感情なんて、すべて無視なんだな……」

 ぼそっと竜が呟いたので、すぐに織田氏が口を開く。

「そんなことはない。さっきから、望みがあれば言えと言っているだろう。大らかな気持ちで、私は受け止めようとしている」

「でも、マリアを想っちゃいけないんだろう?」

 まっすぐな竜の言葉が、一瞬の時を止める。

「……想うだけならいいが、おまえはのめり込むタイプだからな。だが私には実績があるはずだ。現にこの一年、あの女は織田家の監視下から外れたはずだが?」

 面白くない話に、真紀も俯く。

 竜も一番良い方法を考えようと、押し黙った。

「だが、まあ……ネスパ人に、一日二万の金はきついんじゃないか? 真紀」

 黙り込んだ二人を前に、織田氏が言った。

 思わぬ織田氏の助け舟のような言葉に、竜は顔を上げる。その前で、真紀は小さく溜息をついた。

「そうでしょうか? 今までだって、一万は用意出来た人です。それに、これから昇は小学生。食べ盛りですし、良い服や良い環境。いくらお金をもらっても、罰は当たらないと思いますけど?」

「しかし、このままでは交渉決裂だ。どうだ、一万に戻してみては? 気に入らないなら、残りの一万は私が出してもいい」

 竜は驚きに目を丸くさせ、向き合った織田氏と真紀を見つめる。

 真紀は深い溜息をし、口を開いた。

「わかりました。お義父様には負けますわ。では一万で結構です。お義父様からお金をもらうなんて出来ませんしね。その代わり、今後マリアのことで、竜に口出ししないと約束させてください」

 鋭い瞳で、真紀は竜を見つめる。竜は首を振った。

「まだだ。また収容所や刑務所に入れないこと、無理難題を押しつけないこと、今後も金をつり上げないこと、夜の商売をさせるような真似はしないこと……約束してくれ」

 竜の言葉に、真紀は溜息を続ける。

「ずいぶん欲張りね」

「他には? この際だ、すべて言っておけ。だが、これでおまえは完全にあの女から離れるんだ」

 真紀に続いて言った織田氏の言葉が、竜に突き刺さる。もう関われないにしても、マリアの最善の方法を決めておきたいと思う。

「……それから、夜中に外で待たせるようなことはやめてくれ。人間として、最低限の生活の保障を……死に物狂いで働いているのに、寝る時間もなければ、夜の仕事に手を染めるようなことは馬鹿げてる。そんなことは絶対にやめてくれ」

 口をヘの字に曲げたまま、真紀は判断を仰ぐように織田氏を見た。

 そんな織田氏は、真紀の気持ちをわかっているかのように頷き、微笑む。

「いいだろう。真紀が異論を唱えるなら、私が説得する。もうないな? 竜」

 いつの間に、二人の交渉人と化した織田氏が、互いを説得するように言う。

 竜はそれを心で拒否しながらも、今ここで約束させなければ、マリアの未来はないと思った。

「これが……最低限、歩み寄れることでしょう。どうせ俺とは結ばれないのだから……」

「まあ高望みはいかんな。では、これで交渉成立だ。真紀は今言ったことを守ること。養育費と慰謝料は、合わせて一日一万までだ。竜も約束通り、今後一切あの女に関わらないこと。そして、瞳さんと結婚することだ。いいな?」

「……とりあえず今夜、その瞳さんって人に会えばいいんだろ?」

「そうだ。その前に、あの女に会って来い」

 思わぬ言葉に、竜は耳を疑った。てっきり、もう二度と会うなと言ってくるものだと思っていた。

「え……」

「亮が言ったよ。あの女と別れる時、もう一度会わせてくれって……会わすべきではないと思ったが、おまえも同じことを望むと思ってね。おまえが吹っ切るためにも、おまえの口から告げるがいい。自分は結婚するのだと……」

「……わかった。そっちも約束は守れよ」

 相手の気が変わらないうちにここを出ようと、竜は言葉少なくそう答え、織田氏の部屋を出ていった。

 残された真紀は、不満そうに口をつぐんでいる。

「どうした、真紀? 不満か」

「……当たり前です。損をするのはいつも私。一年も待ったんですよ。それなのにまた……このままだと、あの子の借金が増えるばかりだとは思いませんか?」

 普段は真紀にとっても怖い存在の織田氏だが、それ以上に真紀の不満は膨らみ、爆発していた。

 しかし織田氏は変わらず、静かな笑みを浮かべている。

「まあそう言うな、真紀。今度の竜の縁談は、絶対に成功させたい。だが、私はおまえのことも大事にしている」

「そうでしょうか? 現にお金だって、予定より減らすと約束させられたじゃないですか」

「ネスパ人相手、しかも罪人に、一日二万は無謀だ。だが……他は約束しなくていい」

「え?」

 その言葉に、真紀は驚いた。織田氏は話を続ける。

「竜も必死に逃げ道を探していることだろう。好きでもない相手と結婚させられるのだからな。こちらも同じだ。あいつが今後あの女に関わろうとしないならば、こちらがどう関わっているかも知ることはないだろう」

 生まれながらの悪党のように、織田氏は悪意の笑みを浮かべる。真紀にとっては、そんな織田氏が恐ろしくも頼もしくも思えた。

「でも、万が一バレたら……」

「一切関わるなとは言ったんだ。そう簡単に竜は近付くまい。それこそ我々にバレたら、矛先はあの女に向かう。とりあえずは一年前の状態に戻してみろ。今後のことはそれからだ。私も今回は、一ヶ月はここにいるつもりだからな」

 真紀も微笑み、静かに頷いた。

「わかりました。では一ヶ月、様子見をしていてください。私も初めから、飛ばすつもりはありませんでしたから」

「ああ。とりあえず、今夜の接待を頼む」

「ええ……竜にとっては、もったいないくらいの女性だと思いますよ」

「そうだな。亮にはおまえが来てくれて、本当によかった」

「さすがお義父様。お世辞がうまいですね。では失礼します」

 そう言って、真紀は織田氏の部屋を後にした。複雑な思いが駆け巡ったが、織田氏の言葉は重く、そして絶対であった。


 竜はその足で屋敷を出ていった。しかし、すぐにマリアに会う気にはなれない。今後一切関わるなと言われ、次に会った時が独身の状態で会える最後となることは間違いないだろう。

 行き場を失くしてさまようように、竜は役人宿舎へと戻っていった。ここには正式な自分の部屋を与えられているが、最高指揮官である亮の兄として最高指揮官邸も家となっているため、あまり使っていない。

 宿舎となっているホテルに入るなり、竜はロビーにいた役人たちに囲まれた。

「織田さん! あの綾成宮家のお嬢様と結婚するって本当ですか!」

 あまりに早い噂話に、竜は一瞬、息を呑んだ。

「なんで知ってるんだ?」

「やっぱり本当なんですか! 不落の織田さんも、遂に一人の女性に決めたんですね。相手が相手ですから、当然ですよね」

 うんざりした様子の竜の目に、前から歩いてくる女性が映った。大人になってからはほとんど会っていないが、面識のある女性である。

 それは竜との結婚を望んでいるという、身分も地位も申し分ないが見た目にも美しすぎる、上品な女性であった。

 現にその場にいた役人たちは、その高貴なオーラに息を呑む。

「竜さん……」

 女性は恥ずかしそうに頬を染め、一緒にいた警視総監である父親の陰に隠れる。織田氏が持ってきた縁談の相手、綾成宮瞳あやなりみやひとみ、その人であった。

「やあ、竜君。私を覚えているかい?」

 豪快にそう呼んだのは、瞳の父親である。天皇家の遠縁であり、大グループ会社の会長を親に持ち、自らは現在の警視総監である男だ。父親同士の関係もあれば、幼い頃からよくしてもらっている記憶もある。

「ええ、綾成宮さん。この度はこんな遠いところまで、ようこそおいでいただきました。瞳さんも……」

 まるで自分ではないかのように、竜は社交性たっぷりを演じてそう言った。もともと女性に対しては軽い付き合いが多いため、慣れている部分もある。

「こちらこそ。早速、宿舎というものを見させてもらっていたんだよ。しかし、君のお父さんに無理を言ってここまで連れてきてもらってね。ほら、ここは日本じゃないも同然。役人さんしか入れない別世界だからね。そこへ娘まで連れてきてもらったのは、他でもなく君に会いに来たからだよ。聞いているだろうね?」

「ええ……今夜お会い出来るのを楽しみにしていたんですが、早くお会い出来て嬉しいです」

「ははは。君も嬉しいことを言ってくれる。もう聞いただろうが、娘は子供の頃から君のことが大好きでね。あまりに忘れられないと言うから、無理をして縁談をセッティングさせてもらったんだよ。君さえ良ければ、ぜひ娘をもらってくれ」

 恥ずかしさに頬を染め、瞳は父親の腕を掴んで制止する。

 そんな瞳を前にしても、竜は何も感じなかった。ただ人形のように軽く笑みを浮かべ、口先だけの言葉を口にするだけだ。

「僕は子供の頃から、異端児で問題児です。僕を好きになってくれる女性なんて、そうはいないでしょう。僕のほうこそ、僕なんかでいいのか戸惑っています」

「君の問題児っぷりは聞いているが、我が綾成宮家も、少しくらい君のような刺激になる人間が欲しいと思っていたんだ。不足はまったくないよ」

「ハハッ。さすが心が広いですね。では、すみませんが僕は夜勤明けでして、このままだと今夜のパーティーはひどい顔になってしまう。少し休ませて頂いてもよろしいでしょうか」

「ああ。それは、お休みの前に長話をして失礼したね」

「いいえ。では今夜のディナーを楽しみにしています。僕はこれにて失礼します」

 竜はそう言って、自分の部屋へと戻っていった。

 ペラペラと出てくる思ってもいない言葉に、竜自身が驚いていた。そして瞳の顔がマリアに重なる。もしマリアが瞳の立場で竜と結婚していたら、幸せにしてあげられただろうか。ありもしないそんなことばかりが、脳裏に渦巻く。

 それにしても瞳は美しい人だと思った。なぜ自分を好いてくれているのかわからないが、どうせマリアと結ばれないのなら誰と結婚しても同じ。そう考えると、瞳との結婚はそれほど嫌なものでもない。

「彼女と結ばれることで、マリアを助けることが出来るだろうか……これが突破口になれば、俺も浮かばれるんだが……」

 竜はベッドに寝そべると、そう呟いて目を閉じる。そしてそのまま闇に落ちていくかのように、眠りへと誘われていった。

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