3-13 思わぬ客
竜は最高指揮官邸に着くなり、思わぬ人物に驚いた。実の父親が目の前にいたのだ。
「竜か。着いて早々、おまえに会うとは珍しい」
「……どうしてこっちに?」
「なんだ、知らなかったのか。日本からの視察に森山卓らが来ているだろう。他にも人事が変わったからね。それに合わせて、私も視察を兼ねて来た」
相変わらずどっしり構えている父親に、竜は出鼻をくじかれたように口をつぐんだ。実の父親とはいえ、何度会っても心地が良いと思える相手ではない。
「……そう」
「夕食の時にでも話そうと思ったが、おまえに会わせたい人を連れてきている」
思わぬ織田氏の言葉を聞いて、竜は怪訝な顔をする。
「俺に?」
「警視総監の娘さんだよ。総監と一緒に来ていて、ホテルで待機している」
竜は顔を顰めた。
「それって……」
「前にも言ったはずだが、やはり聞いていなかったか? 綾成宮家の愛娘である瞳さんが、おまえのことを気にしていると」
記憶の糸を辿り、竜は溜息に似た深呼吸をし、ぼそっと口を開く。
「綾成宮家……?」
「天皇家の遠縁に当たる、元華族の家柄だ。思えばおまえたちが小さい頃、何度か遊んでいたはずだが」
「ああ……彼女のことは覚えてる。でも、だからなんだよ。見合いでもしろって?」
「……まあ、玄関で立ち話もなんだ。私の部屋まで来てもらおうか」
織田氏に言われるがまま、竜は一際広く豪華な造りとなっている織田氏の部屋へとついていった。ここへは数えるほどしか来たことがない。
二人きりとなった部屋で、竜は織田氏と対面して座った。こういった状況も久しぶりのことである。
「さて、では続きを話そうか」
低い織田氏の声が、竜の神経を逆なでするように嫌に響く。それを押し込めるように、竜も静かに頷いた。
「……ああ」
「では一応これを渡しておくよ。綾成宮家の瞳さんだ」
織田氏はそう言って、鞄から見合い写真を出して見せた。そこには輝くほど着飾った女性の姿がある。上品な笑顔のその女性は、竜も少しは知っている。
綾成宮とは天皇家の遠縁の家系で、今では大手貿易会社を取り仕切る大会社だ。瞳はその孫娘であり、現在の警視総監の愛娘でもある。子供の頃、パーティーなどでよく会っていたので、少なからずの面識はあるが、大人になってからはまるっきり会っていない。だがその写真には、子供の頃の面影を残している。
「……覚えてるよ。本当にガキの頃、何度か一緒に遊んだだけだけどね」
「だが彼女のほうはおまえをよく覚えているらしい。最近、お父上とよく仕事で世話になっているので聞いた話だが、彼女は子供の頃からおまえのことが好きだったとか……」
「だからなんだって? 見合いなんてご免だよ」
「見合いじゃない。結婚しろ、竜」
命令口調の織田氏に、竜は絶句した。
「は……?」
「相手にとって不足なし。おまえが不甲斐ない息子だということはあちらに申し訳がないが、あちらは少なくともおまえを気に入ってくださっているとのことだ。この縁談がまとまれば、今後の織田家は安泰だぞ。金も地位も揺るぎないものになる」
「俺をそんなもののための道具に使うな!」
遂に逆上した竜が、テーブルを叩いた。しかし相変わらず織田氏は顔色ひとつ変えない。
「じゃあ結婚を決めた人でもいるのか? おまえももういい年だ。弟の亮は家族を抱えて生きている。おまえはいつまでふらふらしているつもりだ?」
「あんたには関係ない」
「ここまで育ててやった親に対して、その言い草はないだろう。そろそろ親に恩返ししてくれてもいいんじゃないか?」
「ふざけるな! あんたがいつ俺を育てた? 子供の頃、あんたはいつも家にいなかった。勉強も遊びも、みんな家政婦任せ。子供の頃の記憶に、あんたは存在しない」
竜のその言葉に、織田氏は小さく溜息を吐き、葉巻に火をつけた。そして静かに口を開く。
「……そうかもしれないな。私はおまえたちに嫌われて当然の父親だ。私利私欲のために、使えるものは何でも使ってきた。おまえたちも、その駒に過ぎなかったかもしれないことは否定しない」
初めてしんみりとしてそう言った織田氏に、竜は驚いた。いつもなら、高圧的な態度を崩さないはずだ。だがそれを見て、竜は鼻で笑う。
「ハッ。今度は泣き落とし作戦か? 俺はこれからもあんたを父親だと思いたくないし、あんたの言いなりにはならない」
「そうだな……亮はともかくとして、おまえと親子関係を築けたと実感したことはない。だがな、竜。どうあっても、おまえは私の息子であることに変わりはない。親として、息子の幸せを願うのは当然だ」
「結婚イコール幸せだとは思わない」
「もちろんそうだ。しかし、ひとつの安心感は生まれるはずだ。おまえに結婚を決めた女性がいるというのなら待ってもいいが、そうでないなら瞳さんと結婚しろ、竜」
織田氏にそう言われ、竜の脳裏にマリアの顔が浮かんだ。
「だが、あの女は許さないぞ」
突然、織田氏が険しい顔でそう言ったので、竜も顔を顰める。考えている余裕も与えないほどタイミングが良く、竜はマリアのことで頭がいっぱいになった。
「べつにマリアと結婚なんか……」
「誰がマリアだと言った?」
取り繕うようにそう言った竜は、織田氏に遮られて、しまったという顔をした。
そんな竜に、織田氏も苦笑する。
「やめておけ。所詮は亮のお下がりの女だ」
織田氏の言い方に、竜は怒りに震える。だがそれを抑えて、織田氏に笑い返した。
「だったら亮は、俺のお下がりの女と結婚したわけだ」
今度は織田氏が驚いた顔をした。しかしまたすぐに不敵な笑みに戻る。
「ハッハッハ。そうだったな。おまえと真紀が結婚していれば、また何かが違っただろうが……結果的に、真紀は亮を選んだ。それを受け止めて、おまえも相手を見つけろ」
「……それが、あんたが見つけてきた相手だっていうのか?」
「そうだ。おまえに好みというものがあるならば、他に探してもいいがね。なかなか瞳さん以上の人はいないと思うぞ。それとも、またあの女を助ける条件でも提示するか? それでもいいぞ。どうせおまえと結ばれる運命ではないからな」
竜は黙り込んだ。確かにマリアと結ばれることはないかもしれない。いくらマリアを愛しく思っても、マリアが望んでいないことはわかっているつもりだ。
「……一年間、日本に帰ってみて、マリアの安否に気が気でなかった……真紀が約束を破って、彼女を辛い目に遭わせていないか、きちんと住む場所はあるのか、飯は食ってるか、考えるだけでおかしくなりそうだった。彼女と結ばれないことはわかってる。だけど俺が頑張らないと、彼女は命を縮めるだけだ。自分の身をおとしめるだけだ。それがわかっていて、離れることなんて出来ない」
初めて本音を漏らした竜に、織田氏は静かに目をつむる。
「あの女、一応無事に生きているのだな」
「……辛うじてだ。だけど真紀はまた無理難題を言っている。今度の要求は、一日二万パニー……身を売ったとしても、とてもじゃないけど用意出来ない額だ」
「なるほど。確かにネスパ人にとっては破格だが……死ぬ気になれば払えない額ではないだろう。おまえが躍起になる問題か?」
「死ぬ気じゃ困るんだ! わかってる、俺のエゴだって……でも彼女に身なんか売ってほしくない」
竜は目を伏せ、深い溜息をつく。融通の利かない苦手な父親を前に、この先どうしていいのかわからない。
そんな竜に、織田氏も溜息をついて口を開く。
「あの女、やはり早めに始末しておくんだったな……」
ぼそっと織田氏がそう言った。
それを聞いた竜は、間髪入れずに織田氏の胸倉を掴み、拳を振り上げる。
だが、織田氏は変わらず冷静な目で、竜を見据えている。
「あの女に狂わされっぱなしだ。亮に始まり、おまえまでも……少なからず私にも影響があることがわからないのか?」
「織田家があの子から離れれば、俺だってここまで介入することはなかったかもしれない。亮と結ばれただけで、俺たち織田家はどれだけあの子を地獄に突き落としたんだ? 本当は、俺だって自覚してるさ。俺があの子に手を差し伸べるたび、あの子の立場を悪くしてるって……だけど仕方ないじゃないか。あの子は何度も死にかけてる。愛する男を取られ、息子を取られ……俺はあの子に、ただ小さな幸せを願ってるだけなんだ!」
叫ぶように竜が言った。そこに、ドアがノックされる。
「お義父様。真紀です」
扉の向こうから、真紀の声が聞こえた。
「ああ、入っていいよ」
竜を無視して、織田氏はそう言って真紀を招き入れる。
真紀は部屋に入るなり、織田氏に近付いた。
「いらっしゃいませ、お義父様。遠いところをありがとうございます」
「いいや。相変わらず頑張っているようだな」
「当然のことです。亮はまだ仕事なので、夕食の前に来ます」
真紀と織田氏は、竜そっちのけで話を続ける。
「そうか。夕食はゲストを連れてきたから、もてなしを頼むよ」
「ああ、綾成宮様ですね」
「急遽、娘の瞳さんも連れてきたがね」
「瞳さんも? そうですか。日本にいた頃は何度かお会いしました。父とも交流が深い家柄ですので」
「聞いているよ。おまえとも仲が良いということだったから、余計に安心でね。実は、竜と結婚させようと思っているんだ」
初めて聞かされる真紀も、それには驚いた。そして竜を見つめる。
竜はまだ了承していないような顔だが、反論すらするのをやめていた。




