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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
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3-10 不穏な街

 ちょうどその頃、日本からやって来た二人の男が降り立った。一人はこの街の最高指揮官、織田亮。そしてもう一人は、亮の友達でもある、森山卓である。

 卓は以前、亮とともにこの街の役人をやっていたが、亮が最高指揮官に任命されて程なくして、日本への転勤が決まった。今では日本に妻と子供がいるほか、日本でハピネスタウンの監査機関に勤めているエリート役人だ。

 二人は朝の街を散歩するように歩き始める。

「こっちは久々だろう。あんまり大きく代わり映えはしてないけど、ゆっくりしてくれよ」

 昔からの馴染みのため、いつもは最高指揮官として難しい顔をしている亮も、卓の前ではリラックスした様子でそう話しかけた。

「ありがとう、亮。ここも随分住みやすくなったみたいだな。おまえのネスパ病のおかげだ。あの頃は、俺が何度止めても聞こうとしなかったおまえのネスパ人擁護だが、おかげで今ではだいぶ差別も減って、役人もネスパ人も住みやすくなったと聞いたからな」

「やめてくれよ、ネスパ病だなんて。でも前とは立場が違うから、最高指揮官として中立でいるよう、心を鬼にしてる」

「そうか。まあ、おまえは伊達に若くして最高指揮官に選ばれたわけじゃないよ。親も経験と地位があるし、なんていってもおまえはネスパ人とのハーフなんだ。だから最高指揮官に選ばれ続けてるんだろう。ネスパ人はおまえが指揮官で幸せだろうよ」

 褒めちぎる卓に、亮は苦笑した。

「なんだよ、卓。人を褒めるなんて珍しいな」

「俺は昔から、おまえには一目置いてるよ。何ひとつ、おまえに勝てたものはないからね」

「なにを言ってるんだよ。でも、これから一年もこっちにいなくちゃならないなんて大変だな。奥さんたちも連れてくればよかったのに」

 亮が言った。卓はこれから一年間、日本側の監査人として、このハピネスタウンの現状などを視察する予定だ。

「あいつらにここの生活は合わないよ。それに出入りは難しくとも、ここは日本の中だからね。いつだって帰れるさ」

「まあそうかもね……子供の学校のこととかもあるだろうし」

「そうだな。おまえの子供たちは、ずっとこっちで学ばせるのか?」

 卓の問いかけに、亮は目を伏せる。

「いろいろ考えてはいるんだけどね……こっちでも学校はあるから不便はしないけど、友達は固定されるから」

「両親ともにこっちから離れられないものな。子供にとっては、日本での教育となると寂しいか」

「うん……」

 そう言った亮の脳裏に、マリアの姿が浮かんだ。昇と二度と会うことはないにしても、昇をここから離れさせるのはあまりに酷な気がする。

「あの女……どうしてる?」

 そんな時、突然卓がそう尋ねたので、亮はハッとして卓を見つめる。

「え?」

「だから、おまえの人生を狂わせたあの女だよ。マリアとかいう……」

 顔をしかめて卓が言った。卓は亮がマリアと出会った当時から、事の起こりを間近で見ている数少ない人物だ。当時からその交際を反対し、今も強い嫌悪感を抱いているようだ。

「……やめてくれよ。あの女なんて言い方」

「仕方がないだろう。名前を言うのも汚らわしい……俺はネスパ人差別が根強い時からこっちにいるからな。今でもあの女のことを考えるとぞっとするよ。出世街道まっしぐらだったおまえを、一瞬で奈落の底にたたき落としそうになった悪女だ」

 そう言った卓の言葉を聞き、亮は遠い目をして前を見つめる。

 マリアとはたった数日の恋だった。だがそれは亮の人生の中で一番濃く優しい時間で、一度限りの本気の恋でもあった。

「……考えないようにしてるよ」

 やがて、亮がそう言った。

「え?」

「……僕が彼女のことを考えるだけで、誰かが不幸になるってことに気づいたんだ。一時期、真紀は本当に死んでしまうかと思うくらい、心が不安定になっていた。僕は真紀を選んだのだから、もうマリアのことは考えない。それが彼女のためだとも思ってる」

「そうか……ああ、それはいい選択だと思う」

「それに、彼女はきっと今でも綺麗な女性だろう。もう僕なんかに見向きもしないくらい……彼女は僕が手を差し伸べなくても、手を貸してくれる男がいるはずだ。僕の兄貴のように……」

 嫉妬に似た感情が、亮を突き刺す。

 かつて幸せに出来なかった女性を、実の兄が目をかけていることに、苛立ちすら覚える。それをすべてかき消すかのように、亮はマリアのことを極力考えないようにしていた。

 そうこうしているうちに、二人は役人の宿舎へと辿り着いた。今日から卓は宿舎となるこのホテルに滞在することになる。

「じゃあ僕はここで。宿舎はホテルになってるから、ルームサービスやレストランもある。不自由はしないと思うよ」

「知ってるよ。ここには何度か来てるし、役人として働いていた頃も、こんなに豪華なホテルじゃなかったにしても、宿舎暮らしは長かったからな。心得てるよ」

「そうだったね。じゃあ、夜には後から来る父たちも到着していると思うから、一緒に夕食でもしよう」

 亮が言った。数ヶ月に一度、仕事を兼ねて亮の父親がやってくる。今日はその日で、また一週間ほどこちらに滞在することとなっている。

「ああ。ロイヤルファミリーと食事だなんて、緊張するけどな」

「なに言ってるんだよ。じゃあ、七時に迎えに来るよ。それまで休んでてくれ」

「ありがとう」

 宿舎まで最高指揮官自らの足で送ってくれた亮を見送り、卓は宿舎へと入っていった。ただ、まだ早朝ということもあり、すっかり頭が起きてしまっていて休む気にはなれない。

 卓は荷物を宿舎へ置くと、そのまま散歩をしに外へと出ていった。


 視察を兼ねて何度かこの街には来ているものの、さすがに卓が勤めていた頃とは、街の様子が変わっている。だが当時通い慣れていた売春街だけは変わらぬ明るさで、早朝にも関わらず未だ活気を見せていた。

「ここだけは変わらないな」

 皮肉に笑って、卓はそう呟いた。閉鎖された街には、役人にとってここ以外に遊べる場所はない。

 その時、卓は突然の事態に目を見開いた。

「マリア……」

 思わずそう呼んだ卓の視線の先には、マリアの姿があった。


 マリアはこの夜の街で、新しい仕事を探そうと歩いていた。

 養育費の値上げを言い渡され、もはや堅気の仕事で稼げる額ではない。売春などしたくはなかったが、そうも言っていられない現実がある。

 慣れない不穏な街を歩きながら、マリアは出来るだけ割の良い店を探していた。

「いくらだ?」

 その時、マリアは突然肩を抱かれ、驚いて振り向いた。するとそこには、偶然居合わせた卓がいる。マリアにとっては、数年ぶりの顔だった。

「あなたは……」

 マリアは逃げ腰で一歩下がった。初めて会った時から、並々ならぬ嫌悪感を抱かれていたことは知っている。そのためか、マリアも卓のことが苦手で恐ろしく感じられ、不思議と震えが止まらなくなる。

「覚えていてくれたんだな。森山卓だ。震えてるのか? 俺がそんなに怖いのか……そんなに怯えられる筋合いはあったかな」

 エリート役人特有の不敵な笑みで、卓はマリアを見つめている。

「……すみません」

 他の言葉が見つからず、マリアは目を伏せてそう言った。

「偶然とは恐ろしいな。それとも運命ってやつかな。おまえがこんなところで働いているとは知らなかった……まあ、女で他に職などないか。どこの店だ? 遊びついでに買ってやるよ」

「……いえ……まだ……」

 マリアは目を泳がせ、正直にそう言った。

「まだ? 俺と知って、客を選り好みしてるわけじゃあるまいな?」

「そんなことは……」

「じゃあなんだよ」

 高圧的な態度で手を触れようとする卓に、マリアは無意識に後ずさっていた。

「そんなに俺が怖いのか?」

 卓にそう言われ、マリアは過去を思い出していた。亮と引き離される時、そして亮が真紀という婚約者がいると知らされたとき、卓は冷たい言葉でマリアを責め続けた。それもあってか、卓という人物が怖くて仕方がない。

「いいえ……でも、あなた様が私を憎んでいることは知っています。私とは口を利きたくもないというほどに……」

 正直にそう言ったマリアは、嘘のつけないネスパ人ならではの無謀な言動にも見える。一昔前ならば、その場で切り捨てられていたかもしれない。だが卓は、それを咎めずに笑った。

「それは違うな。おまえも俺を憎んでいたはずだ」

 卓の言葉に、マリアは目線を上げた。目の前の卓は、以前と変わらず冷たい目をしている。

「……昔のことは忘れました」

 マリアの言葉に、卓は笑った。

「ハッハッハ。じゃあ俺も同じだ。過去は過去。あの頃とは、時代も立場も違う。日本人とネスパ人、亮がなくしてくれた差別のないこの街で、仲良くしようじゃないか」

「待ってください。本当に、私はまだ……」

 腰に手を回してきた卓に、マリアは拒否をしながらも、もう動けなくなっていた。

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