1-4 選択
ハピネスタウンは、丘の頂上に立つ最高指揮官の屋敷と、それに隣り合った中央収容所ならびに刑務所を中心とし、盆地となった東西に街が分かれている。それをひとつとした都市がハピネスタンだ。
東地区には海があり、西地区には山があるが、それぞれ端には高い壁と鉄条網が張り巡らされている。東西の行き来は自由だが、その先どう足掻いてもこの街からは出られない。
マリアと亮が暮らしているのは東地区だ。その真逆にある西地区役場内の一時牢に、卓が顔を出した。
牢の中にはマリアがいた。逃げ隠れていたものの、亮の父親の部下により捕えられていたのである。
「こんなところに入るほど、落ちたか」
卓の言葉に、マリアが顔色を変えた。
「……私を殺しに来たのですか?」
冷たい牢の中で、マリアがそう言った。もう生気のない顔である。
「まさか」
「でも……」
「そういえば、次に会う時はおまえを殺すと言ったな。でもこれからは違う。亮はもう、おまえのものじゃないからな」
「亮は? どうしているんですか?」
亮の名前を聞いて、マリアが心配そうに尋ねる。
「もうおまえには関係ないだろう。言っていることはわかったんだよな。もう亮とは会わないな?」
「……会いたい」
「おまえ!」
マリアは涙を堪え、卓を見つめた。
「会いたいけれど、そのせいで亮が辛い思いをするなら、そのほうが嫌です……」
「じゃあ、会わないな?」
念を押す卓に、マリアは目を伏せる。
「……殺すなら殺してください。亮のことを好きなまま死ねるなら本望です」
亮のいない人生などもはや考えられないほど、マリアは絶望していた。また犯罪者として捕えられたということは、このまま死刑を意味するはずだ。それほどまでにマリアの罪は重い。
「甘えるな。おまえが捕まったのは、殺すためじゃない」
それを聞いて、マリアは驚いて顔を上げた。
「え……?」
「おまえはいわば、人質みたいなものだな」
「人質?」
卓は鉄格子の向こう側にいるマリアを見つめると、床に腰を落ち着かせた。
「亮を知る者はみんな、亮の出世を願ってる。亮は結婚をして上役になる。そのためには、おまえは邪魔でしかない。だから無事に亮の出世が決まるまで、おまえはここにいることになる」
「出世が決まるまで?」
「まあ、真紀と結婚するまでとも言うな」
「……真紀、というのは?」
「亮の婚約者だ。ずっと前からのな」
「婚約者……」
マリアは言葉を失った。そんな話は亮から聞いたことがない。またそんな人間と密会していたとあれば、罪は更に重くなるだろう。
「なんだ、ショックか?」
「……」
「なんとか言えよ」
卓がそう言っても、マリアは何もしゃべらない。ただ俯いたまま、絶望感に浸っていた。そして静かに口を開く。
「私には……もう彼なしの人生はありません。でも私のせいで、彼の未来や出世が潰されるのは見ていられないです。それに本当に亮がそのような人間だったのならば、死罪は免れないのでしょう?」
「甘ったれるなよ。おまえみたいな罪人は、すぐになんか死刑にならない。重労働の末に死刑だ。役人をたぶらかした罪は重いぞ。しかも相手は最高指揮官の息子だからな」
初めて聞く言葉に、マリアは言葉を失った。
「亮が……最高指揮官の息子……?」
「なんだ。そんなことも知らなかったのか。まあ知ってたらあんな大胆なことは出来ないか。身の程を知っただろ。亮はおまえなんかが相手出来る男じゃないんだよ」
追い打ちをかけるような卓の言葉に、マリアはもう何も言えなくなっていた。次期最高指揮官の候補に上がるほどの優秀な人間だとは知っていたが、まさか現最高指揮官の実の息子だとは、夢にも思わなかったのである。
「さて、そろそろ行くか。これからおまえを刑務所に移す。ここは役場内の牢だから、ずっとここにいさせるわけにはいかないんでね」
卓はそう言って牢の鍵を開ける。マリアは静かに口を開いた。
「あの……」
「……森山卓だ」
「森山様。私……亮とはもう関わりません。お約束します。だから……最後に一度だけ、会わせていただけないでしょうか」
腹を決めたマリアの、最後の願いだった。しかしその願いが受け入れられるはずもない。
「無理だ。亮とおまえは、もう終わってるんだよ」
「お願いです! 一目だけでもいいんです。じゃないと……諦めることも出来ません」
「甘ったれるなと言っているだろう! 大人しくしていれば刑罰を下げてくださると、亮のお父上は言っているんだ。とにかく亮が結婚するまで待つんだな」
卓は後ろを向いて合図をした。すると数人の男が入ってくる。マリアはそのまま連れ出され、護送用の馬車へと乗せられた。
「また様子を伺いに行く。とにかく時が来るまで大人しくしていろ」
そう言い放ち、卓は去っていった。マリアはそのまま、最高指揮官の住む屋敷の隣にある、大きな刑務所へと入れられた。そこは一番大きい収容所と連なった広大な敷地であるが、日々、収容者が後を絶たない。
高い塀に囲まれた刑務所には、捕えられたネスパ人で溢れ返っていた。六畳ほどの牢に十人余りが押し込められる。
「さあ、早く入れ!」
しかしマリアは特別扱いをされていた。上役の知る罪人ということで、狭いが一人だけの牢に入れられたのだ。
話す相手もなく、マリアは無気力で絶望感に包まれていた。思い出されるのは、亮のことばかりである。
(亮……亮は今、何をしているかしら。もう会えないのね。寂しい。会いたい……でも亮の未来を考えたら、最初から結ばれちゃいけなかったのよね。あなたこそそれをわかっていたのに、私に隠して辛かったでしょう……私もあなたに会えたことを、こんなにも幸せに感じてる。だから最後に、一目でも会いたい。亮……)
高い位置にある小さな窓から漏れる月明かりを見て、マリアは亮を想った。
その時、足音がマリアの牢の前で止まった。マリアは不安と期待に振り向く。やがて開いたドアの前では、見知らぬ中年男性が立っていた。
「……おまえが、マリアか?」
その貫禄に、思わずマリアは息を呑む。
「……はい」
「私は亮の父親だ」
マリアは目を見開いた。どことなく亮に似ているが、その雰囲気の冷たさからは、亮の父親とは想像もつかない。マリアは座り直して、亮の父親を見つめた。
「……よくもうちの息子を、罪人にしてくれたな」
その一言で、マリアは罪の重さを知った。
「亮と別れてくれるな?」
続けて言った父親の言葉に、マリアは静かに口を開く。
「……彼は、どうしているのですか?」
「おまえには関係のないことだ。もともと亮には婚約者がいる。おまえとのことは、若気の至りといったところで、このまま私も忘れてやろう」
「……」
マリアはもう何も言えなかった。自分がどうなっても構わないが、亮の将来を潰すことだけは耐えられない。また亮が同じく罪人になることなど、考えたくはなかった。
「おまえは罪人だが、このまま大人しくしていれば刑罰を軽くしてやってもいい。その代わり、もう二度と亮には会わせない。おまえと居てプラスになることは、亮にとってはひとつもない。絶対にな」
きっぱりとそう言い切った亮の父親を、マリアは懇願の瞳で見つめる。
「最後に一目……一目だけでも会わせていただけないでしょうか? 会えたらすぐに忘れます。もう絶対に会いません。お約束します!」
最後の懇願だった。だが卓と同じく、父親の態度は冷たいままだ。
「それは出来ぬ相談だな。最後の一回が命取りだ。遅かれ早かれ、明日には答えが出る。亮はすぐに結婚して、私の力でこの街の最高指揮官になるだろう。まあ、おまえにはもう関係ないだろうがな……邪魔をしたな。亮を想うなら、亮の幸せを考えてやってくれ」
父親はそう言うと、そこから去っていった。
次の日。亮は昨日の喫茶店へと行った。そこには、亮の父親と真紀がいる。
「亮。答えは決まったな?」
「……はい」
父親の問いかけに、亮が静かに頷く。
「それで、どうするつもりだ。あの女のことを」
「見つかったんですか?」
「まあな」
「どこにいるんです? 無事なんでしょうね?」
切羽詰まったように、亮は父親の目を見て逸らさない。こんな亮を見るのは、父親にとっても初めてだった。
「……無事だ。今のところはな」
「彼女に罪はありません! 悪いのは僕だ。すべてを知りながらも、彼女を……だから刑罰を与えないでください。そのためなら、どんな償いでもします。彼女を自由にしてあげてください!」
「それがおまえの答えか。生きているほうが辛いということもあるんだぞ」
冷たいばかりの父親の言葉に、亮は首を振った。
「彼女の生死を、僕が決めることは出来ません。ただ僕は彼女に死んでほしくはない……お父さん、真紀。ひとつだけお願いがあります」
「なんだ?」
「彼女とは……約束通り、今後一切会いません。ただ……ただ最後に、一目だけでも会わせてください。一度きりの、最後のお願いです!」
「……同じことを言う……」
亮の父親は、そう言って静かに微笑む。一瞬、優しい瞳が垣間見えた気がした。
「……え?」
「わかった。しかし、本当にそれが最後だ。誰かお付きの者も一緒に監視する。それでいいな?」
「はい……」
「真紀もいいな?」
その言葉に、真紀も渋々頷く。
「ええ……」
「じゃあ、いつ……」
真剣な亮に、父親は笑う。
「まあ急くな、亮」
「でも」
「まずは、真紀と結婚しろ」
突然の父親の言葉に、亮も真紀も驚いた。
「何ですって?」
「おまえが何か企んでいるともわからないからな。結婚さえすれば、そう簡単には逃げられまい」
「そんなことしません!」
「遅かれ早かれ結婚するんだ。早まったって関係ない。そして一ヶ月後に迫った最高指揮官任命式まで待つんだ」
亮が反論出来るはずもなかった。たとえ反論したところで、父親はどんな手を使ってでもそれを遂行するだろう。
「一ヶ月の間に結婚するというのですか? 任命式まで時間もなく、忙しい時期です」
「構わん。最高指揮官は、もうすでに決まっているも同然。もちろんおまえだ」
「……彼女を失った今、もはや僕が最高指揮官になる夢もありません。それに僕はまだ、二十歳になったばかりなのに……」
亮の言葉を、父親は鼻で笑う。
「甘いな、亮。最高指揮官になって、私を黙らせるくらいの気力を持て。それに年など関係ない。候補に挙がっているのは、ほとんど二十代だ。それほどこの街では、新しい人材に期待をかけている。それに後ろ楯は私だけじゃない。私の友人たちの強いバックがあるんだ。おまえは学識も才能もある。皆が認めている。それにネスパ人との間の子。ネスパ人の支持も得られるはずだ。自信を持て、亮」
狡猾な父親は、そのために亮を育ててきたことに思えてならない。亮は顔をしかめた。
「自信……」
「わかったな? 式の準備は整いつつある。とりあえず先に籍を入れて、任命式が終わったら結婚式をすればいい。まあバタバタするだろうが、大した問題はない」
父親の話はどんどん進んでいた。
「そうか。ついに籍を入れるのか」
宿舎の亮の部屋で、訪ねてきた卓が言った。
「有無を言わさずって感じだ。愛のない家庭で、真紀は満足するのだろうか……」
「許さないだろう、そんなこと。結婚したら愛さなきゃ」
「そんなことが出来るだろうか……だいたい真紀だって嫌なはずなのに、何を意固地になっているのか……」
「心配ないさ。見合い結婚だって、まだまだ多い時代だ。そのうち愛するようになるものらしいぞ。それに、相手は役人どもが憧れる美貌の持ち主。嫌でも好きになるよ。さあ明日は休みだ。真紀とゆっくりしろよ」
そう言われて、亮は重い口を開く。
「……明日、籍を入れに日本に帰る」
「そうか、おめでとう! これで本当に、あの女のことも忘れるだろう」
喜ぶ卓も、このやり方については疑問があった。だが亮の親友として、ネスパ人とだけは結ばせたくない。それに権威のある亮の父親が決めたことに、自分がどう出来るものでもなかった。
「卓は知っているか? マリアの居場所……」
「さあな……でも大丈夫さ。無事だろうよ」
「そうだろうか……あと一ヶ月も、安否さえ知ることが出来ないんだ。何処かひどいところにいないといいが……」
未だマリアのことしか考えられない様子の亮の肩を、卓は強く叩く。
「忘れろ、亮。一ヶ月もすれば、おまえは最高指揮官。新婚夫婦だ」
「……どちらも実感が沸かないな」
「おまえなら、どっちもうまくやるって。それに、あれほどまでに擁護していたネスパ人やこの街を、おまえの手で変えることが出来る力を持つんだぞ。頑張れよ」
そんな卓の言葉に少しばかりの希望を見い出し、亮は頷いた。自分の努力で最高指揮官になれるならばそうして、この理不尽な街の法を正せればと思う。またそれがマリアに出来る唯一のことのような気がした。