3-3 呼びかけ
その日、アルは朝方まで机に向かい、バラバラになった写真を組み合わせていた。数枚の写真が一緒に千切れているため時間がかかったが、なんとか一枚が形となる。それ以外の切れ端は、復元するのは無理なようだ。
顔のパーツがいくつか欠けているのが残念だが、復元された写真には、可愛らしい笑顔の小さな子供が映っている。
「よかった……なんとか見られる写真になった」
アルはそう言うと、マリアのそばに写真を置いた。そして現状を確かめようと、静かにマリアに触れる。すると昨夜と同じように、マリアの思考が流れ込んできた。
途端、一瞬だがネスパ人の男の顔が見え、アルは手を離した。知っている男だった。
「クリス……?」
フラッシュバックするマリアの中で、従兄弟のクリストファーが浮かんだのだ。
二人の関係はわからなかったが、クリスはアルの医者仲間でもある。今は反対側の地区に住んでいるため連絡も取っていないが、自分とマリアを繋ぐ唯一の繋がりのような気がした。
「クリスの知り合いなのか……それにしても意識を閉じたはずなのに、どうしてこんなにも強い思念が……あまりの苦しさに、完全に意識を閉じることが出来ていないのかもしれない。それならそれで仕方がないけど、苦しむことになりそうだ……」
アルは独り言を呟くと、マリアの布団をかけ直す。
「マリアさん。ここは安全だから、休んでください。あなたの大事な写真はここに置いておきます。この子のために、生きなくちゃ駄目ですよ」
そう言って、アルはマリアの部屋を出ていった。
それからというもの、仕事終わりのアルとドクターの手によって、マリアの治療が続けられた。アルは空いた時間はマリアのそばにいて、いつ目が覚めても大丈夫なように気遣い、声をかけ続けた。
数日後。まだ賑わいを見せるコブの居酒屋へ、一人の青年がやってきた。辺りを見回すが、目当ての人間がいないので、隅の席へ座る。
「お客さん、前に見たことあるな」
コブが他の人の注文品を届けがてら、青年に尋ねる。
「お久しぶりです、コブさん。東地区から来たんです。医学生時代は、何度かここに来ましたよ。僕はクリストファーといいます。アルはまだですか?」
青年は、マリアの従兄弟であるクリスだった。
「アルの友達か。なんとなく覚えてるよ。あいにくアルは、まだ仕事から帰ってないんだ」
「そうですか。じゃあ待ってます。ビールをください」
「はいよ」
コブは威勢のいい返事をすると、厨房へと戻っていった。
そこに、慌てた様子のアルが、店へと走り込んできた。
「クリス!」
アルはクリスを見つけるなり、そう叫んで隣に座る。
「やあ、アル。変わってないみたいだな」
クリスが懐かしい目を向けて言う。
「クリスも。ごめんよ、突然呼び立てて」
「いいさ」
アルは、クリスがマリアと何らかの関係があると知り、クリスに電報を送っていたのだ。
二人はもともと、西地区にある医学校の同級生だ。だがアルのほうが年下で、年は四つ違う。人懐っこいアルと、努力家のクリス。クリスが東地区の病院へ勤め出すまでは、いつも一緒にいた友達だった。
「本当に久しぶりだ。どう? 東地区は」
「どうってこともないよ。それより、マリアのこと……」
クリスが、待ち切れずにそう切り出す。
「うん。それで、君は彼女の……」
「従兄弟だ。ここへ来るまでは、親同士の決めた婚約者だった。最高指揮官、織田家……アルが言う通りの女性なら、間違いなく僕の親戚のマリアだ」
「とりあえず、上へ行こう」
そう言うと、アルはクリスを連れて二階の部屋へと向かっていった。
客間に通されたクリスは、マリアの顔を見て顔色を変えた。
「マリア!」
見る影もなく痩せ細り、傷だらけのマリアを前にして、クリスは絶望感でいっぱいになった。
「間違いない?」
アルが尋ねる。
「ああ、僕の従兄弟のマリアだ。なんてことだ。なんでこんな目に……アルから聞いて、居ても立ってもいられずここへ来たが、来てよかった……」
「クリス……」
「容体は?」
「まだ意識が戻らない。戻ったとしても、今はまだ危険な状態だ。命に別条はないといっても、骨折や打撲が酷くて、まだ現実に向き合う時期じゃない」
「そうか。可哀想に……」
クリスはそう言うと、マリアの手に触れた。身体的治療の医者であるクリスは、触れるだけで癒す能力がある。
「でもいつか、こんな日が来ると思ってた……マリアの相手が、あの方だと知った時から……」
念を入れながら、静かにクリスがそう言った。
「……最高指揮官のこと?」
アルの問いかけに、クリスが頷く。
「ああ……誰が見たって結ばれるべきじゃない。不可能だ。それなのに、マリアには子供がいる。他に目を向けようともせず、彼を愛しているようだ。こんな目に遭って当然なんだ……」
そう言いながら、クリスはどうしようも出来なかった自分に虚しくなった。
「……コブの親父さんも、ここを貸してくれるそうだ。どのみちしばらく動けないだろうし、彼女の治療は俺が責任を持ってするよ。今日は来てくれてありがとう。彼女の素性がわかってよかった。彼女が目覚めたら、また来てやってくれ」
そんなアルの言葉に、クリスは微笑んで頷き、マリアから離れる。
「頼むよ。ほとんど交流はないにしても、この子は僕の元婚約者……たった一人の親戚なんだ」
「うん、任せて。ここなら安全だし」
アルに頷き、クリスはそのまま東地区へと帰っていった。
きっとまだマリアを好きであろうクリスが何も出来なかった悔しさが、アルの心をも虚しくさせた。
数日後。未だ目を覚まさないマリアに、アルとドクターは焦りを見せていた。そろそろ意識を取り戻さねば命も危ない。
そんな時、アルがマリアの手を取った。相変わらず、引きずり込まれそうなほどの強い意識がマリアにはある。それはまるで悪夢のように、マリアを包んでいた。
「マリア! 目を覚ますんだ」
アルは必死な思いでそう呼びかけた。しかしマリアの反応はない。
「まだ猶予はある。また明日、手を考えよう」
ドクターはそう言って背を向けた。だが、アルは諦めない様子で口を開く。
「マリア、昇のことを思い出すんだ。死んじゃいけない。目を覚ますんだ!」
叫ぶように、アルはそう言った。
その時、かすかに握っているマリアの手が動いた気がした。
「マリア!」
「昇……」
静かに、マリアの口からそう出た。
アルは意識に潜り込むように、マリアを呼び続ける。
「そうだ、起きろ!」
頑なに閉じられたマリアの瞼が、ゆっくりと開いた。
「マリア!」
そう呼ばれ、マリアはアルを見つめる。そして震える唇を開いた。
「あなたが……私を呼んだ人?」
アルを見つめながら、マリアが言った。力はないが、思うより口が動いている。
その様子にドクターも駆け寄り、その様子を見つめる。アルは笑顔で頷いた。
「そうだよ。俺はアル。医者なんだ。そうだ……これ、子供の写真だろ? 完全に復元は出来なかったけど、なんとか形にはなかったから……」
アルは枕元に置かれていた写真を見せる。バラバラに千切られたものを、アルが貼りつけものだ。パーツはもともと揃っていなかったが、辛うじて写真になっている。
マリアはそれを見て目を見開き、思い通りに動かない手を必死に動かす。
「ああ……ありがとうございます……」
「いいんだよ」
アルとドクターはマリアの様子を見て、一先ず胸を撫で下ろした。
その日から、マリアは献身的に治療してくれるアルとドクター、そしてコブに心開いていった。破れかかった昇の写真を見る度に、力が湧いてくるような気がする。マリアはリハビリを続けながら、体力を取り戻していくのだった。
「マスター。ビール追加してくれ。勝手に持っていくよ」
数週間後のある日。今日もコブの店は大繁盛していた。あまりに忙しい店を一人で切り盛りしているため、常連客はセルフサービスで自ら動く。
「こっちはつまみの追加いいかな?」
「はいよ」
「ったく、いつまでも一人でいないで、バイトでも雇えよ。ついでに若い奥さんもな」
「うるせえ」
常連客たちのからかいに、コブが苦笑して答える。
そんな時、二階からマリアが降りてきた。
「マリア、どうした。何かあったのか?」
コブが尋ねる。
「私も手伝います」
そう言って、マリアは手を洗う。
「馬鹿言ってんじゃない。最近、やっと歩けるようになったばかりだろう」
「でも、もう動けます。何もしないと身体も鈍ってしまいますし、邪魔はしません。皿洗いでも何でも言いつけてください。とりあえずこれ、運びますね」
マリアはすでに、出来上がったつまみを手に取った。
「でも……」
「マスター、早くしてくれよ。つまみはまだかよ? さっきからずっと待ってるんだよ」
奥の席からそんな声がかかる。
すでに近くの常連客は、マリアに気付いて不思議そうに見つめている。
「なんだ。マスターも、ちゃんとバイトを考えてたんだな。可愛い子じゃないか。名前は?」
「マリアといいます」
常連客の問いかけに、マリアが答える。そしてお辞儀をすると、奥で叫んでいた客につまみを持っていった。
「いい子だ。なあ? マスター」
常連客が、マリアの後ろ姿に向かって言う。
「あの子は怪我人だ。うちの居候の患者でね、働かせるつもりはないよ」
コブが言う。実際、マリアはまだ片足を引きずっていて、とても接客など出来る段階ではない。
「マリア」
戻ってきたマリアに、コブが声をかける。
「どうしてもやらなきゃ気が済まないっていうなら仕方がないが、そのせいで治療が長引いたら意味がない」
ぶっきらぼうにそう言うコブに、マリアは静かに微笑む。
「自分の身体は、自分が一番よく知っています。もっと身体が辛い状態の時も、私は働いていました。もう大丈夫です」
そう言うマリアの目は真剣で、何か恩返しがしたいと思っていた。
コブはそんなマリアの心を知り、小さく溜息をつく。
「じゃあ、そこにある野菜の皮を剥いてくれ。まだ歩かせられないからな」
「はい、わかりました」
マリアは微笑むと、厨房に入り、言われた通りに野菜の皮を剥き始める。
そんなマリアの中で、再出発しようと懸命な自分がいた。




