表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
41/81

3-1 雪白の夢

「僕のお母さん」

 最高指揮官邸の屋敷内――。

 昇は勉強部屋で、ノートに向かって宿題をしていた。

 ここハピネスタウンには、日本人の子供はほとんどいない。家族ぐるみでここでの仕事に就いている人はほとんどおらず、単身赴任がほとんどだ。少しくらいいたとしても、宿舎に固められて住んでおり、そこに併設された学校へ通うこととなっている。

 しかし昇のように最高指揮官の息子ともなれば、宿舎の学校まで行くこともない。家庭教師が朝から晩まで、昇のそばにいることとなる。


 屋敷内では、昇の家庭教師が、帰ってきたばかりの真紀をつかまえていた。

「奥様。昇様のことでお話がございます」

 家庭教師が言った。背の高い中年女性は、あまり子供が好きそうなタイプではない。だが教育に関しては日本でも第一人者で、あらゆる分野に富んだ教師であった。

「どうかしたの? 成績でも下がった?」

 真紀は仕事で疲れきった身体を動かしながら、家庭教師に尋ねる。

「いえ、成績はとても良いです……ただ、今日は母親をテーマにした作文の宿題を出しましたところ、彼、こう言ったんです」

 家庭教師が、声を潜めて真紀に近付く。

「どっちのお母さんって……」

 それを聞いて、真紀は目を丸くした。

 この家庭教師には、昇の素性は話してある。だが、それ以外に知る者は数えるほどしかいないため、これはトップシークレットだった。もちろん昇にも言い聞かせてあるのだが、そんなことをいつまでも言われては、真紀の顔も立たない。

 真紀は溜息をついた。

「まだ覚えてるのね……わかりました。報告ありがとうございます。昇には私から言いますから、これからも徹底教育をお願いします」

「かしこまりました」

 家庭教師はそう言うと、その場から去っていった。

 真紀は溜息をもう一度つくと、疲れた身体を起こし、颯爽と歩き始めた。


 その頃、昇はまだ部屋で、作文を考えていた。成績も理解力も悪くはないと言われている。だが、マリアという産みの母親のことだけは、忘れろと言われても忘れられなかった。

“僕のお母さんは二人います。一人は日本人の「お母さん」で、一人はネスパ人の「ママ」です──”

 昇はそう書いたところで、そのページを破り捨てた。

 その時、ノックと同時にドアが開き、昇は驚いて振り向いた。するとそこには、母親である真紀がいる。

「お、お母さん……」

 あまりに突然の登場に、昇は恐怖すら感じていた。

 しばらく一緒に住んでいて、昇は真紀を母親と呼ばなければならないということを理解していた。だが現実では、母親と呼ぶにはあまりにも遠い存在である。

「昇。作文の宿題が出たそうね。もう出来たの?」

「う、ううん。まだ……」

 昇はそう言いながら、たった今破り捨てたページが気になり、横目でゴミ箱を見つめた。それに気付いた真紀は、ゴミ箱から紙を取り出す。

「あ、それは違うんだ!」

 そう言った時にはもう遅かった。真紀は冒頭の文を見て、昇の頬を叩く。昇は痛みと驚きで、言葉を失った。

「昇は頭も良くていい子なのに、ママの言うことは聞いてくれないのね」

 真紀はそう言うと、昇の顔を両手で掴む。

「私を見て、昇。私はあなたの何?」

「……お、お母さん」

 圧倒されながらも、昇が答える。

「あなたのお母さんは、二人いるの?」

「……」

 昇は口をつぐんだ。マリアという母親のことは忘れろと言われていた。その意味もなんとなくは理解出来ている。しかし、マリアのことを忘れたくはないと思った。

「昇。あなたの母親は、私一人なのよ。仕事で忙しいけれど、あなたのことは大事にしてる。お願いだから私を見て。あなたの産みの母親を忘れて……」

 そう言う真紀の顔は、いつになくしおらしい。

 真紀も昇のことは努力していた。義父は孫ということだけで、昇も自分の子供たちも、分け隔てなく可愛がっているため、昇を邪険にすることなど出来ない。また自身の子供好きな性格も手伝って、昇に辛く当たることは出来なかった。

 しかし、真紀も昇との距離を感じていた。竜には心開いていたので、同じ場所に居れば真紀にも心を開いていた昇だが、二人きりではどう向き合ったらいいのかわからない。真紀は惨めな気持ちになり、悲しく俯く。

「ごめんなさい……」

 その時、昇がすまなそうにそう言った。いつもは毅然としている真紀の疲れ果てた顔を見て、そう言わずにはいられなかったのである。そして、ここでのルールに従おうと思う。

「ごめんなさい。お母さん……」

「ああ、昇……」

 真紀は躊躇いながらも、静かに昇を抱きしめた。まだ抵抗はある。しかし間違いなく昇は、自分の息子だと認識していた。


 その夜、昇はマリアのことを忘れると誓って、ベッドへと入った。

「そうだ。ママは死んだんだから……」

 ベッドの中で、昇はそう言って目を閉じた。途端、忘れると誓ったばかりのマリアの顔が浮かぶ。

 マリアは病気で死んだと聞かされていた。だから自分だけこの家に引き取られたという筋書きも聞かされている。そんな母親のことは忘れて、新しい生活に慣れなければと、幼いながらに思っていた。

『昇……』

 いつの間に眠った夢の中で、昇は吹雪の中に立っていた。どこからか聞こえてくる声に振り向くと、そこにはマリアが倒れている。

「ママ? ママ!」

 昇は何度もそう叫んだ。だが足が動かず、駆け寄ることも出来ない。それでも昇は、声を枯らして叫んだ。

「ママー!」

 後になって、昇はマリアを断ち切る最後の夢だと定義付けた。マリアが死んでしまう場面だったのだと思う。悲しい気持ちになりながらも、昇は前を向かなければと、夢によって再認識させられていた。



     ◇       ◇       ◇       ◇       ◇



 ザクザクと雪を踏みしめる足音が、静寂の闇夜に響き渡る。路地裏から路地裏へと突き進むのは、まだ少年のような目をした青年だ。

 青年が路地裏から出ると、途端に眠らない歓楽街に近い賑やかな街並みが見えてくる。

「アルじゃない。今、帰りなの?」

 客引きに待ち構えていた女性が、青年に抱きつきながらそう言った。

「やあ。今、帰りだよ。そっちは今から仕事かい?」

 青年が答え、尋ねる。

「そうよ。今日もバンバン稼ぐわよ。たまには寄っていきなさいよ。あんたなら、タダで抱かせてあげる」

「今は無理だよ。俺がもう少し偉くなったら、毎日ここに入り浸るさ」

「いやねえ。でも、あんたは私たちみんなの弟なんだからね」

「ありがとう。そろそろ本格的に吹雪いてくるから、気をつけて」

 そう言って、青年は賑やかな通りを横切って、再び路地裏へと消えていった。

 青年の名は、アルフレッド。通称・アルは、二十歳の青年で、医者の卵である。濃い茶色の髪は無精に伸びきっているが、その若さと明るい性格から、爽やかな雰囲気が漂う。そんなアルは歓楽街で育ち、娼婦たちの応援もあり、努力をして医者になった男だ。今もそんな歓楽街の女性たちには可愛がられている。

 裏通りを黙々と歩きながら、アルは勤めている病院から自宅へと戻っていった。

 自宅までもうすぐという時、ドンッというような鈍い音が聞こえ、アルは立ち止まった。途端、先に見える表通りから、猛スピードで走り去る馬車が見える。

「なんだ?」

 不審に思いながら、アルは表通りへと出ていく。家はすぐそこだが、反対方向へ猛スピードで走り出した馬車は、すでにその姿さえ見えなくなっている。

 その時、アルは雪の中に倒れる人影を見つけた。慌てて駆け寄ると、虫の息の女性が倒れている。マリアだった。

「なんてことだ……おい!」

 無意識に、アルはマリアへ触れる。

 途端、フラッシュバックするように、マリアの思考が流れ込んでくるような、そんな感じがした。

「わあああ!」

 そんな突然の感覚に、アルは驚いてマリアから手を離した。だが、思ったよりも事態は最悪である。このまま放っておけば、マリアは少しももたないだろう。

 意を決して、アルは気を集中させるように深呼吸をする。そしてマリアを担ぎ上げ、歩いていった。

「昇……」

 うわ言のように、アルの背中でマリアが呟く。

 数枚の写真の切れ端が、だらりと垂れたマリアの手から零れ落ちるのが見えた。しかしそれが何なのかを今は考えずに、アルは気を集中させたままひたすらに歩き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ