2-26 父と子の密談
役人所では、到着したばかりの織田氏が、亮の案内によって所内を見学していた。
織田氏はこの街の前最高指揮官だった実績もあり、日本からの視察はいつも任されている。今回も定期視察で訪れたのだが、帰りは竜と一緒ということになっている。
「役人所もずいぶん綺麗になったな。私が指揮官の頃は、ただ仮設の建物だった」
織田氏の言葉に、亮が笑う。
「お父さんが、日本で予算を取ってきてくれたおかげですよ。実際、道路整備もずいぶん進んで、区画整理もほとんどが出来ています」
「なるほど。よくやっているようだな、亮」
「一応、最高指揮官ですからね」
「そうだな。人選は間違っていなかったようだ」
その言葉に、亮は苦笑した。
「きっと兄貴でも、同じように良い仕事をしてくれると思いますよ」
「あいつは駄目だ。おまえとは真逆の育て方をしたからな……あいつが最高指揮官などになったら、この街は滅茶苦茶だ」
「そんなことはないと思いますけど……」
考え込む様子の亮を横目に、織田氏が不敵に笑う。
「今回は名ばかりの視察だ。そろそろ帰って孫たちの顔でも見よう」
「そうですか。まあ真紀は会議で当分出られないようですし、先に出ましょうか。馬車を回させます」
亮はそう言うと、秘書に馬車の用意を促す。
「ああ。真紀とはさっき少し会った。彼女も相変わらず忙しそうだが、よくやっているな。子供たちの教育もしっかりやっていると聞いた。さて昇とは初対面だが、子供に罪はない。私の血を引いている以上、跡取りの一人として、しっかり育てなければな」
「跡取りといっても、彼らはまだ赤ん坊同然です。あまり厳しくしないでやってください。ただでさえ家庭教師や真紀が英才教育をしているんですから」
「ハッハッハ。私も人の子だよ。孫ともなれば、可愛いに決まっているだろう」
織田氏は豪快に笑う。亮は少し不安げに微笑むと、用意された馬車へと乗り込んだ。
「ああ、ちょっと寄りたいところがある。ここから先はプライベートだ。秘書や邪魔な者は帰してくれ」
馬車に乗るなり、織田氏が秘書の乗車を拒んだ。亮はすかさず口を開く。
「でも、彼らはボディーガードも兼ねています」
「私を誰だと思ってるんだ、亮。元は軍隊にいたんだ。おまえにすらまだ負けないだろうこの身体を、誰が狙うというんだ」
頑固な父親に、亮は苦笑する。言葉通り、織田氏の武術は未だ衰えることはなく、その切れの鋭さからも、無謀に楯突く人間はいない。
亮は溜息をつくと、周りに居た秘書や部下たちを止めた。
「そういうわけだから、今日はこのまま帰っていいよ。帰るだけだし、こちらの心配はいらないから。明日もよろしく頼みます」
亮の命令で、秘書たちは敬礼をして去っていった。それを見届けると、二人の乗った馬車は織田家の屋敷へと向かっていく。
「それで、どこへ行きたいんですか、お父さん。観光なら、子供たちも一緒に行かせてください」
馬車の中で、亮が尋ねた。だが織田氏は、相変わらずの笑みを浮かべている。
「刑務所だ」
織田氏の言葉に、亮は驚いた。
「刑務所? 真紀なら、今日はずっと役人所に……」
「真紀には了承済みだ。あの女に会いに行く」
「……あの女?」
亮は固まった。それを示している人物はわかったが、父親が何をしたいのかわからない。
「わかっているだろう?」
織田氏は不敵な笑みを浮かべながら、横目で亮を見つめる。
「……僕の知っている人なら、刑務所じゃなくて収容所のはずです」
「刑務所だよ。移されたことを知らないのか」
その言葉に、亮は目を泳がせる。いつの間に収容所から刑務所に移されたというのか。前科が増えるということは辛い宣告だが、亮にはマリアに何もしてやれない。
「誰のことを言っているのか……何にしても、僕は何も知りません」
「そのようだな。まあ、おまえにとっては過去の女だ。時も経つし、知るところではない話だな」
「……どうして。お父さんは関係ないはずでしょう? 何が目的ですか」
必死な目で、亮は織田氏を見た。父親と言うにはあまりにも親近感というものが感じられない。
「目的か……強いて言えば、あの女の行く末を見に行くといったところだな。おまえと別れさせた時以来だが、まさか子供まで産んでいたとはな。しかし、おまえもよくやるよ。血が繋がった子供とはいえ、最高指揮官の地位にありながら、ネスパ人の子供を引き取るなんて」
「……お父さんだって同じでしょう? 誰が差別しようとも、自分の子供は手元に置いておきたい。だから、ネスパ人の血を引いている僕でも引き取ったんでしょう?」
亮が言った。今までこんな話は、面と向かってしたことがない。父親がなぜ自分を引き取ったのかも、聞かされたことはなかった。
「そうだな……自分の子供が見知らぬところで生きているなんて、考えただけでも恐ろしい。だが私はおまえとは違う。おまえの母親は死ぬ運命だったが、あの女はまだ生きている。仕方なしに子供を引き取るのと、母親から引き離してまで引き取るのとはわけが違う」
「……お父さんは、昇を引き取ることに反対だったんですか?」
「いいや。おまえから相談された時は、正直戸惑ったがね。だが、今はまだ子供のことは知れ渡っていない。初めから真紀の子供だったと周りにわからせてもよし、ネスパ人の子供を引き取って後でネスパ掌握の保険にするもよしだ。どちらにしても不利益はない」
「僕は利益のために昇を引き取ったんじゃない!」
必死なまでの亮に、織田氏は静かに微笑む。
「……では残酷だな、おまえは。おまえは己の自己満足のために、子供にとって一番大切な母親を奪い、その母親を奈落の底に突き落としてまで、欲しいものを手に入れたことになる」
その言葉に、亮は押し黙った。
「その通りです。でも……何が言いたいんですか」
「べつに。おまえに言いたいことは、もうあの女には関わるなということだけだ」
「関わっていません。僕が手出し出来るわけがないでしょう。真紀も不安定になるし……」
「ならばいい。まあ、あの女に限らず、ネスパ人に深入りはしないことだ」
織田氏の言葉が理解出来ず、亮はその横顔を見つめる。
「深入り、ですか……」
「ネスパ人がかつての天使なら、今は悪魔だ。女は悪女……屈託のない笑顔、純真な心を装い、うぶな人間たちを誘惑する。無意識だから怖いところだ。それはそうと、竜もその虜になっているようじゃないか。あのマリアとかいう女に……」
亮は目を泳がせる。竜がマリアを愛していることは聞かされていた。しかしその後どうなったのか知らない上、最近は同じ家に住んでいても、竜と会うことすらない。会ったところで、マリアの話など出来るはずがない。
「嫌な言い方ですね。兄貴はきっと、彼女の境遇に同情して……」
「真紀から聞いたよ。竜が邪魔ばかりするからどうにかしてほしいとね。なんでも、彼女の代わりに養育費を払うと言い出したり、宿舎を彼女に提供したりもしたそうじゃないか。あの軽い男が、相当入れ込んだものと見える」
挑発するような織田氏の言葉に、亮は口をつぐんだ。初めて聞く内容に戸惑う。そこまで竜が本気とは思わなかったのだ。
亮の中で、眠っていた嫉妬心が蘇ってくる気がした。
「そう、なんですか……」
「まあ竜が一人の人間に入れ込むのはいいことだがね」
「兄貴には反対しないんですか?」
自分の時は否応なく反対した父親が、竜に至っては喜んでいる節を見て、亮はどうにもやり切れなくなる。
「反対はするさ。しかし見てみたい気もするんだがね……竜が関わることで、あの女がどの道に進むのか……」
織田氏は、亮の母親のことを考えていた。絶対的な権力を持っていた当時でも、亮の母親一人助けられなかったことに、織田氏が気にしていなかったわけではない。
このままでは、マリアが亮の母親と同じ運命を辿るであろうことは目に見えている。当時の自分の立場である亮と、当時はいなかった立場の竜。今まで想像を現実に変えてきた織田氏は、初めて遭遇した先の見えない未来に、まるでゲームを楽しんでいるかのように笑う。
「とにかく、亮。おまえは最高指揮官ということを忘れるな。私はおまえが生まれた際、おまえがその地位を築く未来を想像して導いてきた。それは、おまえが日本人とネスパ人の血を分け合っているからだ。この街の最高指揮官として、願ってもない人材だろう。ネスパ人も文句は言わない」
「……はい。お父さんが築き上げた舞台で、確かに僕は生きています。僕はここまで育ててくれたお父さんを裏切りたくはない。だけど僕は、日本人とネスパ人、どちらも取ることは出来ません」
きっぱりと亮がそう言っても、織田氏の顔は変わらない。
「それでいい。どちらか選べなどとは言わない。だが深入りはするなと言っているんだ」
「……お父さん」
「いいか亮。あの女に関わらず、深入りするなということは、情けをかけるなと言っているんだ。あの女で見れば、下手に情けをかければ、あの女は立ち直れなくなる。女というものは、子や家族を思ってこそ生きていける生き物だからな。それをおまえが奪ったならば、余計な情けはかけるな。おまえもわかっているだろうが、それがあの女のためだ」
亮はやっと織田氏の真意がわかった気がした。言われてみれば当然のことだ。自分がマリアを思っても、もはや何も出来ないのはわかっている。真紀も不安定になり、良いことは何もない。
改めて父親に釘を刺されたように、亮はマリアへの気持ちを完全に断ち切ろうと決心した。
「そろそろ刑務所だな」
外を見つめながら、ぼそっと織田氏が呟いた。
亮は口をつぐんだまま考え込んでいた。そんな表情を見て、織田氏は亮に口を開く。
「おまえも来るか?」
「えっ?」
思ってもみない言葉だった。たった今、マリアと関わるなと念を押されたはずだ。そしていつものように、有無も言わさず会うことを拒否されるはずだった。
しかし織田氏は亮の顔を見つめながら、軽く微笑んでいる。その顔は、思いを断ち切ろうとした亮の心情を感じ取ったようにも見える。
亮は静かに頷いた。
「行きます。これが本当に、最後とみて……」
「いいだろう。最高指揮官として、一人の囚人を見に行くつもりでいろ。まあ、とっくにもう一人は行っているはずだろうがな」
織田氏の言葉に、亮は顔を上げる。
「……兄貴?」
「当然、来ているだろうよ。明日はあいつも日本に出発だ。最後の日だからといって、今頃、熱い時間を過ごしているかもしれないな」
挑発するような織田氏に乗って、亮の気持ちも高まっていった。だがその嫉妬のような怒りを抑えようと、必死に拳を握り締める。
「亮」
そんな亮に、静かに織田氏が呼んだ。
「亮。もう一度言っておく。おまえはただの役人ではない。最高指揮官だ。国家だ。感情で動いては、おまえの国が傾くぞ。誰にでも愛される国家などない。時に冷徹に振舞え。ネスパ人などクズだと思え。そうすれば、日本政府や世界から睨まれることはないし、ネスパ人がのさばることもない。あの連中は難民ではない。監視されている民族だということを、肝に銘じておけ」
「……はい。お父さん」
亮は感情を押し殺すように前を見据えると、織田氏とともに刑務所へと入っていった。




