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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
32/81

2-21 絶望しかない

※暴力描写がございます。苦手な方はご注意ください。

 朝方。マリアは眠ることも許されず、代わる代わる男たちから暴行を受けていた。もはやドアの外には真紀も誰もおらず、人の気配はない。

 しばらくして、枯れた涙の痕を拭いながら、マリアは静かに起き上がった。いつの間に居なくなったのか、そこには自分しかいない。だがそれは夢ではないということを、飛び散った血や体液が示している。

 マリアは無念に顔を覆うと、声を上げて泣いた。今まで堪えてきた苦痛が溢れ出すように、枯れたと思っていた涙が零れ落ちる。汚れた自分の身体を恥じて、もう亮にも昇にも、誰にも顔向け出来ないと思った。

 だが前回同様、マリアの悪夢はその日だけでは終わらなかった。男たちは毎晩連れて来られ、もはや抵抗も出来ないマリアを襲う。マリアはすべてを諦めて、絶望の中で毎日を過ごしていくのだった。


 数日後。宿舎で仮眠を取っていた竜の元に、刑務所勤務の小谷から電話が入った。

『織田さん。お捜しの女性が、極秘で別棟にいるかもしれないと言いましたよね。もしかしたらそこかもしれないという場所が見つかったんです』

「本当ですか!」

 竜は立ち上がって、そう叫んだ。

『あくまでも噂なのですが、別棟のひとつに、ゼロ号棟という凶悪犯が最後に入れられる独房があるんです。小さな塔の地下室になっているのですが、脱出は不可能な場所です。今は使われていないはずのその塔に、数人の警備がついているようなんです。極秘要綱は数名しか知らされないのでわかりませんが、そういう噂があるのは事実です』

「塔の独房……そこに賭けるか」

『え?』

「わかりました。貴重な情報をありがとう。それともうひとつ頼まれてくれませんか?」

 竜はそう言って小谷に相談をすると、電話を切る。もう考えている余裕はないと思った。


 次の日の早朝。竜は休日だったが、役人所へと出向いた。そして真紀の部屋を訪ねる。忙しい真紀も、早朝だけはここに居ることを知っていた。

 しかし、そこに真紀の姿はない。奥のシャワールームから音がしたので、竜はソファで待たせてもらおうと思った。今日はストレートに、いろいろ聞こうと決意している。

 ふと竜は、テーブルの上に置かれた束になっている紙を見つめた。そこには収容所や刑務所関係の緊急連絡が書かれている。

 竜は人目を気にしながら、その紙を手に取って軽く目を通す。なんだか気になって仕方がない。すると、ひとつの伝言が目に飛び込んできた。

『ゼロ号の容体が思わしくないため、一度様子を見に来ていただきたい』

 たったそれだけの伝言に、竜は真紀の部屋を飛び出していった。

 直観的な胸騒ぎがあった。小谷が教えてくれた噂には、使われていないはずのゼロ号棟という独房に動きがあるとのこと。もしそれが本当にマリアのことならば、暗号めいた短か過ぎる伝言も頷ける。

 竜はそのまま、最高指揮官邸へと戻っていった。だがそのまま屋敷には入らず、裏庭へと向かっていく。収容所と刑務所に正面から入ることは、同じ役人でも難しいだろうことは聞いている。竜は敷地内にあるはずの、刑務所との境界線である壁を探した。

 やがて現れた巨大な壁に、竜は静かに触れる。

「ここが刑務所への壁……」

 壁を見上げ、竜が言った。

 壁の上には、刑務所側に倒れるように張り出された有刺鉄線があるほかは何もない。昔は真っ直ぐに有刺鉄線が張られていたらしいが、いつかマリアが刑務所から逃げ出した際に、この壁を越えたと見られているため、角度をつけるように張り替えられたと聞いている。だがその角度は、こちらから侵入するには逆に入りやすい。

 竜はその場で、先に用意していた刑務官の制服に着替えた。つなぎのような動きやすいその服は、昨日、小谷に頼んで貸してもらったものだ。

 そして着替え終わると、竜は壁に手をかけ、壁の上をひらりと越えた。有刺鉄線にいくつか身体が傷つけられたが、大した怪我ではない。

「思った通りだ。最高指揮官邸側の壁には何の細工もしていない。こっち側の人間が忍び込むことは、まずないだろうからな……」

 そう呟くと、竜はポケットに入れていた帽子を目深に被る。これがここでの正装だ。竜はそのまま、木陰を通って先へ進んだ。以前、刑務所敷地内の地図を資料室で閲覧していたので、なんとなくの位置取りはわかる。竜は小走りで、白昼の敷地内を捜し回った。

 小谷が教えてくれた小さな塔の独房、ゼロ号棟らしき場所は、敷地内の隅にある。それが逆に、忍び込んだ竜にとっては近道で、誰にも会わずに辿り着くことが出来た。

 入口には誰もいない。竜は辺りを見回すと、塔の入口に触れた。すぐ横には、確かにゼロ号棟という看板のようなものがある。意を決して、竜は中へと入っていった。

 塔の中には階段しかない。地下牢と聞いていた竜は、螺旋となった石の階段を降りていく。すると、突き当りにドアのようなものが見え、人の気配に身構える。そこには一人の警備員がいた。

「誰だ」

 警備員が言った。

「……織田指揮官に伝言を残したのは、おまえか?」

 竜が尋ねると、警備員が驚いて頷く。真紀しか知り得ぬ伝言を知る竜に、少し警戒心が解けたようだ。

「はい。あなたは?」

「俺は織田竜。指揮官とは親戚でね……指揮官は忙しいので、代わりに様子を見に来た」

 自分の身分証を見せながら、静かに竜は嘘をつく。だが警備員は、身分証で竜の身元を確認したためか、すぐに信じたようで敬礼をした。

「これは織田家の方でしたか。失礼致しました」

 まんまと警備員を騙すことに成功した竜は、ほっとしながらドアの覗き窓を開け、独房の中を覗く。切れかけた裸電球だけでは、窓もない室内は暗くてほとんど見えない。ただ薄明りの中心で、床に倒れるようにしている人影のようなものだけは見えた。

「……俺は様子を見に来ただけで、あまり事情を聞かされていない。囚人の名は?」

「ゼロ号、マリアです」

 それを聞いて、竜は眉を顰めた。

「すぐに開けてくれ」

「は、はい」

 逸る気持ちを抑えきれずに、竜はすかさず独房のドアを開けさせる。そして竜は被っていた帽子をポケットにねじ込むと、薄明りに目を凝らし、中へと進んでいった。部屋の中はカビの匂いと混じって、不穏な匂いがする。

 すぐに竜は持っていたペンライトで中を照らした。そこで竜は、部屋の隅でズタボロにされたマリアの姿を発見することになる。目に入った途端、竜の顔から血の気が引いた。

 倒れ込んだマリアはまるで死人のように動かず、衣服は破れ、ほとんどその形を留めていない。破れた布の間からは、大きな傷口が見えると同時に血が流れている。

 竜は信じられない思いで、マリアの首に触れた。仕事柄、倒れた人間の処置はわかっている。マリアの鼓動を確認すると、太い縄がついたままのその手首から、破れた袖を腕までまくり上げた。いくつもの注射痕が見える。竜はその痕をライトで照らし、次にマリアの顔を見つめた。殴られたのか、片方の頬が腫れ上がり、明らかに麻薬でも使われたような顔色だ。

 言葉を失い、顔をしかめたまま、竜はライトを当てて部屋を見回した。天井に付けられた金具には、真新しいロープの切れ端が下がっている。

「……ここで何があった? 容体がどうだと聞いた。彼女の様子は?」

 竜が警備員に尋ねた。

「このところ、ほとんど食事を口にしません。昨日からは何も……毎晩、暴行されていて、体力的にも、もう……」

「嘘だ!」

 そう言って竜が振り向くと、警備員も震えていた。仕事で警備を任されているが、夜毎ここで繰り広げられる行いには、目を覆いたくなる。

「……あなたは、本当に指揮官の代わりに?」

 竜が否定して叫んだことで、警備員がそう尋ねる。竜は思い直して、警備員を見つめた。

「いや……悪いがそうじゃない。騙すつもりはなかったが、ここへ来るにはこうするしかなかった」

「では、すぐにお帰りを。あなたは織田家の方でしょう? 事が知れたら、大変なことに……」

 警備員が、祈る思いで竜を見つめる。

「無理だ。この子を放ってはおけない」

 きっぱりとそう言うと、竜は乱れたマリアの髪に触れる。すると、静かにマリアが目を開けた。右目のまぶたが腫れ上がり、右目がほとんど開かないことがすぐにわかった。

「マリア」

 その声に、マリアはハッとして起き上がった。目の前にいる竜に、信じられない思いで目を凝らす。

「マリア……」

「……竜、様……?」

 マリアは目を伏せると、側に投げ出してあった毛布を抱きしめた。破れた服は、もはや身体のほとんどを露わにしている。それを見て、竜は自分の上着を脱ぐと、マリアの肩にかけた。

 惨めな自分を晒し、マリアの目から涙が滲んだ。だがそれを堪えたまま、マリアは顔を上げようとしない。

「遅くなってしまってすまない……迎えに来たよ」

 静かに竜がそう言った。マリアはやっとのことで顔を上げるが、竜と目が合った途端、悲しみに俯く。

 ふと竜がマリアの左目を隠した。そのまま竜は、マリアの右目を覗きこむ。少し白濁しているのがわかった。

「……見えてるのか?」

 そう聞かれて、表情を失くしたまま、マリアは静かに頷く。

 だが竜は信じられず、マリアの左目を隠したまま、自分の左人差し指を立たせた。

「じゃあ今、俺は何本の指を立たせているのが見える?」

 マリアは言葉を失った。本当は何も見えてはいなかった。光はあるものの、白濁の白さにほとんど見えない。竜を心配させたくなかったことと落胆させたくなかったこと、それらが入り混じり、マリアに嘘をつかせた。だがこの状況では、何か答えなければならない。

「……三本?」

 ただの勘で、マリアはそう言った。

 一本の人差し指をしまいながら、竜は悲しげな表情でマリアを見つめる。もう一度、勘でもいいから当ててほしかった。見えていてほしかった。

 竜は手の平を向け、五本の指を見せる。

「じゃあ、これは?」

「……二本」

 そう言ったところで、竜はマリアの左目から手を離した。途端、マリアに竜の手の平が見える。

「見えてないのか……」

「白っぽくて、少し……」

 すまなそうにマリアが言った。竜の悲しげな目は、とても見ていられなかった。

「マリア」

「すみません……」

「何がだ。ここから出よう」

 言い聞かせるように微笑み、竜はマリアを見つめる。しかし、マリアは無言で首を振った。

「マリア。君を助けたいんだ。俺に出来ることは何だ?」

 そう言ったその時、竜は背後に気配を感じ、ナイフを取り出して振り向いた。そこには警備員が立っている。

 竜は警備員を睨みつけ、口を開いた。

「そこから動くな。俺の身分に偽りはない。大丈夫だ。このまま何もせず見逃してくれれば、おまえが咎められないように計らう。だから今は放っておいてくれ」

 自分を引きずり出そうとしていた警備員に、切羽詰まった様子で、竜がそう言い放つ。

「……本当に、咎められませんか?」

「俺がおまえを脅してここに入ったと言えばいいんだろう。それに極秘任務の独房だ。そう人は来るまい。俺が無事にここを出られれば、誰にもわからない」

 警備員は頷くと、ドアの外へと出ていった。

 竜は気を取り直して、マリアを見つめる。するとマリアは、竜の持つナイフの刃にそっと手を触れた。

「マリア?」

 そう声をかけると、マリアはくるりと背を向けて、竜がかけてやった上着を脱いだ。薄明かりの中で、マリアは頭を片方に傾け、破けた服の首元をずらして首筋を見せる。

 意味もわからぬまま、竜は目を凝らしてマリアの後ろ姿を見つめる。

「……殺してください」

 やがて、静かにマリアがそう言った。

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