2-20 残酷なる喪失
※暴力描写がございます。苦手な方はご注意ください。
真紀が織田家へ戻ると、夫婦のリビングで、亮と竜が子供たちとトランプをして遊んでいた。
「あら。珍しくアットホームな光景ね」
「おかえり、真紀。僕も仕事漬けで子供たちとろくに会えないからね。久々に時間が合う時くらい、子供たちと一緒に居たいじゃないか。真紀も入る?」
亮が言う。だが、真紀は首を振った。
「私はいいわ。今日は夜勤もあるし。しばらくここで見させてもらってもいいかしら?」
「どうぞ」
真紀は近くの椅子に座る。
「ああ、竜おじさんからジョーカーが回ってきた」
力が言う。
「いつも同じところを取る、おまえが悪い。ほら、次は昇だろ」
竜が力に言った。互いに笑い合い、温かな時間である。
真紀はその光景を、穏やかに見つめていた。
その夜。子供たちを床につかせると、真紀と竜が立ち上がる。
「さて、俺も今日は夜勤なんだ。そろそろ行くか」
「なんだ。今日は二人とも、夜勤なんだ。仮眠取らなくて大丈夫かい?」
亮が尋ねる。
「俺は大丈夫だよ。じゃあ行ってきます」
竜はそう言うと、部屋を出ていった。
マリアの情報を未だ手に入れていない竜が焦りを見せているのは事実だが、今は真紀の様子を伺うことも大切だと思っていた。ここで焦って動くのは得策ではない。
「私も行かなきゃ」
そう言いながら、真紀は凝った肩を回す。
「大丈夫かい? このところ遅い日が続いているみたいだけど」
「いつも通りよ。亮も週末はまた日本でしょ。今のうちに休んでおきなさいよ。じゃあ行ってきます。おやすみなさい」
亮を置いて、真紀も部屋を出ていく。
そのまま真紀が玄関に向かうと、ちょうど出るところだった竜に出くわした。
「役人所にお出ましなら送るけど?」
竜の言葉に、真紀は笑う。
「残念ながら、これから隣の職場よ」
一瞬、竜の顔が曇ったが、すぐに不敵に微笑む。
「そうか。じゃあな」
それだけを言うと、竜はドアを開けて出ていった。それに続いて真紀も出る。
「最近、聞かないのね。あの子のこと」
真紀が尋ねた。竜は待ってましたと言わんばかりに、微笑みながら振り向く。
「誰のこと?」
「あら。しらばっくれてるならそれでいいわ。どうせあなたに教える情報はないもの」
「……諦めたよ。おまえの頑固さにね」
「あなたにしては、賢明な判断ね」
そんな言葉を聞きながら、竜は目の前に用意された馬車へと乗り込み、窓から真紀を見下ろした。
「彼女は無事か」
真剣な竜の目が真紀を貫く。
「さあ……今のところはね」
真紀も竜の目を見つめたまま、そう言った。
竜は顔を背けると、そのまま馬車を出させた。やはり真紀相手では一筋縄にはいかない。マリアの安否を聞くことさえ困難のようだが、とりあえず生きていることだけはわかった。竜は複雑な表情で、その場から去っていった。
真紀はそのまま、マリアのいる独房へと向かっていく。そこにはすでに指示されていた男たちがいた。だがそれは、いつもマリアを暴行している日本人役人ではない。見るからに凶暴な顔立ちをした男たちは、囚人服を着て番号をつけているネスパ人である。
「揃ってるようね」
「あんたか、こんなところへ呼んだのは。ここが俺たちの死に場所かよ」
囚人たちが言った。すぐにでも暴動が起こりそうなくらい、男たちは鋭い眼差しを真紀に注ぐ。
そんな真紀の横で、真紀のお付きのような役割も担っている刑務課の男が口を開いた。
「黙れ。おまえたちのようなA級の中でも特級の犯罪者にも人権がある。おまえたちの日頃のストレスを癒してもらおうと思ってね。利害の一致というやつかな……」
それを聞いて、囚人たちは互いの顔を見合わせた。役人の男は話を続ける。
「おまえたちと同じA級犯罪者に、おまえたちの手で罰を与えてもらいたい。ある意味おまえたちよりも重い罪を犯した、罪深い女だ」
「女?」
「何をしてもいいが、絶対に殺しては駄目だ。万が一そんなことになったら、おまえたちの命もないと思え」
男はそう言うと、真紀に言われて予め用意させていた箱を、男たちの前に差し出した。箱の中には、ロープやナイフのほか注射器まである。
「あなたたちのために用意したわ。好きに使ってちょうだい。でも、扱いには気をつけて」
やっと真紀がそう言った。
「この注射器は?」
「一種の麻薬……鎮静剤の一種よ。女が暴れたら使うといいわ」
冷たい真紀の言葉は、凶悪犯にも冷たく響いた。だが、すぐに目先の欲望に目が眩む。
「マジかよ」
「殺さなきゃ、その女を好きにしていいんだな?」
そんなざわめきの中で、独房のドアが開いた。中には未だ気を失ったままのマリアがいる。その中に、数人の男たちが焦るように入っていった。
「なんだよ、死にかけてるんじゃないか? ボロ雑巾かと思ったぜ」
「拷問された痕があるな。手首に縄がついたままじゃないか」
男たちはそう言いながらも、欲望を抑えるのに必死なようだ。
真紀は冷たく笑うと、ドアを閉めた。
「おい、どういうつもりだ。ドアを閉めるなんて」
「事が済んだら出す。いいか、おまえたちは選ばれた人間だ」
動揺する男たちに、役人の男が言った。それに続いて、真紀も口を開く。
「さっきの約束を守れば、しばらく続けさせてあげるわ。さあ、どうぞ」
そう言うと、真紀はドアの外に腰を落ち着かせた。もはや見張りの人間は上にしかおらず、ここには真紀と、信頼のおける右腕のような役人の男しかいない。
「殺さなきゃいいだけだろ。さて、指揮官様のお望み通り、始めるか」
一人の男がそう言いながら、マリアの頬を叩いた。
マリアは目を覚まして身体を起こすと、いつもと違う光景に、座ったまま後ずさりをする。
「状況が飲み込めてないみたいだな。まあ俺たちもそうだが、仲良くやろうぜ。同じA級犯罪者なんだからな」
男の一人はそう言うと同時に、マリアの頬を叩き、服を破った。マリアは驚いて立ち上がると、置かれている状況を把握するために、男たちを見つめる。同じネスパ人だが、囚人だということがわかる。刑務所生活が長いのか、心まで荒んでいるのだろう。とても見逃してくれそうにはない。
マリアは隙を見てドアに駆け寄ると、鍵のかかったドアノブを回し、ドアを叩く。
「誰か! 開けてください!」
すると、ドアにつけられた覗き窓が開いた。そこに見えたのは、真紀の冷たい目だけだ。
「奥様……! 罪は悔い改めます。どうか助けてください!」
懇願するように、マリアはそう叫んだ。破れた服を押さえながら、今までにない危機感を感じる。暴力だけなら耐えることも出来るだろうが、身体まで犯されてしまうというのか。
「今までになく、ずいぶんな懇願ぶりね。どんなにお金に困っても娼婦にはならなかったし……どうしても身体だけは汚したくないようだけど、あなたも甘いことを言うのね。それで許されると思ってるの? せいぜい亮を呼ぶがいいわ。あなたの心に亮がいる限り、私はあなたを許しはしないんだから」
「奥様……!」
「先に言っておくわ。万が一でも自殺なんて考えたら、それこそ昇を放り出すからそのつもりで。簡単に死なれても困るわ。もしそんなことになったら、すぐに昇を孤児院か収容所にでも入れるつもりよ」
顔面蒼白のマリアは、その場で男たちに羽交い絞めにされた。
「いつまでおしゃべりしてるんだ。おまえの相手は俺たちだろう?」
マリアはそのまま男たちに覆い被され、床へと倒れ込む。
「嫌――!」
今までになく、マリアは手足をバタつかせ抵抗した。すかさずマリアの片腕が捲り上げられ、注射針の痛みが襲った。マリアはやがて力を失くす。だが意識ははっきりとし、恐怖と羞恥がマリアを包んでいく。そんな中で、遂にマリアは身も心も汚されることとなった。
誰もいない寝室で、亮は一人、眠れぬ夜を過ごしていた。なんだが胸がざわついて、眠る気にはなれない。
亮はそのままベッドから起き上がると、外を見つめた。今夜は満月で、月明かりが美しい。その月に照らされ、隣の収容所の敷地が見えた。木々に覆われているため建物自体はほとんど見えないが、広大なその敷地は、闇の中に不気味に光って見える。
亮は水を飲むと、再びベッドへと戻った。
「マリア……」
途端に、亮の口から自然とその名が出て来た。マリアが呼んでいる気がした。だが思い直して、真紀のことを考える。今も仕事中であろう真紀を思いながら、亮は目を閉じた。




