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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
26/81

2-15 葬り去った愛

 一週間後。休息最後の日の早朝、マリアが居る部屋の呼び鈴が鳴った。この一週間、竜以外に人が訪ねて来ることはなく、呼び鈴も鳴らなかった。誰かが来ても出なくていいと言われているが、マリアは気になってドアを見つめる。

 だが呼び鈴は一度鳴っただけで収まり、ドアの下の隙間から紙が入れられていた。

 マリアが紙を取ると、マリアへのメッセージが書かれている。

『マリアさん。今後の件で話があります。本日昼に伺います。織田真紀』

 真紀からの手紙だった。

 マリアは手紙をテーブルの上へ置くと、今後のことを考えていた。


 昼になると、マリアのいる部屋の呼び鈴が鳴った。真紀のはずである。

 マリアはドアを開けると、やはり目の前に立っていた真紀にお辞儀をした。

「元気そうね。顔色も良くなって、安心したわ」

 真紀はそう言うと、部屋の中へと入っていく。

「ありがとうございます」

 後ろからマリアが返事をする。

 真紀はそのまま椅子へ座ると、目の前に置かれていた自分の伝言メモを破って捨てた。

「こういうものは、すぐに破棄するように」

「すみません」

 マリアはすかさず謝ると、お茶を差し出した。

「ありがとう。時間がないので座って」

 促されるままに、マリアは真紀の前に座る。

「早速、本題に入るわ。まず、あなたは明日からどうするつもりなの?」

「はい。明日から、また元のように働きます。休んでいた店にも、竜様が取り計らってくださったので、戻れることに……」

 真紀は出されたお茶に手をつけようともせず、まっすぐにマリアを見つめている。

「そう。じゃあその仕事場には、私の部下から連絡を入れておきます。明日からあなたは、収容所に入るのよ」

 その言葉に、マリアは驚いた。

 収容所とは、路頭に迷った人間を収容し、自立が出来るまで働かせる場所だ。この近くには、刑務所と隣り合わせの一番大きな収容所がある。だが良い噂は聞かず、重労働を課せられると聞いた。

 マリア自身も収容所に良いイメージはなく、今までも捕まらないように、何度も逃げ回ってきたところである。

「収容所……」

「そう。そこで働いてもらうのが一番だと思ってね。一人で黙々と稼ぐより、仲間がいたほうがいいでしょうし、食事も睡眠も、今までよりは規則正しい生活が出来るんじゃないかしら」

「どこの収容所に、いつまで……」

「最高指揮官邸の隣にある、中央収容所に。期間は設けないわ。まあ、あそこなら竜も簡単には入れないことを見越して、とりあえず様子を見させてもらうわ。竜には言わないで、今まで通り働くと言いなさい。すぐに気付くでしょうけど、先にバレると騒がれて面倒だから」

「……わかりました」

 いつもの如くマリアに拒否権などない。マリアの返事を聞き、真紀は立ち上がった。

「じゃあ明日の朝、ここへ迎えが来ます。逃げようなんて思わないでね」

「はい……」

 淡々と話を進め、真紀はそのまま部屋を出ていった。

 残されたマリアは、そのまま立ち尽くす。これから何が起こるかわからないが、少なくとも収容所に入れば、誰の助けもないだろう。もう一生、そこから出ることは出来ないかもしれない。刑務所よりはいいが、逃げ場がないのは同じだった。

 マリアは竜から預かった部屋の鍵を持つと、久しぶりに街へと出ていった。


 もう最後かもしれない街の様子を焼きつけるように、マリアは辺りを見回す。

 普通に収容所に入っても、そう簡単には出られないと聞いている。まして罪人であるマリアには、いつ刑務所に移されてもおかしくはなく、将来への希望など少しもない。

 マリアはいつも働いている、レストランへと向かっていった。

「マリアじゃないか! すっかり顔色が良くなったな」

 入るなり、休憩に入ったばかりの店主がそう言う。

「あ……」

 久々に見る店主の顔に涙ぐんだものの、マリアはそれを堪えて微笑んだ。

「マスター……迷惑かけてごめんなさい」

「なに言ってるんだ。少しでも休めて良かったじゃないか。こっちはおまえがいなくて大変だったんだぞ。明日から、またよろしくな」

 店主の言葉に、マリアは顔を曇らせる。

「どうかしたのか? まだ体調が……」

「違うの。ごめんなさい……休んだりして散々迷惑かけたのに、明日からも来られなくなってしまって……」

「ええ? だってあの竜っていう役人さんからは、明日からって……」

「収容所に入ることになったんです……」

 マリアの言葉に、店主は目を丸くして驚いている。

「な、なんだって、そんなところに……心配しなくていい。おまえはここで雇ってやるから」

 マリアは首を振る。

「本当にごめんなさい。どうしても入らなければならなくなって……ごめんなさい」

「マリア……」

「また別のお役人様が事情を説明しに来ると思うけれど、マスターには直接言いたくて……今まで本当にありがとうございました」

 そう言ってお辞儀をするマリアに、店主はそばに寄り、マリアの肩を抱く。

「大丈夫なのか? 本当に、どうしても行かなきゃならないのか?」

「……ええ」

「あの竜って役人さんは知ってるのか? あの人は結構なお偉いさんなんだろ。それでもどうしようもないのか?」

「竜様には絶対に言わないで……私は大丈夫だから」

「マリア……」

 もう一度、マリアは深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございました。マスター、お元気で」

「……おまえもな、マリア。また出てきたら、いつでもうちへおいで」

「ありがとうございます……本当に、今までお世話になりました」

 マリアはそう微笑むと、静かに店を出ていった。


 店から出たマリアは、そのままふらふらと街を徘徊する。そして、ふと路地裏へと入っていった。何かが呼んでいるような感じで、足が勝手に動き出す。

 しばらく歩くと、そこには亮と初めて出会った、とあるレストランの裏口があった。今では再開発でこの辺りは廃墟となっており、レストランもやっていない。

 誰も居るはずのないその場所に、マリアは久しぶりに訪れた。懐かしい思い出が溢れ出す。

「マリア……?」

 その時、そんな声に、マリアは驚いて振り返った。ここには亮との思い出しかない。

 マリアを呼び止めたのは、亮その人だった。

「りょ……旦那様。どうしてこんなところに……」

 思わずマリアは、亮の名を口に出しそうになった。まるで時が逆戻りしたかのように、温かな風が吹き抜ける。

 亮も思わぬ出会いに驚いていた。だが辺りを見回し、一目を避けると、静かにマリアへと近付いていく。

「君こそ……」

「……なんだか、足が勝手に」

「僕もだ……」

 二人は悲しく微笑み合った。亮は俯くと、元のレストラン裏口へと座る。

「ここで初めて君に会ったんだったね。君はここに座って、なけなしのパンを野良猫にやっていた」

 マリアは微笑み、大きく頷いた。

「盗みはいけない。でも、君の優しさが痛いほど伝わったよ」

「旦那様……」

 亮はマリアを見つめ、辛そうに微笑んだ。

「いつだったか、君を幸せにすると誓ったはずだが、今の僕が幸せでも、僕が誰かを幸せに出来ているのかはわからない」

 その言葉に、マリアは悲しそうに首を振っている。亮は微笑みながら、話を続ける。

「でもマリア。君には幸せになってもらいたい。僕がこうして今、幸せでいるように……」

 マリアは静かに頷いた。そしてゆっくりと口を開く。

「私の幸せは、昇が幸せでいること……あなたが幸せでいることです。私は今、幸せです。昇があなたのそばで育ててもらえること、感謝しています」

「……マリア」

 亮は立ち上がる。過去を思い出し、マリアを愛していたことを思い出す。しかし今は絶対に叶わぬ夢だ。なにより今の亮は、真紀と子供たちを愛しているのだ。それをマリアもよく知っている。

 しかし亮は突然、マリアを抱きしめた。互いに封印していた気持ちが蘇るようだった。

「旦那様……」

「少しだけ。今だけ、亮と……頼む。マリア……」

 マリアの目から、涙が零れる。

「……りょ……亮……」

 亮は目を瞑り、マリアの温もりを感じていた。殺してきた感情が、亮にも涙となって溢れ出る。

 かつて愛した女性に、亮は手を差し伸べることさえ許されていない。それに耐えるには、マリアへの感情を忘れることだけだった。それでも二人きりで出会った今、妨げるものは何もない。この場限りでも、すべてを忘れたかった。

「マリア……」

 しばらくして亮はそう言うと、静かにマリアから離れた。時を告げる鐘が鳴り、現実が二人を呑み込む。

「すまない。もう行かないと……」

 マリアは涙を拭くと、笑って頷いた。余計に別れが悲しかったが、夢のような時間でもあった。やはり自分の中で、亮しかいないのだと認識させられる。

「昇のことは安心していい。君を不幸にしてまで手に入れた財産だ。大事に育てる」

 微笑みながら、マリアはただ頷いた。

「君は大丈夫か? 一ヶ月の出張から帰ってきたばかりで、今の状況は知らないんだ。真紀に何か言われているなら、言ってくれ」

「いいえ。奥様は一週間の休息時間を与えてくださいました。私のことは心配いりません」

「……そうか。よかった」

 亮は静かに微笑んだ。安堵の意味には二通りがある。マリアが休めてよかったこと、そして真紀がマリアに対して優しさを見せたところだ。

 そうと知って、マリアも頷く。

「もう行ってください。私も、もう行きます」

「……ああ」

 二人は未練を断ち切るように、互いに背を向けると、静かにその場を去っていった。

 歩きながら、マリアの目から涙が伝う。やがて世界のすべてが滲み、マリアは足を止め、その場にうずくまった。

 今まで堪えていた不安や悲しみ、すべての感情が溢れ出し、マリアは声を上げて泣いた。

 心の底では、亮に戻って来てほしかった。未だ消えることのない亮への愛情は、もう一度押し込めるには時間がいるだろう。しかし久しぶりに感じた亮の温もりは、倒れかかったマリアの心を、芯から強く支えるようでもあった。

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