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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
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2-12 無力の悲しみ

 数日後。毎日、スナックが終わる時間に待ち伏せしている竜は、日に日に弱々しくなっていくマリアを目の当たりにしていた。

「マリア……」

 今日も竜は、閉店したスナックの前でマリアを見つめる。

「竜さん……」

「大丈夫か? フラフラじゃないか」

「大丈夫です」

 マリアはそう言って微笑むばかりで、改善策が何もない。

「今日もこの後、仕事か? いつ寝て、いつ食べてる? 死ぬ気なのか、君は」

 さすがの竜も、もう手を差し伸べずにはいられなかった。しかしそんな竜の手を、マリアはすり抜けていく。

「昇は……元気ですか?」

 突然、マリアがそう尋ねた。

 同じ家に住んでいる竜も、時間が合わずに昇と会う機会はそうそうないが、時に見かける昇の姿は、だいぶ織田家にも慣れた様子で、元気な姿だった。

「ああ、元気だよ」

「そうですか。家には慣れたのかしら……」

 マリアは優しげな目で遠くを見つめる。昇のことを思えば、何もかも頑張れる気がした。

「織田指揮官! 号令です」

 その時、遠くで部下の声が聞こえた。

「ああ、すぐ行く」

 竜はそう返事をすると、マリアの顔を覗く。

「毎日押しかけてすまない。今日は夜勤で見回りなんだ。もう夜中だし、マリアも気をつけて……」

「はい。いつもありがとうございます……」

 後ろ髪を引かれながらも、竜はその場から去っていった。

 マリアがその後向かったのは、新しく勤め出した工場ではない。人身売買屋だった。先程、持ち金を数えたが、休んだ日の分の金にはまったく届かない。明日の夜が約束の受け渡し日だが、このままでは真紀に合わせる顔がなかった。

 人身売買屋と掲げられた看板の店は、小さく不穏な煙が漂っている。

「いらっしゃい……」

 入ってきたマリアを見つめたのは、背丈の小さい中年男性だ。他に人はおらず、店主らしい。店主は舐め回すようにマリアを見つめると、顔を背ける。

「あんたは買わないよ」

「え?」

 突然言い放たれた言葉に、マリアは肩すかしをくらった。

「何か売りたいものがあって来たんだろうけど、どの部分でも、あんたは買えないね」

「どうしてですか?」

 マリアの言葉に、店主がマリアに近付く。マリアよりも背の低い店主が、マリアの手首を掴み、袖をまくり上げる。続いて目を見つめたかと思うと、上から下まで見ている。

「……何が売りたいんだい?」

「あの……何が売れるんですか?」

 店主の言葉に、マリアが尋ねた。

「買える物なら何でも買うよ。料金は人によってさまざまだ。でもあんたは、命を差し出されたって、売れるところは少しもない」

 マリアは口をつぐむ。

「見たところ栄養失調、過労、貧血。そんな骨と皮しかないような身体、誰が買う? 医療の実験にしたって、もう少しましな身体を望むよ。帰りな」

「……お願いします。何でもいいです。どうか買ってください」

 そう言うマリアに、店主は小さく溜息を吐いた。

「女なら、もっと売れるもんがあるだろうに。売りたければ、もう少し太ってからおいで。それでも死ぬ気でね」

 店主はそう言うと、マリアを店の外へ追いやった。

 マリアはしばらく店の前で俯くと、ポケットからメモを取り出す。そこには真紀に紹介された、歓楽街の店の名が書かれている。もうここへ行くほかないらしい。

 覚悟を決めたように、マリアは歓楽街へと向かっていった。


 初めて足を踏み入れた歓楽街は、今もなお賑わいを見せている。湯気だか煙だかわからないようなもやが包み、店の外でも客と客引きとが密集していた。

 マリアはそれを見ないように俯くと、とっさにメモを取り出して見つめた。住所からいけば、この近くのようだ。

 その時、マリアは近くにいた日本人とぶつかった。

「おっと、見ない顔だな。どこの店だ?」

 マリアを見てそう言い放つのは、小太りの中年役人だ。ひどく泥酔していて、足元もおぼつかない。

「すみません。違うんです……」

 お辞儀をすると、マリアは逃げるようにその場から去っていく。だが、どこもかしこも人で賑わい、土地勘もなく店を探しているマリアは、過労で足元がふらつくこともあり、何度も人にぶつかった。

「なんだ、おまえ。邪魔するなよ!」

「ごめんなさい」

 またしても人にぶつかったマリアは、突き飛ばされて転んでしまった。その拍子に、頼りのメモが手から離れる。

「あっ」

 這いずるようにして風に舞うメモを追うマリアに、メモを拾い上げる手が見える。見上げたマリアの目に、メモを拾い上げた人物の顔が映った。勤務で巡回中だった竜である。

 竜はメモの内容を見ると、驚いてマリアを見つめ、無言のままマリアに近付き、手を差し出した。

 マリアはバツが悪そうに目を泳がせると、静かに竜の手を取り、立ち上がる。

「……あの」

 何も言わない竜に、マリアはそっと竜の顔を覗いた。竜は黙ったまま、怒ったようにマリアを見つめている。

「すみません……」

 そう言って、マリアは手を差し出した。

 竜はメモを見つめると、マリアに差し出す。だが同時に、メモを手の中で丸めた。

 その行為に、マリアは驚いて竜を見つめる。

「……俺は、自分がこんなに無力だと思ったのは初めてだ……」

 静かに押し殺したような声で、竜が言った。

「竜さん……?」

「なぜだ! なぜ、ここへ来た!」

 マリアの肩を掴みながら、責めるように竜が言う。そんな竜から目を逸らせぬまま、マリアは口をつぐんだ。

「……わけを話してくれないか?」

 やがて出た竜の言葉に、マリアは首を振った。

「やっと出来た決心なんです。このままこの世界に入ります」

「……娼婦になるということか?」

 マリアは暗く頷いた。竜は無力の念に駆られ、肩を落とす。

「これは真紀の字だな。他に道はないのか? 金か、時間か? 君が望むなら、俺は死ぬ気で真紀に向かうぞ」

 必死なまでの竜に、マリアは悲しく微笑み、首を振る。

「すみません……」

 そんなマリアの腕を、竜はカッとなった様子で強く掴み、歩き出す。

「竜さん」

「行かせない」

 そのまま竜は仕事を抜け出して、マリアを連れて宿舎へと戻っていった。


「竜さん!」

 部屋に投げ入れられたマリアは、竜に叫ぶ。

「手荒なことをしたとは思ってないよ。このまま君を押し倒したっていいけど、それでも君を止めることは出来ないんだろうな」

 それを聞いて、マリアは眉をしかめると、静かに服のボタンに触れる。

 だがすかさず、竜が止めた。

「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないよ」

「私だって……身売りなんかしたくありません。でも、そうでもしないと……」

 初めて本音を言ったマリアを、竜は抱きしめた。

「……俺もまだ仕事中でね。すぐに戻らなきゃならない。だけど、もうすぐ夜勤が終わる。そうしたら、真紀のところへ行ってくる。向こうもやり手だが、出来るだけの交渉をするよ。朝から晩まで休みなく働き続ける君が、金のためにそんな仕事まで手を染めるのはおかしい」

「……でも」

「君の“でも”は聞き飽きた。これから新しい生活が始まるんだ。しっかり休んでおけよ」

 すっかり開き直った様子の竜に、怖いものはないように見える。涙を溜めたマリアの顔を、しっかりと竜が掴んだ。

「マリア。俺は君が好きだ。だからといって、なぜだか見返りは求めてないよ。君が幸せになれればそれでいい。これは、君が昇や亮を想う気持ちと似ているのだろうか……自分でも、こんな気持ちは初めてで、少し戸惑ってる。だけど俺は、君を娼婦なんかにしたくないだけだ。安心して待っておいで」

 耐え切れずに、マリアの目から涙が零れた。幸せな気持ちと、いけないと止める気持ちが入り混じる。ここまでしてくれる竜に、何のお返しも出来ない自分に腹が立つ。それでも竜は、変わらぬ優しい目をマリアに向けている。

「じゃあ仕事に戻るよ。万が一、君が逃げ出さないためにも、悪いけどドアの鍵はかけさせてもらう。高層だから窓も開かないし、ここにいるほかないよ。大丈夫、真紀も話せばわかるやつだ。あ、冷蔵庫に食べ物はたくさん入ってるから、勝手に食べろよな。じゃあ、行ってきます」

「あ、あの!」

 そう言って背を向ける竜を、マリアは呼び止める。

「これを……奥様にお渡しください」

 マリアは肩をすぼめて小さくなりながら、ポケットの金を全部差し出した。

「……わかったよ」

「ありがとうございます……」

 今のマリアには、それ以上の言葉が出てこない。竜はマリアに笑顔を向けると、部屋を出ていった。

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