2-9 歓喜なる再会
歓楽街では、竜をはじめとする役人たちが、見回りに出ていた。
「仕事で歓楽街ってのも、なんか嫌だなあ」
寒さに身をよじりながら、竜が言う。
「こっちは夜勤ばかりで、仕事でなくとも来てないよ」
そう言ったのは篠崎だ。竜は笑った。
「ハハッ。でも明日はおまえ、休みだろ。このまま歓楽街に消えるんじゃないだろうな」
「バレたか。最近、話題の店があってさ。今度一緒に行こうぜ」
「へえ。話題って、どんな?」
葉巻に火をつけながら、竜が尋ねる。女遊びは日常茶飯事だが、最近はマリアに恥じることはしたくないと思っている。
「鬼畜揃いの日本人役人をターゲットにした新サービス。サディストの喜ぶ美女小屋だよ」
そう言って、篠崎が店の名刺を差し出す。
「センスのない店だ」
竜は顔をしかめて、名刺を篠崎に返した。
「でも、結構ハマるらしいぞ」
「SMクラブみたいなもんだろ。おまえもいい趣味してるな」
「なんだ。日本じゃ夜の店を渡り歩いてるはずのおまえが、乗り気じゃないか?」
「そういう趣味がないだけだ」
竜は苦笑すると、下品な話題に嫌気すら差す。あたりはまるで昼間のような賑わいを見せ、竜が吐く葉巻の煙に霞んでいても、知っている顔がちらほら見える。
「客のほとんどは日本の役人だ。取り締まるも何もないな。他を巡回しよう」
「待てよ。その店の場所だけ確認させてくれよ。今日あたり、このまま行くかもしれないからな」
篠崎の言葉に、竜は呆れた顔をする。
「見上げたやつだな、仕事中に」
「そう言うなよ。しかし織田は、仕事とプライベートをしっかり区切るよな。こんなに真面目にやってんのに、夜は女遊びが尽きない。俺もそうやって割り切りたいよ」
「ハッ。おまえはどっちも中途半端なんだよ」
「でも、やってることは変わらないだろ?」
下品に拳を振る篠崎に、竜は顔を背けた。
「ああ、もういいよ、そういう下品な話は。それに、しばらく遊びはやめようと思ってるから、誘ってくれるな」
遂に竜が拒否して言った。そんな竜に、篠崎が驚きの表情を見せる。
「おまえが? なんか最近、変だぞ」
「そんなことはない。そろそろ夜勤が明けるか……おまえ、このままここにいるなら、もういいよ」
「そうか、じゃあお言葉に甘えて、歓楽街で休ませてもらいますよ」
「溺れるなよ」
「ああ。じゃあな」
篠崎はそう言うと、歓楽街へと戻っていく。竜は苦笑して、歓楽街を出ていった。
竜の心に、マリアが根付いているのがわかる。もはや篠崎の誘いも耳に入らないまでだ。竜は遊びばかりで本気の恋など、ほとんどしたことがない。そのため胸を騒がせるこの温かな気持ちに、心地良いような胸騒ぎのような、なんとも落ち着かない気持ちでいるのだった。
マリアは夜の間、付近の店を回ったものの、雇ってくれる店はひとつも見つけられず、途方に暮れていた。しかし、まだ少し猶予がある。何か知恵を絞り出さねばと思った。
ふと、ひっそりと佇む小さな店が目に入り、気になった。店の看板には、“何でも買います!”と書かれている。
この街では、臓器売買も商売のひとつだ。あまり表には出ない商売だが、献血をはじめとするあらゆる身体の売買がなされている。
「おい、あんた。やめときな」
そんな声と同時に、マリアは何者かに手首を掴まれ、驚いて振り返った。
そこには、必死な顔のネスパ人の青年がいた。しかし、どこか懐かしい顔だ。長めの金髪を後ろに束ね、緑色の瞳をしている。
二人は、顔を見合わせてハッとした。
「……マリア?」
「クリス!」
二人は知り合いであった。話をするため、マリアは近くにあるという、青年の家へと向かっていった。
「生きててくれて、会えて本当によかった……小さな街だというのに、今まで会えなかったなんて。行動範囲が狭いのも困り者だな」
青年がお茶を出しながら、苦笑して言う。マリアも懐かしい顔を向けて、青年を見つめた。
「もう十年にもなるかしら……家族はみんな、失ったのだと思っていたわ」
「ああ、僕も……」
青年の名は、クリストファー。通称・クリスと呼ばれるその青年は、マリアの従兄弟だった。戦争で生き別れ、死んでしまったものだと互いに思っていたため、嬉しい再会に胸が躍る。
そしてクリスは、マリアが子供の頃に親が決めた、婚約者でもある。しかし当時、マリアはまだ幼く、クリスのことを男性として見たことはなかった。
「本当に、会えてよかった」
そう言うクリスは、本当に懐かしそうに笑っている。そんなクリスに、マリアも微笑む。
「クリスは、今までどうやって生きてきたの?」
「僕はこっちに移動した当時は十三歳だったからな。働いていたよ。男だから、いろいろ仕事もあったしね……大工、新聞配達、農業、工業、ありとあらゆることをやってたよ。でも今は勉強して、ネスパ医療の医者になったんだ。おかげで勉強漬けだったから、マリアとも会えなかったんだな」
「お医者様? すごいわ」
「それほどでもないよ。マリアは?」
「私は、当時十歳……難民に混じってここに来て、十五歳まで西地区で牧師様に育てられてたわ。でも牧師様も亡くなり、一人に……そしてこちら側の東地区に来て、乞食同然の暮らしをしていた。仕事もなくて……でも、ネスパ人はみんな優しい人。食べ物を分けてくださったり、お風呂を貸してくださったり、十七までそんな暮らしをしてたわ……」
マリアはその後、亮と出会った頃のことを思い出し、言葉を詰まらせる。
『君のことだけ愛してるんだ。マリア、僕は君のことだけ……』
亮のそんな言葉が思い出される。
(私だって、あなただけを愛してる。それなのに、なぜあなたは戻って来てくれないの? 私はいつまでも待ってる……お願い。昇を連れて帰ってきて。私のところに……)
それが、マリアの心に潜む本心だった。
「マリア?」
マリアは涙を流していた。
「ごめんなさい、クリス……」
「……みんな死んだのか?」
「うん……」
「おじさんたちも、兄弟たちも?」
「うん……」
クリスはマリアと対面しながら、静かにマリアの頭を撫でた。まるで子供をあやす時のように、優しいクリスの手が、何度もマリアの頭を撫でる。
そんなクリスに、マリアは涙を拭き、笑顔で応えた。それに対してクリスも笑顔で頷き、口を開く。
「うちの親はこっちに来て、いきなり病気にかかって死んだよ……生き残りは、僕たちだけみたいだな」
「そう……」
「だけど、マリアだけでも助かってよかった。もう親戚は、誰もいないと思っていたから……」
「うん。私も……」
言葉少なく、マリアは過去を思い出していた。肉親は誰もいないと思っていただけに、クリスの存在はマリアの心を軽くさせる。
そんなマリアに、クリスは静かに尋ねた。
「それより、マリア。どうして人身売買屋なんかに入ろうと……?」
そう尋ねられ、マリアはハッとする。
「入ろうとしてないわ。でも、お金に困ったら入ろうかと……」
「やめておいたほうがいい。僕も医療や実験で世話になることもあるけど、あそこは身を削るところだ。血を売るくらいならいいだろうが、他は元には戻らないんだぞ。それに買い叩かれて、ずいぶん安く買われるそうだ。得はないよ」
必死に説得しようとするクリスに、マリアも頷いた。
「大丈夫。最後の手段だと思っただけだから。入ろうとしてないわ」
「……金に困ってるのか? 痩せて栄養失調みたいだし、困ってるなら少しは貸せるよ」
「ありがとう……でも私、もう行かなきゃ。次の仕事に間に合わなくなっちゃう」
マリアは立ち上がると、クリスに会釈をし、口を開く。
「本当に、会えてよかった」
「ああ。君の職場は?」
「近くのレストランやスナックで働いてるわ」
「そう。今度ゆっくり話をしよう。積もる話が、お互いにたくさんあるはずだ」
「ええ。じゃあ、また」
そう言うと、マリアは足早にクリスの家を出ていった。
親戚が生きていた嬉しさ、自分とは比べ物にならないほど立派な人生を歩んでいるクリスに、自分の情けなさを恥じるしかない。
マリアは懐かしいクリスとの再会を喜ぶ反面、金の工面の見当もつかず、何の打開策も見つけられないまま、仕事を続けていた。




