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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
19/81

2-8 互いの思い出

「え……?」

「……当時、親父は国のお偉いさんで、拘束状態のネスパに視察へ行き、一人の女性と関係を持った。その頃は交流が禁じられてたわけじゃないし、無法状態だから咎められないけど、やがて日本がネスパ人の受け入れをすることになり、第一陣のネスパ人移住者とともに、その女性もここ、ハピネスタウンにやってきた」

 淡々と語る竜に、マリアは耳を傾ける。

「ハピネスタウンか……誰がつけたか、皮肉な名前だ。だけど人の良いネスパ人は、それでも幸せを探してた。親父と関係を持った女性もそうだ。親父はネスパ人女性にご執心。この街の最高指揮官にまで任命され、知らぬ間に亮も産ませてた」

 マリアも初めて聞く話だった。マリアは口を挟まぬまま、竜の言葉を聞いている。

「おかげで俺の母親は、ノイローゼ状態で行方を晦ました。その後、まだ治安も法律も整備されていないハピネスタウンに、俺は親父に連れて来られた。そこで会わされたのが、亮と亮の母親だ。亮の母親は、君のように長い金色の髪をした、若くて美しい女性だった」

 独り言のように続ける竜に、マリアは黙って聞いている。亮の母親と同じだったという自分の金髪に触れると、竜の過去が同時に溢れ出してくるようだった。

「俺は、母親から父親を奪った女性と知りながらも、その人を憎めないと思った。子供心に、優しくて綺麗な人という印象しかないんだ。俺はこの先、親父とその人のもとで、亮とともに暮らしていくのだと思った。だけど……」

 竜の顔が苦痛に歪み、遠い目をする。自分を苦しめ続ける悪夢の核心に触れるように、竜は自分の心を探りながら口にする。

「だけどある日、女性は涙を溜めて俺を見つめた。そして“亮をお願いね”とだけ言って、俺に背を向けたんだ。離れて立っていた親父は、役人に囲まれて静かに言った。“処刑しろ”と……」

 マリアは目を見開いた。鳥肌が立つほど、重く冷たい言葉が響く。

「それから俺が親父に連れて行かれたのは、処刑場だ。さっきまでしゃべっていた女性が、大勢の人の前で見せしめのように、首を吊るされて処刑された。俺もまだ小さかったけど、それがきっかけで親父に反発。親父には早々に見捨てられた。“あいつは使い物にならない”ってね。でも、そんなことはどうでもよかった。問題なのは、俺から離れない悪夢だ」

 俯く竜の頬に、マリアがそっと手を触れた。竜もマリアを見つめる。

「……すまない。こんな辛気臭い話」

「いいえ」

「あまりこの話をしたことがないんだ。亮にも……でもこの街に来て、またよく悪夢を見るようになって、いい加減、俺も精神的にヤバくてね。古い話につき合ってくれて、感謝してるよ」

 そう言った竜に、マリアは首を振る。

「……落ち着くな、君といると。癒しの力は、今でも俺を癒してくれているのだろうか」

 マリアは悲しく微笑んだ。

「私が医者なら、あなた様の心まで癒すことが出来たでしょうに、私にそんな力はありません。でも私といて落ち着けるなら、このままでいます」

 竜は小さく頷いた。そしてマリアを見つめる。

「……今度は、君の話を聞かせてくれないか?」

「私のですか?」

「よければでいいけど」

 マリアは微笑み、頷く。

「私は十一人兄弟の下から二番目に生まれました。山間の草原に佇む小さな家で、目の前には一面の花畑があったのを覚えています」

「へえ。十一人兄弟。すごいね」

 ソファに座りながら、竜が笑顔で聞き入る。マリアもその横に座り、懐かしい目をしている。

「でも、今でこそあまり子供はいませんが、その頃のネスパはそのくらいが普通でした。子供を産めば子だくさんですし、産まない夫婦もたくさんいるので、全体的に多すぎることはありません」

「ふうん?」

「それからしばらくして、私が十歳の時に何度目かの戦争が始まりました……すでにここへの移住が始まっている中での、ただのネスパ人への間引きだけの戦争です。それに戦争といっても、ネスパ人は戦わず、そのまま拘束された人がほとんどでした」

 マリアの顔が、過去の緊張に強張る。

「私は……弟と一緒に、森で遊んでいました。でも戦闘機が低空飛行で家のほうへ行くのを見て、慌てて弟を連れて家に戻りました。でもすでに家は火の海で、生き残った姉が家から出て来たところを、撃たれて殺されるのを見ました。私は弟と二人で逃げましたが、すぐに拘束されて収容所に。弟はもともと身体が弱くて、収容所で亡くなりました。私はそのまま、難民としてここへ……」

「そうか……ごめん、辛い過去を思い出させたね」

 竜は目を泳がせてそう言う。でもマリアは首を振った。

「でも幸い、私は生き残りました。家族の分も生きなきゃって思いますし、一人になってからも、いろんな人と知り合い、優しい人もたくさんいました。私は同じ境遇の子供たちとともに、西地区の教会で牧師様に育てられました。環境が変わり、過去にうなされて死んでしまう子供もたくさんいましたが、それでも私は生き残りました」

 頷きながら、竜はマリアの言葉に耳を傾ける。

「そして十五歳の時に牧師様が亡くなられ、私は一人、こちらの東地区に移動しました。心機一転やり直したかったんです。でも女で仕事もなく、食べ物の窃盗などを繰り返してその日暮らし。人間の生活ではありませんでした。そんな時、助けてくださったのが、旦那様です」

「……亮?」

「ええ。旦那様は、初めて私に優しくしてくださった日本人です。あのままでいたかった……」

 溢れ出しそうな涙を堪え、マリアは天井を見上げた。

(でも、あの頃のあの人は、もういない……)

 マリアの心を、冷たい風が通り過ぎた気がした。そんなマリアの心を察して、竜がマリアを引き寄せる。

「……亮は幸せ者だ。君みたいな人に好かれて」

「いいえ。そのせいで私はみすみす、あの方から未来を奪うところでした……」

「すまない……あいつの兄として、謝っておくよ。あいつは温室育ちだからな。俺とは比べ物にならないほど、小さい頃から期待され、英才教育を受け、親父の敷いたレールの上通りに走ってきた。君を愛しても、どうしようも出来なかったんだろう」

「いいえ。昇を引き取ってくださいました。奥様にも感謝しています」

 竜はマリアを見つめる。

「……君は? 君の幸せは、どこにある?」

「昇が何不自由なく、幸せに生きること。旦那様や奥様が、幸せに生きることです。もちろん、あなた様も」

 何にも見返りを求めぬその言葉に、竜は目を泳がせる。

 その時、マリアが立ち上がった。

「私もしんみりさせてしまってすみません。時間なので、もう行きます」

「え?」

 返事をしながら、竜は時計を見つめる。真夜中だが、マリアの仕事の時間に近付いている。本当はしばらく静養してもらいたいが、これ以上は、もうマリアは聞かないだろう。

「そう……か。本当に、もう大丈夫なのか?」

「はい、もうすっかり。本当にありがとうございました」

 竜は静かに立ち上がると、ダイニングテーブルの上にあった大きな箱を差し出した。マリアは訳がわからず、竜を見つめる。

「君へのプレゼントだ。俺には、こんなことくらいしかしてやれないけど……」

 そう言って竜が箱を開ける。すると中には、コートや靴、そして服が入っていた。

「こ、こんな高価な物、いただけません!」

「そう言うと思った。でも、せっかくだからもらってくれよ。俺には恋人も子供もいないし、使う金もないからね。君が着ていた靴もコートも、ボロボロだったろう? これで少しは暖かく過ごせるだろう」

 マリアは小刻みに震えて首を振った。嬉しさや後ろめたさが入り混じって、複雑な表情を見せている。

「私は、あなた様に感謝しきれません……」

「感謝なんて、してほしくてしてるわけじゃないよ。君の性格からして無理かもしれないけど、負い目には感じないでくれ。これは俺の、ただの勝手な好意なんだから。君がもらってくれないと、俺が女装でもしなくちゃならない。もらってくれよ」

 竜の言葉に、マリアは笑って頷く。

「ありがとうございます。本当に……」

「こっちこそ強引に引き入れてしまって、すまないと思ってる。今日は俺、夜勤で夜は一緒にいられないけど、暴徒には気をつけてくれ」

 そう言って、竜はマリアにコートを着せると、マリアを軽く抱きしめた。

「無茶はするなよ……」

 優しい竜の温もりがマリアを包む。マリアは頷き離れると、深くお辞儀をして、竜の宿舎を出ていった。

 残された竜も苦悩していた。もうマリアから離れられないと思った。しかし、不思議とマリアをどうこうするつもりもない。ただ幸せになってもらいたいと思う。そんな感情を、竜は生まれて初めて感じていた。


 街へ出たマリアは、真っ暗な空を見上げた。星が輝いているが、吐く息に白く濁る。竜にもらった新しい服に身を包み暖かさを感じ、優しさを分けてもらったようで、新しく頑張れるような気がした。

 だが、今まで通り一日の仕事をこなしても、休んだ一日分の金を返せる手立ては思い当たらない。一日稼いで少し余る小銭も、何日かかれば一万も貯まるのだろう。そんなことを思いながら、マリアは仕事を続けた。


 その日、マリアは織田家の裏門で一人、真紀を待った。さすがに暴徒に襲われた後では一人は心細かったが、ただ身を縮めて真紀を待つ。

 やがて真紀がやってきた。小奇麗な格好のマリアを見て、小さく笑う。

「竜のプレゼント? 相変わらずね、あの人の女ったらしぶりは」

 けなすようにそう言う真紀に、マリアは首を振る。

「私があまりにも汚い格好だったので、きっと同情してくださったんだと思います……」

「口答えはいいわよ。一日休んで、楽にはなったの?」

「はい。突然休んでしまって、申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げるマリアに、真紀は顔を背ける。

「私はお金さえ用意してもらえれば、それでいいわよ」

 その言葉を聞いて、マリアはバツが悪そうに金を差し出した。手の中には、一万と千パニー少しの金がある。今までコツコツ貯めてきた、僅かな小銭だ。

「すみません。今まで貯めてきた全財産を合わせても、今はこれしかありません。仕事を増やすとか、なんとか考えて、必ず休んだ分はお渡しします。ですからどうか、昇には……」

 頭を下げてマリアが言う。一日でも金が滞れば、昇の身が削られると聞いている。食事をさせてもらえなかったり、何か辛いことが起こってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

 必死なまでのマリアに、真紀が笑う。

「私も鬼じゃないわ。そんなに簡単に、子供に手は上げないわよ」

「ありがとうございます……」

「でも、あなたは別よ。せっかく刑務所から出してあげたのに、楽に生きてもらっちゃ困るわ」

「……はい。わかっています」

「そう。わかっているのなら話は早いわ。今週中に、休んだ分の一万パニーを稼ぐこと」

「今週中……」

 マリアにとって、途方に暮れるような無理難題だった。一ヶ月の猶予をもらっても、今の生活のままでは厳しい。

「ただでさえ、あなたは私に借金があることを知ってるわよね? 一日のノルマも稼げなくてどうするのよ」

 真紀の容赦ない言葉が飛ぶ。マリアは真紀に、今まで住んでいた場所の家賃をも肩代わりもしてもらっているため、少しも反論出来る隙がない。マリアは途方に暮れながらも頷いた。

「わかりました。今週中に、必ず……」

「稼ぐ当てはあるの?」

「いいえ……でも、なんとか仕事を見つけます」

 そう言ったマリアに、真紀は溜息をつくと、持っていたメモに何か書き始め、マリアに差し出した。そこに書かれていたのは、歓楽街にある店の連絡先である。

 マリアは慌てて真紀を見つめた。

「困った時はそこへ行くといいわ。歓楽街の中でも、給料がいい店なの」

「……身売り、ですか」

 マリアの目は悲しく見開いている。今までどんなに金が無くても、自らの身を売ることだけはしたくなかった。だが今、マリアに突きつけられている現実は、もうそれしかないように見えてしまう。

「べつに強要しているわけじゃないわ。当てがないなら、そこへ行けばいいと言っているの。それにしても、何? 今更、純潔でいようとでも思っているのね」

 真紀の言葉に、マリアは少し赤くなって俯く。

「……昇のためにも、恥ずかしくない暮らしをしたいと思っているだけです。私がそういう仕事をしたと知れば、あの子は傷つくと思うので……」

「じゃあせいぜい頑張ることね。それから、今後はここへ来なくていいわ。竜がうるさいのよ。私も忙しい時期に入ってきたのでね。今後は一週間に一度、週末に使いをやるわ」

「わかりました。よろしくお願いします……」

 マリアの言葉を聞き終わらないうちに、真紀はもうすでに背を向けている。マリアはその背中に一礼すると、その場を去っていった。

 吹雪いてきた街に、足取りは重くなるばかりだ。しかし、ここで立ち止まっていても何もならない。

 出来れば身を売るようなことはしたくない。マリアの脳裏に、亮の顔が浮かぶ。叶わぬ夢でも、綺麗な身体のまま亮を待っていたいと思う気持ちもあった。

 そのままマリアは、まだ眠らない夜の店を中心に、仕事探しに出かけた。身は売らずとも、今働いているスナックのように、昼間より時給が高い店もある。マリアはそのまま手当たり次第に店を訪れた。

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