2-4 雪あそびの庭
朝、最高指揮官邸では、子供部屋で怒鳴り声が響いた。
「おまえ、ずるいぞ!」
そう叫ぶのは、亮と真紀の息子である力だ。力は昇に掴みかかると、強い力で突き飛ばす。昇は理不尽な攻撃に屈することなく、ただ力を見つめていた。
「何を騒いでるんだ」
そこに、騒ぎを聞きつけた亮がやってきた。いつもは日本とハピネスタウンを往復する日々だが、今日は珍しく休みである。
そんな亮に、力が駆け寄った。
「パパ。こいつ、クリスマスプレゼントを二個ももらったんだよ。サンタクロースが間違えたんだ!」
力の言葉に、亮は驚いた。昇に二個のプレゼントがあるのは、ひとつはマリアからのものだ。力の手には、昇から奪い取ったマリアからのオルゴールが握られている。
「返しなさい、力。サンタクロースが間違えたとしても、それは昇のものだよ」
亮の言葉に、力は首を振る。
「嫌だ! 僕だって二個欲しい!」
そう言って泣き叫ぶ力に、昇は俯いた。
「じゃあ、いいよ」
昇が言った。すかさず亮は、昇の肩を抱く。
「駄目だ。これは、昇のものだよ」
「ううん、いいんだ。力君にあげるよ……僕、庭に出てくるね」
そう言って悲しく微笑むと、昇は子供部屋を出ていった。
残された力は、昇には構わず、双子の妹である真世のもとへ駆け寄る。
「真世。オルゴールだよ」
「綺麗な音だね」
力と真世は、オルゴールを見つめて笑う。そんな二人を見て、亮が口を開いた。
「力。オルゴールを返しなさい。それは昇のものだろう。おまえには今度、何か買ってあげるから」
そんな亮に、力が逆上して立ち上がる。
「違うよ。僕がもらったんだもん。あんなやつ大嫌いだ!」
力がそう叫んだ。真紀が昇に対して冷たいからか、いつしか力も昇を敵対視するようになっていた。真世はそこまで意識していないようだが、昇が孤立しているのは明らかである。
それを見て、亮は力の頬を叩いた。力の目から涙が溢れる。
「そんなことを言うものじゃない! おまえの兄さんじゃないか。返しなさい」
「……わかったよ! パパはあいつのことばっかり可愛がって、僕が嫌いなんだ。もういいよ!」
力はオルゴールを亮に向かって投げつけ、走り去っていった。しかしオルゴールは亮の手前で落ち、その拍子に壊れてしまっている。
壊れたオルゴールを拾い上げると、亮は子供たちの現状に頭を痛めた。
庭では昇が一人、雪の庭を歩いていた。孤独感が昇を包む。ひもじい思いなどせず、勉強も出来るこの家だが、今までずっと一緒に暮らしてきた母親から引き離され、ここの環境にも馴染めることはない。
「昇じゃないか」
その時、昇は帰ってきたばかりの竜と鉢合わせした。竜とは昨日が初対面のまま、挨拶も自己紹介もせずに今日を迎えている。
「……おじさんは?」
「ハハ。俺ももうおじさんか。俺は、織田竜だ。おまえのパパの兄貴だよ」
「パパのお兄さん?」
「ああ。こんなところで、一人で何やってるんだ?」
竜の言葉に、昇は俯く。
「さては誰かと喧嘩でもしたか?」
それを聞いて、昇は驚いて顔を上げた。
「どうしてわかったの?」
「そうだな……おまえよりも、長く生きてるからな」
竜はそう言うと、笑って雪をかき集める。
「ほら、なにやってんだ。おまえも雪を集めな」
突然の言葉に、昇は訳もわからぬまま、竜に倣って雪をかき集める。
「手袋、貸してやるよ」
そう言って、竜は昇にぶかぶかの手袋をはめてやる。そして持っていた荷物を置くと、本格的に雪をかき集め始めた。
しばらくすると、雪だるまの土台が出来上がる。とっさの思いつきだったが、竜の行為に昇の心はほぐれていた。
「なにやってるの?」
そこに、亮がやってきた。
「おう、亮。おまえも手伝えよ」
子供のように笑って言う竜に、亮も微笑む。
「相変わらずだな、兄貴。自己紹介はもう済んだのかい?」
「もちろんだ。なあ? 昇」
竜の問いかけに、昇も笑って頷く。
「うん!」
そんな笑顔の二人を前に、亮も考えさせられていた。
仕事漬けで、力や真世とも会えない日が続く中で、新しく入ってきた昇へのフォローがどうしても行き届かない現実に、竜の存在は不可欠だと認識する。
その後、亮も交えての雪だるま製作が始まった。それを聞きつけて、後から力と真世も加わる。いつの間に、分け隔てなく笑顔が零れていた。
「完成──!」
しばらくして、寒いというのに汗までかいた一同が、完成した雪だるまを前にして叫んだ。
「やった! すごい大きいね」
力が思わず、隣に居た昇にそう言った。昇も笑顔で頷く。
「うん」
「……さっきはごめんね。昇君」
力からの、思わぬ素直な言葉だった。昇は首を振って微笑む。
亮はそれを見届けると、口を開いた。
「さあ、そろそろ中へ入ろう。風邪を引くよ」
「はーい!」
力はそう言って家へと駆け出した。それに続いて真世も走り出す。
最後に残った昇の肩を、亮は抱き止めた。
「昇。おまえのクリスマスプレゼントだ。大事にしなさい」
亮はそう言うと、昇にオルゴールを渡す。力が投げて壊れてしまったが、亮がなんとか自力で直した物である。
昇はそれを受け取ると、笑って頷いた。
「ありがとう、パパ」
そう言うと、昇は家の中へと駆けていった。
残された亮は、放り出された荷物をまとめている竜を見つめる。
「兄貴、ありがとう。助かったよ」
亮の言葉に、竜は笑う。
「何がだ? おまえに何かをしてやった覚えはないよ。でも、さすがに疲れたな。張り切りすぎたか」
「兄貴が来てくれて本当によかったよ。早く中へ行こう。みんな揃って風邪だなんて、洒落にもならないからね」
「ああ。そうしよう」
二人も家の中へと歩いていった。
竜の存在は、亮にとって昔から大切なものだった。亮は父親に将来を嘱望され、子供の頃から英才教育を受けてきた。しかし反対に伸び伸びと育った竜には、今まで何度も助けられている。
次の日から、竜は新しい勤務先での仕事が始まった。竜は篠崎と同じ部署の指揮官で、街の犯罪取締任務についている。
「なんだか日本にいた頃と、仕事内容は変わらないな……」
新しい職場にも少し慣れたある日、竜はぼそっと呟きながら、ひとつの建物から出ていった。建物の前には、探偵事務所の看板が掲げられている。竜はそのまま、仕事を終えた街を歩いていった。
役人所の前には、数台の馬車が停まっている。帰宅ラッシュなのだ。竜が馬車乗り場へ歩いて行くと、役人所から出て来る人物を見つけた。真紀である。
「真紀」
「竜……珍しいわね。こんなところで会うなんて」
「そうだな。同じ場所で仕事してても、会うことはないな」
「同じ家でも、会わないわね」
二人は笑うと、馬車乗り場へと向かっていく。
「今日は歓楽街には行かないの?」
嫌味を言った真紀に、竜は鼻で笑った。
「俺ももう若くないんでね。そう毎日は続かないよ」
「もう。相変わらずね」
二人は笑って馬車へと乗り込み、同じ家へと帰っていった。
竜はその夜、今日の仕事をすべて終え、ゆったりとベッドに寝そべった。ベッドの上には仕事鞄が投げ出したままで、竜はそこから忘れかけていた探偵事務所の資料を取り出す。
封筒の中には、数枚の書類が入っている。数日前に、マリアの現状を調べるようにと頼んでおいたものだ。深入りする気はなかったが、どんな生活をしているのか知りたかった。
だが、そんな竜の軽い気持ちは、一瞬にして重くなった。字を追うごとに、信じられない思いでいっぱいになる。
『調査対象者・一日の行動記録』
午前四時から四時半、港貨物事務所にて清掃作業。
午前四時半から七時半、港にて貨物運搬作業。
午前七時半から八時半、休息。レストランにて仮眠、入浴など。
午前八時半から午後六時半、レストランにて主に洗い場での作業。
午後六時半から七時、休息。
午後七時から午前一時。スナックで接客。
午前一時から三時。最高指揮官邸外にて、最高指揮官夫人と面会している模様。
午前三時から四時、移動と仮眠。
竜は無意識に時計を見つめた。そろそろ夜中の十二時を回ろうとしている。竜は報告資料を投げ出すと、ベッドに寝そべったまま目を瞑った。
簡単に調べたはずの報告資料だが、マリアの過酷な日常が克明に記されている。簡単だからこそ余計に、淡々と綴られる資料にそれ以上目を通せなくなった。
その日もマリアは、織田家の裏口に辿り着いた。
時折、咳が漏れるが、もう倒れるものかと気をしっかりと持ち直す。マリアはいつものように、雪の上に腰を落ち着かせた。
少しすると気配がしたので、マリアはすかさず立ち上がった。するとそこには、会うべき真紀ではなく、竜がいる。