2-3 聖夜の贈り物
「昇……!」
マリアの顔が途端に和らぐ。同時に、もう会うことは出来ないはずだという罪悪感もあったが、嬉しさは隠し切れない。
「早く抱きしめてあげなよ」
そんなマリアに竜が言う。マリアは喜びと不安に、竜と亮を交互に見つめた。
「……いいんですか?」
「もちろんだ」
竜の言葉を聞いて、マリアはベッドから降りた。すると昇はマリアに駆け寄り、抱きつく。
「ママ!」
「ああ、昇。夢じゃないのね。昇……」
至福の時だった。感激のあまり、マリアの目からは涙が零れる。そんな感動的な再会を、竜と亮はただじっと見つめていた。
「昇……顔を見せて。いい子にしてた?」
「うん。僕、お勉強もお作法も、頑張ってるよ」
「そう、よかった」
昇を抱きながら、マリアは笑顔で頷く。
「ママ。ずっとここにいる? それとも、また行っちゃうの?」
そんな問いかけに、笑顔のマリアも目を伏せた。
「ごめんね。前にも言った通り、もう会っちゃいけないのよ。私はもう、昇のママじゃないから……」
「僕、まだわかんない。ママは僕のママじゃないの?」
「……今は、力君と真世ちゃんのママが、昇のママでしょう?」
マリアの言葉に、昇の顔も曇り始める。
「違うよ……あのママ、僕のこと好きじゃないみたい」
「そんなことないわ。どうしてそう思うの? そんなことは言っちゃ駄目」
昇は涙を溜めて、マリアを見つめる。
「ママも僕のこと嫌いなの? だから行くの?」
マリアにとって衝撃的な言葉だった。昇の顔を撫でながら、しきりに首を振る。
「そんなこと、あるわけないじゃない。私は昇が大好きよ……だから離れるの。昇が幸せになれるように祈ってるわ」
「ママ……」
昇は幼いながらに、マリアとは会ってはいけないことを悟っていた。しかしそれを簡単に受け入れられるはずもなく、度々体調を崩している。しかし今夜ばかりは嬉しそうだ。
「昇、もう寝ましょう。遅いわ」
「ママは?」
「そうね……昇が眠るまで側にいるわ」
「じゃあ僕、寝ないもん」
「昇。そんなこと言わないで」
マリアは少し離れたところにいる竜を見た。竜は察して頷く。マリアは竜にお辞儀をすると、さっきまで自分が眠っていたベッドに、昇を寝かせる。
「ママ……」
昇はマリアが見つめる中、すぐに眠ってしまった。
そんな昇の寝顔を見つめ、マリアも明日からの活力を得ていた。
マリアは昇が眠ったことを確認すると、静かに立ち上がる。そして対面した形で座っていた竜と亮の前に立ち、深々とお辞儀をした。
「ありがとうございました。すみません。また昇と会ってしまって……」
そう言うマリアに、亮は首を振って立ち上がる。
「構わないよ。今日はクリスマスプレゼントだ。本当は好きな時に会わせてあげたいけれど……」
一同の脳裏に、真紀の顔が浮かぶ。マリアは微笑み、首を振った。
「いいんです。もう二度と会いません。私も辛くなるだけですから……」
「マリア……」
「それよりも、出来たらお願いが……」
「なんだい?」
「あの……昇へクリスマスプレゼントを買ってあるんです。その……」
言いにくそうなマリアに、亮は察して頷く。
「ああ、いいよ。あげたらいい」
「ありがとうございます」
マリアはほっと胸を撫で下ろすと、嬉しそうにポケットからラッピングされたオルゴールを取り出した。安物ではあるが、なけなしの金で買ったものである。今日、真紀に金を渡す時にお願い出来ればと思ったのだが、それ以上に嬉しいことがあり、マリアは嬉しさを隠しきれずに昇の頭を撫で、枕元にそれを置いた。
「昇へのプレゼントは、僕のも合わせて二つだ」
亮も続いて、用意してあったプレゼントを昇の枕元に置いた。マリアは亮を見つめてお辞儀をし、しばらく昇を見つめると、振り切るように背を向ける。
「じゃあ、もう行きます。今日は本当に、ご迷惑をおかけしてすみませんでした……」
「行くなら送るよ」
すかさず立ち上がって竜が言う。
「いえ、そんな」
「いいだろ? 亮」
謙遜するマリアを尻目に、竜が亮に尋ねる。亮は頷いた。
「うん……頼むよ」
亮の心は、本当は自分が送ってやりたい気持ちでいっぱいだった。だが真紀がいる限り、それが許される日は来ないことを知っている。亮は竜にそれを託した。
「でも……」
「いいから行こう。俺も宿舎に戻って、荷物を取りに行かなくちゃならないしね。それに一人じゃ、出た途端に、真紀に文句も言われかねないからな」
「承知しています」
「いいから」
亮に許しを受けた竜は、半ば強引にマリアを連れて、屋敷を出ていった。
馬車の中で、マリアは小さくなり、礼の言葉でも探しているようだった。
竜はそんなマリアを横目で見ると、静かに口を開く。
「……君、何か食べてるの?」
「え? ええ……」
意味がわからずに、マリアが頷く。
「食べてるような細さじゃないな……顔色も良くないようだし」
「……そんなことありません。配給の残りもまだありますし、ちゃんと食事はしています。昇に会えて生きる力も出ましたし、もう倒れたりしません」
竜を安心させるように、マリアは笑顔でポケットの中から袋を取り出して見せる。中には一日に一度配られる、配給の保存食が入っている。クッキーのようなものだが、実際のマリアには食べる時間も気力もあまりない。
二人の間に、沈黙が流れる。
「……昇と離れて、寂しくないか?」
禁句のような話題だったが、敢えて竜はそれを尋ねた。
「……寂しいです。でも、そんなことは言っていられません。昇は私といても、幸せにはなれないと思うし……」
「どうして?」
「旦那様が、引き取ってくださると言ってくれた……あの子の幸せは、旦那様とともにあるんです」
そう言ったマリアの顔は優しく、希望に満ちている。竜は言葉を失った。
「あの、ここでいいです」
マリアは外を見ると、そう言った。竜はすかさず、馬車を止めさせる。
「家はこの辺りなの?」
「いえ……でも、仕事場が近いので。本当にお世話になりました」
深々とお辞儀をすると、マリアは馬車から降り、去っていった。
竜はマリアの後ろ姿を見つめながら、マリアに重なる影を思い浮かべていた。
竜はそのまま、宿舎となっているホテルへと向かった。しばらくは亮の屋敷で一緒に住むことになっているが、最初の荷物はここへ放り込んである。
昨日着いたばかりの時に投げ出した荷物をまとめると、竜はベッドへ横になった。
目を瞑れば浮かんでくるのは、長い金髪のネスパ人の姿だ。夢のようにリフレインする記憶は、最後には首を吊って終わる悪夢である。この夢を見始めてから、竜が悪夢から解放されることはなかった。
「織田」
その時、そんな声とともにドアがノックされた。竜がドアを開けると、篠崎が立っている。
「篠崎」
「やっぱり織田だったか。さっき後ろ姿が見えたと思ったんだ。最高指揮官の家に行ったんじゃなかったのか?」
篠崎はそう言って、部屋へと入ってくる。さっき別れた時よりも、陽気な様子だ。
「荷物がまだこっちだったから、戻って来たんだ。それよりおまえ、酒臭いぞ」
竜は苦笑しながら、篠崎を招き入れた。
「わかる? 今、帰りだからな」
「休みだからって朝帰りか。その割には、酒は抜けてるみたいだな」
「身も心も温まったからね」
そう言って、篠崎は下品に拳を動かして見せる。
竜は苦笑すると、ベッドに腰をかけ、真剣な顔で口を開いた。
「……篠崎。こっちで探偵とか知ってるか?」
唐突なまでの竜の質問に、篠崎は首を傾げる。
「なんだよ急に。そりゃあ知ってるけど……」
「じゃあ、紹介してほしい」
「何かあったのか? 最高指揮官からの極秘の捜査とか?」
篠崎も真剣な顔になり、勝手に台所で水を飲んで尋ねる。
「そんなんじゃない。個人的に気になることがあってね……難しい仕事じゃないんだ。ほんの少し調べてほしいだけだよ」
竜はそう言って、葉巻に火をつける。マリアのことを少し調べようと思っていた。