2-2 出会いと再会
竜はマリアに駆け寄ると、その顔をじっと見つめた。面識はない。一瞬、死んでいるのかと思ったが、その肩はわずかに息衝いている。だが今もなお降りしきる雪に、すでにマリアの身体にはうっすらと雪が降り積もっていた。
「君。君!」
そう言いながら、竜はマリアを揺り起こした。そしてマリアに降り積もった雪をはらう。
マリアはゆっくりと目を開いた。一瞬、見知らぬ男性が見えて驚いたものの、心配そうなその男性に、不思議と警戒心は芽生えなかった。
「大丈夫か? こんなところで何をしているんだ?」
竜の問いかけに、マリアは生気のない顔で、門のほうを見た。これから会うはずの真紀の気配はまだない。
ためらいながらも、マリアはゆっくりと口を開く。
「人を待っているんです……」
「人を? ならば人を呼べばいいじゃないか。それに、こっちは裏口……表まで行くから一緒に行こう。ついでに医者に見てもらったほうがいい」
新手の犯罪かと警戒していたが、マリアのその力のなさに、竜はすぐに警戒心を解いてそう言った。
竜の言葉に、マリアは首を振る。
「いえ。いいんです……」
マリアはそう言って、静かに立ち上がった。このままでは目の前の役人である竜に不審がられ、収容所に入れられる可能性まで考える。
だが、そんなマリアの足がふらついた。
竜はとっさにマリアを抱き止め、その境遇を探ろうとしたが、肝心のマリアは見る影もなく痩せ細り、今は同情の念しか見当たらない。
「すみません……」
マリアはそう言うと、気を取り直して立った。竜はマリアを支えたまま、マリアを見つめる。
「大丈夫か? ああ、身体が冷えきっているな……とりあえず中に入ろう。弟がいるんだ」
竜の素直な好意にも、マリアは首を振る。
「いいえ、お構いなく……すみません。大丈夫です。ごめんなさい……」
謝罪の言葉を並べて、マリアが言う。その時、マリアは竜を見て何かに気付いた。そして竜を見つめ、静かに微笑む。
「旦那様の……お兄様ですね?」
「え……」
「とても、よく似た綺麗な目をしている……」
そんなマリアの目は優しく、竜もやっとひとつの答えに辿りつく。
「君は……」
その時、塀の中から人の気配が近付いてくるのがわかった。竜はその気配に、とっさにマリアを守ろうと、抱き止めた手を強める。
やがて裏門が開けられると、真紀の顔が見えた。真紀も予想外の人物の登場に、目を見開いて驚いている。
「竜! あなた、ここで何してるの?」
「おまえこそ、どうした。真紀」
互いに緊張を解いて、竜と真紀がそう交わした。
「……私はその子と約束があるの。こっちは裏門だから、表から回って中へどうぞ。何をしてたの? いつ来るかと思って、亮もずっと待ってるのよ」
「悪いな。ちょっと歓楽街で遊んでた」
「まったく、あなたときたら……とにかく、早く行って」
竜はそう言われるものの、不敵な笑みを浮かべたまま、マリアを抱き止める手を緩めない。
「俺はここに居ちゃ邪魔か? 俺もこの子に用があるんだ」
喧嘩を売るような竜の態度に、真紀も冷やかな目を向けたまま口を開く。
「邪魔ね。こっちに来て早々、女遊びはやめなさいな。ネスパ人との交流は認められても、まだそれは冷ややかよ」
相変わらずの真紀の態度に、竜も笑う。
「遊びならいいのか本気ならいいのか、はっきりしろよな。まあその前に、俺がこの子から離れたら、この子は倒れちまうと思ってね」
そう言う竜の腕に支えられたマリアは、未だ足に力が入らないようで、寒さに朦朧とする意識の中で、必死に意識を保とうとしていた。だがそれも長くは続かなかった。もはや竜と真紀が何の会話をしているのかも聞こえず、マリアは竜の腕の中で意識を失った。
「おっと、言わんこっちゃない」
力の抜けたマリアを、竜が抱き直す。
「まったく、世話の焼ける子ね」
「……この子が、マリアか?」
静かに竜がそう尋ねる。真紀はそれには答えず、竜に背を向けた。
「誰か人を呼んでおくから、その子はそこに置いて、あなたは表から入ってちょうだい」
「いや、俺が運ぶよ。いいだろ?」
真紀は竜を見つめる。子供の頃からいつも一緒で、恋人同士だった時期もある二人は、互いを知り尽くしているほどの関係だ。頑固な竜が自分の考えを曲げるはずがないことを、真紀は知っている。
「……わかったわ。とにかく入って」
深い溜息とともに、真紀は仕方なく竜とマリアを招き入れた。竜はマリアを抱きかかえると、そのまま真紀の後をついていった。
「兄貴。それにマリアまで……どうして?」
夜中にも関わらず竜を待っていた亮が、玄関口まで出て来てそう言った。異色の組み合わせに、状況が飲み込めないでいる。
「よう。遅くなって悪かったな。この子とは……そこで出会った」
マリアを抱えながら竜が言う。亮は真紀を見つめた。
「どういうこと? 真紀」
「亮はもう、この子とは関係ないんでしょう? 私は財政面で、この子とつき合っていかなければならないの。口出しはよしてよ」
「養育費をもらうとは聞いたけど、それは必要ないって言ったじゃないか。それに、こんな夜中に直接もらっていたのか?」
「亮には関係ないって言っているでしょ」
すぐに痴話喧嘩が始まったので、竜はうんざりした様子で口を開く。
「おいおい。俺が来た早々、夫婦喧嘩か? 喧嘩もいいけど、部屋へ案内してくれよ。寒いし、疲れてるんだ」
竜の言葉に、亮は頷いた。
「ああ、ごめん……兄貴の部屋は用意してあるよ。こっちだ」
「待って、竜。その子はここで預かるわ」
亮と竜を止めて、真紀がそう言った。しかし竜は変わらぬ態度のまま、真紀を見つめる。
「いや。この子は俺が預かる。この家は、この子にとって危険なようだからな。俺が引き入れたんだ。俺の客として預かる。大丈夫、何もしないよ。この子も、じきに目を覚ますだろう」
「何を言うの! その子がこの家に足を踏み入れること自体、おかしなことなのよ?」
真紀が叫ぶようにして言う。しかし竜は動じない。
「俺には関係ないね。おまえらは仲良く、喧嘩でもしてな。誰か部屋に案内してくれよ」
竜は近くにいたメイドにそう言うと、用意された部屋へと案内されていった。
部屋に入ると、竜は抱えたままのマリアをベッドに寝かせた。マリアは悪夢を見ているようで、苦痛の表情を浮かべている。そんなマリアの顔を、竜はしばらく見つめていた。
マリアと亮の経緯は、何となくだが聞かされている。だが状況は極めて深刻だということを、竜は感じ取っていた。
「昇……」
夢を見ているのか、マリアはうわごとのようにそう呼んだ。痩せ細ったマリアの身体からは、同情という言葉しか見つからない。初めて出会った竜は、ただマリアを不憫に思う。
その時、ドアがノックされ、亮が入ってきた。
「兄貴……マリアには別の部屋を用意するよ。真紀も苛立っているみたいだし、来て早々、女性連れなんて、うちの従業員にも示しがつかないよ」
亮の言葉を聞きながら、竜は亮を見つめる。
「べつに何もしない。気に入らないなら、宿舎に戻るよ」
「兄貴。そういうこと言ってるんじゃないよ」
「じゃあなんだよ。この子と俺が二人きりで居ちゃいけない理由があるのか? おまえにそんな権利ないだろ」
竜のその言葉に、亮はむっとして口を開く。
「相変わらずなんだな、兄貴。どうしてそんなに喧嘩腰なのかわからないよ……」
「悪かったな。どうも癖でね。でも……この子を見ろ。俺はこの子を放っておけないだけだ」
そう言って、竜は指で円を作り、そこを覗いた。
「兄貴?」
「……見ろよ、この細さ。彼女の腕の細さだよ。あまりの細さに驚いた……手首じゃなく腕だぞ。これじゃあまるで子供の腕だ……気を失っている間、ここに居させてもいいだろう。真紀には俺から謝るよ」
「わかった……頼むよ」
頷きながらそう言い、亮はマリアを見つめる。最後に会った時と変わらず、痩せ細った姿に驚きを隠せない。また、養育費をもらうことは真紀に了承させられたが、受け渡し方法や金額、現状は知らされていない。亮もマリアを心配していた。
「……コーヒーでも入れようか」
沈黙を破って、亮は部屋の隅にあるキッチンへ向かい、用意されていたコーヒーを温め直す。
「ありがたい。ここは寒くて仕方がないよ」
竜はそう言うと、コーヒーを受け取って暖炉の前に立った。
亮は椅子に座るとコーヒーに口をつけ、そして口を開く。
「でも遅かったね。昼には来ると思ってた」
「ああ、ちょっと手間取ってな……おい、亮。昇を起こして来いよ」
突然そう言った竜に、亮は驚いた。
「今、何時だと思ってるんだよ」
「まだ昇には会ったことがないからな。それに、この子もすぐに起きるだろう。クリスマスプレゼントに、会わせてやったらどうだ」
亮はその言葉に賛同し、頷く。
「……わかった」
そう言うと、亮は竜の部屋を出ていった。
もう昇と会わないと言ったマリア、会わせないと言っている真紀だが、タイミングよく会い、そして今日はクリスマスイブ。相変わらず昇は塞ぎ込んでいる部分もあり、こんな日くらい会わせてやりたいという気持ちが、亮にもあったのである。
残された竜は、未だ苦痛の顔を浮かべるマリアの肩をそっと叩く。
マリアはハッとして、目を開けた。そして目の前にいる竜を見た後、辺りを見回し、状況を把握しようとしている。
「あなたは……私、どうしたんですか?」
不安な表情を浮かべ、マリアが尋ねる。
「ここは亮の家だよ。君が気を失ったんで、とりあえずここに運んだんだ」
それを聞いて、マリアは絶望に目を泳がせ、起き上がった。どうやら来てはいけないところにきてしまったようだ。真紀に示しがつかない。
「旦那様の家……」
「真紀のことなら心配しなくていい。俺が無理に君を引き入れただけだ。うまくやっておくよ」
マリアを察して、竜が言う。マリアは竜を見つめた。
「いいえ……すみません。私……」
「俺は、織田竜。亮の腹違いの兄だ。よろしく、マリア」
不安げなマリアと対照的に、竜はそう言って微笑んだ。マリアもその笑顔に、少しほっとして微笑む。
「マリアと申します。よろしくお願いします……」
やっとマリアの笑顔を見て、竜も少し安心した。
その時、勢いよくドアが開いたかと思うと、昇が飛び込んできた。その後ろには、連れてきた亮がいる。
「ママ!」
思わぬ人物の登場に、マリアは驚いた。