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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第一章 「序章 -ryo-」
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1-0 序章

 遠い昔、はたまた遠い未来──。


「待て! 誰か捕まえてくれ。泥棒だ――!」

 雨の中、そんな男の怒鳴り声が聞こえる。声の先には、全速力で走る少女の姿があった。

「待てと言われて、待てないよ!」

 少女の手にはパンが握られている。たった今、盗んだものだ。

「ハア……ハア……」

 少女は路地裏に入ると、とあるアパートの非常口へと座り込んだ。屋根があるので、ここに落ち着く。入り組んだ路地裏では、そう簡単には見つからないだろう。

 少女の長い金髪が、雨に濡れて滴る。少女はその髪を絞ると、パンを持ち直した。

「いただきます」

 そう言って、盗んだパンをかじり始めると、物陰から猫が出てきた。

 猫は少女と目が合うと、雨の中に座り、じっとこちらを見つめている。

「……おいで」

 少女はパンを千切ると、猫の足元へと投げた。すると余程おなかがすいていたのか、猫は勢いよくパンにかじりつく。

「すごい勢い。いいよ、いっぱい食べて」

 続けて差し出すパンに、猫は少女に近付いて食べ始める。

 その時、少女の目に一人の男が映った。少女が驚いて立ち上がると、猫も驚いてどこかへ飛び出していってしまった。

 男は見るからに、警察役人の服装をしている。この状況では、盗んだパンではないと言い逃れは出来ないだろう。捕まれば、刑務所よりも恐ろしいといわれる、強制収容所に行かされることは間違いない。

 少女は男に背を向けて、雨の中へと走り出した。

「待て!」

 少女は、その声に硬直する。立ち止まったまま、もう動くことが出来ない。

「待ちなさい」

 静かに言い直して、男はそのまま少女の前に立ちはだかった。

 男もまだ少年のように若い。だがすでに役人特有の威圧感のような怖さを持ち、まっすぐに少女を見据えている。

「……な、なんでしょうか、お役人様……」

 身を縮め、震える声で少女が尋ねた。雨の中で、その声は途切れ途切れに男に通じる。

「ああ、いや……」

 思いの外、男の態度は役人の態度ではなかった。まるで少女を捕まえる気が感じられない。

 少女は思い切って口を開く。

「私を捕まえるの……?」

「……いいや」

 男の言葉に、少女は目を見開く。

 こんな役人には会ったことがなかった。今まで出会った役人といえば、野蛮で話など通じない者ばかりだ。しかしこの男は、まるで憐みの目で少女を見つめている。だが何をされるのかわからず、不気味で恐ろしい。

「……じゃあ何です? あ、猫の飼い主?」

「いや。でも、猫を追って来たらここに……」

 男がそう言ったことで、少女は少し安心した。

「猫なら、どこかへ行ってしまいましたけど……」

「ああ。飼い猫じゃないから、もういいんだ。それより、君はこんなところで何をしている?」

 突然、仕事口調になって、男がそう尋ねた。

「べつに……パンを食べていただけです」

「名前は?」

「……私をどうするの? 捕まえるの? 捕まえた後は殺すの?」

 不安な顔を浮かべて、少女が男を見つめる。

「……君は何か勘違いをしているようだな。たとえ君を捕まえても、そんなひどいことはしないよ」

「でも」

「僕の名前は、亮。織田亮おだりょうというんだ。警察役人だが、君を捕まえに来たんじゃない。あくまでも偶然だ。ただ、こんな暗いところで君みたいな若い女の子が一人でいたら、声をかけない訳にはいかないだろう。どこの子だい。家は?」

「……ありません」

 俯き加減で、少女が言う。

 亮と名乗った男は、少し躊躇ったが、言葉を続ける。

「じゃあ、家族は?」

「いません……」

「孤児なのか? 誰か頼る人は?」

「いません……」

 少女の言葉に、亮は言葉を失った。この街に孤児は溢れ返っている。こんな境遇の少女と出会うのも初めてではない。だがここにいる少女は、誰と群れることもなく、他の孤児とは違う気がした。なによりこの降りしきる雨が、少女の身の上を一層冷たく感じさせる。

「……じゃあ家もなく、一人でこんなところにいるっていうのか?」

 呆れるようにして亮が言った。少女は目を伏せ、口を開く。

「……ごめんなさい」

「べつに謝ることじゃない。でも……どうするかな。収容所に連れて行くか」

「嫌です!」

 亮の言葉に、すかさず少女が口を挟んだ。その勢いに押されながらも、亮は予想外の言葉に首を傾げる。

「でも……」

「お願いです。見逃してください……今日まで一人でやってきたんです。大丈夫です。どうか収容所には入れないで……」

「……収容所にいたことが?」

「いいえ……」

「でも、嫌なところだと思っているようだね」

「だって、みんなそう言ってるわ……」

 少女の言葉を、亮が理解していないわけではなかった。この街には、孤児や軽犯罪者が溢れ返り、それらは保護されると収容所へ入れられる。中には奴隷のように辛い重労働を強いる収容所もあり、その過酷な仕打ちは噂でも流れている。

「確かに収容所は軽犯罪者が入るところばかりだが、ちゃんとした収容所もある。君みたいな孤児もいる」

「……私はもう十七です。大丈夫ですから」

「十七歳か。でも家もなく、こんなところで寝泊りしているようじゃ、感心出来ないな」

「じゃあ、お役人様はどうなさりたいんですか。私を収容所に放り込むの? そこで死ぬ子供がたくさんいると聞いています。食べ物も満足に与えられず、死ぬまで働かされるって聞いたわ」

 真剣に訴える少女に、亮も溜息をついた。

「言い過ぎだ」

「お願いだから、どうか見逃してください。お願い……」

 濡れた身体を震わせながら、少女が懇願する。

「……わかった。じゃあ、ついておいで」

 亮は腹を決めたというように歩き始める。少女には、何が何だかわからない。

「え……」

「出会ってしまった以上、こんなところで放ってはおけないよ。大丈夫、悪いようにはしないから」

 少女には、亮が何者なのかわからなかったが、悪いような男には見えなかったため、疑いながらもついていった。


     ◇       ◇       ◇       ◇       ◇


 遠い昔、はたまた遠い未来──地球上には、ネスパ人というひとつの人種があった。人が近寄れない高い山の奥深くに住みつき、数十年前までは発見すらされなかった人種だ。

 白人ではないが、白い透明感のある不思議な肌色。髪色、目の色もさまざまだが、主に金髪と緑色の目の人間が多い。

 そんなネスパ人は、黒魔術や超能力の類を使うという噂が広められ、いつからか世界中から忌み嫌われることになる。


 差別を受け、国を侵略され、多くの犠牲者を出し、侵略戦争の末に難民となったネスパ人は、国を追われることとなり、ただ受け入れてくれる国を募ったが、そんな国などない。

 そこで国際会議で話し合われた結果、小さな島国・日本の一角に、外界から一切遮断され、隔離された街が建設される。それがここ、ハピネスタウンだ。

 ハピネスタウンと名付けられたその街は、名前とはまったく違う場所である。高い壁と鉄条網に囲まれ、ネスパ人はこの街から出ることは一切出来ない。また日本人も、役人と呼ばれる決められた者しか出入り出来ない自由のない街だ。


 ハピネスタウン建設中にも、ネスパ人は故郷で語学や文化の勉強を義務付けられながら、少しずつ移住を始める。十年以上に渡る移住計画中にも、何度も故郷であるネスパは戦争に晒されもした。だが三年前の戦争を最後に、やっと全ネスパ人が、この日本に作られたハピネスタウンに移住が完了している。

 移住後のネスパ人にも自由はない。街の安全を守るのは日本人の警察役人と呼ばれる役人だが、その日本人との交流さえ禁じられている。

 それでもネスパ人はこの街で、それぞれ懸命に生きようとしていた――。


     ◇       ◇       ◇       ◇       ◇


 亮はそのまま、近くにあるネスパ人用のレストランへと、少女を連れていった。

「ここ……」

「座って。腹が減ってるんだろう? おごってあげるよ」

 そう言って、亮は奥の席へと着く。

 少女は意味がわからず、亮のそばに立ったまま座ろうとしない。

「言ったろう? 放っておけないからさ。いいから座って」

 亮は料理を頼むと、少女を見つめる。

「ほら座って。タオルを借りよう」

「あなた……いい人なの?」

「ハハハ。そう聞かれるとどうかな。役人は国の都合でコロコロ態度が変わるからね。あんまり信用しないほうがいいかもな」

 苦笑する亮の顔に少し安心して、少女は席へと着き、店から借りたタオルで濡れた身体を拭く。

「でも……私みたいな人間は、他にもたくさんいるわ」

 少女の言葉に、亮は静かに微笑む。

「そうかもしれないね……僕もこうして一対一で出会って話すのは初めてだ」

「ネスパ人とは……話しちゃいけないんじゃないの?」

「そうだよ。だから見つかれば、僕も罰せられるかもしれないね。でも大丈夫。どうにかするさ」

 笑ってそう言う亮を、少女は静かに見つめる。

「どうしてそこまで……あ、もしかして……」

 自分の体を守りながら不安げにそう言った少女に、亮が思わず吹き出した。

「ハハハハ。面白い子だね。大丈夫だよ、食べたらすぐに帰してあげるし」

 未だ笑っている亮に、少女は不安げな表情のまま見つめ続ける。

「……じゃあ、ますますあなたがわからないわ」

 少女の不安を察して、やっと亮が笑いを止めて口を開いた。

「僕は日本人だけど、母親はネスパ人なんだよ」

「……嘘」

 少女は驚いた。日本の警察役人に、ネスパ人の混血がいるとは知らなかったのだ。また自分より年上であろう混血も珍しい。今もなお交流が禁止されているネスパ人には、混血自体がタブーである。

 だがこの亮という男は、見た目は日本人である。しかしどこか安心感を持てるのは、混血だからなのだろうか。

「本当だよ。でも母の記憶はないんだ。物心ついた時には父親に引き取られていたし、早くに死んでしまっていたらしい……」

「……本当に?」

「ああ。だから僕は、半分血の入ったネスパの人たちを、差別することなんて出来ないんだよ」

 亮の言葉に、少女もやっと安心して微笑む。

「あなたを信じる」

「……君の名前は?」

「マリア……」

 少女がやっと、そう名乗った。

「マリアか。本当に一人なのかい? 誰か……親戚とかは?」

「いません……故郷で全員失いました。親戚もどうなったのか……」

「じゃあ、一人でここに来たのかい?」

「はい。こっちにきてからは、しばらくは教会で孤児たちとみんなで暮らしていたけれど、大きくなったので一人で……」

「そうか。ずいぶん辛い思いを……」

「もう慣れました」

 そう言ったマリアの顔は、諦めに似た笑顔だった。

「……よし、マリア。これからは、会えた時には食事をご馳走しよう。そう毎日は会えないだろうけど、近々行われる最高指揮官任命式までは、警察役人は全員暇だからね。そう会えないこともないだろう。こういう場所なら、警察役人に会う心配もない」

 亮がそう言ったのは、ここがネスパ人用のレストランだからだ。まだ差別意識の消えない日本人も多く、また互いに交流を許されていないため、レストランなどは日本人用とネスパ人用とが分かれている店が多い。

 また近々、最高指揮官任命式というのが行われ、ネスパを取り仕切る日本人の指揮官が決められることになっている。一大イベントの前に、候補に上がらない一般役人は静けさを見せていた。

「でも、もし見つかったら……」

 会話の続きでマリアがそう言った。戸惑ったように目を泳がせている。

「大丈夫だよ。僕はこれでも小個隊の指揮官だし、少しは権限があるんだ」

 頼もしい亮の言葉に、マリアもつられて微笑んだ。

 その時、役人招集のサイレンが鳴った。

「行かなきゃ」

「あの、ありがとうございました……」

 素直にマリアが礼を言う。

「いいんだよ。それより、ゆっくり食べていいよ。お金は払っておくから。じゃあ今度は……そうだな。明後日の夜六時に、この店で会おう」

「……ええ」

「じゃあ、また」

 そう言うと、亮は店を出ていった。

 本当に何の見返りも求めず、初対面のネスパ人であるマリアに食事をさせてくれた亮。マリアはそれから、亮のことばかりを考えていた。混血とはいえあんな日本人は見たことがない。マリアに優しい瞳で語りかけるのも、気にかけてくれるのも、日本人では初めてだった。

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