新風
新風
時計を見た。七時四十分。聡子は時計の針を十分遅らせた。そして、時計を凝視した。目をつぶった。目をつぶって少し考えた。なぜ人は時計の針を早めたり、遅らせたりして生きれないのだろう。なぜ時間を早めたり、遅らせたりできないのだろう。時計のように自由に針を進めたり遅らせたりできればどんなにいいだろう。私達の命はどうして遅らせたり早めたり目覚まし時計をセットするように好きな時間にあわせられないのだろう。それが不思議で不思議でしょうがなかった。また時計を見た。七時三十五分。そのうち七時四十分となった。それでまた針を戻そうとは思わなかった。時間はまた追い着いたのだ。また少し考えた。時間を動かせたらどんなにいいだろう。時代をさかのぼれればどんなにいいだろう。時計は時間を刻んでいた。秒針はカチカチ分を刻み続けていた。私の生っていったいなんなのだろう。人の生命っていったいなんなのだろう。いろいろ考えているうちにピーピーと目覚ましの時を知らせた。祖母はどうして亡くなったのだろう。まだ寝ていたかった。それでも起きた。それでも起きあがって服を着がえた。丁度そのころ
「さと子」
と階下で声がする。姉のちず子である。母は三年前に合併症を患って亡くなった。
彼女は母が亡くなって毎日全ての家事を行っていた。母は三四歳のときに亡くなり、彼女は一七歳になっていた。ちず子の妹のさと子は八歳で近くの小学校に通っている。
手鏡を手に持った。化粧台の小物台のうえに匂い玉、手櫛が置いてあった。
「さと子」
と再度階下で声がした。立ち上り鏡台をのぞいた。
「いまいく」と答えた。
姉はいまいくという声を聞きとった。
階下に降りた。
「遅刻するわよ」
父はとっくに家をでていた。新聞がみつからなかった。
「お父さんは」
「もうとっくにいったよ」
「これだけ食べて行く」とコップをもっていった。フォークでハムエッグとベーコンをつまんだ。
「いそぎなさい」
彼女が学校に到着したころ予鈴が鳴っていた。
さと子は教室が詰まらないわけではなかった。
けれど身が入らず困っていた。
放課後座席に着いたまま動かずにいたので先生が声をかけた。「どうして人って死んでしまうの。私は生きているのに祖母はなぜ死んでしまったの」先生は抱きしめるしかなかった。心が傷みつけられるしかなかった。先生は家へ連絡を入れて帰らせた。
結局彼女は家に着いてからもずっと黙っていた。一度落ち着いたものの何度もぐずつきを繰りかえした。学校でも今日一日誰とも口をきいていないはずだった。食事も喉が通らず部屋で寝ていた。ちず子は彼女の部屋に訪れた。彼女の寝顔を見た。彼女は小さな声でつぶやいた。「どうして人は死んでしまうの」と。彼女を抱きよせた。「時計の針はあちこち動かせるのに人はどうして死んでしまうの。時計の針は自由に動かせるのに人の生命を早めたり遅らせたりできないのはどうして。時計の針は自由に動かせても時代を遡ったり未来へ行ったりできないのはどうして。祖母はどうして死んだの。私はどうして生きているの。ねえ、母はどうして死んでしまったの」「そうね」雷が窓の外にちらつき雨は激しく窓を叩いていた。
あれから十五年、彼女は墓地を訪れ、妹と父の墓の前で妹を思う。爽やかな風が通り過ぎて行った。
死というものを重々しく感じることが当前と思います。少し見方をかえて爽やかに死を感じてみることもないかと思います。