セイシする時<2>
気忙しい年の瀬も越え、また新たな年が幕明け一年のスタートを切っていく。
新年を迎えた人々は、誰もが晴れやかな顔をしているように見えて少し悔しさにも似た敗北感に襲われる。満天に輝く星空が自分への戒めを見透かしているようで憂鬱になってきたが、それのお蔭で自分自身のしてきたことへの償いを風化せずにすんだ。
1月7日
この日は僕にとって一生忘れられない、一年で一番懺悔をする日であり、一年のスタートとなる、そんな大切な一日だった。
この日以外は今でも中野という名前のつく土地に決して降りたとうとしない僕にとって、この1日だけは例え大災害が東京に起ころうとも、毎年変わらず中野に降り立つ、僕の大切で忘れられない日。
吉祥寺駅から中央線の特長あるオレンジの車体に乗ってほんの数分、理子との思い出深き東中野の一つ手前、中野駅。
僕は東京に出てきてから中野という街に何故か深い関わりがある。
辺りはすっかり丙夜に更けて、無表情で慌ただしく帰路に着くサラリーマンやOLを避けながら北口の改札口を出る。北口改札からすぐに一直線に伸びているサンモール商店街に恐る恐る足を踏み入れる。吉祥寺に比べると随分と人が少なく感じたが、商店街がこの一本道だけなので人口密度はこの時間にしては吉祥寺よりも圧迫感を感じる。
サンモール商店街を暫く進んで、商店街入り口からブロードウェイまでの一本道のちょうど中間地点位に当たる場所にさしかかり、僕は足を止める。
何の変哲もないサンモール商店街の真ん中、僕の目的地はここだった。
一年ぶりの中野は全く変わっておらず、いつでも過去に記憶を戻してくれる。苦しさや辛さ、喜び、怒り、憎しみ、感謝、そして決意。この町には僕の感情の全てを再確認させてくれる大切な鍵が所々に眠っている。
商店街で立ち尽くしていると、横に伸びた裏路地から冷たい一陣の風が僕の体温を奪っていく。身震いを覚えて、僕は自分の両腕を乾布摩擦のようにこする。
あの日の夜も、風が吹き荒れるとても寒い夜だった。
心が凍てつく。
理子の最後の背中姿が忘れられない。すっかり体調も元に戻り退院してからの僕は、心が満たされる事のない日々を過ごしていた。胸に大きく空いた穴は容易には修復が出来なく、理子のことを忘れたいと思っているはずでもう思い出したくもないと頭では理解しているにも関わらず、独りでいると蘇ってくる記憶は理子との幸せに愛し合っている思い出ばかりで、それが毎日を苛立たせている。
あんなことがあったばかりなのに、まだ理子を愛している気持ちはどうやっても消えることはなく、いつまでも女々しく考える自分が苦しさに追い打ちをかける。
男とはなんて愚かな生き物なのだろう?
もう、プロダクションへは顔を出さなかった。自分の目指すべき道も何もかもがわからず、自分の存在自体にも疑問が常についてまわる。お兄ちゃんや高田さんからはそこで負けずにプロダクションへ来いと言われもしたが正直、僕はそこまで強い心を持っていなかった。
やること全てが中途半端になっていた僕は、年末だったがこんな状態で田舎へ帰るわけにも行かず、かといってプロダクションを辞めた僕には、特に東京にいる理由も見つけられず、ただバイトの日々とお酒を頼りに生活を送るしかなかった。
年末も大晦日に差し掛かった日、そんな僕を見かねたのか年越しをお兄ちゃんと高田さんの3人ではしゃいで過ごそうと、お兄ちゃんからの心遣いが嬉しかった。
年越しを3人で馬鹿騒ぎをしながら、楽しく過ごしていく、そんな一年の締めくくりになるはずだった・・・
でも、この日は楽しくならなかった・・・
大晦日、一年の最後の日ぐらい豪勢に過ごそうよと、お兄ちゃんから中野駅の美味い焼肉を食べに行こうと、夜に待ち合わせの為、高田さんと中野駅でお兄ちゃんの到着を待っている。
暫くすると、お兄ちゃんがごめんごめんと少し足早に駆け寄ってきて、北口のほうへ行こう、とそう言うと僕たちを連れて中野通りのガード下をくぐって、北口サンモール商店街へ移動する。
お兄ちゃんは中野に住みついてから、もう6年くらいになるだけあって、さすがに詳しい。僕も高田さんも、よくお兄ちゃんの家には遊びに行くことが多かったが、中野を含めて外食などに出掛けることは珍しい。なにしろバイトだけで生計をたてているわけで、そうそう外での外食や呑みなどはできず、自然とお兄ちゃんの家でたむろし、食事や晩酌をすることの方が自然な流れだった。
お兄ちゃんの家は、中野駅からだと少し交通の便は悪い。普通に歩くと20分近くかかってしまう。稽古帰りにお兄ちゃんの家の近くの公園でよく自主稽古したものだが、その公園も当然同じくらい時間がかかり、稽古が終ってからのクールダウンするにはちょうどいい距離だった。
中野サンモール商店街を途中右折し、路地裏に入っていく。途中、何人も黒いスーツを身に纏った呼び込みに声を掛けられて、大晦日なのに大変だな~と思いつつも人垣をかき分けた頃に、ここだよとお兄ちゃんが言いがらがらと扉を開けて入っていく。
一瞬店を見た印象は、決しておいしそうには感じられない少し薄汚れた店構えだったが、肉を口に頬張るととても柔らかくおいしかった。身体が回復しても心の溝を埋められない僕は、まだ満足にご飯を食べることが出来なかったが、ここでの焼き肉はとても美味しく、なぜか少しほっとした。
お酒も進み、いい按排になってきた時、最後に理子に会った事を伝える。
思い出したくもない情景だったが、スッポンのように頭から全く離れない記憶が自然と出てきてしまう事で、また自分自身へ苛つきを加速させた。情景を一つ一つ丁寧に話して行くと、お兄ちゃんが不思議なことを言い出した。倉田さんって過去になんかあったとかな?その時に言いかけた事って重要なことだったんじゃなかったと?お兄ちゃんの言っている意味がよく分からなかったが、お兄ちゃんは続けて、いや、祥が来なくなってからの倉田さんはさ、今まで以上に芝居へ対して鬼気迫るものを感じてさ、もう俺や高田でも近寄りがたくなってるんよ。俺や高田はそのことを知っているってわかっているはずなのに、全然そのことはおくびにも見せずにさ、まるで周りが全く見えてないようなくらいにね。だからあの時の、祥が入院した時の倉田さんの態度からは今の態度が想像出来なくてさ。ま、でもお別れをしたんであれば、もういいんだけどな。
と、ますます理解不能な事を言って、焼酎を一気に煽っている。
理子の事を聞けば聞くほど憎しみにも似た怒りが気持ちを包み込み、愛し合った日々がボディーブローでも受けたかのように徐々にダメージを与えていく。理子の事は許せなかった。頭では許せないと分かっているのに身体と心は理子を欲している。身体と頭が分断されて別々の信号を発している。
「くそっ・・!」
いつの間にか、内面で葛藤しているのが言葉に出ていた。
「おいおい、どうしんたんだよ?」
高田さんが心配そうに顔を覗いてくる。
「わかった!もうすぐ年も明けるし、そろそろお兄ちゃんの家に行って年越し蕎麦でも食べよう!」
高田さんの精一杯の優しさが伝わってきたが、僕のやり場のない苛つきはお酒の力をかりて益々抑えるのが困難になっていった。
店を出て、もと来た道を引き返す。外の吹き荒れる北風が今の僕にはちょうどいい寒さを運んでくれた。サンモール商店街に差し掛かる頃、もう年が明けるまで数時間後まで近づいてきているのに、それなりに人通りがあり賑わいをみせていた。
商店街を駅へ向けて歩いていると、商店街の一部を席捲している若者たちがふざけ合っている。10人近くはいるだろうか?通行していく人たちは迷惑そうに、それでも気を使いながら横を通り過ぎている。
僕たちも横を通り過ぎようとした際、イライラしていたこともあり噛んでいたガムを若者たちの真横で口から投げ捨てた。
「おい!!ちょっと待てよ!」
通り過ぎた頃に若者がそう怒号をあげて近寄ってくる。
もう堪えることが限界に来ていた僕は、近寄ってくる若者めがけて有無も言わさず殴り倒していた。
「おい!祥!何してるんだよ!」
高田さんとお兄ちゃんが同時に僕を止めに入ったが、もう遅く・・・
「お前ら邪魔なんだよ!なに道塞いでんだ!!」
怒りの限界に来ていた僕は、そう咆哮しながら飛び掛かっていた。若者たちも一斉に怒り心頭に飛び掛かってくる。10人も入れば、どんなに難しい計算したって無事ですむ訳なんてないのはわかっていたが、僕は血気盛んな子供のように殴っては殴り返された。高田さんも若者たちに囲まれ殴られているのがみえて、より一層の憤りを感じ向かって行ったが、しかし、お兄ちゃんは必死に止めようと僕と若者たちの間に入ってきた。
若者たちはそんなお兄ちゃんにも容赦なく、殴りかかる。必死に頭を下げて、コイツはちょっと嫌な事があったんだ、謝るからコイツを許してやってくれ、と殴られながら必死に謝っている。その姿をみて、僕の心は杭にでも刺されたかのように急激に胸が痛くなった。
その時、そんなお兄ちゃんに対して一人の若者がどこから持ってきたのか角材で容赦なくお兄ちゃんの顔面めがけて思いっきりフルスイングをした。
まるでスローモーションを見ているような、お兄ちゃんが目の前で走り高跳びでもしているかの如く、空中を漂い石でできたタイルの床へ・・・
頭からダイビングして倒れ込んだ。
「・・・!!お兄ちゃん!!」
誰がみてもヤバい倒れ方だった。よく格闘技などの中継を見ていると実況が、あ~っと、これは危険な倒れ方をしたぞ、大丈夫か?と言うのを耳にするが、実際に生で見ているからこそこれは危険だ、これは危機的状況だと直感でわかった。
「お兄ちゃん!!お兄ちゃん!」
若者たちもものすごい勢いで地面に叩き付けられたお兄ちゃんの姿をみて、言葉をなくし慌てて一人、また一人とそこから走り去っていく。
高田さんも鼻を随分と殴られたようで大量の血を流し、それを抑えながらお兄ちゃんの傍まで寄ってくる。
「おい!お兄ちゃん!おい!」
返事はなく、眼も開かない。それどころか、徐々に顔から青紫色になっていき、女性が白粉でも塗るかのように身体全体が真っ白になっていく。
「・・・・!!おい!祥、救急車!救急車だ!」
高田さんのその言葉を聞いて、手が震えながらもすぐに119番を携帯からかける。
今のお兄ちゃんの容体に対して、専門的な知識が僕たちにあるはずもなくまったく何もできないまま救急車が一秒でも早く来ることを祈るしかなかった。
中野駅近くということもあり、5分程度で救急隊員がストレッチャーを持って走ってくる。
救急隊員はすぐに倒れているお兄ちゃんを見ると、事情を聞くよりも先にお兄ちゃんへ駆け寄り、大声で耳もとへ叫んで何かを確認している。
「チアノーゼだ!!急いで気道確保!急げ!!」
慌てて気道確保のため口を開かせると、殴られたショックで沢山の嘔吐物が出てきていて救急隊員がそれを取り除いている。
「くっ、嘔吐物で・・・!呼吸停止!心肺停止確認!第Ⅴ期だ!!BLS実施!!急いで蘇生させるぞ!」
騒然とした光景だった。目の前が真っ白になった。呼吸停止?何を言っているんだろう?この人たちは?心肺停止・・・
「もどって来い!!おい!もどって来るんだ!!おい、君たちも声をかけろ!」
はっと、我にかえって、お兄ちゃんに僕と高田さんは精一杯呼びかける!何度も何度も。声がガラガラになっても、何度も何度も無我夢中で呼びかけた。
数分間、救急隊員が心臓マッサージなど続けている。アバラが折れてしまうんじゃないかと思えるくらい、何度も何度も強く押し叩いて、マウストゥマウスで蘇生を試みる。
暫くすると、救急隊員は手を止め、
「心肺確認!気道確保!呼吸確認!急いで病院へ運ぶぞ!ACLSが必要だ!」
そして僕たちにも救急車へ乗るよう促してきた。
「あ、あの、お兄ちゃんは・・」
「一命は今のところ取り留めた。しかし予断は許さない極めて危険な状態だ!ちょっと、救急車の中で状況を聞きたいから。・・・あと、君たちも治療をしないとな。」
僕たちはそのまま病院へと救急車で直行した・・・。
どれくらいの時間が経っただろうか?
救急車の中で出来るだけ詳細にお兄ちゃんの倒れた経緯を説明し、病院に着いてから僕たちの治療も一通り終わり、警察に事情聴取をされ、全部終わる頃にはもう元旦もお昼になっていた。いつの間にか、僕も高田さんもベッドで眠りについていた。
お兄ちゃんの姿はない。ハッとし、高田さんを起こしお兄ちゃんの様子を見に行く。
お兄ちゃんはICUにいた。直接はお兄ちゃんに触ることは出来なかったが、遠目からみても重傷だという事が僕と高田さんへ絶望という現実を叩きつけてくる。
「あの、先生。お兄ちゃんは大丈夫なんでしょうか?」
思わず聞いてしまったが、先生の顔は決して明るくなく今は彼の生命力に期待をして様子を見るほかない。と、言われ、続けて、ご両親にはもう連絡してあります。彼の友人にも声を出来るだけかけてくれるように、親しい友人たちを連れてきて下さい。君たちは、もう退院しても大丈夫ですから。
そう告げられると、僕たちは暫く管まみれになっているお兄ちゃんを凝視して涙が止まらなかった。
自分の子供加減、幼稚さが憎く許せなかった。
お兄ちゃんが入院してから一週間が経とうとしている。僕と高田さんは毎日お兄ちゃんと面識がある人を呼んで病院に顔を出した。しかし、意識が一度だって戻ることはまだなかった。
でも、僕はどこかで楽観にも似た安心感みたいなものをなぜか持っていた。ただ単純に現実逃避していただけなのかもしれないが、お兄ちゃんが死んでしまうなんてことは考えられなかったし、絶対に治ると信じていたし、なにより人はそんなに簡単には死なないと、どこから来るのかも分からない、根拠のない自身に満ちていた。
一週間経ってみて、僕は自分のことで悩んでいたが、やはり3人で一度揃って行くべきだと考えて、理子と高田さんと僕の3人で一緒にお見舞いに行こうと理子に電話をした。4人でよく自主稽古して、4人だけで舞台もやった、他の誰よりもここ2年の時間をお兄ちゃんと共にした4人だったからこそ、目が覚めるかもしれないと思った。
病院で待ち合わせた。理子と久しぶりに再会する。あの、言いようもない衝撃の夜からもう、ひと月近く経過しようとしていた。
・・祥・・・。 後ろから不意をつかれ声を掛けられる。
「理子・・・。」
久しぶりに見る理子は、やはり美人で、凛とした希薄の真ん丸な黒目が理子の顔立ちをより一層輝かせている。しかしどことなくやつれているようにも感じた。
「・・・・・・」
あんなことがあったばかりなんだ。お互いに言葉もなく、沈黙を続けるしかなかった。気まずさが凝集されたこの空間は次第に空気が無くなってしまったのではないか?と、思わせるくらいに息が詰まり、息苦しさを錯覚させる。息苦しさの中、理子が、祥・・・、あのね、私もう・・と、言いかけた所で高田さんがやってきて、よし!行こうと病院内へ促した。
まだ、ICUにて治療しているお兄ちゃんはいろんな医療器具に囲まれ、窮屈そうに身体の至るところへ管が通されている。
僕たちはご両親に挨拶をして、お兄ちゃんの横まで行く。
「お兄ちゃん。理子も連れてきたよ。」
僕は、お兄ちゃんと普通に話しをするかのように話しかける。
「久しぶりだろ?この4人で集まるなんて。なんかさ、自主稽古やってたの本当に昨日のことみたいだよね。・・・お兄ちゃんよく言ってたよね。この4人でやる稽古は本当に楽しいって。絶対俺達4人は売れるとよって。」
話しているうちに目頭が熱くなるのを感じて自然と頬を伝っていく雫を感じた。
祥・・・、僕の横で理子も声こそ出していないが泣いているのがわかる。
「坂田、懐かしいだろ?あの時、毎日一緒に稽古をしていた4人が揃ったんだぞ!」
高田さんも両目いっぱいにこぼれんばかりに雫を溜めて語りかける。
坂田さん、また稽古一緒にしよう?と、理子も優しい表情でお兄ちゃんへ伝える。
「僕、お兄ちゃんにお礼言わなきゃ。プロダクションに所属できたこと、理子と縁結びしてくれたこと、いつも稽古に付き合ってくれてこと。言い出したら伝えたいことばかりだよ。だから、ちゃんと起きて話し聞いてよ。」
僕は何度もお兄ちゃんに呼びかけた。そして、今まで生きてきて神様に一度だって頼んだ事はなかったが、必死に祈った。もし、神様がいるのであればお兄ちゃんを・・・神様が人命を司るのであれば、たった一つだけの願いでもいいから・・・そのたった一つだけの願いを・・・お兄ちゃんを・・・お兄ちゃんを救ってください。
「お兄ちゃん。みんなで絶対売れるんでしょ!そう言ったよね?早く一緒に芝居をやろうよ!4人でもう一度芝居をやろう?」
「・・う、ぁん。」
!!!
3人とも、いや両親も含めて全員が顔を見合わせる。
今、確かに反応をした。見間違いじゃない。確かに反応したんだ。
「お兄ちゃん!!おい!お兄ちゃん!!」
僕と理子が必死に呼びかけている横で、高田さんがナースコールで先生に
「あ!!意識が・・・!意識が戻ったかもしれないんです!!」
と、必死の形相で先生を呼び掛けている。
両親も驚きの表情をしながら、両目からは滝のような大粒の涙が流れ落ちている。
みんなが一度に長く長く感じていなかった安堵の空間が一気に広がり、これでもう大丈夫という安心感がみんなの涙をより一層際立たせた。
これでお兄ちゃんはもう大丈夫と誰もがそう思い、僕たち3人も先生に任せて病室を後にした。
1月7日 午後3時23分
・・そして僕たちが立ち去った一時間後に、
お兄ちゃんは永眠した・・・。
この日は、くしくもお兄ちゃんの誕生日であった。生まれた日に眠りにつく。
先生からあの時みなさんから意識が戻ったとナースコールが来た時は驚いたと、あとから話してくれたのをよく覚えている。
もし、本当にそう返事をしたのであれば、それは奇跡だと。坂田さんが、君たちに最後のお別れを言いたくて力を振り絞ったのだと。
火葬式は東京で行われることなった。ご両親の息子に対する最後の優しさだった。こちらで現在のお兄ちゃんに関わった人たちに骨を拾ってあげて欲しいと。
火葬中、お母さんから言われた言葉が、今でも胸を熱くする。
「瀬戸さん。あの子ね、貴方と出会ってからよく家に電話がかかってくることが多くなったの。電話をかけてきて貴方の事ばかり話すのよ。あの子は一人っ子だったから、相当嬉しかったみたい。今までろくに電話もかけてこなかったのにね、ふふ、母さん!東京で僕の弟が出来たんだ!ってね。あの子は最後に貴方達にあえて幸せだったのね。瀬戸さん、本当にありがとうね。」
そうお母さんから言われて、僕はその場に崩れ込んでいつまでも号泣し、いつまでも僕の幼稚さを恨んだ。
人の命はなんて儚いのだろう?
お兄ちゃんは僕が殺してしまったようなものだ。だからこそ、僕は横を向いて寄り道なんてしている場合じゃないし、役者として大成しなければならない。お兄ちゃんが志し半ばで逝ってしまった6年前の今日、あの日に僕はお兄ちゃんの分まで役者として売れて表現者として芝居で犯罪をなくす決意をしたんだ。
その為には、僕は役者を諦めないし、どんなことでも耐えていける。
ここに来ると、その決意を忘れずに、あの愚かだった自分をいつまでも懺悔して戒めることができる。ここが、僕の本当の役者を目指し始めた原点でありスタート地点であった。
あらかじめ買っておいたお兄ちゃんの好きだった黄色いガーベラを1本、お兄ちゃんが倒れたその場所に添えて、手を合わせる。
そしてポケットからハイライトを2本取り出し、2本とも火をつけ、1本はガーベラの横に置き、もう1本は自分で吸う。むせ返るほどの煙草の匂いをいつも身にまとっていたお兄ちゃんは、ハイライトをこよなく愛していた。
理子との身が引き裂かれそうな言い難い辛い別れ、お兄ちゃんともう二度と会えなくなってしまった生死の別れ。苦しいと思えることなど世の中にはたくさんある。僕は役者としての自分の決意は、この先何十年経とうが変わらずに生きていることだろう。なぜならお兄ちゃんの死別の別れが僕を奮い立たせ自分の道を確認することが出来るからだ。しかし、理子の事は?忘れる事が出来ないまでか、自分の再生には決して繋がっていかない。それは、きっと僕の中の理子は今でも変わらず色褪せない輝きを持ってしまっているから。あの、理子の裏切りともとれる不倫。でもどうしても信じられない自分もいる。6年も彷徨っていて未だに答えは見つからない。だからこそ時間が静止してしまったままだった。
あの夜、理子は何を言いかけたのかな・・?
お兄ちゃんはなぜ、理子の様子に疑問を思ったのかな?
この日の懺悔を続ける内に、やはり理子の気持ちがついてまわり、毎年同じことを繰り返してしまう自分が滑稽に思えて、決まって疎外感がすぐに追いかけてきて追いつき目の前を真っ暗にさせる。
僕に未来はあるのかな・・・。
いや、本当は分かっているんだ。でも、認めたくない僕が過去からの決別を拒否して、そこへ滞在している。
僕は、未だに理子を愛している。
サンモール商店街を今度はもと来た道へ引き返し、駅を通り越し南口に出る。楕円形のバスロータリーに二つ目の光がいくつも入ってきて、信号の点滅に併せて横を通り過ぎる。
一年にたった一度だけの中野は、僕を毎年あの時の青い鎖を赤く変色させ更に太く進化させ、どうしようもなかった僕をいつまでも懺悔させてくれる。
夜になると人を一人見つけるのに苦労する田舎が嘘みたいに、東京はこの時間でも動いている。行き交う人と黄色い星のような車のライトを避けながら、青梅街道の公園にたどり着き、僕はベンチに腰をかける。
みんなと稽古した公園。こうしてベンチに座って公園を眺めてみると、昨日の事のように過去が鮮明に蘇ってくる。毎日って言うほどの時間をこの公園でお兄ちゃんと理子と高田さん、そして僕の4人でプロダクションの稽古帰りに、ここでよく稽古をした。
さすがに閑散とした夜中の公園は、今の僕にはちょうどよかった。周りをぐるりと見渡してみると、公園の端っこにチカチカと点灯して消えかかっている街灯が妙に気になって、街灯の下まで来て眺めてみる。
今にも消え入りそうな街灯を見て目を静かに瞑ってみる。
消えそうだね、キャンドル。
そう真ん丸な潤んだ瞳で言うと、今にも消え入りそうなキャンドルをジッと子猫のように見つめている。理子はアロマキャンドルが好きで一晩中、炎を灯してよく朝まで二人で話したものだった。アロマの香りを全身で呼吸でもしているように感じながら包まれて、満足気に僕の胸をクッション替わりに至福の時を過ごす。ねえ、祥。光はどうして消えちゃうんだろう?
いつも大人びててどんな問題でも解いてしまう印象の理子は、二人きりになると姿を現さなかった。というよりも普段の理子が人一倍頑張っている姿で、きっと、こっちの顔が本当の理子のような気がする。
一つ一つの記憶が細い糸で繋がっていて、こうして目を瞑っていると僕を勢いよく手繰り寄せてくる。過去に縛られたまま僕はどこに行くんだろう?こんなに忘れる事の出来ない事へ怒りにも似た憎しみが僕自身の苦しみをさらに逆撫でする。だからといって、決して自分の事を可愛そうな奴だと悲劇のヒロインを演じるつもりは毛頭ない。むしろあの日あの時の僕があまりにも子供だったせいで僕にとっての理子、僕にとってのお兄ちゃん、そして僕自身、それぞれに過酷というにはあまりにもキツイ現実になってしまった事を心に深く刻むべきなんだと思っている。
そう、僕が子供だったせいで…。
未だに現在から未来へ進む勇気のない僕は、いつまでも逃げてばかりだから一年に一度ここに訪れれば、あの時のあの気持ちを再確認でき、また一年頑張れるような気がしている。僕にとっては再生をする為に必要な儀式みたいなもので、リハビリのように毎年決まった日にここへ来る事が何か光を灯してくれる気がしていた。再生と構築に必要なヒントがあるような気が…。
祥、何年経ってもずっとこうして隣にいてくれる?
ふと、二人きりの時に出す理子の子猫みたいな甘えん坊さが僕の愛おしさを刺激して、くすぐったさと抱擁感の狭間で感情がどんどん強固になっていく。
「もちろんだよ。僕は理子を絶対に離さないから安心して。」
本当に?約束してくれる?どんなことが起きても離さないでいてくれる?
不安な顔を一生懸命隠しながらも希望にすがる子供のような目で求めてくる。
「うん、約束するよ。」
安堵の表情をうかべる理子は、僕の腕を何度も確かめながら、優しい表情で眠りについていく。
あの時は理子とのこの安らかな空間、お兄ちゃんや高田さんとの心地よい稽古の空間、僕はこの空間がずっと続くものだと信じて疑わなかった。
チカチカと点灯する街灯は輝きを今にも終わらせてしまいそうだった。




