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赤い鎖

 飴色に染まった空が落ちていき紺碧の澄んだ空へと移動していく。晩秋に満ちた木々の木の葉が舞い踊り、木枯らしが吹きすさび始めた紺碧の空には東京でも奇麗な秋の四辺形が天頂に輝きを放ち始める。いろんなことに理解を深めても人はいつまでも疑問を持ち続けるものだ。ましてや、自分自身の事など本当に理解しているのは世の中に何人いるのだろうか?


 アルバイトが終わり、せかせかと稽古場へ足をいそしむ。今日は特に稽古日というわけでもなかったが、村中先生から言われた言葉が忘れられずに、時間が空けば稽古場まで行き自主稽古をするのが習慣付いてきていた。

 過去への決別をしたかった僕には稽古で自分を再生へと導くほか思いつかない。先生からの自分への期待を裏切るわけにはいかなかったし、自分自身への裏切りも償いたかった。日々が重圧に押しつぶされてしまいそうな、ギリギリの綱渡りを繰り返していた。

 

 僕は自分をどうしていきたいのだろう?

 

 自分の過去を振り返れば振り返るほど、臆病さへ拍車をかける。でも、どうあっても過去を振り切ることは出来なかったし、理子への想いは強まるばかりであるだった。お兄ちゃんの存在のおかげで、辛うじてだが芝居を諦めずに頑張れていることも自分ではよく理解しているつもりだった。

 こうして夜も更けていく中、稽古場で自主稽古をしていると公園での自主稽古を思い出してしまう。自らの再生と蘇生をしていく為の自主稽古がどうしても雁字搦めにかかった過去の赤い鎖を外すことが今の僕には難しかった。

 暗く光の見えないトンネルを必死で駆け出そうと努力をしてみるが、一向に地上には繋がらないでいる僕自身は、本当は努力なんて虚しく儚いものなんだからこれ以上は何もする必要はないと、自問自答を繰り返す。

 あの時の理子もそうだったのだろうか?ぼくが所属してからもいつも独りでいる彼女は、時々何かを訴えかけているような演技をして、それを周囲は褒め称えた。しかし、芝居から一旦離れると誰とも会話をしようとしない彼女に、他の仲間は駆け寄ろうともしなかった。周囲に溶け込もうともせず、ただ芝居を一生懸命するどこか冷たい目をした彼女には確かに近寄り難い空気はあったが、僕にはこの同じ年の彼女がとても高貴な存在に思えたし、より一層気になる存在になっていた。


 僕は所属したもののたいした活躍も出来ず、くすぶったまま3ヶ月が過ぎようとしていた。オーディションの受かったあの日からずっと気になっている女性、理子とは未だにたいした会話も出来ずに、稽古に明け暮れて、終わればお決まりのようにお兄ちゃんとお酒を酌み交わしながら反省会を繰り返した。

 芝居は面白かった。明確な目標はなかったけど、ただ漠然と役者として有名になりたいと、この時の僕はプロダクションに所属していれば有名になれる、仕事が貰えると本気で信じていて、もうゴールがすぐそこにあるものだと過信していた。

 この雨が上がる頃には、真っ青な空に巨大な白い入道雲が天いっぱいに広がる暑い季節がやってくると容易に誰でも想像は出来たが、毎日のように空からの大きな溜め息でも聞こえてきそうな灰色の分厚い壁から大きな雫がいっこうに止まらない日々。少し肌寒さを覚えながらいろんな人が行き交うのを見ていると誰も表情が俯いて暗かった。

 雨を見ているのが好きな僕は、雫の中に光を見つけ出す事に楽しさを覚えていて、ずっと上を向きながら歩いていた。稽古場について、掃除を一通り終えてまた雨をジッと見つめていると、いつ入ってきたのかも気付かずに理子がすぐ横に立っていた。

 僕は、聞かれてもいないのに慌てて今見てた事をいつの間にか口走っていた。

「あ、雨の雫って光が中にこもっているのを知ってる?僕こうやって、雨の雫の光を見つけるのが好きで雨の日はみんなと逆で上ばかり向いてしまうんだ。」

 あの日以来初めてちゃんとした言葉を発言したであろう僕に、初めて見る暖かな優しい笑顔で僕を見つめたかと思うと、光のある上空を見渡しながら

 知ってるよ。雨の光って綺麗なんだよね。私も好き。でも、君は変わってるね。そんな人が気付かずに通り過ぎてしまう事に気付けてずっと見つめてるなんて。

 初めての会話、初めての柔らかな彼女の表情、初めてのことなのに僕は心が満ちていく感覚を覚え、とても心地のよいその空間をいつまでも感じていたいと素直に思っていた。

「あの、良かったら自主稽古付き合ってくれないかな?」

 この空間維持の為の精一杯の言葉だった。もちろん、稽古場で群れることをしない理子の事を知ってた上での誘いだったから、断わられるのは至極当然だと思っていたが、返ってきた言葉はあっさりなほど簡単に一言だけ、うん、いいよ。やろう。と、意外な返答だった。

 この日から、僕達はどちらともなく稽古が始まる前に決まって自主稽古をするようになっていった。


 祥、帰るとよ~。と、お兄ちゃんが呼んでいるのが聞こえ、慌てて帰り仕度をする。擦れ違い様に理子がこちらに視線を指していると気づいて、

「あ、倉田さん、また今度の稽古もお願いします。」

 と、いつもと同じサインを送っては、うん、お疲れ様と理子も挨拶をして送ってくれた。祥、遅いよ。とお兄ちゃんの軽い叱咤に謝りながら、いつものように安居酒屋へ足を運ぶ。いつものお決まりのパターンだった。

 でさ・・・、祥?・・祥!!

「・・え、えっ!?なにお兄ちゃん?」

 なにじゃない!ちゃんと聞いとっと?今日のあのシーンなんだけど。

「あっ、ごめん。もう一回!どこのシーンだっけ?」

・・・ふぅー、祥さ、お前倉田さんと何かあるだろ?と、唐突に理子の名前を突き出されて面を食らった。

「はっ!?え、どうして?そんなことないよ。」

 必死に隠そうとしたが、今日の帰りぎわに倉田さんとアイコンタクト取ってただろ?滅多に話したり、笑顔を見せない倉田さんが祥の時だけ笑顔でお疲れっておかしかよ。と、顔に似合わず鋭いことを言うと思いながら、さすがに役者さんだな、人間観察をよくしていると感心した。

 僕は、誤魔化しきれないなと思いお兄ちゃんだけには正直に話すことにした。

 オーディションの時に出会ったことから、本番公演でドキドキしたこと、一目惚れって言うのがあるんだということ、倉田理子を気になって気になって夜も眠れなくなってしまうことや、自主稽古を始める切っ掛けになったこと、みんなには内緒で稽古前に二人で稽古していること。お兄ちゃんにはすべて正直に話した。

 全て話し終えると、ずっと隠していた感情を人に聞いて貰えた安心感からか、胸の奥のほうでつっかえていた何かが、ふっと軽くなったような気がした。お兄ちゃんは、少し悪戯なニヤけた顔をして、相当倉田さんの事が好きなんだな、と、からかいにも、応援にも取れるようなセリフを吐いて、よかとよ頑張りんしゃい、と励ましてくれた。

 お兄ちゃんに話しを出来たことで、僕は気分が一気に解放された気持ちを噛み締めることが出来て、理子とのこれからをどうにかしたいと考え始めた。

 

 理子との二人きりの自主稽古を始めてから一か月くらい経とうかという頃、季節は徐々に真夏の暑さを物語り始めていたが、この日は朝から雨が降り続いていて稽古場は五右衛門風呂にでもなったかのように蒸し暑さを強調していた。

 皆が一様に汗だくになり稽古が終る頃、社長の森田から別室に呼び出された。社長室に入ると稽古場のあの密閉された圧迫感と蒸し暑さはすぐに吹き飛び、クーラーの爽やかな風が火照った身体を癒してくれた。そこには僕だけじゃなく、お兄ちゃんと理子、そして高田さんも呼び出された様子で、みんな立って待っていた。

「よしっ!四人揃ったな。」

「・・・はい。」

 なぜ呼び出されたか意味も分からず、とりあえず返事をしてはみるものの四人が四人とも構えたように怪訝そうな顔している。

「はは、ま~そんなに構えるなよ。別に怒る為に呼んだわけじゃないんだから。」

 そう笑顔で森田は言うと、

「坂田と瀬戸、お前らは所属してどれくらいになる?」

 と、問われて四か月くらいですとそのまま答えると、今度は理子と高田さんへ

「倉田と高田は?」

 そのまま、同じ質問を繰り返す。高田さんがちょうど一年半です。と質問に応対すると、

「うん、ちょうど一年くらいお前たちは所属期間が違うんだよな。」

 と、まだまるで話しが見えてこなかった。

「はい・・」

「でな、今日、マネージャー達とも話しをしてたんだが、今、ウチの若手で一番成長度が高いのがお前たち四人なんだよ。本当に偶然なんだが、ちょうど同期が二組なんだよな。」

「あ、ありがとうございます。」

 誰よりも早くお兄ちゃんが声を発した。

「そこでな、お前たち四人だけで舞台を一つ公演しようと思ってる。まずはその意思確認なんだが・・・異存は?」

 突然のことで何が何だか分からなかったが、すぐに他の三人の言葉が入ってきて理解した。

「もちろん、やらせて頂きます!」

「ありがとうございます!!」

「頑張ります!」

 一歩返事の遅れた僕に森田は

「瀬戸は?」

 と、刹那の間に言葉をかぶせてきた。

「あ、はい!精一杯やらせて頂きます!」

「うん!よし、じゃぁ決まりだな!公演本番は三ヶ月後だからな!台本は実はもう出来ているんだ。あとはお前たちの演技次第だ!期待してるぞ!」

 社長室から出て、みんな目をまん丸としている。急速な展開に頭が追い付いてなく、とりあえず手渡された台本をみんなで本読みすることにした。しかし、稽古場はもう閉じてしまうので、どこか広めの公園で本読みしようと外に出た。外に出ると、僕たちの出演を祝福するかのように雨はすっかり上がっていて、天頂には天の川も確認できるくらい透き通った夜空が印象的だった。

「わぁ、キレイ。」

 平常時にあまり感情を表に出さない理子がそう言って空を眺めているのをみて、他のみんなにも聞こえてしまうんではないかと思うほどの抑えきれない鼓動を必死に隠しながら実感した。

 そっか、理子と一緒の舞台を出来るんだ。理子と一緒にいられるんだ。と。


 その日から四人で稽古前には自主稽古をし、稽古が終ってからも4人で自主稽古するのが習慣になっていった。そして稽古が終ってからは稽古場が閉まってしまうのもあり、お兄ちゃんの家に程近い新中野駅近くの公園で自主稽古する事が多くなっていった。

 高田さんは理子と同期でとても気さくな人だ。理子もプロダクションの人とは滅多に話したりしないが、同期のよしみなのか高田さんとだけはたまに話しているのを珍しいな~と思いながら何度か見たのを覚えている。まだ、大人として成熟していなかった僕は、そんな高田さんへ嫉妬をすることもしばしばあった。

 

 僕と理子はここを切掛けに時間が進み始めた。万物流転とはよくいったもので、刻一刻と変わる変化の中、僕と理子は磁石に吸い寄せられるかのように惹かれ合っていった。それはまるで、急な勾配の坂道で雪玉を転がし初めはゆっくりだったものが途中から一気に加速して大きな雪玉になっていくような、そんな全速力で駆け抜けていくようなとても濃縮されたとても素敵でとても切なく色褪せることのない恋であり、そんな愛だった。


 必要以上の執着は、嫉妬であり束縛である。あの頃の僕は理子に対して必要以上の執着をしてしまっていたのかもしれない。未熟さを全面に押し出しいつでも全力で理子へ対して気持ちを押し付ける青二才だった。そんな青二才の僕に対して理子はいつも、少し困った顔をしてはすぐに微笑んで優しく受け入れてくれた。自分の未熟さを棚に上げて僕はいつの間にか理子を鳥籠に入れてしまっていたのだろうか?理子の自由な翼を僕が羽ばたけない様にもいでしまっていたのだろうか?一度、自責の念に捉われると如何様にもしがたく、永遠とループから抜け出せない。だけど、未熟だった僕にはあの日あの時の理子の行動は許すことがどうしても出来なかった。


 理子、どうしてなんだい?


 理由はなにもないかも知れない。ただ、純粋に子供な僕に嫌気が差したのかもしれない。それでも、僕には未だに信じられないし理子の事を忘れられないのが真実だ。

 

 矛盾の連鎖が僕には永遠とも呼べる苦しみを召喚する。


 鏡を背に台詞を声に出して自主稽古をしていたはずの僕は、踵を返し鏡に映った自分自身に向かって、とても人間の声とは思えないほどの獣のような咆哮を鏡が割れんばかりに

 何度も何度もぶつけて、目から流れ落ちる雫を止めることが出来ずに号泣した。


 その日の晩秋に満ちた紺碧の空は、それでも天頂のペガサス座の光が眩しくてどこまでも飛んで行きそうな翼に目を奪われていった。


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