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開いたままの閉じたトビラ

 よく晴れた午後、バイトの休憩時間を使って井の頭公園まで足を運ぶ事が多かった。3月という桜が蕾をつけ始める時期、少しフライング気味の子は桜の本来あるべき姿に少しでも近づいていこうと新緑から淡紅色へ成長していく。まだ真新しい葉や枝からこぼれ落ちる少し大きめな木漏れ日の光を全身に受けて湖を見ながら昼ご飯を食べるのが僕のお気に入りだった。

 三分咲きほどの井の頭公園の桜は、新緑色と淡紅色の混じった幻想的な風景を僕に提供してくれている。まだ咲ききっていない桜を見ると理子の綺麗な長い髪を思い出す。黒くて長い直毛の髪。真っ黒だけど光に照らされると少し緑がかった黒い髪。僕は理子の風に揺られてほのかに漂う優しい髪の香りが好きだった。

 理子は満開よりも五分咲きの方が好きだと僕に珍しく熱弁を語っていた。あまり多くは語らない理子に、いつもは僕の方が必要以上の熱弁を語ったりしていたが、桜には学生時代に特別な思い入れが合ったようで、昔の話しを自分から話してくれた。多くは語らない彼女からは特に昔のことについて話すことはほとんどなく、理子の過去も知りたかった僕にとっては、いつも僕から尋問のように聞く術しか理子の過去を知りえる事が出来なかった。

 

 なぜ僕はあんなに理子の過去に興味を持っていたのだろう。僕がまだ成人の男性としてあまりにも未完成で、過去の事にこだわらない強さを持ち合わせていなかったからなのか。いや、間違いなくその時に生きていた僕の感情は、きっと知りえない理子の全てを理解したくて、もっともっと理子の事を知りたくて知れば知るほど好きになっていって、過去も含めて理子の全てを愛せると思っていたから。それが一方的なエゴだとも気付かずに。

 自らは語らなかった理子は、そんな僕の尋問まがいに訊く過去を暖かに導いて答えてくれる。まだ数字を数えられない子供に一から手で数えて教えるように嫌な顔をおくびにも見せずに丁寧に丁寧に。

 そんな彼女が後にも先にも自ら進んで過去の話しをしてくれたのは、この時と深夜の眠れずにアロマキャンドルの暖かな光の中で語りあった時の2回のみだった。話しの内容よりも、理子から話してくれたことに、喜びと驚きが混沌した奇妙な感情がその時僕には存在していた。

 理子は春を知らせる暖かい風に綺麗な黒髪をなびかせて、寂しくとも優しくともとれる二重の瞳目が印象的で、リップで潤った少し厚めの魅力的な下唇で僕を誘惑しながら、祥は過去にも光を灯せる人なんだねと、優しく微笑んだ。

「僕は過去に光を灯しているんじゃなくて理子に光を灯しているんだよ。」というと、理子は俯いて少し困った顔を一瞬して、ふふ、おかしな人と、いつもの決まった台詞が返ってくる。

 僕と理子は同じ年だったけど、理子が随分大人に見えるのは僕が子供みたいなせいもあったかもしれないが、この時折見せるクレバーな部分がより一層大人っぽく見せていた。

 東中野の桜川橋の陸橋を渡って線路沿いに歩くと見事な桜並木が満開の桜で僕と理子を迎えてくれていた。満開の桜が一陣の風に煽られて桜吹雪を作った刹那、だから五分咲きがいいのと、ポツリと悲しげに呟いていた。散って行く桜の姿を頑なに拒絶しているようで、散る事の無い五分咲きが理子にとっての満開みたいだ。

 桜並木を二人で線路沿いに歩いていくと、理子の細くて柔らかく、でも清冷された汚れのない澄んだ手を僕の手へ絡めてきて僕の熱を奪っていく。僕も理子の冷えた手に、より一層応えるようにぎゅっと優しく絡め返す。ちょうど理子と付き合いだして1年過ぎた二度目の桜の時期だったが全く色褪せることのない愛をお互いに臆病なくらい探りあいながら、小さな子供がなぞなぞの答えを紐解いていくようにゆっくりと確認しあっていた。

 どれだけ好きだったとしても、どれだけ愛していたとしても、いくら僕があの時子供だったからといって僕は毎日と言うほど理子と一緒にいるのにどうしてあんなにもドキドキが止まらなかったのだろう。初恋をしている時のあの純真無垢なときめきが理子といる時はずっと継続していくことができた。

「理子、好きだよ。君を愛している。」

 僕の突然の言動は理子を度々困らせているみたいだったが、すぐに理子は友達や事務所のみんなには決して見せない安堵の表情を浮かべて、私も好きよ、君を愛しているわ。と、オウム返しのように嬉しそうにそう告げては安らぎを求めて僕の胸に飛び込んで温もりを確かめにくる。


 理子は時々何かに不安になるのか、祥はなんでそんなに私の事を好きなの?と、聞いてくる事があった。まるで卵から孵化したばかりの弱々しいヒナが親を探して求めているように。

 普段はすごく強い女性のように見えた理子は、平常心を常に身に纏っていたのではなく、平常心を装っている事に僕はようやく気付いてあげられていた。

 

 この日の理子も、満開になって散っていく桜の花びらを悲しげな目で追いながら、同じ問いを僕に投げ掛けていた。

 僕はなんて言えばいいんだろうといつもわからず、毎回同じ言葉を理子に送っていた。

「理子の全てだよ。」

 そう返すと理子はいつも決まって少し俯き、ほんの数秒の沈黙の後に、うん、私も祥の全てが好きと返してきた。

 でも、この日はいつもと様子が違っていた。

 全てってなに?本当に祥は私を好きなの?祥はなんで私と一緒にいるの?祥は私の何を知っているの?

今まで見たことのない理子が散り逝く桜の中で人目もはばからず徐々に声を荒げて咆哮していく。こんなに感情的になる理子を僕は初めて見た。なにかを吐き出すかの様な勢いで桜並木の中、荒々しい声がこだまして行く。僕は慌てて理子を抑止して落ち着かせた。そのまま理子の肩を抱いて、人並みを避けて桜並木を進んで行く。桜並木を程なく通り過ぎ、いくつかの路地を曲がるとすぐに理子の家が見えてくる。僕はとりあえず理子を家に連れ帰り、抱えたままベッドの上に横にさせ休ませた。

 まだ興奮が冷めきれていない理子をみて、お茶でも入れてあげようと立ち上がった僕の手をいつもより少し温かくなっていた理子の手に摑まえられた。ここにいてと、一言だけ消え入りそうな声で告げたのを聞いて、僕は理子の隣に腰掛けてまだ温かい瞳からの雫を人差し指の甲でそっと拭いてあげながら、

「大丈夫だよ。」

 そういって抱擁し落ち着かせた。肩越しに理子の顔が小さく痙攣しているのが分かって僕の肩がハンカチの役割を果してくれた。もう嫌いになっちゃったかな?そう告げた理子に、今まで培ってきた愛情より比べ物にならないくらいの愛おしさを覚え、

「そんなことない!好きだよ、理子。僕は理子を愛している。人には見せない意地っ張りな所も、どうしようもなくわがままな所も、鏡の様な繊細さも、そう全部愛してる。理子が年老いておばさんになったって、おばあちゃんになったって、例え太ったりして容姿が変わったって、理子が理子である限り僕は君を愛しているし、かけがえのない特別な存在だよ。」

 気付いたら僕の瞳も滲んでいて、ひと雫こぼれ落ちていた。理子はありがとうとはとても聞き取れない発声でそう告げると、僕たちは強くお互いに抱き締めあった。

 この日僕たちは今までの一年が実り何かを得た気がして、何度も何度もお互いに身体を求め合った。

でも、得た気になっていただけできっと何も獲得はしてなく、逆に何かが足らなかったんだ。

 だから、あんな事になってしまったんだ…。


「あっ!!もう桜咲いてきてるね!」

 急に現実に呼び戻されて、形容しがたい表情をして振り返る。

「あはははっ!なんて顔してるの?もうご飯食べちゃった?」

 振り返りそれが僕に向けて発せられた言葉だったのだと認識するまで暫くかかった。

 満面の笑顔で少しオレンジかかった褐色のちょっとだけ短めの髪をなびかせながら、僕のすぐ目の前で尾澤沙織が立っていた。

「沙織も30分遅れで休憩に入ったから来ちゃった。」

 そう言うと、尾澤沙織は僕の横に腰掛けて湖を眺め始めた。

「どうしたの?びっくりしたよ。」

「瀬戸君、前にお昼休みに井の頭公園に行く事があるって言ってたじゃない?だから来ちゃった!よく来るの?」

 いつもハキハキした尾澤さんの口調は、すごくサッパリしていて好印象を人に与える。こういった本人すら意識していない部分が、尾澤さんが人気者でモテる理由だろう。

「うん、結構くるよ。バイトの休憩は最近だいたいここに来ているんじゃないかな。僕は田舎育ちだから、緑が多くて喉かな所が落ち着いてさ。なんかこうやって湖とか見てると寛大になれない?」

「あはは、おじいちゃんみたい。う~ん、私は生まれてからずっと吉祥寺で育ったから、逆にあんまり井の頭公園って来ないんだ。地元だからいつでも来れるみたいな感じがあって。」

「そっか。たまにはいいもんだよ。おじいちゃんになるのも。」

「うん、いいもんだ!!久しぶりだなぁ~、井の頭公園…。」

 そう言って湖を眺める尾澤さんの横顔は理子とは逆に少し丸顔で、微笑むと右側のほっぺに綺麗なえくぼが生まれ、それがまた魅力的だった。いつも明るくて賑やかな尾澤さんは理子とは何もかもが正反対だった。そして僕とも対照的な尾澤さんと話しをしていると、僕にもほんの少し元気を分けてもらえる気がする。

「あっ!そういえばこの前、瀬戸君が出たドラマ観たよ!今回は結構映ってたじゃん。台詞も結構あったし、早くバイトなんかしなくても大丈夫になるといいね。」

「なかなかそう簡単にはいかないよ。」

「やっぱり簡単にはいかないかぁ~。でも、難しいからこそやりがいがあるよね!役者さんのお仕事は最近どうなの?」

「うん、来年大きなオーディションがあるらしいんだ。まだ詳細は分からないんだけど、なんでも制作費をすごくかけて作るみたいでさ。まぁでも、大きなオーディションなんて大概がもうキャスティング決まっているようなもんだしね。またエキストラかな。」

 大きなオーディションなどはそれなりに受けている。事務所の、尊敬する先生の意思だからだ。でも僕はオーディションなんてどうでも良かった。役者として精進でき表現者として人に伝われば、別に大きな現場でなくても良かった。僕には大きなオーディションだからといってたいした興味があまりなかった。

「…ダメ、ダメだよ!そんなこと言わないでよ!!どうせ無理とかどうせ無駄とかまだ結果も出ていなくてやり遂げてもいないのに、そんな気持ちじゃ受かるものも受からなくなっちゃうよ。瀬戸君いつも頑張ってるじゃない!瀬戸君にはいつも未来という温かな光があたっているのが沙織には見えるもん。自分の未来を信じてよ。私は瀬戸君の未来を信じているんだから。」

 口調も性格も容姿も全然違うのに、理子がいるように感じる。理子との、あの最後の暗闇のような、とても耐え難くつらい決別をしてから、どんなに理子と口調が似ている女性とも、どんなに性格が似ている女性でも、どんなに容姿が似ている女性にも、決して理子以外の女性に理子を感じたことはなかったのに。尾澤さんの言葉がストレートに僕の奥底に入ってくる。初めてだった。理子を他の女性に感じるのは。

「未来か…。」

 あの時から過去との決別がいつまでも出来ない僕は、未来という言葉がとても眩しくて直視できないでいる。

「そう、未来。瀬戸君の未来は瀬戸君だけのものだし、沙織の未来は沙織だけのもの。現在より先のものだからその人だけのものなの。だから未来は欲張らなきゃだめ!」

「未来を欲張るか…。尾澤さんは未来に光を感じているんだね。すごいね。」

 尾澤さんとはよく会話をする事が多かったけど、こんなにも未来に対して真っ直ぐに生きていることへ嫉妬を覚えつつも羨ましいと思う。でもそれよりも正直、尾澤さんの考えが意外なものでその発見に驚いていることの方が大きい。

 僕だけの未来…。

 理子は自分の未来の事も僕にはあまり話してくれなかった。でも、決まって僕の未来を案じてくれていた理子に、僕はいつも守られていた気がする。同じ感覚を尾澤さんにも今感じて、僕の奥底にある理子に触発する。同時に理性と自己嫌悪が追いかけてきてまたすぐに強固な扉に鍵を閉める。

「でしょ?素敵でしょ~。惚れてもいいよ。」

「う~ん…考えとくよ。」

 そう言ってお互いに顔を見合わせて、同時に大笑いした。女性と話しをしていてこんなにも大笑いしたのは随分久しぶりのような気がする。でも尾澤さんに興味を魅かれてきている自分に気付くとすぐに大きな蓋で押さえ込み、自分をいつまでも戒めた。


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