決意と失意の間
人は皆、何かを背負って進む生き物だ。
僕の中の理子、理子にとっての僕。高田さんによって導き出された、見知らぬ理子の過去と疑問の答えが、皮肉にも僕を未来へと進ませていた。過去しかなかった僕にとって、未来を感じて進むという事は、現在を生きていることだった。
長い年月を過去に拘束させられていた僕は、未来への切符を求めて希望というひと雫の光源を目指し、今を生きている。
撮影は海外ロケでの日程が少しオーバーしていたが、あとはほぼ順調に撮影が進み、3月初旬の少し暖かな春風が感じられる中、クランクアップを無事に終えていた。秋の公開に向けて、準備を急ぐ製作スタッフ達の活き活きとした姿を見ていると、自分がこの作品に関わったのだと実感が湧いてくる。大きな映画の出演を果たしたことで僕の周りの環境も大きく変わろうと転機を迎えていた。
今まで必死に役者の仕事を取ってきていたマネージャーも、今では先方からオファーが来るようになり大いに喜んでいた。
目まぐるしい程に変わっていく僕の環境が、僕自身にはまだ戸惑いを感じ溶け込められていなかった。
3月のすがすがしい快晴の日、僕から尾澤さんを誘って井の頭公園に行った。撮影中には全く連絡を取っていなかった尾澤さんへ、久しぶりに電話を掛けて、唐突に井の頭のボートに乗りに行こうと誘い、井の頭公園で待ち合わせた。尾澤さんはその誘いを快く受け入れてくれた。
この日の好晴は、まだ3月の春本番前の晴天にも関わらず、とても良い陽気で日中は半袖でも過ごせそうな、そんな気持ちのいい気候だった。
「瀬戸君、晴れやかな笑顔してるね。」
尾澤さんからいきなりそう言われて少し照れた。
「そう?いつもと変わらないよ。」
ボートを漕ぎながら、照れ隠しをするように迂回する。水の抵抗は思っていた以上に負荷があり、少し漕いだだけで漕ぎ疲れをして木漏れ日の下で停滞した。
「映画の出来映えはどう?」
「ん、いや僕もまだ完成したものは観てないんだ。」
「そうなんだ。う~ん、楽しみだね。」
そう言うと、尾澤さんは大きな背伸びをしながら、
「瀬戸君から誘ってくれるなんて珍しいね。撮影も終わったし、ついに愛の告白でもしてくれる気になったの~?」
いきなりとんでもないことを言う、と内心思いながら、
「また、冗談言って。いや、ただ・・」
「ただ、なに?」
「うん、ただお礼を言いたかったんだ。尾澤さんがいなければ僕は挫けていたから。自分にきっと負けていたから。」
「そんなことないよ~。瀬戸君は頑張ってたじゃない。」
「ううん、本当にありがとう。」
そっと優しく告げた。
「・・・どうしたの?何か今日はいつもと違うよ。なんか瀬戸君、今日で最後みたいな言い方。」
最後か。僕は理子の過去を知ったことで未来へ進めることができた。同時にそれは、僕にある決心を芽生えさせていた。
「うん。あのね、アルバイトなんだけど、実は退職をしようと思ってるんだ。」
「そうなんだ!やっとお芝居一つでやっていけるんだね!よかった。」
「うん、ありがとう。それも本当に尾澤さんのお蔭だよ。」
「はは、だからそんなことないって。」
またオールでボートを漕ぎ始めた僕は、ボートを元の場所に戻し、今度はちょっと散歩しようと提案した。
「尾澤さんが、随分前に未来を欲張れって教えてくれて、僕は今、欲張ろうと思っているんだ。」
「・・そっか。」
「うん、だから、アルバイトも辞めようと思った。」
「うん。・・・でも、辞めてもまたこうして会えるよね?」
「・・・・・・。」
すぐには返答を返せなかった。尾澤さんの事は好きだし、付き合いたいとも考えたことはあった。しかし・・・
「ごめん。実はもう会えないんだ。その事を今日は言いに来て。」
「え・・・、どうして?なんでもう会ってくれないの?忙しいから?」
「吉祥寺から引っ越そうと思って。近いけど、中野にね。」
僕は未来に進む決意みたいなものの一つに、お兄ちゃんの死んでしまったあの街で、お兄ちゃんをずっと忘れない為に、僕の原点のある中野へ住むことを答えに出していた。
「中野なら、すぐ会えるよ?いつでも会えるよ?私会いに行くし、そんな最後みたいな事を言わないでよ。」
ストレートに裏表なく表現する彼女の言葉が僕自身の我儘さに心の痛みを突き刺す。
「私、瀬戸君のこと好きだよ。好きなんだよ。もう、会えないなんて絶対に嫌っ!」
そう彼女は少し言葉を荒げながら、僕の背中に勢いよく抱きついてきた。彼女の感情が鼓動から伝わってきて、すごく暖かかった。
「ありがとう。・・でも・・・もう会えないんだ。・・・ごめん。」
「嫌だよ!もう会えないなんて。絶対に嫌だよ!」
彼女の気持ちが僕の心に響く。
「だからなんだ。尾澤さんはこんな僕の事を好きと言ってくれるから、だから・・もう会わないようにするんだ。」
彼女の言葉が止まり、腕の力が少し抜けたように思えて、踵を返して僕は彼女の両肩を掌に抱えて、続けた。
「ごめん・・・尾澤さん。僕はきっと君の事が好きだったのかもしれない。でも、僕には・・・忘れられない人がいる。ずーっと前から、僕は彼女の事を忘れられない。僕にとって大切で、かけがえのない人なんだ。僕は・・僕の未来に希望があるのならば、可能性があるのならば・・・僕は・・・」
まっすぐに尾澤さんの瞳を見つめると、尾澤さんも涙でにじんでいたが、今まで見たこともない澄んだ眼差しで見つめ返してきた。
「・・・彼女と一緒に未来を歩んで行きたい。」
男性はなぜ女性が必要なのだろうか?女性もまた、なぜ男性が必要なのだろうか?未来の希望に光を求める時、人は人をなぜ求めるのだろう?
僕の未来へのもう一つの決意は、理子を求め理子と共に歩むことを強く望んでいた。
僕の気持ちを正直に伝えると尾澤さんは目を真っ赤にしながら、
「そっか・・・。瀬戸君の中には、その人がずっと居たんだね。それじゃ、私は入る隙間なんてないね。・・・正直に話してくれてありがとう。」
尾澤さんの顔は今にも泣きだしそうだったけど、必死にこらえて笑顔で
「私ね、瀬戸君にはずっとそうゆう人がいるんじゃないかと実は思ってたんだ。瀬戸君は過去をあまり話したがらなかったから。でもね、そんな瀬戸君に私は惹かれていった。」
尾澤さんの告白が昔の理子と僕を連想させて胸が息苦しさを覚える。
「瀬戸君に感じた誰かは、ずっとその人だったんだね。女の直感だけど、その人は瀬戸君を待ってるよ。絶対に。きっと瀬戸君の未来はその人の中にあると思う。」
今、僕が尾澤さんを振ってしまったのに、尾澤さんは僕の味方でいてくれる。その事がどんなことよりも嬉しくて、そして痛かった。
「うん、きっと大丈夫!頑張ってね。瀬戸君。」
そう最後に振り絞った笑顔がいつまでも僕の目に残っていて
「さようなら・・・。」
と、最後にそう告げて、尾澤さんは帰路についた。
いろいろな人やいろいろなことを疑似体験していく役者は、とても不思議な職業に思える。実際に人を殺したことも、誘拐したこともないのに、犯罪者の心理を獲得したり、飛行機の操縦など出来るわけもないのに、パイロットにもなる。演じることが、そのまま人生の経験値として積み重なっていく。しかし、役者自身も唯一演じきれない者がある。それは、自分自身であり自分の人生。
これだけは演じきることがどうやっても出来ない。しかし過去の自分を振り返ることは出来る。過去の自分の台本を読んでいくと愚かだった自分に愛想を尽かしたくなる。でも、ひと雫の光はきっとここから未来へと繋がっているはずだった。僕はこのひと雫の光を辿って、行き先の終焉にある光源に理子との未来への希望の光を信じていた。僕の心にある理子との未来へと続く2枚の切符を。
尾澤さんへの感謝と謝罪を心の中で噛みしめながら、僕も井の頭公園を後にする。清々しい日和を全身に受け、公園出口の階段途中で止まりふと振り返ってみる。
「・・・きれいだな。」
アルバイト途中によく休憩した公園。桜を一緒に見た公園。キスをした公園。そして今さっき尾澤さんと別れたばかりの公園。気が付けば井の頭公園は尾澤さんとの思い出でいっぱいだった。その公園をあらためて高台から見てみると、湖に日差しが反射してとても眩しくて、今までの思い出が一気にフラッシュバックしてくる。
「ありがとう。」
自然と言葉が出ていた。
ありがとう、吉祥寺。ありがとう、井の頭公園。ありがとう、尾澤さん。
澄み渡った空を見上げて僕は公園を、吉祥寺を後にした。この日の3月にも関わらず半袖でも大丈夫なくらいの暖かな陽気は、僕の揺るがない想いと決意をそっと後押ししてくれた。




