支配された過去
話題になっている大規模なオーディション映画のキャスティングが決まり、雑誌やTV、ネットなどで連日映画の報道がされていた。それに追い風をもたらすように海外進出の発表もされ、さらに話題を強固なものにしていった。
まだ、製作開始のクランクインすらされていない状況で、映画が一人歩きを始めている。この映画に対する日本の期待度が伺えて嬉しかった。
「祥!やったな!」
真っ先に祝福をしてくれたのは、高田さんの電話だった。もう暫くしたら役者という職業に一つのけじめをつける高田さんからの言葉は、一言一句に心から伝わってくる重みがあり、その讃辞が現実自体をどこかに忘れてきてしまっていた僕の信じられなかった頭を、命綱で引っ張るように今の現在に引き戻してくれた。
「やっぱり祥は大した奴だな。坂田もきっと応援してくれていたんだよ。」
高田さんからのその言葉が嬉しかった。
時間は止まらない。いろいろな思いがそれぞれの形に生まれ変わろうとして、人との繋がりが交差を繰り返して行く。渋谷の巨大なスクランブル交差点のように、青になれば人が交わり、赤になればピタッと交信が途絶える。
急速に動き出した現実は、僕の過去からの再生を着実と見つけ始めているものだと思っていた。
「瀬戸ちゃん!オーディションよかったですよ。瀬戸ちゃんが演じた役では満場一致で瀬戸ちゃんで決まりでした!文句なく完璧な合格です。」
村中先生から合格を知らせてくれた時に頂いた言葉だった。
「どの辺りが良かったのでしょうか?」
合格の嬉しさよりもオーディション当日の他の人達とは違う、自分の芝居の不甲斐無さに落胆をしていた。理子の事を想い芝居をしてしまった僕の目には、きっと絶望と後悔しか映っていなかったことだろう。村中先生は、ふむ、と首を一度縦に落として、
「では、瀬戸ちゃんは、あの役を今度の映画で演じるわけですが、オーディションの抜粋した台本ではどんな印象を受けた役でしたか?」
僕はあの時の印象を溯ってみた。台本の中のあの役は、僕と不思議なほどリンクしていたように感じた。あの時のあの場で、僕の横には・・・理子がいた!理子との辛い過去を捨てきれずに、それでも忘れられないことが誇りだったり、何かに期待をしてみたり・・。でも、期待をすればするほど苦しさが覆いかぶさってきて、僕の現在と未来を奪っていく。決して訪れることのない未来は、忘れるという機能を停止させて過去に僕を縛り付けている。未来に進むためのオーディションだったはずが、最終選考に待っていた答えは僕を振り出しに戻すことだった。
あの役には、僕の何もかもがかぶっているように感じた。でも、他の人の演じるあの役は、まったく対照的で明るさを放っていた。
「僕は、あの役の台本を読んだ時、彼は絶望と希望の狭間にいると感じました。他の人達が元気な彼を演じているのをみて、何度も読み返したのですが、やっぱり僕は彼が失意の中で生きているように感じました。」
村中先生に正直な、あのとき感じた役のイメージを伝えると、
「うん、それでいいんですよ。では、なぜ瀬戸ちゃんが満場一致で合格だったのか、それはすぐに答えがわかります。」
と、なんとも意味深げな言葉を先生は残したが、その答えは確かにすぐにわかることになった。
何の悪戯なのだろう?神様は時々、気まぐれに人を使っては試し遊ぶものなのだろうか?人は結局、神様の玩具にすぎないのかもしれない。
プロダクションに映画の決定稿が2冊届いた。一冊はプロダクション用(マネージャー用)に、一冊は僕用に。撮影は11月下旬からクランクインするようだった。僕は決定稿の台本を貰い受け、この日はゆっくりと本読みがしたかった為、そのまま帰ることにした。
井の頭公園の湖の眺められるベンチに座って台本を眺める。まだ夕刻前だったが、もう太陽は傾きかけて奇麗な朱色を示す準備をしている。初冬を知らせる風が少し冷たくて季節感を物語っていた。
台本を手にして、一枚一枚女性の肌にでも触れるかのように、優しく丁寧にページをめくっていく。
物語も終盤に差し掛かる頃、辺りはすっかり日が暮れていて、肌寒さがより一層増した。僕の腕には鳥肌がプツプツと立っていたが、これは気候の寒さによるものではなく、物語によって生み出されたものだと自分でも分かっていた。気がつけば、月明かりに照らされて僕の両頬は光り輝いている。頬を伝う雫を僕は止められないでいた。
「・・・そんな。こんなことって・・。」
村中先生が意味深げに話したこの役の本質がようやくわかった。
僕自身は無信仰者で神様にはお祈りをしたこともなかったが、それでも運命を感じられずにはいられない。神様は僕に何を求めているのだろう?気まぐれに悪戯をする神様に僕の止まったままの古時計の歯車のきしむ音が聞こえてきそうだった。
僕の演じる男の役は、まるで僕自身だった。
不倫して裏切った女性を信じ抜く男の一生懸命生き抜いた一生。そしてその男の壮絶な最期が、主人公の胸に響いて行く。そう、その男の自殺によっての最期で・・・。
寒さが徐々に本格化する11月下旬、予定通りにクランクイン。
撮影が始まった。撮影期間は約3ヶ月程度かけられて、日本だけではなく海外でのロケもあるようだった。僕の役自体は海外での撮影はないので、少し残念な気持ちもあったのは確かだ。
海外ロケを含めると3ヶ月という日程はとても過密スケジュールだなとみんなそう言っていたが、僕にはいまいちピンとはこなかった。
自分に与えられた役の役作りをクランクインするまでにいろいろ考えてみたが、悩めば悩むほどに分からなくなる。いろんな人達がいて、いろんな思い入れがある。僕が他の人の気持ちなんてわかるはずもない。じゃ、自分の気持ちは?
理子と別れを告げてから僕たちは7年になる。あんなにも苦しんで過去に縛られながら、無限に同じ場所を繰り返し歩いていたが、気がつけばもう7年。未来を求めて僕の再生に懸けたこの映画も、オーディションに合格して僕に与えてくれた未来は過去であった。
役を作れば僕は胸を真っ赤な烙印にでも押された音が聞こえて来そうな位ジュッと熱くなり、自分のしてきたことを後悔や懺悔がトンネルで鳴らすクラクションのように永遠と響いて、久遠の時を過ごすしかなかった。
その度に理子への遠いはずの記憶は、手を伸ばせばすぐにでも掴まえられてしまいそうなぐらいの鮮明さをより戻して色褪せないでいる。
理子はもう僕のことなどきれいに忘れてしまったのだろうか?
理子からお兄ちゃんへの一年に一度のガーベラの真意を知りたかったが、今の僕にはそれを追い求める方法は全くなかった。
撮影は順調に進んでいった。
ちょうど撮影が海外ロケへ移動する頃、海外での撮影がない僕はオフとなっていた。
木々が枯れて強い木枯らしが吹く。このひと月が終る頃には徐々に暖かくなるだろう。春の足音がすぐそこまで聞こえてきていた。
子供の頃、田舎育ちの僕はよく山に入って探険し遊んでは母親にこっぴどく怒られたものだった。なぜ、子供の頃はあんなにも探究心がすごかったのだろう?
そんな疑問も大人へと成長していく過程で、常識という現実が自然と身につき、それが僕の探究心を破壊してしまったのだろう。そう気付けたのは31歳にもなって、ごく最近のことだった。
休みの僕に、高田さんから久しぶりに連絡があった。
「おう!祥。撮影はどう?順調か?」
もうすっかり元気そうだった高田さんは、休みならちょっと合わないか?と誘われて、アルバイトも最近では休みを貰っていた僕は、特にやることもなく高田さんと恵比寿で待ち合わせをした。
駅に着くともう既に高田さんが待っていて、こっちだと恵比寿駅から暫く歩いていく。高田さんはもう目的の店が決まっているようだった。代官山方面へ向かって歩くと、お洒落な店がたくさんあり、ここら辺の地域を分かりやすく物語っていた。ちょうど、恵比寿と代官山の中間地点に位置していたお洒落なカフェバーへ高田さんは入って行った。僕も促されて後を追う。
ここは高田さんのお気に入りの店のようだった。中に入ると白いテーブルが印象的で少しヨーロピアン風のデザインは僕の心を和ませた。
ギャルソンからお久しぶりと声をかけられているところをみると、高田さんが常連だという事が容易に連想出来る。
「へ~、お洒落な店ですね~。」
そう言うと、高田さんはまるで自分の店のように得意満面に
「だろ~?ここはスタッフもいい人ばっかりで落ち着くんだよ。」
と、かなりお気に入りの店なようだ。
道路沿いのカフェバーには珍しく二階に位置していたこの店は、道路に面している壁が全部硝子戸になっていて外の景色がよく見える。それがより一層店の良い雰囲気を醸し出していた。
高田さんは今、就職活動をし始めているようだった。それを聞くと僕の心境も複雑で何と言っていいか分からず、頑張って下さいねとしか言えない。
「でな、この前!倉田な、祥がこの映画のキャスティングに抜擢されたのをTVで観てすごく喜んでたんだよ。まいるよな。俺は落ちたっていうのに目の前で、平気で俺にやったね、良かったね、って言うんだ。」
「ふふ、そんなことがあったんですね。」
理子の近況が聞けるだけでもなぜか嬉しかった。
それからくだらない話しから、就職活動の奮闘話しまで尽きることのない会話は、僕の苦しみ淀んだ心に安らぎを与えてくれる。
あっという間に時間が過ぎていく。気がつけば夜も随分と更けていた。僕がトイレから戻ってくると、今まで笑いながら話していた高田さんの神妙な面持ちに気付いた。
「どうしたんですか?」
気になって聞いてみると、
「ん、・・・ああ。あのな、祥。・・・倉田もプロダクション辞めたぞ。」
「・・・・・えっ!?」
「今、大事な撮影中のお前には言おうかどうしようか正直迷っていたんだ。」
「どういう事ですか?理子が辞めた?いつですか?なぜですか?」
質問ばかりになっているのが自分でもよくわかった。
「うん。いや、俺が勝手にそう思っただけなんだけどな。倉田が辞める時、わざわざ俺に理由を何故だかわからないが言いに来んたんだよ。祥に話してみたいなことも全く言われていない。けどな、あんなに結ばれるのを願っていた二人を知っているから。あんなに愛し合っていたのに、あんな事になってしまったのを俺は知っているから。だから・・・俺が勝手に祥に伝えて欲しいんじゃないかと、本当に俺が勝手にそう思い込んだだけなんだけど・・・。」
高田さんの様子が少し変だった。
「本当に正直迷った。いや・・実は今でも言うべきなのか迷っている。撮影中のお前にはもしかしたら芝居に影響が出るかもしれない。・・・それでも、聞くか?」
答えは決まっていた。
「・・・はい。」
そう言うと、高田さんは苦渋の表情を浮かべながら、
「辞めた理由だけどな、母親が亡くなったらしいんだよ。」
「・・・・そうですか・・。」
「倉田は父親もずいぶん前に亡くしてたらしいな。」
「・・・えっ?そうだったんですか・・。」
「・・・知らなかったのか?父親が亡くなったのは十代の頃だったみたいだから祥にはそんな話しをしているんだと思っていたよ。」
「いや・・・理子は過去をあまり語りたがらなかったから。」
「・・・そうか。それでな、母親が亡くなった理由はどうやら元の原因は一酸化炭素中毒らしいんだ。」
「一酸化炭素中毒・・・、あの練炭自殺とかでよく聞く奴ですか?」
「そう、それだ。そして、父親も同じ一酸化炭素中毒で亡くなっているらしい・・・。」
「え・・・・!?」
高田さんの話している理子は、僕の全く知らない壮絶な過去を持った理子だった。
ひとつひとつ理子に聞いた話しを高田さんは録音再生機のように話し始める。
「高田君、今日時間ある?」
「おう、倉田。どした?」
「んっ。ちょっと稽古場じゃ話しづらいから終わったら付き合って。」
「ああ、いいよ。」
「倉田はそう言ってまた稽古に戻ったんだ。稽古が終わって倉田を外で待ってたんだけど、なかなか中から出てこなくって、一時間くらい待ったかな?もう帰ろうって思った時に高田君!って声かけられて、やっと来たって、こりゃ文句のひとつでも倉田に言ってやろうと振り返ったら、倉田、泣いてたんだ。なにか尋常じゃないものを感じて、とりあえず落ち着かせようと近くのファミレスまで連れて行って、話しを聞くことにした。そこからの倉田の話しは俺の想像を絶するものだったよ。」
「ちょっとは落ち着いたか?」
「…うん。ありがとう。」
「いや、でもマジでびっくりしたよ。いきなり泣いてんだもんな。」
「……高田君!」
「うん?」
「私ね、プロダクション今さっき辞めてきたの。」
「…えっ!?」
「いろいろあってね。もう芝居自体を辞めるの。」
「ちょっ、どうしたんだよ?倉田。いきなり過ぎて何言ってるんだかわかんないぞ!いろいろってなんだよ!?」
「……うん。そうだね……あのね、一週間前にお母さん死んじゃったんだ。」
「!?」
「それで…」
「ちょっと待て!お前それたいへ…」
「お願い!最後まで黙って聞いてて!お願い…。」
「そう言うと倉田は何かに憑りつかれでもしたかのように、過去の自分について唇を噛みしめながら俺に話してきたんだ。なぜ俺に?って思ったりもしたけど、俺は最後に倉田が言った言葉が祥へ伝えてって言っているように聞こえて…勝手な解釈だけどな。」
僕の知らない理子を高田さんが歪んだ表情で伝えてくる。
まだ理子が学生の頃、まだ一軒家に家族3人で暮らしていた事。
昔は家族3人でとても幸せに生活を送っていた事。
理子の父親はお酒が大好きで、父親の帰りがいつも遅かった事。
泥酔した父親が地下駐車場で車のエンジンをつけたまま眠ってしまった為に、家じゅうに排気ガスが充満し家族3人が一酸化炭素中毒になってしまった事。
その事故で父親がそのまま帰らぬ人になってしまった事。
理子が後遺症もなく奇跡的に回復した事。
その事故が原因で、母親は重度の中毒症状の為に脳細胞へ直接ダメージを受け、後遺症が残り入院生活を余儀なくされた事。
一時回復を見せた母親が多幸症と認知症により、理子を責め父親を奪ったのはお前だと言い実の母親に殺されかけた事。
母親の症状がまた悪化し、意識がない植物状態になってしまった事。
僕の知らない理子の過去は悲惨なもので、耳を覆いかぶせたくなるような、嘘であってくれと願いたくなるような、そんな予想にもしていなかった僕の知らない理子だった・・・。
「だから倉田は、入院をしている母親の治療費を稼がなければならなかったんだ。」
それでもまだ僕の知らない理子は雨あられと降り注ぐ。
「そんな時に、倉田をスカウトしたのが森田だったらしい。同時期に俺も所属したけど、森田はさ、倉田の事情を知っていたみたいだ。入院費や治療費のこともな。」
「・・・・・・。」
「それで森田は・・・」
高田さんの表情がより一層苦渋に歪んだ。
「森田は・・・、お前に費用を出す代わりに愛人になれと、そう要求したらしい。」
「は!?・・・・な、なんだよそれっ!?」
「母親の症状はどんどん悪化していて私には選択の余地はなかったって、あいつ泣いていたよ。」
胸が苦しかった。心臓を鷲掴みされているようだった。
「・・・それで・・不倫を・・・!?」
「ああ、母親を、母親だけでも、どんなことをしても助けたかったらしい。自宅も売り払ってお金に換えたけど、それでも何年も入院費や治療費が持つわけがなく、それで母親が助かるんならと思ったみたいだな。」
やりきれない。理由があるからと言って不倫をしてもいい事にはならないが、とてもやりきれない気持ちでいっぱいになった。
「そんな生活をし始めてすぐに、祥、お前が現れたと言ってた。祥には絶対に知られたくなかったって、祥と出来るだけ一緒にいたいから、森田に強く推薦したんだって、そう言ってた・・。」
悔しさと苦痛の涙で全ての情景が霞んでいくのが自分でもよくわかった。
「どんな事情があっても、私は祥を騙して裏切ってしまったから。でもあの時の私は・・祥が全てだった、って・・。」
僕は、理子の何をみていたんだろう?
「祥が生きていてくれて・・本当に良かったって、そう最後に倉田は俺に伝えて涙を流しながら辞めていったよ・・・。」
僕は・・・僕は!!・・理子の事を何も知らなかったんだ。理子も過去に縛られて生きていたことを。理子が苦しんでいたことを、なにも気付いてあげられていなかった。
なんてことなんだ。僕は今まで何をしてきたのだろう。いつも冷静でいた彼女は過去の支配を受け入れる為に現在を生きていたんだ。そうだよ。理子はいつでも自分のことより人のことを考えてたじゃないか!どんな時でも僕の将来や身を案じてくれていたじゃないか!今さらそんなことに気付くだなんて…。なぜ理子の話しをあの時しっかりと受け止めてあげれなかったんだ!僕はなんて愚かなんだ!!
僕は、極限にまで高まった鼓動を抑えることができず、自分の胸を鷲掴みにして、その場を飛び出していた。
「おい!祥!!」
高田さんの呼び止める声が聞こえたが、もう僕は立ち止まることはなかった。
東中野駅について、心臓が破裂してしまうのではないのかと思うほど走り、理子のアパートまで一直線に向かった。
何年振りかになるそのアパートは、全く変わってなく理子の思い出をそのまま大切に保管をしてくれているようだった。
「・・・・・・・!?」
理子の部屋の前まで来て絶望する。
もう部屋は引き払われており、人の気配もなにもないもぬけの殻だった。
「理子……ずるいよ…。なんで何も言わなかったんだ…!?ちゃんと通じ合ってる恋人通しは言葉がなくても意思疎通が出来るって言うけど、あんなの嘘だよ。ちゃんと言葉で言わなきゃわからないこともあるよ。ちゃんと言葉に出さなきゃ…。………くっ……理子…うっ……うぁ…うあぁぁ~!!うおぉぉぉ~~~!!!」
僕の緊張した心臓がより鼓動を激しくさせて、僕はその場で崩れ落ち、後悔と絶望によっていつまでも慟哭し泣き叫んだ。




