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赤いガーベラと黄色いガーベラ

 凍える強風に手がかじかみ、身体機能の停止アラームがなるような寒さの記憶…。そんな記憶しかもう思い出せなかった。冬の季節以外に中野駅へ降り立つのは、もう何年ぶりになるだろうか?

ほんの先日まで真夏のような茹だるくらいの残暑が今では嘘のように、涼しげな風が僕の顔に当たってきて秋の香りを届けてくれる。

 今までお兄ちゃんの命日以外は決して来ることのなかった町だけど、この日は自然と足が赴いて中野の雑踏へ踏み入れていた。


 オーディションも佳境に差し迫り、3次選考までが終了していた。次でオーディションの最終選考となり、出演と役が決まっていく。その最終選考まで僕だけが残ることが出来た。

 基樹や高田さんは2次選考と3次選考で落とされてしまった。


『ははっ、落ちゃったな・・・。ふぅ~、これで最後だったんだけどな・・。落ちちゃった。祥、俺は坂田に顔向けできないな。これが最後の挑戦だったのに最終選考にすら残れないなんてな・・・。今まで何をやってきてたんだろうな・・本当に・・・。祥は絶対に役を勝ち取れよ!大丈夫!!なんといっても坂田に加えて俺もついているんだからさ!!』

 高田さんの最後に精一杯振舞う明るさが無念を伝え僕の胸を熱くさせた。帰り際の悔しさで震える背中が語った悲痛感が僕の心に強烈な痛みを与えて今でもシンクロを続けている。


 オーディションなのだからしょうがない、と言ってしまえばそれまでなのだが、高田さんの僕以上に特別だったかもしれないこのオーディションには、簡単には計り知れないほどの自分の人生という命を懸けた想いを僕は託された気がしていた。だからこそ、しょうがないでは終わらせたくなかった。

 なにかを思い立ったかのように、そして必然的に僕は最終選考の今日、どうしてもオーディション前に原点を確かめに行く必要があった。理子への消えることがない想いと共に、僕の役者としての原点を確かめに中野サンモール商店街へと足を踏み入れる。


 午前中に中野を歩くのは思い返せば初めてなのかもしれない。いつも僕の中野のイメージは深夜だった。もしかしたら昼間にも来たことがないかもしれない。夜の素顔しか知らない僕は、朝のお化粧をした中野が随分と晴れやかな感じにとれた。

 サンモール商店街の中間地点まで行く、ここでも夜と朝との姿の違いに僕は困ってしまった。サンモール商店街は一本道だった為、人どおりが凝縮され吉祥寺よりも足の踏み場がない。まだこの程度であれば良かったのだが、一年に一度、黄色のガーベラを一本置いて、お兄ちゃんと一緒にハイライトを喫煙する場所は、店が開かれておりとてもその場所を確保するのが困難なのは自明の理であった。

 よくよく見るとそこは小さな靴屋さんで、お世辞にも若者向けの靴は置いているとは言えない、いわゆる婦人者向けの靴屋さんである。店構えからみると、相当に古く感じることから昔から店を開いている老舗の印象を受けた。

「・・・朝だからな。そうか・・ここは靴屋だったのか・・。お兄ちゃんは靴屋の前で倒れたんだな。」

 あの時の自分の行動が思い出されて、胸がつかえてきて立ち眩みを覚える。黄色のガーベラを手に持ったまま、お兄ちゃんの倒れたその場所に立ってみると、あの時にあの子供じみた自分をいつまでも戒めたくなる。後悔しか僕には残っていなかった。僕の人生はなにもかもが後悔の塊のように思えた。

「あの・・・、いらっしゃいませかな?」

 店に背中を向けて店の入り口付近のど真ん中に立っていた僕に対して、人の良さそうなとても優しい笑顔のおばさんに声を掛けられた。

 両目にいつの間にか雫が溜まっていた事に気づいた僕は、慌てて二の腕で目頭をこすって振り返る。

「なにかお探し物かしら?」

 笑顔でそう接客するおばさんは優しく僕に言葉を投げかけてくる。

「あ・・・、あ、いえ、すいません。お店塞いじゃって。申し訳ありません。」

 そう言って踵を返し足早に立ち去ろうとした時に

「あ、ちょっと待って貰えるかしら?」

 そう呼び止められて僕は再度振り返る。

「はい・・?」

「そのお花。」

「え・・・?あ、ガーベラですが・・。」

「そう、黄色のガーベラよね?」

「はい・・・。」

 優しい笑顔のおばさんはそのまま笑顔を崩さずに、僕のすぐ目の前まで歩み寄ってくる。

「あなた、毎年一度、必ず来ているでしょう?」

「えっ・・・!?」

「ふふ、こちらへいらっしゃい。この時間はお店にお客さんはほとんど来ないから。」

 おばさんにそう促されて、いきなりそんなことを言われたことに驚いたが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 店の奥に入ると、すぐにお茶を差し出してくれた。

「いつもね、不思議ね~と、思っていたのよ。1月8日の朝お店に来ると決まってガーベラが店の前に飾ってあってね。」

「・・・・・・。」

「ずっと、毎年あなたが飾っていってたのね。やっと会えたわ。」

「・・・はい、すいません。勝手に店の前に花を置いて行ってしまって。」

 単純に迷惑をかけてしまったのだと思い、自然と謝罪をしていた。

「いいえ。責めているわけじゃないのよ。逆なの。感心していたの。あんな事件があった現場だものね。毎年忘れずに偉いなとすごく感心をしていたのよ。」

 全く予想外の返答だった。それどころか今日初めてあった全く面識のない優しい笑顔のおばさんの口から事件の事が出てきたのには驚きを隠せずにはいられなかった。

「え!?知っているんですか?事件の事を・・。」

「もちろん、知っているわよ。あの亡くなった方はあなたのお身内の方?」

 身内・・・お兄ちゃんの存在はもう僕にとっては身内となんら変わらない存在となっていた僕は、

「・・・はい。僕の兄でした。」

 そう、思わず答えた。

「そう。あなたのお兄さんだったの。辛い事件だったわね。それじゃ、今でもとても苦しい日々を送られているのね。あなたにとっては、とても大変な過去だったわね。」

 とても優しさの感じられるその温かい言葉に安堵感にも似た胸の安らぎを僕は覚え、その久しぶりの感覚に戸惑った。おばさんは続けて優しい言葉で投げかくて来る。

「今日はどうしたの?御命日まではあと二か月近くあるわよね?」

 投げかけられた質問に不思議と母みたいな暖かさを感じた僕は、正直に今日来た理由を涙が今にも零れ落ちそうなのを堪えながら丁寧に説明をした。中野での事件の詳細、中野に近寄らなくなったこと、今日が僕にとってどういう日なのか、ひとつひとつ、まるで自分に言い聞かせるかのように丁寧にゆっくりと説明をしていった。

 お兄ちゃんの事を第三者に話すのはこれが初めてのことだった。話し終える頃には先程まで出ていた涙がより一層、決壊したダムのように流れ出ていた。

 お兄ちゃんの事を僕は絶対に人には見せない部分であったし決して人に話すことはなかったのに、おばさんに対してなんでも話せてしまった自分は、不思議と後悔も嫌さも全くなく、逆に心地が良かった。

ひと通り話し終えると、おばさんは不思議なことを言い始めた。

「今日は、黄色のガーベラ一本だけなのね?御命日じゃないから?」

「・・・?えっ?いや、僕はいつも黄色のガーベラ一本だけしか持ってきていませんよ。」

「あら、そう?おかしいわね~。毎年朝来ると黄色のガーベラと赤色のガーベラの2本が瓶に生けてあるのに。」

「・・・・・!!」

 そう言われてすぐに誰が来ていたのかがわかった。

 昔、僕が風邪で寝込んでしまった時、お兄ちゃんが理子に対して早く帰ってやれと促してくれたことがあった。僕と理子は、後日そのことに対してお礼をした。あらかじめお兄ちゃんの好きな花を聞いて、お兄ちゃんの役者としての華が映える意味を添えて。その時お兄ちゃんが好きだといった花が、ガーベラだった。そして、僕と理子はお互いに黄色のガーベラと赤色のガーベラを花束にしてお兄ちゃんへプレゼントしたのだった。僕はそのことがあったから、毎年変わらずに決まって黄色のガーベラをお兄ちゃんの事件現場に持ってきている。

「あの、それは毎年変わらずですか?」

「そうよ。あの事件があってから毎年欠かさずにね。あなたと一緒よ。」

 僕が毎年、お兄ちゃんの命日に中野へ花を持ってくる時はもう深夜に近い時間だったが、一度でも僕が来る前に赤のガーベラが置いてある事はなかった。それに、僕は瓶などを用意していなかった。

 理子が急速に近くに感じられる気がした。理子があんなことをしたのは、やはり何かの間違えじゃないのか?

 いや、馬鹿な!きっぱりと言われたじゃないか!

 考えれば考えるほど頭が狂いそうだった。

「大丈夫?」

 そう言われハッとして

「あ、・・・大丈夫です。すいません。みっともない所お見せしまして。僕、もうオーディションの時間が近づいてきているので行きます。」

「はい。わかりました。また、ぜひお寄りなさい。年に一度じゃなくてもいらっしゃい。」

 純粋に嬉しかった。また目頭が熱くなってきて必死に僕は堪えて

「・・・はい。本当にありがとうございます。いろいろと整理をつけることが出来たら、また必ず伺います。ありがとうございました。」

 僕はそのまま、振り向かずに店を後にする。去り際、最後におばさんが言った一言が僕の進むオーディションへと足を一歩後押ししてくれた気がした。

「そのガーベラの花言葉と同じく、あなたの今日という日が幸せでありますように。」

 僕は向かう電車の中、毎年持って行っているのにガーベラの花言葉を気にもとめていない事に気付き、携帯のネットで慌てて調べてみる。


 ガーベラの花言葉…「希望」。


 お兄ちゃんの声が聞こえた気がして、腕を見ると身の毛が逆立っていた。


 最終のオーディションに残っていた合格者達は、皆どこかで見たことがある人たちばかりだった。しかし、気負いは全くなく落ち着いていた。おばさんのお蔭かなと今更ながらに再度感謝の意を心の中でそっと思った。

 僕の気負いになるとしたら、今は理子への奥底に閉まっていた心の引き出しが前面に出てしまっているということだった。今さっきまで僕の知らなかった理子の行動が紐解かれてしまったことで、オーディション最中だというのに、理子の事が頭からトリモチのように全く離れなくなっていた。

 三次選考で随分と落とされたのか、最終選考には思っていたよりもかなり人数が少なかった。残っているメンバーが皆、テレビや映画などの一線で活躍している人達ばかりで場慣れしているせいなのか、いつものオーディションより緊張感はさほど感じなく、比較的リラックス出来ている。


 ドアがスタートの合図をするかのようにガチャッと勢いよく開き、プロデューサーをはじめ制作関係者が入ってくる。もちろん、その中には村中先生もいて一緒に入ってきた。

 最終選考オーディションの説明がプロデューサーより案内される。

「おはようございます。え~、改めまして小湊です。今日は最終選考オーディションにご来場頂きましてありがとうございます。ま、最終ですから当然ですが今日の選考で終了いたします。皆さん、緊張せずに今日は私に思う存分芝居を見せて下さい。それで今日はですね、キャスティングを決めて実際に映画で使用する台本で演技をして頂きます。まあ、使用すると言ってもまだ第3稿の台本ですので、今後セリフは変わってくるでしょうが・・・。それで、今までのオーディションを踏まえ、こちらでやって頂きたい役のキャスティングはもう決めてあります。今から、抜粋した台本をそれぞれのキャスティングごとに配布しますので、その役の芝居を思うがままに自分のカラーでやって頂いてかまいません。楽しみにしています。」

 役が決まっている?それぞれ?同じ芝居でキャスティングを争うんじゃなく、もうあらかじめキャスティングに合っている人を選抜して最終の選考をしようという事らしい。要は、三次選考までは配役についての見極めだったのだ。参加者達にもその意図が伝わってどよめきが起こっているのがわかった。


「それじゃ早速、名前と役名を呼ぶので、呼ばれた方は前に台本を取りに来て下さい。」

 名前はあいうえお順に呼ばれ、それに合わせて役名も呼ばれて行く。僕も程無くして呼ばれ前へ台本を受け取りに行く。僕の配役の台本を見ると、すぐに哀愁に満ちた台詞が多いことに気がつく。

 この時点ではまだ抜粋の為、この男が果たしてどんな生き方をしていてどんな苦しみを抱えているのかは分からなかった。ただ、僕にはこの男がとても苦しい経験を重ねて生きていて、それで哀愁や苦渋を抱えているのだと、台詞を読んでなぜか不思議とそう思った。

 本読みから始り、立ち稽古、本番と舞台のような演出でオーディションが進められていく。稽古が始まりすぐに僕は一番初めの本読みから不思議に思っていたことがあった。僕に与えられた役の表現というか芝居が他のライバル達とはずいぶん違っていた。あれっ?僕の本読みが違ったのか?と不安にも思えたが、僕には何度台詞を読み返しても、この男の感情は第一印象から変わることはなかった。

 

 理子の事が頭から離れないからだろうか?この男の心理がどうしても自分の心理とシンクロしては絡み合っていく。


 終わってみれば、やはり僕だけ表現方法がみんなとは異なっており、自分の芝居へ対する表現に自信を失くして、暗闇を抱えるように帰路についた。


 夜の秋空の澄んだ空気が肌寒く感じ、今にも飛びだしそうなペガサスの四辺形が輝く爽やかなはずの満天の星空は、僕の落胆を一層増して行く。

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