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半分の失ったもの

 ピンと張りつめ熱せられた空気の中に、瞬間冷却をして大量の水蒸気が上がり、冷めたかと思うと、また熱のこもった緊張感が繰り返す。稽古中のそんな空気を僕は気に入っていた。

 村中先生の檄が飛ぶ中、汗だくになりながら1日の稽古を集中していく。

 過去へのわだかまりは未だ消せてはいなかったが、僕は自分の再生の為にひとつずつ必要なパーツを拾い集めては当てはめていった。失ったものの半分は自分であり半分は理子であった。ようやく気付けた時はもう既に壊れてしまっていたが、自分が自分である為に理子が理子でいてくれたあの日々を芝居で循環しようとしている。しかし、それはまるで輪廻を彷徨い続ける亡者のように蜘蛛の糸を見つけては切り落とされていく、そんな流転を繰り返しながら再生を試みた。

 

 時は進んでいく。雨が降りしきる季節が通り過ぎる頃、見事なまでの巨大な入道雲が暑さを主張するかのように目の前まで向かってきて、騒音にも等しいセミ達の合唱が真夏の到来を知らせてくれる。それは同時に僕が自分でやるべき人生の分岐点ともいえる大きなオーディションがすぐ目の前まで迫ってきていることを告げていた。

 人生にどれだけ自分の可能性へのチャンスがここだと、確実に理解できる時が何回あるだろうか?今まで歩んできた人生の中で僕にもチャンスという時はきっと何回かはあったはずだったが、このオーディションは僕の人生を左右するであろう、そんな予感を感じさせるオーディションだと不思議な直感が働いていた。


 理子の言葉が木霊する。僕の心の奥の方で木霊しては響き渡る。

『・・・なぜ・・?私は今のままで充分よ。』

 気持ちが締め付けられる。それがお兄ちゃんに対しての使命感にも似た自責の念と両天秤に掛けられて、自分の再構築へと一進一退で足を進めようとしてみる。

 完全に壊れてしまった心の修復は可能なのだろうか?時は心を癒してくれるのだろうか?ただただ、時間だけを無駄に浪費しているような印象もあったが、僕の修復の作業は目の前のオーディションにヒントを見出していた。

 やるべき目標が目の前にあるのは今の僕にとって唯一の救いでそれはまるで、パンドラの箱を開けてしまい、あらゆる災いや悪が世に広がり一番最後に箱の底へ残った希望と同じように思えた。


 日差しが眩しく、一か所に立っているだけで汗が湧き出してくるが、天空は青々とした濃厚な藍色が印象的で、入道雲の白さが明暗を分けるように強調され、とても夏らしい快晴が気持ち良かった。

 オーディション会場に向かう途中、電車の中で変わった少女を見かけた。電車の中にも関わらず椅子に座ってお弁当を食べている。隣に座っていた少女は、そのお弁当を美味しそうに口に頬張りながら、ご満悦な表情を浮かべている。弁当をチラッと見てみると、なぜかウナギのかば焼きが入っていて、少し驚き苦笑をこらえた。外装からみると母親に持たされたお弁当だというのはすぐにわかったが、なぜウナギなんだろうと考えていたが、結局答えは見つからない。ついチラチラとお弁当に目がいってしまう僕に

「お兄ちゃん、な~に?」

と、小さな少女が訝しげに僕へ言葉を投げてきた。

「あ、ううん、なんでもないんだ。ごめんね。」

「ふ~ん。」

 まだ小学生でもほんの低学年くらいであろうその少女は、そう言うとまた夢中にウナギを口に頬張っては満足げな表情を覗かせて、口をもぐもぐとさせている。

 その仕草が昔の僕を連想させる。いつも僕が必ず夕食のご飯の支度をして、理子が皿を洗う。完全分業みたいな理子の案は嬉しかった。理子は僕の作った料理を満足気にいつも食べてくれる。理子のそんな表情が僕を自然と笑顔にさせ、口いっぱいにご飯を頬張りもぐもぐと食べていると、決まって理子が、

 祥、子供じゃないんだからそんなに口いっぱいにご飯を口に入れないの!

 と言われ、

 ごめん、理子があまりにもおいしそうに僕の料理を食べるもんだから嬉しくって、

と返すと、理子は顔を赤くしながら、

 もう!馬鹿ね。君の作ってくれたものなんだからおいしいに決まってるでしょ。

 と、少し照れながらも僕に敬愛を示してくれた。

 今から自分の分岐を示すであろうオーディションに緊張感で身体が固くなり、必要以上に活き込んでいた僕は、その少女の無垢で純粋な食べる仕草や満足な笑顔に優しさと冷静さを取り戻せて、今一度オーディションへ向かう僕の気構えを見つめなおすことが出来たような気がした。

 電車が僕の目的駅を告げるアナウンスが流れ、到着して電車から降りる際に僕は少女へ

「ありがとうね。」

 と、一言だけ添えて電車を降りた。


 オーディション会場に到着する頃、激しい日差しがちょうど真上に位置し炎天を物語っていた。会場を借り切っているようで、誰がみても一目でわかるようなとても大きな幕にオーディション会場と記入されていて圧倒された。

 先生が主演以外はすべて一般公募と話していたように、もう既にものすごい数の人が集まっている。しかも見渡せば、誰でも知っているような役者やタレント、お笑い芸人までいて、大きなオーディションという事は誰の目から見ても明らかだった。

 基樹もこの会場に来ているはずだったが、一緒に行動するのはやめようと僕から提案していた。理由はいくつかあったが、僕自身が一人でオーディションに臨みたかったという事と、基樹とは同じ所属だったが今回のオーディションでは、同じ立場のライバルでいたかった理由の二つが大きかった。


 今回のオーディションは4次選考まで行われるのが明らかになっていた。メディアでもかなり大きく取り上げられていて世間ではちょっとした話題になっている。会場にも何台かのテレビカメラとレポーターが来ていた。こんな大きなオーディションは、僕にとっては初めてのことでやはり場違いな気もしたが、尾澤さんの言葉がふと思い出される。

「未来を欲張る・・・か。」

 心の扉を閉ざしたままだった僕には、少しだけでも未来を覗く窓などはついていなかった。それでも、どこをどう修復していいのかも分からない僕は、このオーディションが僕の未来に繋がる一筋の光だと信じてやまなかった。

 なにもかも失ってしまった僕の唯一の光。僕はこの光の密集した光源を取りこぼすわけにはいかなかった。

「祥!」

 後ろからの声に、こんなところで僕を呼ぶなんてきっと基樹だろう、別々に行動しようと言ったのにと、振り返り驚いた。

「高田さん!」

「よう。祥もやっぱりこのオーディション受けるんだな。」

「高田さんこそ。」

「あぁ、俺にとってはこれが最後のオーディションだと覚悟して受けに来たよ。」

 高田さんの表情は決意に満ちていて、本当にこれが最後なんだろうという事が痛いほどに伝わってくる。

「俺はやるぞ!祥も頑張れよ! 」

 そう言うと、力強い足取りで会場に向かっていった。


 高田さんの結婚式のあと、僕は途中で帰ってしまったこと、理子に逢ってしまったこと、理子に酷いことを言ってしまったこと、あの一日で後悔をすることがたくさんあった。

 高田さんには、結婚式当日の中途半端に帰宅してしまった事を翌日には電話で謝ったが、

『いや、俺こそやっぱり祥を呼んじゃ行けなかったんだ。嫌な思いをさせてしまってすまない』

 と、逆に謝られてしまったのが、最後まで祝福できずに我慢できなかった自分により一層の負い目を感じずにはいられなく情けなかった。


 この日の第一次選考だけで軽く800名は超えていただろう。僕のオーディション選考の順番が来る頃には、辺りはすっかり夕暮れ時になっていて、窓から入ってくる西日が金色の後光のように差し、美しかった。

 順番を呼ばれ、会場に入ると横一列にプロデューサーを中心に、監督や製作者が並んでいた。その中にはいつも見慣れた、村中先生の姿も確認できた。オーディション参加者の5名が審査員へ対して鏡のように対面へ座らされる。

 オーディションは順に自己紹介から始まりアピールポイントや審査員からの質疑応答に答えるだけで、芝居自体の実演など全くなく、本当に面接だけで終わってしまった。

 それで帰らされることに、こんなに大きなオーディションで芝居自体を見なくていいのかと疑問が生まれ同時に不安の残るオーディションだった。


 帰りぎわ、基樹が会場出口付近で待っていて、神妙な面持ちでどうだった?と、自分の事も含めてだろうが心配そうに聞いてくる。

「なんか、オーディションってよりも、学校受験の面接みたいだったよ。」

 そう答えると、

「あっ!やっぱり!?よかったぁ~。俺達の組だけが面接だけで終わらされたのかと思ってビビってたんだよ!」

 と、安堵の表情を浮かべて、いつもの屈託のない笑顔にいつの間にか戻っている。基樹も同じようにこれでいいのかと疑問が残り、不安だったのだろう。

「本当に面接だけでいいのかな?なんかあんまり釈然としないオーディションだよな。」

「うん。でも、みんな同じでしょ?それじゃ、大丈夫なんじゃない?」

「まぁな・・・。」

「あとは一次選考の結果を待つだけだよ!祥、知ってた?一次選考、今日も入れて5日間に分かれてるんだって。なんか、書類選考はそのままスルーで人数がすごく多いけど、出来るだけ直接合ってオーディションをしたいって意向らしいよ。」

「えっ!?今日だけでこんなに人がいたのに、あと5日間もあるんだ。・・・あ、そうか!きっと一次選考自体が直接会っての書類選考みたいなもので、それで面接のみだったんじゃないかな?」

「そうだよ!きっと!いや~、すっごい気合い入ってるね。」

 憶測で言ったことだったが、本当に書類選考としての面接だという事が後日明らかになり、メディアがより一層の話題性を取り上げていた。


 それから数日後に合否通知が各事務所へ届いた。僕と基樹、そして高田さんの3人はとりあえず、一次選考という名の書類選考は無事に合格で肩を撫でおろした。

 合格を聞いた夜、家に帰るとすぐに尾澤さんから連絡がかかってきた。合格したことを伝えると、お祝いしよう!吉祥寺の駅で待ってるからと突然の約束をさせられそうになる。相変わらずな強引さだったが、今日は予定があって行けないんだと丁重に断った。尾澤さんの強引さは今では随分と慣れた気がする。

 尾澤さんとは、あの夜、理子と最後の決別をしたあの失意の夜。井の頭公園で優しいキスをしてくれたあの出来事から連絡を頻繁に取るようになっていた。

 だが、僕にはまだ理子の事を忘れてしまう事がやはり出来なかった。気持ちが中途半端すぎて整理をとてもじゃないが出来ないでいた。

 尾澤さんの気持ちはすごく嬉しかった。優しさに満ちた彼女は、理子とは正反対に裏表が全くなく、ストレートに気持ちを伝えてくる。男に生まれて、こんなにも求められているのが僕には少し誇らしかった。

 でも、だからこそアルバイト以外で直接逢うには正直抵抗があった。


 なぜだろう?なぜ理子じゃなきゃダメなんだろう?僕と理子は、あの時に話したことで完璧なる決別をしたじゃないか!誰が聞いても終わったのは明らかじゃないか!そう自問自答をいくら繰り返しても僕の古時計は全く秒針を動かしてくれない。重かった。感情がこんなにも重くて沈むなんて。


 どうしてだろう?


 それでも現実はシビアで待ってはくれない。僕がいつまでも生きているのは過去で、その過去には自然薯のように根っこがびっしりと張りめぐらされてしまっていて、僕は除草剤を求めるようにオーディションの希望にすがっていた。感情の錘をぶら下げたまま一歩も進めないままなのに希望を追いかけていた。

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