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「救難指定艦ソレイングより入電。これより救助に向かう。先に特別視察員を回収するため、救助艇を先行させた。到着は十分後。移乗用意されたし。以上」
ゴルフェは思わず高官の娘を仰ぎ見る。艦列に復帰するためには数秒たりとも無駄には出来ない。今すぐに動き出さなくては、艦列がゴールするのに間に合わない。一瞬、無視してこのまま走り出そうか、と考えるが、それでは嫌がる民間人を犠牲にして見栄を優先させたと悪意を持った噂が立つだろう。ゴルフェは焦燥に駆られ歩き回ろうとしかけ、何とか自制する。その時、問題の娘が立ち上がり、軽やかに床を蹴ってゴルフェの傍にふわりと降り立つ。
「艦長さん。私はどうしたらよろしいですか?」
一瞬、瞳と瞳が合い、視線が交錯する。
「すぐに迎えが参ります。お嬢様には申しわけありませんでした。お詫び申し上げます」
ゴルフェの詫びにフゥルフェは首を横に振って、
「フゥルフェと名前で」
「ああ、いや、フゥルフェ様」
「艦長さん。あなたの望むことは任務の達成ですよね?このまますぐに艦隊へ合流したいと思ってらっしゃる。違いますか?」
「それは……」
「ならば、あなたはあなたのなすべきことをなさって下さい。私たちのことは無視してくださって結構」
「お嬢様!」
付き人の一人が蒼白な顔で声を上げるが、フゥルフェはそれを制し、
「意地を張っているのではありません。あなたのためでもありません」
その真摯な声にゴルフェは娘の顔を見直す。
「これは置かれた現状を理解した上で私が下す判断です。ぜひとも、あなたに与えられた任務を達成してください」
フゥルフェの立ち姿は堂々として、揺ぎ無い力に満ちていた。ゴルフェが迷ったのは一瞬だった。
「やりましょう。フゥルフェ様、その席で大人しくしていただいて宜しいですか?」
「了解です、艦長さん。その前にひとつ。私に救難艦とお話させていただけますか?」
「なぜでしょう?」
この緊張の時、フゥルフェは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ゴルフェを呆気にとらせる。
「だって、このまま救助を振り切ったりしたら、艦長さん、あなたは高官の娘を拘束したまま艦を進めたと言われてしまいますよ。あなたの言葉に従うなら、それこそカローンの思うつぼ、ではなくて?野蛮な行為で愚かな首魁の娘を危険に曝した、と」
若いイクレンドが驚いたといった様子で首を振り、航宙長や副長までもが大きく頷く。ゴルフェも恐れ入ったと自嘲気味に笑い出し、通信士に救難艦を呼び出すように命じる。
「それならば、フゥルフェ様。ご一緒に参りましょう」
電力が最大発揮時の半分以下のため、イオン推進器も騙し騙し動かさなくてはならなかった。また、衝突の衝撃で探査装置もやられてしまい、肉眼監視で進まねばならなかった。当然、先程の損害と同じ事態が発生しかねない。しかもゴルフェが進む宙は観閲式用に掃宙された航路ではなく、ショートカットの未掃宙域。
「右舷前方異常なし」
「左舷前方異常なし」
「正面異常なし」
三人の見張りは交代しつつ一分おきに報告の声を上げる。
副長は応急修理班に張り付いて陣頭指揮を執り、航宙長は操舵手の横で腕を組んだまま、遠望増幅器が映し出す宙をにらんでいた。
ゴルフェは二等航宙士を呼ぶ。
「イクレンド」
「はい」
「ここへ」
若いイクレンドはフゥルフェの座る脇に立っていたが、床を蹴って一飛びでゴルフェの下へ。
「航宙長」
「はい」
「私が直接指示を出す。操舵を頼む」
そして自分より二つ年下なだけのイクレンドに向かって、
「ここにいて私の補佐を頼む」
そこで緊張するイクレンドの肩を思い切り叩いて仰け反らせると、
「さあ、胸を張ってこの危機を愉しもうじゃないか!」
かくして、後にカスケーを湧かせた突撃艦「ルミレ=カスケル」の冒険が始まった。それは小一時間ほどの出来事だったが、フゥルフェにとり、いや、ゴルフェにとっても忘れえぬ時間となった。
イオンドライブでゆっくりと発進したものの、わずか数分で捲れ上がっていた外殻装甲板が二枚とも剥がれ、船体に不気味な振動が始まる。それは不快な揺れで、船体の留め具という留め具を緩ませ、船体がバラバラになるのではないか、という不安を掻き立てる。
ゴルフェはともすれば機関停止と叫びそうになるのを堪え、航宙長に「舵そのまま、出力そのまま」と言い続けた。艦長が軍と星の名誉と自分たちの安全を秤に掛け、重圧と戦っているのを知っている乗組員はみな自分の任務に集中し、その冷静な様子は見つめるフゥルフェに驚きと感動を与えていた。しかし、やがて。
「左第三外殻装甲板の一部、剥離、後落します!」
「舵そのまま、出力そのまま」
「第二蓄電室外壁の亀裂、広がりました。ガス中和剤が漏れ、中和がままなりません」
「左舷兵員室封鎖。左第一、及び第四、五、六隔壁を閉鎖、付近の人員は退避。左右バラスト均衡に務めよ!」
「左第三外殻の剥離止まりません!また二枚後落!」
「落ち着け!耐えろ!この位の損害は宙戦では小破だぞ!」
船体の振動はひどくなる一方で、緊張した言葉が目まぐるしく飛び交い、フゥルフェも不安を顔に表すまいと必死になっていた。その時、艦橋の前方で指揮を執っていた艦長が振り向き、じっとこちらを見つめる。はっとしたフゥルフェは何とか笑みらしきものを浮べる。すると。
「フゥルフェ様。如何ですか、我が艦隊の精鋭の働き振り。困難にあっても冷静沈着に任務を全うするこの姿。ぜひ、お父上にお伝えくださいませ」
それはフゥルフェの心を打った。それは自分への励ましであり、乗組員への激励でもあった。父を引き合いに出すことで、またその父に会える、生還出来ると約束してフゥルフェを励まし、フゥルフェが見ていることを改めて乗組員に伝え、冷静さを保つことを訴える。その見事な人心掌握はフゥルフェを更に感心させた。しかし、一番フゥルフェの心を打ったのは、その言葉が実は自身への叱咤だったのではないか、と思えたことだった。
この人も恐怖と闘って立派に打ち勝っている。そう思うと、フゥルフェの心に尊敬と、何か得も知れぬ動悸を高める感情が湧いて来たのだった。
見張がようやく「前方に艦隊見えます!」と叫んだ後、事は驚くほどスムーズに運んだ。
心配そうに後を付けていた救難指定艦が併進して減速した先導艦の前に進む。そこはこのパレードの終着点であり、多くの観覧船が並んでいた。
気を利かせた通信士が国際放送の実況中継を船内の拡声器につなぐと、溢れんばかりの歓声と興奮した実況の声が響き渡る。
「ご覧ください!不慮の事故により絶体絶命の危機に陥っていた戦闘突撃艦ルミレ=カスケルが自力で戻ってまいりました!大きな損傷が船体に見えます。帆柱が折れ曲がり外殻が剥がれています。この状態でよくもまあ艦隊に追いついたものでしょう!これは宙軍の普段からのたゆまぬ訓練と一糸乱れぬ統率の成せる業かと――」
フゥルフェを迎えに来た送迎艇が接舷する右舷側の乗艦隔壁で二人は別れを惜しむ。
「お見事でした」
「こちらこそ、怖い思いをさせてしまい、申しわけありません」
「我が宙軍の力、しかとこの目に焼き付けました」
「ありがとうございます」
「それでは、ごきげんよう」
「お元気で」
二人の視線が別離の瞬間、絡み合う。それはほんの僅かな瞬間だったが二人には十分だった。
ゴルフェは、有力者の娘という立場を一切使わず、自らの危険に対しても目を逸らさなかった勇気と機転の人を記憶に刻み、
フゥルフェは、航宙軍でも一二を争う若手期待の星で、噂にたがわず危機に際しても冷静に確実に職務を全うした若者の姿を目に焼き付けていた。
「フゥルフェ!」
「お父様」
政府高官の乗る観覧船に送迎艇が接舷したのはそれからわずかな時間。恐怖の体験で病人のようになり足取りも怪しい付き人と対称的、元気一杯で疲れも見せず乗り移った娘に、高官の父親が近寄り抱擁する。
「お前、大丈夫だったかい?」
「ええ、この通り」
フゥルフェは微笑んだが直ぐに小声で父の耳に囁く。
「あの方。とても素敵でしたわ」
「やれやれ、そういうつもりで出したのではなかったが」
「ええ。もちろんお父様の言い付け通り、耳をそばだて目を開いてまいりました。間違いありません。お父様のお聞きになった噂は本当よ」
フゥルフェは抱擁を解いて父の目をまっすぐに見つめた。
「あの方は近い将来カスケーを救う方だと思います」