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アルフェル皇太子はフゥルフェと対面すると、彼女の言い分をはじめからおしまいまで黙って聞いた。
フゥルフェが持参した、彼女のことばを証明する数々の品にも目を通し、質問もいくつかした。
フゥルフェはカローンの、いや、星系でもっとも実力と英知を持つ男のまえでも堂々と渡り合った。そして……ついにアルフェル皇太子もフゥルフェの熱意にほだされ、彼女を信じ、彼女が持参した暗黒礁域の秘密の航路を記載した宙図を受け取り、艦隊の安全な航路を示す案内人として彼女の先導を受けたのだ。
カローンの勇気と英知と謳われた人物が、初対面の敵の女を信じるとは、にわかには信じられないかもしれん。しかし、当時のカローン帝国にとって暗黒礁域とは正に鬼門だったのだよ。
古くはランポスートの戦役、カローンは暗黒礁域内で航宙軍の半数を失う惨事を経験している。やみくもにあの難所を越え、カスケーに攻め入ろうとしたのがいけなかったのだな。
それ以来、カスケーは暗黒礁域を抜ける安全航路の秘密を数百年間も守り続け、カローンは密かに探索隊を繰り出したが、多くの犠牲を掛けたにもかかわらず、完全な航路を見つけることに失敗していた。
以降、カローンは事あるごとにあの場所で犠牲を出し続けていた。艦隊を率いてあの難所を越えたカローン人はおらん。それどころか数百年に及ぶ断交の時代は、お互い本星への往来は途絶していたから、カローン船で堂々と暗黒礁域を抜けた船は一隻もいない始末だ。
あの時、直前に迫ったストラー提督が最も成功したカローン人だろう。そのストラー提督、航宙術と智謀に長けたストラーさえ半数を失ってようやく出口近くまでやってきた難所だ。暗黒礁域に対する畏怖はあの皇太子にすら染みついていたのだよ。
カローン本隊を安全にカスケーまで送る。それが出来ればカスケーは陥ちたも同然だった。この強い誘いに皇太子は乗った。そして……フゥルフェは百隻に近い大艦隊を一列に仕立てさせ、暗黒礁域を進ませたのだ。その先頭には皇太子座乗の旗艦がいた。今思えば信じられないことだが、あの皇太子はそういう男だったのだな。王者たるもの、なにごとも先頭に立たねばならないと信じていた。
そしてそれが命取りだった。
フゥルフェが案内を始めて三日目。航程の終わり近く、あと一日もあれば抜けようかというところで、フゥルフェは艦隊を罠に誘い込んだのだ。
そこは暗黒礁域で最も恐ろしいもの、暗黒陥穽が多発する宙域だった。
暗黒陥穽はとても恐ろしい。あのガスが漂う宙域のどこに出没するかは誰にもわからない。現れては消えるので予測も付かないありさまだ。
わしも見たことはないが、見た者はほとんどがそれに引きこまれ、消え去るのだから当然だな。ランポスートの戦役のおり、カローンがカスケー突入を断念した艦隊の大損害も、暗黒陥穽にはまってしまったからだった。
暗黒の渦にひとたび囚われると抜け出すことが出来ない。近付き過ぎた船はゆっくりと円を描くように渦へ引き込まれ、船体は千切れて飛び、粉々にされてしまう。
言い伝えではそれに囚われて死んだ宙の男たち・女たちが鬼火となって乱れ飛んでいて、そこを通るものを惑わせ、暗黒陥穽へと誘い込むという。
フゥルフェは正にその鬼火となって皇太子の艦隊を誘ったのだ。
気付いた時には手遅れだった。皇太子の船が真っ先に消え、続いて大君に捧げる人身御供のようにして数十隻の船が沈んだ。
慌てて踵を返した艦隊も、別の陥穽に落ちたり、不意に現れた岩礁に穴をあけられたりで、アーケガルへ逃げ戻ったのは、出発した百隻のうち二十隻に満たなかったという。
ゴルフェの詭計により、先に引き返したストラー艦隊も帰りに数隻を失っていて、こちらも二十隻余りの中艦隊になっておった。残された人々はストラーを頭に、再起を誓ってカローンへ引き上げるしかなかった。
おなじころ。
カスケーを救うために自らを犠牲にしたフゥルフェは、あの暗黒の宙域に漂っていた。
皇太子の船に乗っていた者たちは全て千切れ飛んで跡形もなくなっていたのだが、不思議なことに彼女だけが意識も残って宙に浮いていたのだ。
しかし、それもわずかな間で、彼女の身体はゆっくりと透けてゆき、次第に周りの暗闇と区別がつかなくなった。
意識はどんどん薄れてゆくが、代わりに何か別のもので満たされてゆくのが彼女にも分かった。
すると、どうしたことか、彼女の身体のあちらこちらから青白い炎が燃えあがったのだ。
炎はやがて彼女の全身を覆い尽くし、彼女の姿はついに見えなくなった。
しかし、その炎は衰えることがなく、いつまでも燃え盛っていた。
そしてカローン艦隊の残骸が微塵に砕かれ燃え尽きたあとも一人ぽつんと光り続けているのだ。
その光は今でも目にすることがあってな。
それがカスケーの軍船ならば、危険な障害物の位置をその光で示し、まるで道案内をするように先立ってこの危険宙域からの脱出を手伝い、
それがカローンの軍船であれば、誘うように瞬いて、船はそこに口を開く暗黒陥穽の方向へ魅せられたように引き込まれるのだという。
人々はいつか暗黒礁域のこの一角をフゥルフェ礁と呼び、畏れ避けるようになったのだよ。