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――カスケー歴で「青色六十黄色二十八」の年、というからお前たちが親父の精嚢の虫ですらなかったくらい昔の話だ。
カスケー星域にゴルフェという男がいた。
彼は生れ落ちた時から幸運の星に恵まれて、成長して誰もがうらやむ美青年になった。女どもは彼の前に何人もひれ伏したものさ。
しかし、美青年というやつは得てして騒ぎの種になるものだ。ゴルフェを巡っては様々な話があってな、やれ三つの歳には既に航宙術を理解していた、とか、十の歳に数人の大人を相手に拳一本で全員伸してしまった、とか、さんざん言われている。
さて、同じカスケーにフゥルフェという女がいた。
彼女はカスケー政府高官の娘で、美しい長い髪を持つ細面の美人だった。
そんな彼女が十九の歳に二つ歳上のゴルフェと出会い、一目ぼれをしてしまったのさ。
ゴルフェもフゥルフェの美貌と才気に魅せられて、二人は直ぐに結ばれた。
だがな、運命の神はそういう組み合わせを嫌うものと相場が決っていて、この二人の上にも災難が降り掛かるのだな。
ゴルフェは十の歳からカスケーの宙軍に入っていて、フゥルフェとであった時には小艦隊を任されるほどの期待の星だった。
同じころ、カスケーは兄弟星とは名ばかりのライバル、カローンと最悪のときを迎えておった。
戦いの始まりと言うものは、後から考えてみればなんと些細なことで、と思うものだ。あの戦いもお互いがゆずり合うことを忘れた縄張りあらそいが原因で始まったものさ。
アーケガルという衛星があるのを知っているだろう。カローンの周りを廻る第七衛星だ。しかしその周回軌道はいびつで、何年か毎、カスケーのすぐ近くを通過する。大体、アーケガルは離れている時でさえ、カスケーの地上から見上げれば暗黒礁の黒い帯の向こうに目ん玉ほどの大きさで見えているものだ。それが接近の年「アーゲリオン」では子供の頭くらいに見えるんだ。
それだからカスケー人はみな、アーケガルはカローンの星ではなく自分たちの星と考えていた。カローン人はカローン人で、カスケーの近くを通過しても不思議とその引力に引かれることもなく、必ず戻ってくるアーケガルを特別な愛着を持ってみていた。このままではあの衛星はいつか争いの種火となる。そう考えたカスケー人はぐっと堪えてアーケガルをカローンのものと認め、その見返りにカローンは兵を送らず拠点を造らないとの慣習が出来ていたのだよ。
長い間積み重ねたお互いの憎悪は、暗黙の了解で非武装地帯とされていたその星に、カローンが前線基地を設けたことで一気に沸騰したものだ。
長年の慣習を破ったカローン帝国はその年、シュバック・コト・ソーフ王の治世だった。
シュバックという王様は歴代の王のなかでも野心のつよい王様でな。カローンが内軌道の星、レクルス最期の空白地域ライドーに遠征軍を送って地域住民を打ち破り、植民地にしたのもシュバックの時代だ。カローンの版図はレクルスの大部分から外軌道、このソレルの衛星、ナシュケに至るまで最大になった。
そうして、完全にカスケーの外側を包囲することになったのだな。
話をゴルフェに戻すと、このカスケー最大の危機が起きると彼を含む全軍が警戒態勢をとり、カローンと一触即発となった。交渉は決裂し、いつなんどきカローンの艦隊がやって来るやも知れぬ。
宙軍はゴルフェの小艦隊に出撃を命じた。ゴルフェは愛するフゥルフェとの別れを決意し、彼女に告げた。戦いとなれば死を覚悟するしかない。カスケーを護るにはそれこそ死をもって獅子奮迅の活躍をするしかないからだな。彼女は彼女に相応しい未来のある者と添い遂げた方が良い、そう考えたのだ。
フゥルフェは黙ってそれを受け入れた。彼女はもとよりゴルフェと別れるつもりはなかったのだが、ゴルフェが後ろに迷いごとを抱えぬようにした訳だ。出来た娘だな。
「ご武運をお祈りしております。いってらっしゃいませ」とフゥルフェはゴルフェを送り出した。それはゴルフェが聞いたフゥルフェの最後の言葉だった。
そういうことがあった後、ゴルフェは命令に従ってアーケガル周辺の偵察に出て行った。表向きは、カローンの真意を、アーケガルにあつめた軍の規模を知ろうとしての行動。一体帝国はほんとうにカスケーを支配下に収めようと侵攻してくるのかどうか。
ゴルフェの部隊は艦隊とは名ばかり、ほんの三隻程度の突撃艦、カローンの一等戦闘艦に出会えば簡単に蹴散らされてしまう。しかも、相手側に開戦の理由を与えるわけにも行かない。戦いは正義のある側が勝つものだからな。
強大なカローンのこと、どこに「王の耳目」が潜んでいるやも知れず、ゴルフェは演習に見せかけてカスケーの周りを巡り、やがて航跡をくらませて暗黒礁域へと入っていった。
お前たちも宙の男なら良く知っているだろう?当時も今も、暗黒礁域は恐ろしいところだ。
入ったが最後、星の光も黒いガスに包まれてはっきりとせず、至る所に岩礁や昔の難破船の残骸やらが漂っている。障害物探知装置や通信装置は一切役に立たない。今の宙帆は自動修復で破れ裂けてもすぐに元に戻るが、当時の技術はまだそこまででなく、あの闇を帆走するのは狂気の沙汰だった。
大体にしてほとんど光の届かないあそこ一帯では光子推進式の宙帆など歩く速度すら出せない。磁場推進式も乱磁流が多発するのでお手上げだ。船は貴重な燃料でイオン噴進機を焚いて手探りで進むしかない。並大抵の神経ではあっという間に磨り減って、しまいには岩礁のひとつに身を砕かれるか、どこにあるかも定かでない暗黒陥穽に落ち込んで藻屑となるのか。とにかくカスケーを護る自然の防塞は航路を知っているカスケーの男でも恐れおののく地獄のような場所だ。
そんな暗黒礁域を突き抜けて、ゴルフェの小艦隊はアーケガルを目指そうとした。
しかしカローン側はカスケーの何手先にも進んでいて、ゴルフェが最初の難所に差し掛かるころにはもう、ひとつの艦隊が暗黒礁域を抜けるまであと二日のところまでに迫っていた。
その航跡はまっすぐカスケーを指していて、ゴルフェがアーケガルを目指す航路とぶつかっていた。ゴルフェは正に虎口に入らんとしていたのだな。
カローンの先鋒艦隊はカスケー攻略の拠点をつくるための資材を積んでいて、制宙権を掌握したらすぐにカスケーを巡る衛星軌道にのせていくつもの砲台を建設するつもりだった。
高電荷圧縮プラズマビームを照射するレーザー砲は分解して梱包され、つぎの艦隊に付属する輸送船団が持ってくる。カスケーがそれを阻止できなければ、やがて宙からカスケーに向けていくつもの火矢が放たれることになっただろう。地上ではなす術もなく、たくさんの街が焼かれ、人々は傷付き逃げ惑う。そして右往左往するうちに泣く子も黙るカローンの降下尖兵が宙から舞い降りてくるのだよ。
ゴルフェの小艦隊はそんなおそろしい任務を帯びてやってきたカローンの精鋭と鉢合わせをすることになってしまったのだ。