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シェルバックス・ストーリー  作者: 小田中 慎
☆誇りを守りに
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 カローンの誇る皇太子貴下の艦隊。大型艦で構成された本隊を軽快で強力な武装の護衛艦が囲み寄り固まって、ゆっくりと危険な礁域を進んで行く。普段の規律と訓練が一見危険な密集体型を見事に維持していた。

 それを見るものがいるとしたら、その壮大な光景に息を呑んだことだろう。


 フゥルフェが案内を始めて丸一日。

 危険な宙域は彼女の案内で回避しつつ休むことなく艦隊は進み、遂に黒い霞の向こうに紅く輝く星が覗くようになった。

「あれがそなたの星だな」

 皇太子が静かに尋ねると、

「そうです。母なるカスケーです」

「美しい星だ」

「ありがとうございます」

 それは皇太子にとって正に勝利の瞬間だった。

 そして、フゥルフェにとっても苦い勝利は目前に迫っていた。


 突然、艦内に警報が響く。

「接近警報!前方に磁気の異常あり!距離不明」

「艦隊!取り舵一杯!先導より順次回頭!艦隊即時逆順番で全力発揮」

 皇太子は空かさず命じるが、頭の中では既に間に合わない、と断じていた。

「取り舵更に十五度!」

「機関!最大後進直ちに!」

「全員衝撃に備えろ!」

 有能な部下が矢継ぎ早にそれぞれの部署に命じるが、そのどれもが無駄に終わるだろう。船体が無理な機動でガタガタと振動し、立っていた者は何かに掴まるのが精一杯。磁力のみで簡易固定していた物品が吹き飛び、宙を跳ね回った。

「ああ!暗黒陥穽だ!」

 航宙参謀の恐怖の滲んだ声に誰もが息を飲む。それぞれの前方モニターに映し出されたのは真っ暗な闇だったが、その中に更に濃いしみのようなものがある。それは、必死に回頭しようとする艦をあざ笑うかの如く、次第に近付くにつれて、渦を巻くようにみえた。

 それを間近で見たもので生き残ったものはいない、と言う。皇太子は指揮官席で身動きひとつせぬまま、宙の闇から視線を移し、固定する。

「そなた。怖くはないのか」

 その、鬼の表情を浮べたままアルフェル皇太子がフゥルフェを見据える。

「敵中たったひとりで死んでゆくのだぞ」

 するとフゥルフェは微笑んで、高らかに言い放った。

「全て覚悟の上でございます。それに私はひとりではありません。私にはカスケーの人々が付いています。私は役目を果たし、この上もなく幸福です」

 その落ち着き払った声は、軍人の矜持で死の恐怖を抑えていたそこに集うカローン人たちの心を折るのに力を発揮する。ひとりの参謀がよろめいて倒れ、ひとりがすすり泣き始める。それはそこにいた人々に伝染し、動揺のざわめきが広がってゆく。

 このような醜態をみせることを常日頃嫌っていたアルフェル皇太子が一喝しなかったことで、彼の心情がフゥルフェにも分かった。彼は静かに座ったまま穏やかな眼差しをフゥルフェに向けている。それはフゥルフェの勝利の瞬間だった。しかし。


「わたしが死んでも、カローンは必ずそなたの星を滅ぼすぞ。そなたの命と引き換えの行為は、わずかな時間をカスケーに与えるに過ぎない」

「その少しの時間がどれだけカスケーを救うことになるのか、殿下もお分かりでしょうに」

 フゥルフェは緩みかけた気を引き締める。まだ戦いは終わっていないのだ。

「父は必ず全軍をもってカスケーを獲りに来る。そなたはカローンの怒りを燃え立たせる愚かな行為をしたに過ぎないと後の歴史家は断ずるだろう」

「カローンではそうでしょう。しかし、カスケーは必ず救われます。殿下はこの戦いに備え充分なときを使い策を練ったことでしょう。怒りに任せて攻め切れるほどカスケーは容易いなどと殿下はお考えでないはず」

「元より承知。だが、受けた屈辱は屈辱を与えることでしか拭えぬものだ。カローン帝国は必ずやカスケーを滅ぼすことであろう」

 フゥルフェも負けてはいない。

「そして殿下。あなたはそれを見ることがない」

 フゥルフェの声は静かで冷たかった。アルフェルは思わず立ち上がり、表情を消すと、腰に帯びていた剣を抜く。それは皇太子としての徴に過ぎないものだったが、彼は剣を抜き放ち、座を蹴るとひと飛びでフゥルフェの前に降り立つ。その時、船体が鋭い軋みの音を立て、ぐらりと揺れた。人々は手近な固定物に掴まり、数人が間に合わず吹き飛ばされ叩きつけられたが、皇太子はフゥルフェの前、剣を彼女にかざしたまま身動ぎ一つしなかった。

「どうやらこの船も陥穽に落ち始めたようだな。せめてもの情けだ、全てが闇に閉ざされる前、その命、貰い受けようか?」

 皇太子の声は冷たく、抑揚がなかった。フゥルフェはじっと皇太子の目を見つめて、

「殿下が私を手に掛けることで最期のときの無念を少しでも和らげようというのでしたら、どうぞ成敗なさいなさい」

 まるで他人のように言い放つ。

「そしてわたくしの血で穢れた身をわれらが星の護手である暗黒礁に捧げるがよい!」


 つよい眼差しと燃え立つような怒りが交錯し、もはやふたりだけが対峙する破滅寸前の艦橋で最後の誇りを賭けた無言のせめぎ合いが続いた。

 二人を見守るのは皇太子と共に戦った歴戦の勇士であるはずの者たち。もう望みのないことに絶望しうなだれる者や、最期はひとり静かに過ごそうと喧騒の場を離れる者、最後まで忠誠を崩さず、いざとなれば助太刀しようと皇太子の三歩後ろで身構える親衛兵。

 すると、フゥルフェが嗚咽を漏らした。皇太子に翳された剣の前、震える喉と揺れる肩、流れる髪。頬に流れる涙は光る粒となって滴り落ちた。

「ようやく、本来の娘に戻ったようだな」

 皇太子が苦笑すると、フゥルフェは被りを振り、

「哀れなのです。私如きに命を奪われるあなた様が。そしてこのような不毛に駆り出され無益に命を落すカローンの人々が」

 皇太子の顔が見る見る憤怒に変わってゆく。剣がぐいっと引かれ、それはそのまま前に突き出され、娘の胸を貫くか、と思えたが……

 フゥルフェは皇太子の様子に気も留めず、すすり泣いている。皇太子の剣は素早く突き出されたが、その切っ先はフゥルフェの肩をかすめただけで引かれる。

「哀れとな。それはそのままそなたの星にも当て嵌まるであろうに」

 皇太子は頓着なく剣を投げ出す。それはカタンと床に落ちるとふんわり浮かび、親衛兵がひとり、柄を掴んで引寄せた。

「そなたをそこまで強くしたものは一体何か?カスケーへの忠誠か?それともそなたの家族か?」

 皇太子は普段の物静かで穏やかな話し方に戻っていた。

「自ら刺し違えてまで、護ろうとしたものとは、なんだ?」

 フゥルフェは一間置くと、これも静かに答えた。

「信頼と、愛でございます」

 皇太子は不意を突かれたようにフゥルフェを見る。

「私に喜びと安らぎと愛を与えてくださった方への恩返し、とでも言ったらよろしいのでしょうか」

 フゥルフェの顔がほっとしたように緩んだ。その顔は、状況が状況でなければその場にいる者全てが見惚れるほど美しい表情だった。

「そなたが、羨ましいな。そこまで尽くされた男はなんというしあわせな男だろう」

 皇太子は苦笑する。

「わたしは、カスケーの謀略に敗れたのではないな。そなたの愛に敗れたのだ」


 グラリ、と再び船体が傾き、隔壁にひびが入る。突然、内部気圧が崩れて、気体が一気に動く。人々はなぎ倒され、引き摺られ、隔壁のひびへ吸い寄せられて身動きが取れなくなる。

 気圧の変動は急激で、それはものすごい圧力となって人々を襲う。あちらこちらと人が潰れ、断末魔の声が響く。正に地獄の光景で、死に行く者たちに階級の差、身分の差などはなかった。

 四肢を砕かれた皇太子は息も絶え絶えに、それでも笑みをたたえたまま呟く。

「百戦錬磨の私が……まさか……たったひとりの愛に倒されるとは……」

 皇太子の身体は見る間にバラバラとなり紅い霧となって四散した。


 もはや艦橋の残骸に息のあるものはフゥルフェしか残っていない。血だらけで既に全身の骨が折れたこの状態で、まだ生きているということがすでに奇跡だったが、その奇跡もわずかな間だった。

 彼女も例外なく、更に哀れな姿となって行き、命も尽きようとしていた。

 今際の際、彼女は裂けた隔壁の隙間から宙に浮かぶ紅い星をみた。そしてそこに浮かび上がる愛しい男の姿を認めたのだった。


「ああゴルフェさま……」



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