21
フゥルフェが旅立ったのはそれから二日後のこと。ちょうどゴルフェの戦隊がカスケーから出立する前日のことだった。
彼女は宙軍の快速二等戦闘艦に乗り、まっすぐ暗黒礁域へと向かった。そして安全航路のほぼ真ん中で、戦闘艦が積んで来た連絡艇を下ろし、それのただ一人の乗客となる。それは記憶装置が航路をなぞり、ほぼ全ての航行操作が自動操縦装置でまかなえる最新式の乗り物。その行く先は暗黒礁域アーケガル側出口付近にある前進砦の更に先、堂々と展開するカローン帝国皇太子直卒の大艦隊だった。
ほぼ一日の行程の先、彼女の船はカローンが制圧した二つの前進砦の間を縫って、記録された秘密の航路を辿ってアーケガルに迫った。そしてついに、アーケガルが青白いその姿を見せた時。
「そこのフネ、停船せよ!」
彼女が気付かない間に二隻の船が両側から寄せて近付く。
「停船しなければ、撃沈する」
既に暗黒礁域の無線通信阻害宙域を出たらしい。そのカスケー語は正しくカローン人の発音で話されている。フゥルフェは無線装置を入れると、大きく息を吸い込んでから話し始める。
彼女演じる一世一代の芝居の幕が上がった。
「カスケー星域次席護民官、パ・ラ・シレットの長女、フゥルフェにございます」
引き出された女はすくっと立ち上がると胸を張る。
「殿下をご案内するよう、父に命じられて参りました」
カローン帝国帝位継承第一位の皇太子にして帝国軍総司令官、アルフェル・コト・ソーフ。帝国次席の権力者にしては飾りのない軍服を着た彼は、穏やかとも言える眼差しで娘を眺めていた。
つと顎をしゃくって、傍らの若き副官に何やら耳打ちする。副官ははっと気を付けの姿勢をとると、足早に艦橋の奥へと消えた。
「さて、まだ私はあなたを信用してはいない。そもそも、あなたが名乗ったものに相応しいお方かどうか、私には確信もない。恐縮だが主席護民官殿は何度か拝謁の機会があり、ご子息やご令嬢とも親しく談笑する機会もあった。だが、次席護民官殿となると……」
皇太子は意味ありげに顎を摘み、玉座に等しい司令官席から身を乗り出し娘を見る。
「あなたの父上、かも知れぬシレット氏は主席護民官のバ・ラ・クグレック氏と折り合いが悪く、今時大戦では我らと戦うことなく和平の交渉をすべしと主張し、実際我らと交渉しようと動いたがため、敗北主義者の危険分子として捕縛・投獄されたと聞くが、確かかな?」
フゥルフェと名乗った娘は眉ひとつ動かさず、堂々と反論する。
「殿下がお聞き及びになった父の行状は確かです。しかし、どうも情報が不正確のようですね」
「ほう。そなたは我らの諜報網が正しくないと申されるのか」
「そうは言っておりません。ただ、殿下の情報網には何がしらの誇張と想像が混じっている、護民官派の操作の色が覗える。そう申したまででございます」
「では、どういうことなのかな?」
「父は……カスケーの存続を願い、最善の方法をと考え、行動したまでにございます。それが主戦論者たちに敗北主義と指摘され、それはもう星を挙げて戦争へ邁進する最中でありましたから逮捕という異常事態となり、反対論が想像以上に大きかったため、彼らは慌てて粛清を繰り広げたのです。結果、わがカスケーは凝り固まった主戦論者が独裁を執る、いびつで危険な存在となってしまいました。このままでは星が滅びる、父はそう考えてかねてより用意させた脱出路を使って私を逃がし、全てを託したのです。カスケーを、そこに住む人々を助け、この先、存続の道を鎖さぬために」
皇太子は珍しい動物を見るような好奇に満ちた表情で、
「我らカローンの星の下に屈し、その威光の下で命を永らえると?」
フゥルフェは無念の表情を浮べると同時に、それを押し殺して微笑んだが、その苦しいありさまはすっかり皇太子の目に映っていた。
「はい。それが我らにとり屈辱であることは、聡明な殿下に隠しおおせるとは思いません。しかし、一時の恥辱に我を忘れ、命を託された自国民を殲滅戦の只中へ追いやることは何としても避けなくてはならないのです。それが今の執行部、あのプライドだけは高い護民官殿には出来るとは思えない。このままではカスケーは滅んでしまいます。どうか、カスケーをお救いください。そのためには速やかに閣下の艦隊を無傷でカスケー宙域にお送りしなくてはならないのです」
皇太子はしばし娘の顔を眺め、やがて、
「なにか、持参したのだろう。それをこれに」
この問い掛けには、いつの間にか戻った若い副官が前に出て、奥から持って来たフゥルフェを捕縛した時に荷物の中から探し出したいくつかの書面と、彼女が持っていた安全航路の数値が入った自動操縦装置の記憶素子を皇太子に差し出した。
皇太子はそれを次々に捲っては目を通した。時折副官に耳打ちしてそれに副官が答える。この緊張の時、フゥルフェは先ほどと同じ立ち姿を崩さず、直立不動で皇太子から目を離さなかった。やがて。
「そなたの論旨は、わかった。これは我が間諜が得た情報とも一致する」
皇太子は笑みをたたえ、
「ようこそわがカローンの光輝の下へ」
「ありがとうございます」
フゥルフェの表情は歓喜に溢れ、それは見る者を惹きつけて見惚れさせた。それまで疑いの目で眺めていた厳つい軍人や、作戦ばかりを考えている頭でっかちの参謀たちまで口元を緩めその顔を見つめていた。
「ほんとうに、ありがとうございます。これでカスケーは救われます」
フゥルフェは皇太子の前に膝を折る。
「カローンの庇護の下、カスケーが平安に過し、カローンとカスケーが互いに助け合う未来が実現します」
「どうか、畏まらず」
皇太子はフゥルフェの手を取って立たせる。
「そなたの勇気が歴史を動かすのだ。よくぞ来てくれた。だがその前に、仕事は片付けなくてはならぬ。まずは我らがカスケーに行かねばならない」
「はい」
「航路図は使わせてもらおう。そなたは一人で来たのだな?」
「さようです」
「では帰りも容易いであろう」
皇太子は微笑むと、
「案内してもらおう」