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シェルバックス・ストーリー  作者: 小田中 慎
☆誇りを守りに
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 カスケー星域次席護民官パ・ラ・シレット氏は五十歳。平均寿命が八十のカスケー人ではまだ中年と呼べる働き盛りだった。

 戦いではなく、話し合いでカローンとの紛争を収めようと言う彼らの主張は、カローンとの対立激化と共に護民官ら主戦派に押されはしたものの、民衆は次席護民官たちの主張に同調する者の方が多かった。

 カローンは大国でありこの星系で「人」が棲息可能な地域の七割を支配し、人口はカスケーの倍以上。軍隊も強く、カスケー軍も準備怠りなく訓練に励んでいたものの植民地の獲得や反乱の制圧などで鍛えられたカローン軍と比べれば装備も経験も劣っていた。

 庶民は虚しい戦いより平和を望み、そのためには多少の不便やカローンへの譲歩も止む終えまいと考える。第一、不毛で恐ろしい暗黒礁域など欲しがるのならカローンにくれてやればいいのだ。それが障壁となりカスケーの平和が保たれているという護民官の主張は理解出来るが、壁を守るために家に火を放たれては敵わない。

 次席護民官の語る根強い交渉と話し合いによる宥和という図式は、軍事費の増大と徴兵の実施によって疲れ切った民衆には理想の絵と見えていたのだった。


 しかし、次席護民官側にも問題があった。第一にカローンとの交渉は完全に行き詰まっており、カスケーは余程の譲歩をしない限りカローンの対決姿勢を緩ませることは出来そうになかった。第二に、そのことは次席護民官たちにも痛いほどよく分かっており、同士たちの中には護民官派に揺さぶられ中間派に鞍替えしたり、護民官派へ寝返る者すら現われていた。軍からは一部の者の支持はあったものの、大勢は護民官の方を向いていた。


 理想を追う者ではあるが決して夢想家ではない次席護民官は悩んでいた。理想を追求するあまり、最早回避不能なカローンとの対決を前に国を二分してしまっているではないか。今や交渉での解決はありえないだろう。どちらかが折れるまでこの緊張は続き、それは国力に勝るカローンに有利となる。既にカローン軍はカスケー攻略の部隊編成を終え、命令一過、犠牲を省みずに暗黒礁域へ殺到する勢いだと聞く。

 こうなったのも、あのプライドの高い護民官が示した僅かな譲歩――農務大臣のポストと交換に対外交渉大臣のポストを次席護民官派へ渡すという――を断わったからだ。あの時、それを受けていれば、ここまで手詰まりにはさせなかったものを……

 次席護民官、シレット氏はひとり自責の念に苛まれていた。


 そんな矢先。護民官がたった一人、護衛も連れずにシレット氏の本宅を訪れる。カスケーがアーケガルからのカローン軍撤収を求めるちょうど一日前のことだった。


「シレット殿。最早話し合いだけが解決の道ではないことは先程貴殿も認めた通りだ。ここに至れば干戈を交えることを厭うわけには行かなくなる。いや、あなたの言いたいことはよく分かっている。それでも実際に最初の一発目が放たれるまでは粘り強く妥協点を探る、それは外交の義務というのも理解しているよ。とはいえ、その時に備えないわけには行かない。それをしないと言うなら、既にカローンの軍門に下る意思を示すことになる」

 護民官の力説が続いていた。

「私は長い間この時のことを想い、憂いでいた。カローンは強い。誰もが知っている。カスケーが勝利するには奇跡が必要だ。正にあなたの主張通りだ」

 護民官の話は終わりに近付いた。彼の前にゆったりと腰掛けた次席護民官のシレットにはそれがよく分かった。この政敵のことは実の兄よりよく知っていると言ってもよい。この公称年齢五十五の男が会話の最中に背を反らせて顎を引くときは話の締めを探っているところだ。


 シレットは護民官相手の長年の対立と均衡を保つための政争の中、その性格から性癖に至るまで、それこそ表に出せぬような話まで知っていた。もちろん、相手側も同じく彼の事を知り尽くしているので、それを種に彼を貶めることは出来ない。これが政治的均衡と呼ばれるものの正体だった。

 シレットはそのようなことを想い、皮肉が顔に現われぬよう気を使いながら、相手の語句に潜む罠を自然と探っていた。

「この奇跡を演出するため、ここは挙国一致で協力しなくてはならない。あなたの協力が必要だ」

 護民官は身を乗り出した。こちらの話は終わった、という合図だった。

「それで、私にどうしろと?」

 護民官から一方的に長い話を聞かされたシレットは静かに問う。護民官は居住まいを正すとずばり言い放った。

「頼む、シレット殿。カスケーのために汚れ役を引き受けてくれないだろうか?」


 護民官がシレットの館を後にしたのは、その三時間後のことだった。既に夕闇が迫り、部屋の中は暗かったがシレットは灯りも点けずにひとり座っていた。

「これで本当によいのだろうか?」

 護民官の話は罠に溢れていた。彼が話したカローンに対する謀略は一度聞いた限りでは突飛に過ぎて絵空事にしか思えないものだった。しかし、護民官が珍しく端折ることなく詳細に説明したその作戦は、知れば知るほど魅力的であった。護民官の言う通り、餌が大物ならばカローンは必ず食いつく。そうなれば緒戦でカローンは大打撃を蒙り、早期講和に動くだろう。

 それは毒の花が甘い香りを漂わせるように、シレットを誘っていた。

「毒はうまく用いれば薬になる」

 対カローンとの外交は既に手詰まり。最早妥協はなく、どちらか一方の献上だけが受け入れられる状態に進んでしまった。

 護民官派の強気な外交がこの事態を招いた。シレット派が外交の実権を握っていれば、こうなる前に落としどころを見つけ、お互いが傷付かぬ軟着陸点を見つけられたはず。もう何百回も悔やんだことだったが、思わずにはいられなかった。この先にあるのは戦争、それだけだった。

 戦争だけは食い止めなくてはならない。なんとしてでも。そう心に誓った矢先の護民官の来訪。

「しかし、この毒。私が飲み込んでいいものやら」

 私以外にもこの役が務まる者はいるはずだった。護民官ですら強力な候補だ。しかし……

「毒を飲め、と他の者に言うことが出来るか」

 この役に最も相応しいのは彼自身だった。長年カローンを敵視して来た護民官を筆頭にした政府主流派の誰かがこの役を引き受けても、カローンが吊られる可能性は低い。

 一方、反対勢力の誰かが引き受けたとしても、それが対外的に知られた人物でなければ可能性は同じく低くなる。となれば、それが行えるのは二、三名に絞られる。中でも彼自身は最高の人選だった。この作戦を行うのであれば、それは彼を置いて他にはない、護民官はそう言った。そしてそれに反論することは、相手に臆病との印象を与えることにもなる。それは護民官の罠だ。誇りと勇気を疑われることは政治的にかなりのマイナスとなる。いや、政治的以前に、彼自身がその屈辱に耐えられるかどうか……

「毒を飲め、とは言えない」

 自分がやるしかないのだ。この罠を引き受け、それによってカローンを道連れにする。そしてカスケーを救う。カスケーさえ救えれば、それでいいではないか?

 次席護民官は暗い部屋で一人、無理やり自身が得心するように考え続けた。

 しかし、巧妙に練られた罠は、次席護民官がカスケーを憂うあまり作戦の出来栄え自体に引き込まれ、その先の世界、カスケーがカローンと引き分けた後に訪れる世界にまで考えを及ばせることに至らないよう仕組まれていた。

 それは護民官と軍だけが勝利の栄光に包まれるという未来だった。


 深夜。極秘の通信が護民官の下に届けられる。次席護民官からで、その伝言には「お受けする」とだけあった。

 護民官はひとり笑う。これで彼の部下たちも安心することだろう。



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