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「なんだと!」

 ストラーの参謀長が表情を変え、

「殿下が出撃するなどとは聞いていなかったぞ!」

 ゴルフェは首を振り、

「詳しい事情は私ごときには分かりません。通信は我が軍情報部の推測として、崩御の報を受けた貴軍の第四艦隊と第十一艦隊は一旦、暗黒礁の周囲に敷いたカスケー包囲の陣を解いてカローン方面に退却するしかないだろう、としており、我が先鋒艦隊のいくつかがそれを確かめに偵察活動を開始した、とのことでした。もしその通りとなれば、閣下。閣下の艦隊は後続もなくこの暗黒礁のなか、孤立していることになります」

 落ち着き払ったゴルフェの声にしんと静まる艦橋。長い対峙の後、ストラーは静かに話し出す。

「この親書が真実を述べているとは限らない。また、ここではこの書類の真贋を確かめる術もない。そして、この通信も遮断された暗黒礁域では……」

 ストラーはすっとゴルフェを指差す。

「貴官の話を確かめる術はない」

 じろりと通信参謀を見て、頷きの肯定を得たストラーは、

「しかし貴官が真実を語っているか否か見極める術は、ある」

 ストラーの両脇に控えた護衛の兵が数名、察しよく、じり、とゴルフェとの距離を詰める。

「最近の科学の進歩は驚くべきもので、ある種の薬液を体内に取り込めば、その者は何でも問われたことに真実を持って答えるようになると言う」

 ストラーの薄い灰色の瞳が一層薄く見える。

「どうだね。験してみるか?」

 ゴルフェの蒼い瞳は揺るがない。

「閣下がお望みとあらば、その屈辱、お受け致しましょう」

 微かなざわめきが周囲から起きる。するとゴルフェは続けて、

「しかし、そこまでお疑いとあらば、その前に、私が真実を語っていることを証明する機会を与えては頂けないでしょうか?」

「ほう。どう証明する?この一切の通信を遮断され、双方味方から距離をおいた不毛と暗黒の空間で、一体何を証明出来るのだ?」

 ストラーは最早温情の欠片もない状態で、冷え切った眼差しに恐ろしい威圧を込めてゴルフェを見ていた。そして、これこそがゴルフェが避けたいと願った展開、逆に謀略家のモリョフカが願っていた展開だった。

「ストラー閣下」

 ゴルフェが折った膝を伸ばし立ち上がると護衛の兵が自然ストラーとの距離を狭め、ゴルフェがよからぬ企てを実行しても防げるように身構えた。そんな護衛など存在しないかのように、ゴルフェは尚も数歩距離を縮める。そして副官が座っていた席の前まで来ると、左の掌を筆記用の小卓の上に広げた。

 何をするのか、といぶかるいくつもの目の前、ゴルフェはいきなり儀礼用の短剣を取り出し封印を切ると、ためらいもせずその刃を自らの指に当てた。それはストラーの機敏な護衛たちが取り押さえようと動くよりも一瞬早く、肩を押さえられ、短剣を取り上げられた時にはゴルフェの左手四本の指のうち、二番目に短い指が卓の上に残されていた。

 血しぶきを上げる左手を無頓着に眺めてから、ゴルフェは押さえつけられた格好のまま、ストラーを仰ぎ見た。ストラーの表情は全く冷静そのものだったが、直前に見せていた冷徹な表情は消え、何ともいえぬ奇妙な表情になっていた。

「離してやれ。軍医を呼べ」

「いえ。医者は要りません」

 ゴルフェは開放されると、胸元から小布を取り出し、血の吹き出る指の根元をきりきりと縛った。

「無理をするな。放っておけば指ばかりでなく手を失うぞ」

「信義を失うよりはましです」

「ほう」

 ストラーはふっと笑うと、

「私の知る限り、カスケー人は左手四本の指のうち、内から三番目の指に心が宿っている、と信じているそうだな。もちろん本気ではないだろうが、そういう風に言い伝えられ、誓約をする時には、この左三指にかけて、と言う。その通りかな?」

「その通りです」

「貴官は己の心を切り落とした、と言うわけだな。それは何故か」

 ゴルフェは身振りで机上の指を示し、

「その指、閣下に献上致します」

 出血と痛みに蒼白となりながらもゴルフェはしっかりした口調で、

「私の心を、差し上げます」

「それで、貴官を信じろ、と」

「さようです」

 ストラーは奇妙に醒めた目でゴルフェを見つめていた。ゴルフェは汗が額を滑り落ちるに任せ、じっとストラーの肩口を見つめていた。やがて。

「よく分かった」

 ストラーは得心したように大きく頷くと、

「どうやら貴官に嘘はないようだ」

 ストラーの言葉に参謀の一人が驚きの声を上げる。

「閣下、こんな若造の話を信用なさるのですか?」

「武人が信義を賭け、その証に自らの心を捧げたのだ」

 ストラーは声高に言ってその参謀の口を封じる。そして指を押さえて直立するゴルフェを見て、

「もう一度聞く。その話に嘘はないな」

「ございません」

「貴官の信義に懸けて」

「はい。この切り落とした指に懸けて」

 するとストラーはがっくりと膝を落とす。あわてて数人が駆け寄ったが、それを抑えて、

「私は殿下が幼年舎に入った年に、陛下のお傍近く侍ることを許された。直ぐに陛下をお慰め申し上げなくてはならない。通信が回復する宙点まで後退する」


 ゴルフェは指を押さえたままカローン兵に囲まれて自分の連絡艇まで戻った。接続ハッチまで見送ったストラーは、ではこれで、と頭を下げるゴルフェをみると、

「少し離れていろ」

 兵と副官を下げて人払いをする。そしてゴルフェに寄ると、

「見事であった。これを考えた者は軍人ではないな」

 ゴルフェの表情は困惑に変わり、

「何を仰っていますか?」

 ストラーは苦笑すると、声を潜め、

「まあよい。貴官も武人であるなら氷のような規律と炎のような闘志が勝利には必要だと知っておろう。気付いたはずだ。貴官のその行動が、ウチの兵に与えた影響を。単純な行動は単純な思考には大きく響く。彼らはいくら私が否定しようと、殿下の艦隊が殲滅されたと思い込んでしまった。艦橋から既に艦隊へと噂が広がっていることだろう」

 やれやれとストラーは溜息を吐き、

「ここまで士気を挫かれては立て直し、出直さないわけにはいかないからな」

 そこでストラーは更に声を落とし、

「それにしても残念だな。貴官のような立派な男がこのような下賎な任務に充てられるとは。もっとも、貴官ならばこそ為し得た任務ではあるが」

 ゴルフェが装う困惑の表情は変わらない。

「お褒め頂いているとは思いますが、私には何のことか」

 するとストラーは頸を振り、

「無駄だ。全くの無駄遣いだ。これで稼げる時間など、刑場の露と消える罪人が最期に足掻いて数分の時を稼ぐに等しいぞ。見苦しいだけで結果は変わらない」

 ゴルフェは必死で表情を留める。ストラーはそんな彼の姿を吐息混じりに見遣って、

「またやって来よう。近いうちに必ず。その時は干戈を交えよう」

 ストラーは残念だ、と繰り返しながら、行け、と促しその場を離れる。ゴルフェは血が滴り始めた指の包帯を見つめながら、最後まで表情を緩めなかった。



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