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数時間の緊張した時間が過ぎた。
艦内は戦闘配置のまま、緊張が続く。あと一時間。ゴルフェは緊張に蒼褪めた隣のイクレンドを盗み見ながら思った。この若者のように緊張で己を磨り減らす乗組員が多いはず。いざと言う時に全力を発揮出来ない。あと一時間続け、敵と遭遇しない時には――
「前方に敵艦見ゆ!大型艦が多い、二、四、六……数え切れません!」
見張の声は悲鳴に聞こえた。艦橋の誰もが前方を眺め、最大望遠で前方をパノラマ撮影した画像が映し出されたモニターを覗き込む。間違いなかった。カローンの大艦隊が漂う岩礁の合間に一列横隊で並んでいる。
「砲撃準備をしますか?」
艦長は冷静に尋ねた。相手は待ち構えていたに相違ないだろう。戦闘を命じ、こちらが刃向かう素振りを見せれば、敵は一斉に襲い掛かってくる。そうなれば勝負は一分と経たずに決る。それはそのまま彼らの命の長さでもある。ゴルフェはひと息吸うと、
「いいえ。通信士。敵に向け星系共通信号。文。休戦を求む。捕虜となりし貴星の兵士を送還する。受け入れを願う」
「司令官、本気ですか?」
呆気に取られた艦長が思わず尋ね、絶対服従すべき通信士もためらった。ゴルフェは声を張り、
「通信!直ちに復命せよ!」
慌てて通信士が発光信号機で敵に向け発信し、艦長は口を噤んだ。
「艦長。連絡艇を用意してくれませんか?重傷の二名を除く先程の捕虜全員を連絡艇に載せてください」
「そうなると、操縦の者以外一、二名しか乗せられませんが」
「それで構いません」
「あちらに向かう人選は?」
「私が行きます」
「ご冗談でしょう?」
ゴルフェは自嘲の笑いを浮かべる。
「心から冗談だったらいい、と思っていますよ」
やがて伝令がやって来る。
「甲板長より伝言です。準備が整ったとのことです」
ゴルフェは頷くと、
「艦長。四時間過ぎても私が戻らない場合、戦隊の指揮権はあなたへ移譲します。私への命令書は私の部屋の金庫の中。鍵はイクレンドに預けます」
「そうならないことを祈りますよ。あなたのためでなく私のためにね。そんなことになったら全員死ぬか降伏するしかない」
艦長の言にゴルフェは肩を竦めると、
「三時間ほど前に私が言ったことを思い出してください。その時は出来るだけ兵員を助けるようにして貰えますか?」
ゴルフェが「では」と歩き出すと、イクレンドと参謀二名、そして護衛の兵二名が一緒に動き出す。するとゴルフェはイクレンドの腕を取り、
「来なくていい。お前たちは残るんだ」
副官のイクレンドは震える声で、
「おひとりで向かわれると?」
ゴルフェは無表情で、
「そうだ。護衛も要らぬ。いいか、私の後を付けるなどと言う馬鹿な事は考えるなよ」
「せめて私だけでもお連れください、お願いです」
ゴルフェがイクレンドの顔を見ると、その顔は泣き出さんばかりだった。
「大丈夫だ」
ゴルフェは彼の肩を叩くと、
「むざむざ死ぬために行くつもりはない。捕虜を置いてあちらの名高い司令官の顔を拝見するだけだ」
そこでゴルフェは小声になると、
「私にもしもの時があったら、フゥルフェ様にこれを」
それはゴルフェが常に右腕に付けていた飾鎖で、カスケーの成人男子が一人前と認められたとき、居住区の長老から渡される徴だった。
「司令官……」
「行って来る」
「司令官!」
「後は頼んだぞ!」
こうしてゴルフェはたった一人、捕虜を二十名ほど載せて満載の小艇で前方の巨大な艦隊を目指した。先ずしたことは捕虜たちの縛めを解く事で、手かせを外された捕虜たちは訝しげにしながらも大人しく座席に座っていた。ゴルフェは操縦席に座って、相手の旗艦と思しき船の方向を目指し、自動操縦に切り替えた。
それはたった十分に満たない航宙だった。
その時、唐突にフゥルフェとの別離を思い出す。
あれからまだ十日も経っていない。
慌しい任務受領と出港準備。戦隊に所属する四隻の艦長たちと打合せをする時間すら僅かで、それぞれの役割を確認するのが精一杯。青二才で経験も少ない上司の下、参集した艦長は全てゴルフェより年長で、旗艦の艦長に至っては二十数年も先輩に当たった。
只でさえ数百人を飛び越して戦隊司令官に任命されたゴルフェ、それも任務の性格上から昇進を得たに過ぎない。艦長たちは面白いはずもなく、あからさまに敵意を向けはしないものの、初対面はよそよそしく他人行儀の、相互にあまり気持ちのよいものではなかった。そしてゴルフェにとって大切な情報であるはずの彼らの性格や人となりを知る時間もなかった。
そんな多忙の中で、なんとか半日の時間を割き、フゥルフェと過す。ゴルフェは何の説明もなしに彼女を首都を見下ろす丘陵に連れ出し、別れを告げた。
「隠すつもりはありません。これが永久の別れとなるかもしれません」
フゥルフェは顔色ひとつ変えなかった。
「軍人として義務を全うする時が来てしまいました」
ゴルフェはそっとフゥルフェの手を取り、
「どうか、私のことは忘れていただきたく、お願いします」
「覚悟はしていました」
彼女は落ち着いて言うと、
「正直、こんな日が来ることは、最初から分かっておりました」
「そうでしたか……」
「あなたはカスケーを救う方と信じておりましたから」
二人は丘陵をゆっくりと歩く。黄太陽の暖かな陽射しが紅い空を輝かせる。見下ろす首都の街並みは戦争間近とは思えない穏やかな風景に見えた。
「私の父はどうしても娘に甘くて」
フゥルフェがぽつりと言う。ゴルフェは手をつないだまま、立ち止る。
「私とあなたとの付き合いを咎めませんでした。父は同僚からどんなに責められたことでしょう。軍との接点は危険だ、と」
「私にも匿名の警告がありましたよ」
ゴルフェは自嘲気味に、
「反対勢力との付き合いは身を滅ぼすぞ、とね」
「まあ、それはお気の毒」
二人は声を揃えて笑う。二人の仲は、そのような中傷や非難を遥かに超えていたのだった。やがてフゥルフェは真顔に戻ると、
「私は、幸せでした。あなたは私にこの星の素晴らしさを再発見させてくれました」
フゥルフェの声に微かな震えを感じたゴルフェは緊張してその手を強く握る。フゥルフェも握り返し、
「どうぞ、存分に働いてください。私は影で見守っております」
「私に甲斐性があれば……もう少し時間があればあなたと」
「しぃ」
フゥルフェがゴルフェを止める。言っても虚しいことを言いかけたゴルフェは己を恥じて、
「申しわけありません」
「いつか笑って話せる時も来る事でしょう。その日を待ちましょう」
フゥルフェは真っ直ぐにゴルフェを見る。ゴルフェは思い切りフゥルフェを抱き締める。
「さようなら、フゥルフェ」
「さようなら、ゴルフェ」