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カスケーに衛星はない。その代わりに暗黒礁域があった。
暗黒礁域とは古代、カスケー唯一の衛星が何かの原因で砕かれ飛散し、その周回軌道に散りばめられたことを起源とする。長い年月を経てそれはガス状の物質や砕かれた岩、正体不明の浮遊物が集まる謎の多い宙域となった。
カスケーの地上から空を見上げれば、昼間でも濃く太い十数本もの灰色の帯としてそれが認識出来る。カスケー人にとってそれはなじみのものであると同時になくてはならないものだった。
この暗黒礁域は正にカスケーの「防衛壁」だった。その広い宙域はそこを行く者にとっては地獄のような場所で、カスケー人が宇宙開発に関してカローンに大きく遅れを取ったのもこの暗黒礁域の存在が原因だった。
カスケーはこの障害に航路を切り開くため、多くの犠牲と年月を掛けた。何代にも渡る数知れない挫折とほんの僅かな成功を積み重ね、ようやくこの宙域を開拓した。そしてカスケー人言うところの「外宙」、カローンの支配域に出て行き、彼らと衝突することとなった。
時はカスケー歴で「青色六十黄色二十八」の年。
カスケーとの長年に渡る争いに決着を付けるため、カローン帝国が動いた。
カスケー人と紛争の原因になったこともある彼らの衛星「アーケガル」に前進拠点を設け、暗黒礁域に航路を打通すべく調査船団を送り出し始めたのだった。
暗黒礁域の安全航路はカスケー最大の秘密として厳格に護られて来た。先人たちの犠牲で解明された四本の安全航路はカスケー航宙軍が独占使用していて、商業や旅客のための船は必ず船団方式でカスケー宙軍の護衛艦隊に絶対服従で先導され航行する。中立星ソレルの船ですら暗黒礁域を一日入った所に設けられた四つの前進砦までしか航行を許されず、積荷はここで移し替えられて、カスケーの船団によりカスケー本星に送られた。
このように暗黒礁域は事実上カスケーのものだったので、カローンの侵出はカスケーにとって最大の危機に映った。
カスケーはただちにカローンに対し、暗黒礁域の調査を中止しアーケガルからの撤退を要求したが、カローンは要求を全面的に拒否した。
「暗黒礁域は元来公のものでありひとつの星が独占するものではない。そこを勝手に占有するカスケーこそ兵を引き、星系全体の利益と発展のため安全航路の秘密を明かし、カスケーへの航路を開放すべきである」
カローン帝国宰相は全星系に向かって厳かに述べたものである。
カスケー側も負けじと、カローンのアーケガル派兵を星系の平和秩序を乱す悪行であると断じ、期限を定めた撤兵を求める。
その期限を過ぎてもカローンは撤収はおろか艦隊を集結し始めて、いよいよ緊張の度合いは耐え難いまでに高まった。
アーケガル撤兵期限を過ぎて数日後、カスケー政府はもう一度アーケガル撤兵を訴え、これが受け入れられなければ今後発生する事態の責任は全てカローン側にあると宣言し、これは事実上の最後通牒となった。それをカローン側は完全に無視、いつ戦火が燃え上がってもおかしくない一触即発状態となって数日後。
暗黒礁域の出口付近、アーケガルに近い前進砦からの連絡が途絶えた。その砦では強烈な磁気嵐や宙を飛び交うノイズが原因で無線通信が不可能なため、日に一度連絡船を往復させていた。それはカローンと断交状態となって以降も続けられていたが、この日、昨日に続いて連絡船は現われなかった。
夕刻。カスケーの護民官は全国民に向け緊急会見を行った。
いよいよ戦争が始まったのだ。
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カローンとカスケーが戦争状態となって四日後のこと。ゴルフェの姿はカスケー航宙軍の本部にあった。
前任の突撃艦艦長を首尾よく勤め上げ、次の乗艦が決まるまで待機の期間、戦争はちょうどその時に始まった。ゴルフェは大型戦闘艦の艦長職の内示を受け、官舎で正式な辞令を待っていたが、やって来た伝令は意外なことを伝えた。今回の紛争で暗黒礁域の防衛を仕切る司令官から出頭を命じられたのだった。
モリョフカというカスケー人は痩せた小男で、深い森に棲む醜い猛禽のように常に辺りを見回して、時折何がおかしいのか唐突に笑い出すという気味の悪い癖があった。
ゴルフェが司令官の部屋に入った時も突然笑い出して、表情にこそ出さなかったがゴルフェを不快にさせていた。
「ゴルフェ統率官、よく来てくれた」
司令は言わずもがなの事をいい、モリョフカは再び声を上げて笑った。
「命令だもの、来るよねぇ」
モリョフカはゴルフェより三歳年上なだけだったが階級は四つ上の高級号令官。その名はカローン軍部でもよく知られており、過去モリョフカを暗殺するために潜入したカローンの工作員は総司令官や護民官の場合よりはるかに多い、と噂されている。
この不快で底の知れない男は、正にカスケー軍の頭脳だった。参謀総長を飛び越して総司令官や護民官に直接入れ知恵が出来ると噂され、それを裏付けるように、神出鬼没で重要な決断が下される場所にはいつも顔を出していた。
「さっそくだが」
モリョフカを無視した司令官はゴルフェが座るのも待たずに話し出す。
「貴官にぜひやって貰いたいことがある。このカスケーの命運を左右する、大切な任務だ」
一時間後、蒼褪めた顔でゴルフェは部屋を出た。司令官が言い出したことも異常なら、モリョフカが説明したことも異常だった。
カスケーはこの数年間、カローンの植民地紛争へ密かに介入していた。もちろん軍隊を派遣したり反帝国勢力へ武器を渡したりするような直接的な介入ではなく、資金や教育、作戦などを反帝国勢力へ授けるウラからの援助を続けていたのだ。
モリョフカはその極秘作戦のほとんどを立案し、カスケーに通じた反カローン陣営に奇計を授け、カローンの植民地軍を翻弄し続けていた。
そんな彼だからこそ、いよいよカローンと正面から渡り合うことになり、うれしさを隠すことが出来ないのだった。
これから多くのものが喪われると言うのに、この男にとってはそれもゲームの一部に過ぎないのだ。
その欺瞞の大家、モリョフカが弄した策。その実行者になれ、という命令。
「この私に大嘘を吐けと」
ゴルフェは捻じ曲がったことは大嫌いであったが軍人である以上、謀略は必要悪と受けいれていた。とは言えまさか自分がその駒に選ばれるとは。それでも正規軍人である以上、二つ返事で命令を受けるしかないゴルフェだった。
たとえそれが自分の信用を失墜させ、彼の事は二度と誰も信用しないような命令だとしても。