第6話 二つの名前
薄暗く雑然と本や物が床に置かれたニクラウスの部屋で、ニクラウスはソファに腰掛け、ジークベルトは本棚の前で胡坐をかいて座っている。
分けして片っ端から魔術書を読み説き始めて一日が経ち、夜も更け、王宮のホールでは舞踏会が開かれている時刻。ジークベルトはすごい速さでページを捲っていた手をぴたりと止める。
「あった……ニクラウス殿、ありましたよ!」
言いながら立ち上がり、部屋の奥、黒檀の机と椅子が置かれてる横のソファーにゆったりと座っているニクラウスの元に急ぐ。
ジークベルトの声に、手元の書物からすっと顔を上げたニクラウスはその薄茶色の瞳にすっと妖しい光を宿し立ち上がる。
「わしの方も、最後の文字を見つけたところじゃ。さて、答え合わせといこうかの」
そう言って黒檀の机に近づき手に持っていた書物を閉じて置き、羊皮紙を広げる。ジークベルトも同じように手に持っていた羊皮紙を横に広げ、ニクラウスと額をつき合わせるように机を覗きこむ。
「…………」
“汝、我の助けを求めん時、我の力を欲する時、メフィストセレスの加護と権威を持って、すべての願いを叶えるだろう。すべてが叶った時、代償として汝の血とティルラの記憶をすべてルードウィヒの物と契約す”
「契約の内容は、こんなところか――」
個々に調べた代魔法文字アンスールの文字の訳と意味を繋げ、ニクラウスが読み上げる。
「つまり、ティアナ自身の願いを一つ叶える代わりにティアナの魂を貰う――ということか? やはり、王子の呪いを解いたこととは関係ないみたいだが、どうしてティアにこんな契約を――?」
「ティアナ姫はドルデスハンテ国に何か関わりがあるか? それか魔女か……」
「ん?」
ジークベルトはニクラウスの質問の意図が読み取れなくて聞き返す。
「ルードウィヒは大層な悪戯好きで、長く生きすぎているせいか暇を持て余している。レオンに魔法をかけたのは面白半分、それとドルデスハンテ国に対する恨みが原因。姫に刻印を押したのも、悪戯からか恨みからか――考えられるのはそのどちらかだ」
「ティアはイーザ国の姫だ、ドレデスハンテには関わりはないし、この国に足を踏み入れたのも今回が初めてのはずだ。魔女とは――直接ではないが、国守の魔女に師事していた時期がある。だがそれが何か原因に繋がるかと言われると……」
そう言ってジークベルトは顎に手を当て考え込む。
「原因は分からないが、きっとあやつの興味を惹くのに十分な存在だったということか……?」
ニクラウスも悩ましげに白髪の顎髭をいじり、ぽつりと漏らす。
「それよりも、気になるのが契約に出てくる二つの名前。メフィストセレスの名前が出るということは、森の魔法使いはメフィストセレス――つまり、魔王と契約しているという、それだけすごい魔法使いということか……。しかし、この“ティルラ”とは誰のことなんだ……?」
「おそらく、姫に関わりのある人物……そして、印を押された原因に関係しているじゃないだろうか――」
そう言ってニクラウスは何かを考えるように黙りこむ。その表情はあまりにも悲痛で、ジークベルトは心配そうにその表情を見つめる。
「……とにかく、ティアが森の魔法使いに何も願いをしなければ、この契約は意味をなさない――ということですよね。すぐに、知らせに行きましょう」
「ああ、そうじゃな。早くレオンと姫を安心させてやるのだ。わしはもう少し調べたいことがあるから、お前さんが行ってきてくれるか?」
「はぁ、それは構いませんが」
言いながら、ニクラウスは解読した羊皮紙をぐしゃりと掴み、奥の部屋へと続く扉に向かって歩き出す。
「それから――この二つの名前のことは伏せておくのじゃ。余計な心配をかけないために――」
ジークベルトはその言い分に多少の疑問があったが、そのことを伝えなくても、契約の内容を正確に伝えられると判断し、ニクラウスの背中に一礼して部屋を後にした。




