第31話 ノスタルジア
「リア、大丈夫……?」
「ん? 大丈夫よ、そんな心配そうな顔しないで。こう見えても私は体が丈夫なのが自慢なんだから」
マグダレーナに案内され湯殿で体についた泥や血などの汚れを落とし、用意してもらったイーザ国の衣装に着替えて戻ると、部屋には魔法使いが一人いて、リアの傷の手当てをしてくれた。リアは右腕を骨折し、胸の前で包帯をぐるぐるに巻かれ動かないように固定されて、ベッドに腰をかけている。
ベッドの側の椅子に座ったティアナは、痛々しい姿のリアを泣きそうな顔で見つめていた。
たった一日で――ティアナの身には恐ろしいほどたくさんの出来事が起こった。
自分をかばったせいでレオンハルトが時空の裂け目に触れ、猫の姿になってしまい、ティアナのことを忘れてしまい――
レオンハルトを元に戻すことのできる唯一の方法である時空石を求め北欧の森に行き、時空石に触れて時を遡り――
七十七年前の北欧の森にあるホードランド国に魂だけが飛ばされ、ティルラという少女の体に入ってしまったこと――
ホードランド国は戦の最中であり、ティルラの恋人である第三皇子セブランが森の魔法使いルードウィヒで――
ただ生き延びること……ルードウィヒのことを考えるので精一杯で――
夜が明け、亡命先がイーザ国と知ってマグダレーナと再会し手厚く保護され――緊張の糸が一気に解けてしまったのだった。
はらはらとティアナの頬を涙が伝う。
「うっ……うっ……」
必死に考えないようにしていたのに今になって、早く元の時代に帰りたい――そう強く願ってしまって、胸が苦しくて切なくて、涙が止まらなかった……
「うっ……ひっく、うぅ……」
泣き続けるティアナの頭をリアは怪我を負っていない左手で優しくなで続け。
「ティルラ、私でよかったら何でも相談に乗るからね……」
その優しさに胸が詰まり、ティアナは言葉に出来ない代わりに何度も首を縦に振った。
※
日は流れ――イーザ国に亡命してからおよそ一ヵ月が立ち、新年を迎える準備に城内は慌ただしくなっていた。
っといってもイーザ国の者ではないティアナとリアは特にすることもなく、だからといって王城をうろついては邪魔になるだろうと思い、部屋で読書やお茶をしてのんびりと過ごしていた。
ティアナは窓辺に腰かけ膝の上に本を置きながら、本ではなく別のことに想いを馳せていた。
この一ヵ月、どうすれば元の時代に帰れるのか悩みに悩んだ。頼みの綱だった時空石があるホードランドからは離れてしまい、このまま帰れないのではないかと落ち込んだ時もあった。
しかし、北欧の森、ホードランド、イーザ――なにかしら繋がりのある場所にいるのは、何か意味があるからではないのかと。
マグダレーナに会ったことも、建国の魔女・リーゼロッテに会ったことも――
魔法使いがほとんどいなくなった七十七年後のイーザ国、最後の国守の魔女であるマグダレーナもも亡くなり、“国守”の名前だけは第一王子であるエリクが受け継いだが、魔法に関連する行事は行われなくなっていた。
魔法に関連する行事が行われる建国の間にも一度しか踏み入れたことはなく、そこに建国の魔女や国を支えた魔女や魔法使いの姿絵が飾られていたが、その姿はうろ覚えだった――
もはやリーゼロッテにすべてを打ち明け力を借りる以外に元の時代へ戻る方法を見つけられなかった。
リーゼロッテとは初めて会った時のきつい印象が強く、その後もよく塔で顔を合わせることはあっても会話は交わされなかった。
すべてを打ち明ける――そう決意したものの、まずどうやって会うか。仮にも建国の女王で国守の魔女であるリーゼロッテはこの国の重鎮でおいそれと会える相手ではない。それにもし話をすることが出来たとしても、信じてもらうことができるか――自信がなかった。
そんなことを考え、決意はしたもののなかなか動くことができず窓辺に座っていたティアナは、扉を叩かれる音にふっと視線を窓の外から扉へと移した。
ノックにリアが答え、開かれた扉の前には二人の若い魔女が立っている。
「失礼致します。リーゼロッテ様がティルラ様にご用があるそうです。どうか、おいで下さいませ」
深々と頭を下げて請われ、ティアナはするりと窓辺から降りると入り口に向かって歩き出した。途中ベッドに腰かけたリアの前を通った時、心配げにこちらを見ていたが、笑い返し、二人の魔女について部屋を出る。
塔を出て長い通路を進み、いつも使っている所とは違う湯殿にティアナは案内される。
「あの……」
呼ばれていると言われてついてきたのに、なぜ案内された場所が湯殿なのかと疑問に思い首をかしげるティアナに、魔女はリーゼロッテ様の仰せですと言って服を脱がせ始めた。抵抗の余地も無くすべての衣服を脱がされ、奥の湯殿へ入るように促される。
ティアナは従うしかないと判断し、恐る恐る歩みを進め湯殿に入っていった。
もしかして、ここにリーゼロッテ様がいるの……? まっ、まさか、裸の付き合いをしろということかしら……!?
とんでもない想像をして、ぞわりと背筋を震わせたティアナだったが、湯殿には入り口に立つ二人の魔女以外、奥には誰もいなかった。
「……??」
状況が理解できずティアナの頭の中は疑問符だらけだったが、広々とした湯浴み場、湯壷は天然の岩を掘り出し源泉がそのまま湧き入れられている。
自分の慣れ親しんだ王城とは似ているようで違い、知らない場所や七十七年後にはない場所が、この王城には多く、この湯殿もその一つだった。
マグダレーナが用意してくれた部屋の隣の塔に湯殿があって数日に一度はそこで湯浴みをしていたが、広さはさほどなく魔女たちと共同だったのでのんびりと湯壷につかることは出来ていなかった。
リーゼロッテはこの湯殿には現れそうにないし、せっかく目の前に大きな湯壷があるのだ。ティアナは思い切り湯を楽しむことにする。
湯につかりながら、ふっと――もしかしたら、この湯殿に案内されたのはリーゼロッテに会う前に身を清めよ――ということかしらと、初めて会った時の言葉から考えつき、慌てて湯壷から上がり体を丁寧に洗う。
湯浴み場を出ると、待機していた二人の魔女が絹のタオルで体を拭き始め、ティアナは恥ずかしさに声を上げる。
「あっ、あの……体くらい自分で拭けますから……」
「いいえ、そういうわけには参りません。すべてはリーゼロッテ様の仰せですから」
そう言われては抵抗するわけにもいかず、じっとして体が拭き終わるのを待った。
体が拭き終わるとどこから取り出したのか、絹地の鮮やかな赤と白の衣装を広げ始めた二人の魔女をぼんやりと眺め――絹の衣装だなんて、昔は財力があったのね――なんて関係ないことを考えていて、気がつくとその衣装を自分に着せられていたティアナは止めようと声を上げる。
「やっ……なにするの……」
だけど抵抗の言葉をすべて言う前に、やんわりと魔女に言われてしまう。
「すべてはリーゼロッテ様の仰せですから」
「はぁ……」
納得はいかないがもはや抵抗する気力も無く、ティアナはされるがままに豪華な衣装を着せられ、促されるままに歩き――先導していた二人の魔女が恭しく頭を下げながら横に下がっていくと、目の前には見上げるほど大きな扉があった。ここは――