第13話 二ヵ月前のレオンハルト
目が覚めたら、目の前に心配そうに顔を覗きこむアウトゥルとフェルディナントの顔をあって、目を瞬かせる。
なんだか痺れる体を起こそうとして、初めて違和感に気づく。自分の体を見下ろすと、体は艶やかな銀色の毛皮で覆われ、後ろには長い尻尾まで見える。
ああ、そうか――私の不用意な一言を森の魔法使いに聞かれ、猫にされてしまったのだった。
猫にされた後は街に出たはずで、なぜ自室で寝ているのか、猫にされたと言っていないはずの二人が猫の姿でも自分と分かっているようで、若干、記憶に雲がかかったところがあったが、それよりも今一番気にしなければいけないことは――
「二ヵ月後の舞踏会までに、元の姿に戻らなければ……」
レオンハルトが独り言のように呟いた言葉を、アウトゥルは瞳が落ちるのではないかというほど目を見開き、フェルディナントは眉間に深い皺を刻んでこちらを見ていた。
「レオンハルト様、お怪我はありませんか? 痛いところはありませんか? おかしなところは……?」
うろたえながら聞いてくるアウトゥルがおかしくて、レオンハルトはくすりと笑う。
僅かに頭や体の至る所がずきずきと痛むが、大丈夫だと言うと。
「本当に大丈夫なのですね!? あー、時空の裂け目に吸い込まれそうになって崖から落ちた時は心臓が止まるかと思うほど、心配したんですよ……」
涙目ですがりついてくるアウトゥルの言葉に首をかしげる。
「時空の裂け目……? 崖から落ちた……? 何を言っているのだ、私は――」
眠る直前のことを思い出そうとして、頭がずきりと痛む。
「王子、覚えていないのですか? 王子は夕方執務を終えた後、ティアナ姫と西の丘に行って――」
「ティアナ……姫? どちらの姫君のことだ?」
フェルディナントの言葉を遮り、レオンハルトは首をかしげる。
「王子、ティアナ姫のことがお分かりにならないのですか――?」
フェルディナントが訝しげに問いかけてくる中、アウトゥルはすごい勢いで部屋を飛び出し、しばらくして見かけたことのない少女を伴って部屋に入ってきた。
大きな宝石のような綺麗な翠色の瞳、女性にしては短い腰ほどの長さの髪を複雑に編み込んだ少女の姿を見た瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる。
その少女に親しげに、そして心配そうな声で話しかけられ、レオンハルトは締め付けられる胸とは裏腹に――冷静な声で言う。
「申しわけありませんが――どなたでしょうか?」
本当に彼女に会った記憶がなくてそう言ったのだが、なぜだか胸が切ない。
そんな自分を、悲痛と驚きの眼差しで皆に見つめられ、居心地が悪くなる。
何かがおかしい――
そう感じても、それが何なのかレオンハルトには分からず、もやもやとする。
一人部屋に残されたレオンハルトは、苛立たしげに尾を振った。
※
その後、部屋に戻ってきたアウトゥルから、舞踏会は三日前に終わったことや先ほどの少女がイーザ国のティアナ姫で猫になっていた一ヵ月間一緒に旅をし、魔法を解いてくれたのも彼女で、一度は人間に戻ったが夕方西の丘で時空の裂け目に触れ猫の姿になってしまったのだと聞かされても、レオンハルトはいまいち信じられなかった。
自分の魔法を解くために、あるかどうかも分からない時空石を探しに危険な北欧の森にティアナが行くと聞かされ、レオンハルトはどうしたらいいか分からなくて――北欧の森へ行く準備をしているティアナ達のメインサロンに来てからも一言も言葉を発せられずにいた。
よろしく頼む――
知り合いだと言われても自分にはその記憶がなく、初対面ではないのかと思う少女にその言葉もどうかと思う。むしろ。
そんな危険な場所には行ってほしくない――
そう思っても、それを言うには憚られて。
ただ、悩ましげ揺れる群青色の瞳で、黒いマントを羽織り荷物を背負ったティアナを見つめた。
その視線に気づいたティアナは、瞳を瞬かせ――ふわりと、どこか他人行儀で綺麗過ぎる笑顔を見せる。
「レオンハルト様、必ず時空石を持って戻りますねっ」
そう言って部屋を出て行くティアナを見つめ、レオンハルトはぐしゃりと顔を切なく歪ませる。
胸が掻きむしりたくなるように苦しい――
心が、体が、千切れそうに切なく痛む――
なぜだろう、私はとても大事なことを……忘れている気がする――